第20話

 次元を越えるための通路では、特にこれと言った動きも戦闘もなく、透たちはすんなり目的地へ到着することができた。

 ここは神座。代理人たる飛竜が、神と対話するための場。

 暗くて何も見えなかったが、声や音の反響具合からしても、かなり広い空間のようであった。

「なんかさ…暗いし、生温かいし、生き物の中にいるみてぇ」

 気味悪げに大輔がそんな感想を口にしたが、すぐにそれが現実と化すなどとは思いもしなかったであろう。そう、まさにこの神座とは、巨大生物の体内であったのだ。

「ここまで来おったか…しつこい虫どもめ。だが、ようこそ、と言っておこう」

 わんわんと空間全体に響く声がしたかと思ったら、唐突に闇の空間へ光がもたらされた。おかげでようやく周囲の光景が明らかとなったが、いっそ見えない方が良かったのかも知れない。

 何故ならクリアになった視界には、思わず吐き気をもよおさずにはいられない、それほどおぞましい光景が広がっていたからだ。

「うげえ……ッ」

「きゃあっ!?」

 ドーム状の空間を覆う壁は、すべて肉色に赤黒く脈打ち、血とも体液ともつかぬ液体で濡れている。また灰紫色のおぞましい触手が、空洞全体に張り巡らされており、呼吸でもしているかのような蠕動を繰り返しつつ、時折、緑色のねばつく液体を吐き出していた。

 さらに、その触手の中心には、同じ色の繭状の塊があり、その真ん中にかつての名残か、見たことのある人の顔が生えていた。それこそが──

「ラーヴァーナ!!」

「うわあっ、透うっ、俺、精神ダメージ大って感じで、ノックダウン直前……ッ」

 冗談とも本気ともつかぬ青い顔をして、大輔は口元に手を当てる。

「バーカ!!勝手にダウンしてろ!」

 怒った聖にいきなり背中を突き飛ばされ、大輔はバランスを崩した。そのまま件の壁近くまで落下して、死に物狂いで急ブレーキをかけて空中停止する。話は前後してしまったが、これまで彼らは全員、空洞の中ほどで宙に浮かんでいたのだ。

「あーきーらあああ!!!!」

 危うく肉壁と抱き合うところだった大輔は、物凄い形相で宙を飛んで戻ってくると、息つく間もなく聖の首根っこに噛みついた。

「なんてことすんだあ!!もーちょっとで気色悪い液体塗れになるとこだったじゃねえか!!笑えねえぞ、おいっ!!」

「やかましい。ノックダウン言うから、とどめ刺してやろうかと思っただけだ!イイからグロ液体塗れになってろ、バーカ!!」

 真っ青だった顔を今度は真っ赤にして、大輔は早口でまくし立てるが、聖も負けじと反撃する。

 いつもならこんな状況で馬鹿をやると、すぐに透が止めに入るのだが、何故かこの時はそっとしておかれた。

 実のところ、透もかなりの視覚ダメージを負っており、いつもと変りない二人の掛け合いが、正直この時ばかりはとても有り難かったのである。

「にぎやかなことだ……」

 勢い無視されることになったラーヴァーナが、愉快そうに口を差し挟む。

「しかし残念よな…せっかくのもてなし、気に入っては貰えなかったようだ…」

「あいにくだったな」

 かつて羅刹王だったモノに笑いながら答えた時、すでに透はかなりのダメージを回復していた。聖と大輔、そして冴月も、一連のドタバタ騒ぎのお陰で、いつもの調子を取り戻している。

「あくまでわしに逆らうというのか…神の力を得たこのわしに!!」

 四人が次々と武器を手にする姿を見て、ラーヴァーナは怒りにその身を震わせた。

「良かろう…かかって来い!」

 繭状の化け物と化した王の咆哮。それが、戦闘開始の合図となった。


「おうりゃあああ!!」

 威勢のいい掛け声を上げて、聖は目の前に迫った触手をまっぷたつにした。緑色の毒液が切った瞬間、四方八方へ飛び散っていく。それを空中で器用に躱しながら、次の触手へ向かって聖は飛んだ。

 何かと厄介な敵ではあるが、ひとつひとつはそれほど強くもない。切断した後は再生しないので、見る見るうちに触手の数は減っていった。中心核である繭状の本体が、丸裸にされるのも時間の問題である。

「けっ!!なーにが神の力だ!扱い切れてねーじゃねーか!」

 また一本の触手が切断され、うねりながら落下していく。

「……おかしい?いくらなんでも、手応えがなさすぎる…」

 三、四本の触手を同時に相手していた透が、あまりの弱さに疑問を抱いた。それに、最初から常に自分のところへだけ、触手が複数で襲ってくるのも気になった。絡み合う触手に邪魔されて、本体の様子が見れないのである。

「俺に見られたくない…ということか。みんな気を付けろ!何かあるぞ!!」

 透が注意を促した直後、その異変は起こった。

「なっ、なんだあ!?」

 それまで切られても再生しなかった触手が、次々としかも瞬時に再生し、物凄い勢いで滑空し肉壁へ張り付いたのだ。蜘蛛が糸を張るように、すべての触手があっという間に空間全体を覆い尽くしていく。

「なっ、何する気だ!?ぎゃああー気持ち悪いッッ」

 大輔が叫びながら、不安そうに透の側へやって来た。聖も冴月も、動きを止めた触手の間を縫って戻ってくる。

 不気味な静寂が、今、この空間を支配していた。

 いよいよ死んだのではないか?と、誤解しそうなほど、触手も触手の本体であるラーヴァーナも、一切の動きを止めてしまっている。ただ、胸に沸き起こるような嫌な予感だけが、これから起こるであろう事態に震えていた

「うわあ……な、なにが、いったい?」

 突如、空間内が一変した。

 半透明の四角面が無数に出現し、宙に浮かんだままゆっくりと回遊し始めたのだ。しかもそのひとつひとつには、それぞれ違う何かが写し出されている。

「な…なんか、パソコンのウインドウみてえ…てか、何が写って…」

 不思議に思って近くにあった幾つかを覗き込んでみると、

「あ、これ、東京だぜ。ほら、新宿見えるもん」

「こっちは神霊界よ。ナーガルジュナだわ」

「おー。懐かしい。天界だ。全然、変わってねえな」

 それらには三界すべての風景が写し出されていた。どうやらこれは、世界を映すスクリーンのようなものであるらしい。大輔の口にしたパソコンのウィンドウが、実体を持って宙に浮かんでいるといったら解りやすいだろうか。

「これは『神の瞳』という。そこに写っているのは、今現在の世界の姿だ」

「ご丁寧な説明ありがとよ。で?なんな訳?これで映画でも見せてくれんのか?」

 警戒しつつもどこか気楽な聖と違って、透はますます嫌な予感を募らせていた。

「少しは自分の頭で考えてみろ。だが、そうだな。貧弱な脳みそしか持たぬ貴様のために、ひとつだけヒントをやろう。ここは……どこだ?」

「んだと!馬鹿にしやがって!!このおっ!」

 ラーヴァーナの挑発に腹を立てた聖は、容赦なく神霊力を振るおうとした。しろがねに神霊力を込めて、叩きつけるつもりだ。

「よせ!!やめろッ!聖!!」

 ラーヴァーナの言葉の意味を理解した透は、聖の攻撃を制止しようとしたが、すでに遅かった。

「きゃあああ!!」

 聖の攻撃の直後、たまたまひとつのスクリーンを見ていた冴月は、その瞬間を、思わず悲鳴を上げた。つられて同じスクリーンを見た大輔も、驚いて振り返った聖も、そして直前に罠を察知した透ですらも、身体を硬直させたまま動けなくなる。

 冴月の見ていたスクリーンの中には、人界のどこか小さな田舎の風景が写し出されていた。

 どこまでも続く緑の畑や細い道、山間に散らばる大小さまざまな人家。その中で暮らす人々。平穏で、のどかで、美しい平和な世界。だが、今や、そこに広がるのは──

「な……っ、お、俺の…俺のせい…?」

 苦し気に胸元を抑えて、聖が呻いた。恐ろしい光景が打撃となって、彼の心臓を鷲掴みにする。

 つい一瞬前まで、のどかな光景が広がっていた。

 なのに今そこに、生きて動くものの姿はない。

 無残に焼けただれた大地。跡形も残らない人家。山々ですらその形を変え、青かった空は炎に焦がされていた。そして人々は──

「これが奴の切り札だったのか…!」

「ど…どういうことだよ、透!?」

 訳も分からず叫んだ大輔の声は、今にも泣き出しそうに聞こえた。

「世界を盾にされた。たぶん、俺達が奴を攻撃すれば、その力はそのまま、三界のいずれかを破壊するのだろう」

「さすがたな…玄武。その通りだ」

 狂おしい哄笑を響かせて、ラーヴァーナが透の推測を肯定する。

 透明なスクリーンの中では、ひとつの罪なき村が、今もなお猛火に焼かれている。これが現実で真実というのなら、四人は両手足を縛られたと同然であった。

「世界が滅ぶのが先か、わしの死が先か、ふたつにひとつだ。賭けてみるがいい!!」

 叫んだ声の反響が消えやらぬうちに、ラーヴァーナの攻撃は再開された。


「ちっきしょー!!」

 大輔は執拗に追いかけてくる触手を、ジグザグに飛びながら避けた。攻撃の一切が封じられた今、彼らに出来ることはただ一つ、こうしてひたすら逃げ回るのみである。

「なんとかなんねーのかよ!!透ぅ!!」

 とはいえ、逃げ回るのも限界がある。それは解っていたが、どうする術もなかった。

 なにしろ、触手の攻撃を受け止めただけでも、一つの街が消えてしまったのだ。知らずにやってしまったせいで、あれから二つの都市がこの地上から消滅していた。もはや逃げるしか残された手段はない。

「ぐうっ!!」

 精神的ショックのまだ癒えぬ聖が触手に弾き飛ばされて壁へ激突した。全身、液体塗れになったが、気にしている余裕はない。そこへ再度触手が攻撃する。たが、ふらついていた聖は避けることも、受けることも出来なかった。

「聖あああああっっ!!」

 大輔の叫びに透が気付いた時、ずうんっ、という地響きと共に、聖の姿は触手に潰されて見えなくなっていた。

「うわああああっ、この野郎!!」

「やめろっ、大輔!!」

 我を忘れて触手に切りかかろうとする大輔を、透が後ろから羽交い絞めにして止める。

「透っ、なんで止めるんだよ!!聖が…聖が!!」

「よく見ろ、大輔!」

 言われて涙の滲む目を見開いた大輔は、そこに聖の無事な姿と、彼を襲った触手を食い止める影の姿を見た。

「私と戦った時の気迫はどこへ行ったのかしら?白虎」

「摩那斯!!」

 観念して目を閉じていた聖は、聞き覚えの声に顔を上げた。それを待っていたように、艶やかな微笑みを浮かべて、摩那斯が剣で押し止めていた触手を縦に分断する。

 反射的にスクリーンを見た聖だったが、どういう訳か、どこにも破壊された様子がなかった。

「待たせたな!!助っ人参上~!!」

「和脩吉!!」

 跳ねるように明るい声で和脩吉が現われ、大輔を襲おうとしていた触手を切り落とす。

「またどこも破壊されてない…どうして?」

「おう、油断してんなよ、嬢ちゃん」

 冴月は思いがけない竜王の参戦と、スクリーンの双方とに見入っていた。それを背後から絡めとろうとしていた触手が、野太い声と共に爆砕される。爆炎の影から現れた難陀は、巨大な剣を肩に乗せて豪快に笑った。

「難陀竜王…!」

「どういうことだ!?なぜ、竜王達の攻撃は、世界に影響を及ぼさず、奴だけにダメージを…」

 攻撃を避けつつその様子を見ていた透が、当然の疑問を口走る。そしてラーヴァーナもまた、彼らと同じ疑念に身をうねらせていた。

「ぐうううう!!何故だ何故、貴様らはわしを攻撃できる!?わしの身体が傷付いておるのに、何故、世界は破壊されないのだ!?何故!!」

「いつまでもそんな手が効くと思うなよ!あれを見な、ラーヴァーナ!!」

 和脩吉が指差した先には、ひとつのスクリーンがある光景を映し出していた。

 街を囲むように連なる山々。緑の森と青い湖。

そして、小高い丘にそびえる、白い外壁の美しい王城。


 それは砂漠の世界に残された最後の楽園。真竜の国ナーガルジュナであった。


「あれが何だって……ああっ!?」

 何も無いじゃないか。そう言いかけて大輔は見た。

今まさにナーガルジュナで起ころうとしている、その異変を。

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