第22話

「なんだ、あれは!?」 

 スクリーンに映るナーガルジュナの風景は、一見何の変化もないように思われた。だがしかし、目を凝らしてよく見ると、そこに驚愕すべき変化が生じているのが見て取れた。

「山が…動いてる?」

 真竜の国を囲んでいる山脈が、地響きを立てて動いているのだ。その動きは見る者に、まるで巨大な生物が地面の下で蠢いているような、そんな奇妙な錯覚を覚えさせた。だが、しかし──


 それは、錯覚でもなんでもなかったのだ。


 そう、出ようとしているのだ。山脈に潜んでいた、巨大な何かが。


「…まさか…!そんな…ッ、確かにわしは奴の持つ力をすべて…ッ」

 思いもよらぬ事態と驚異の光景に、神であるはずのラーヴァーナですら動揺せずにはいられなかった。何故なら彼もまた透らと同じように呆然とし、さらには一瞬、四人に対して攻撃することすら忘れて、スクリーンの向こうで起ころうとする『怪異』を固唾をのんで見守ってしまったのだ。

「なにか…出てくる!!あれは!?」

 膨大な量の岩や土砂、斜面に生えた無数の木々。山々を構成するすべての物質が、土石流となって滑り落ちていく。それは人気の消えた町を破壊し、森や湖をことごとく飲み込み、ついには激震に耐え兼ねた真竜の王城をも崩壊へと導いた。

「ああ……ッ」

 神霊界一とうたわれた王城の最後に、象徴的な何かを失った気がして、冴月は胸が締め付けられた。だが、次の瞬間、

「…………ッ!!」

 露わになった山の表層を突き破って、巨大な竜の首が出現したのである。それから次々と細長い胴体が山脈の下から現れ、轟音と共に神霊界の空へ舞い上がってく。

「竜……竜だ!!」

「地の竜なのか?あれが…龍二のもう一つの姿…」

 あっけに取られて見ていた透が、我に返って竜王達に問い掛けた。

彼らからの返答は、もちろんイエスである。

「羅刹王!!見ての通り、三界のすべては龍二様…いや、創世の竜『螺旋』様の保護下に入った!!これで貴様は四聖獣の攻撃を、世界に反射することは出来ぬぞ!!」

「おのれ!!おのれ!!またしても飛竜めが!」

 誇らしげに胸を張る摩那斯の宣言に、神座そのものが怒りに震えて鳴動した。ラーヴァーナの怒りと憎しみが、咆哮となって空間を振動させているのだろう。

「つーことはさ、遠慮なくぶっ飛ばしてOK?」

 摩那斯の言葉を聞いて、俄然、元気の出た大輔が確認する。

「そういうことだろ」

 復讐心に燃える聖は、もうさっそく剣を構えていた。

「…ちっ、さっきのお返しをさせてもらうぜ!百万倍にしてなあ!!」

 彼は知らずとはいえ自らの手で、人界の小さな村を滅ぼしてしまった。その瞬間に感じた心の傷みと苦しみを、すべてラーヴァーナにぶつけなければ気が済まないのだろう。

「ちょい待ち!!こっから先は、お前だけの力じゃ無理だぜ!」

 今にも飛び出しそうな勢いの二人を、和脩吉が慌てて止めようとする。

「どういう意味だよ?それ」

「言葉通りさね、お二人さん。今までの奴は、攻撃より、むしろ防御に神霊力の大半を割いていた。しかし、こっからは違う。防御そっちのけで攻撃されると、お前ら四聖獣といえど、ただじゃ済まねえ…というか、たぶん、骨も残らんだろうな」

 珍しく解説役を買って出た難陀の顔は、口調の呑気さに比例して真剣そのものであった。

「んなもん、やってみなくちゃ解らねえだろ!」

 言うが早いか止める間もなく、怒りに目がくらんだ聖は、すぐ側で蠢く触手に飛びかかっていった。

 片手で構えたしろがねを、上空から勢いをつけて一気に切り下ろす。さっきまでなら確かにこれで、十分触手くらいは断ち切ることが出来ていたのだ。が、しかし、竜王らの忠告は真実であった。

「うおっ!!」

 聖の行動を待っていたように、一本の触手が先端から無数に分裂し、全方位から彼に襲い掛かってきたのである。その変則的な動きといい、攻撃速度といい、先刻までとは明らかに段違いだった。

「この馬鹿!!相手は仮にも破壊神なのよ!?甘く見ないで!!」

 柳眉を逆立てた摩那斯に、あわやというところで救われなければ、格段に強力な攻撃を食らった聖は、あえなく戦闘不能に陥っていたことだろう。

「それでは、どうしたらよいのでしょう?」

「今、玄武が時間稼ぎしてくれている。この間にお主たちは、俺っちらを身に纏うんだ」

 助言を請うた冴月に、難陀が優しく答えた。そう言われて見てみると、いつの間に空間を移動したのか、透が中心核に対して攻撃を仕掛けていた。

「身に纏うって…どうやって?それに、透は?透はどうすんだよ!?」

「玄武のことなら心配は要らん。本人もそう言ってたし、龍二様も同じことを言われたからな」

「龍二が……?」

「良いか、よく聞け。私達八大竜王は、本来、飛竜様の御身を守る八つの武具。その真の力は遥か昔に封じられたけれど、龍二様により解放され、私達はその使用の自由を与えられた」

「白虎、朱雀、青龍、俺達の力を求めな。そうすれば俺達は、お前たちの身を護る最強の鎧となる!」

 竜王達が代わる代わる説明するのを、三人は焦りつつも冷静に聞いていた。自分たちに力が足りないという竜王達の指摘は、聖の攻撃が失敗したことから見ても正しいのだろう。だが、

「お前ら、ひょっとして、そのまま人間に戻れないんじゃねえのか?」

 しばらく黙って聞いていた聖が、竜王達の顔を睨みつけて言った。強い意志を込めた聖の瞳は、無言で『誰かが犠牲になるなら頼らない』と告げている。

 そんな彼の意志を読みとったのか、摩那斯は艶やかな微笑を浮かべて、

「それはお前たちしだいだ」

「……………」

 突き放すような言葉とは裏腹に、彼女の表情には『信頼』が込められていた。

──瞬間、聖の心は定まった。

「しょうがねえ!万一、キズモノになっても、俺がヨメに貰ってやるから、安心して我が力となれ!マナスヴィン!!」

「ああ、よろしく頼むぞ、白虎」

 ふっと笑った摩那斯の身体が光の粒子に変わる。それら数千、数億の粒子は、聖の身体に纏いつくと、急速に形を整えていった。

「聖と違ってヨメにする訳にはいかねーけど、俺らずっと友達だぜ!さあ、我が力と似れ、ヴァースキ!」

「ははっ、やってやんぜ、朱雀あいぼう!!」

 聖の決心を見て、大輔も叫んだ。続いて和脩吉の身体が、光の粒子に変わる。そして、

「力をお貸しください、竜王、ナンダ!!」

「おう。任せとけ、嬢ちゃん」

 冴月の求めに応じて、難陀の巨体もまた光と変わった。


 時間にしてわずか数秒。


 それだけで竜王らの身体は完全に消滅し、聖たちを包んでいた光の粒子も、鎧を形作ってその動きを止めた。白、朱、青、己が属性を示す色の甲冑を、三人はほぼ瞬時に装着していたのである。

「変身終了!!なんちゃって!!」

「透っ、今行くぜ!!」

 言うより早く、三人は攻撃を開始した。

「すげえな!!竜王の鎧!!」

 はしゃいだ大輔が、改めて感嘆の声を上げる。

 初めて身に着けたにもかかわらず、竜王の鎧は自分の皮膚のように馴染んでいた。当然、重さや動き辛さなども一切感じない。

 そのくせ呆れるくらい頑丈で、触手の攻撃程度では傷ひとつつかなかった。しかも、これらの鎧からは、竜王らの持つ神霊力が武器に向かって、次々と注ぎ込まれてくるのである。

 確かにそれは『最強』の名に相応しい鎧であった。

「飛竜の手下が、こざかしい真似を!!」

 さらなる怒りに力を増幅したのか、ラーヴァーナの攻撃が激しさを増す。

新たな力を得た聖らは、醜く蠢く触手を次々と切断していった。だが、

「ううっ!?」

 その再生力に限りは無いのか、切った先から新しい触手が生えてくる。

「無駄だ!!無駄だ!!神の力に限りなどない!神の力は無限なのだ!わしはただ、貴様らの力が尽きるのを待てばいい!さあ、今度こそ貴様らを捻り殺してくれる!!」

「けっ!!そー簡単に殺られるもんかよ!」

 聖の神霊力が渦を巻き、周辺の触手をまとめて切断した。

「そーゆーこと!!」

 切断され、のたうつ触手に、大輔の炎が追い打ちをかけ、辺り一面に黒煙と、肉が焼けるような嫌な臭いが充満した。聖と大輔の個々の能力を使った、見事なコンビネーションだ。しかし、

「うひゃっ!!」

 欠片も残さず焼き尽くしたはずの触手は、そんな攻撃などまるで応えてないかのように瞬く間に再生し、再び二人に向かって襲い掛かってくる。

「うはあ!!これじゃキリがねえ!!」

「触手が多すぎて、本体にも近づけないわ!」

「透、駄目だ。この再生力だけでも、なんとかしねえとじり貧だぜ!」

「…………ッ」

 透は無言で仲間の顔を見回した。皆、口にこそ出しはしなかったが、それぞれの顔には疲労の影がある。確かにこのままでは、いずれ体力、神霊力を使い果たして、ラーヴァーナの圧倒的な力に屈してしまうだろう。だが、そんな事態を座して待つわけにはいかなかった。


 負けるわけにはいかないのだ。

 世界のためにも、自分たちのためにも。


「ハハハハハハハハハ!!踊れ!踊れ!!神の哀れなる人形どもよ!そして惨めに殺されるがよい!!貴様らの次は飛竜だ!!再三、わしの邪魔をしたあやつを、この手で八つ裂きにして喰ろうてやるわ!!」

「………!」

 狂ったようなラーヴァーナの哄笑が、透の表情を一変させた。

「聖、大輔、冴月!!」

 怒気を含んだ鋭い声で名を呼ばれた三人が、ハッとして透を振り返る。すると彼は何を思ったのか、己の剣を逆手に持ち、刃を下にして垂直に身体の正面で構えながら、

「一分でいい。俺の周辺で奴の攻撃を防いでくれ!!」

「……わかった!」

 聖は二言とは言わせず、透の指示に従った。もちろん他の二人も同様だ。三人は示し合わせたように透の周囲を固めると、襲い来る触手が彼に届かぬよう結界を張りつつ戦い始めた。

「今更身を守ってなんとする!?それとも諦めたのか!?」

 一か所に固まって戦い始めた四人を、神霊力による集中攻撃と、無数の触手が同時に襲い掛かる。一点に集約された力の威力は凄まじく、おかげで三人は、これまで以上の苦戦を強いられた。

 中でも身体の小さな冴月は、少しでも気を緩めたら弾き飛ばされてしまいそうだった。

「負けるものか!!」

 全身全霊の力を振り絞り、狂暴な力の奔流を押し返す冴月。

──と、その時、彼女はふと、透の口から、聞き覚えのない言葉が紡がれるのを耳にした。


 それは神霊界のものでも、天界のものでも、まして人界のものでもない。どこか不思議な、まるで流れる音楽のような、歌ってでもいるかのような、どこか懐かしく美しい言葉の羅列。


 だが今、この場に居る者で、透の言葉の意味を理解できる者は一人として居なかった。いや、聖ら三人の鎧と化した三竜王なら、意味は分からずとも聞き覚えがあったかも知れない。

 何故ならそれは、つい先刻、彼らの主から紡がれた言葉と、まるで同じものだったからだ。

「────ッッ!!」

 鼓膜の奥に響く声で最後に何かを叫ぶと、透は剣を天へと向けて掲げた。すると、次元をも超えて飛来した雷撃が、眩い輝きとなって『黒曜』の刀身に宿った。

 そしてその光は、静まることを知らぬ激流となり、神座の中を荒れ狂ったのである。

「うわあっ!」

 爆発的に輝き始めた『力ある光』に、近付いてきた触手はことごとく蒸発し、周辺を守っていた聖達は、反対側の壁際まで跳ね飛ばされてしまった。竜王の鎧を身に纏い、二人分の神霊力を得たにもかかわらず、光の余波だけでもこの有様である。

「なっ、ななな!?なにが起こったんだ!?」

 徐々に光が収まってるお陰で、さっきまでより目は痛くない。

「透は……ッ!?」

 まだハッキリしない目を擦りつつ視線を戻すと、虹のように揺らめく光の中心で、ゆっくりと人の姿が、その形を鮮明にしつつあった。

「透……?」

「うぬうう!!おのれっ、おのれええ!!」

 光に焼かれて苦しんでいたラーヴァーナが、途切れ途切れに叫びながら、残るすべての触手を透へ差し向けた。様々に形を変えるそれらが、狂ったように攻撃を開始する。

「やべえ!透!!」

 聖は慌てて飛び出そうとしたが、その前に決着が付いていた。目に見えぬ鋭い何かが空間に閃き、襲い掛かる触手をいともあっさりと分断したのである。

「うぎゃああああ!!」

 細切れになった触手が、バラバラと落下していく中、黒い甲冑に身を包んだ男が現われた。

手に捧げ持つ剣は、男の身長よりも長く、しかも、刀身は血のように赤黒い。神聖さよりはむしろ、邪悪さすら感じさせる姿──


 それが──それこそが、封印されし『玄武』透の、その真の姿であった。


「え…え?…と、透、なのか?」

「なんだ!何が起こったというのだ!貴様…貴様のその姿はいったい…!」

 神を名乗る男は半分裏返った、あからさまに動揺した声で叫んだ。もっとも、長年の仲間である聖達でさえ、初めて見る透の姿に動揺を禁じ得ないのであったが。

「わしの…わしの神霊力が…神の無限の復元力が!?そんな馬鹿な!!そんな馬鹿な!!」

 激痛に苛まれながら、ラーヴァーナは失った触手を再生させようと試みた。しかし、どうしたものか今度は一向に触手は再生せず、どころか逆に、黄色く変色してボロボロと砕け散ってしまう。

「……神に操られし哀れな男よ。お前ももう、気付いていだろう?」

 静かな声で甲冑の男が話し始めると、ようやく聖ら三人は緊張をほぐした。見知らぬ姿をしたその男の声は間違いなく、彼らの知る透のものだったからだ。

「……なに!?」

「己の吸収した飛竜の力が…たとえ半分でしかなかったとしても、あまりにも破壊力が無さすぎると…いや、そもそも『破壊』という行為そのものに向かない力だと。そう、思わないか?…そして、だからこそお前は、我らの力を逆用して、世界を滅ぼそうとした…違うか?」

「…………ッッ!!」

 透は深い悲哀に眉をひそめた。ラーヴァーナはもちろん、ここにいる仲間たちでさえ、それが望んでもいない力を与えられた者の、永遠の孤独を意味するものだなどと、知る由もない。

「俺も…飛竜りゅうじのあの姿を見るまでは、確信が持てなかった。だが…今ならわかる。

 …はるか昔、神の残した力は二つに分けられた。守護と再生を司る『創造の螺旋』、そして、破壊と死を司る『崩壊の螺旋』…前者は神霊界の統治者たる飛竜に託され、後者は…」

「まさか…まさか!?貴様のその力は!!??」

 ようやく事態を察したのか、ラーヴァーナの顔に、それまでなかった焦燥と畏怖の色が現われた。そんな彼の眼前で透はゆっくり剣を構え、伏せていた闇より深い黒瞳を見開いた。

「そうだ。俺の持つこの剣こそ、もう一つの『螺旋』…世界に破壊をもたらす神の力。そして、神をも殺す、唯一の力だ!!」

 言うや否や透は剣を一閃した。

 途端、それまで空間を覆い尽くしていた邪悪な気配そのものが消滅する。


 聖達が呆然と見守る間に『神座』は、本来あるべき姿へ戻っていった。

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