第18話
真竜族の宮殿は、シンと静まり返っていた。来た時と同じで、人の姿はない。
死に絶えてしまったかのようなこの沈黙こそが、かつては多くの人々に溢れ、賑わいだであろうこの広大な宮殿の現在の主でもあった。
そんな無音の空間を、けたたましく駆け抜ける複数の足音が打ち破った。
「透、いったい何をする気なんだ、あの野郎は!?」
走りながら聖は、少し前を行く透に話しかけた。透の背中には、気を失った飛竜こと、龍二が背負われ、華奢な手足を力なく揺らしている。
「解らん…だが、龍二が…いや、飛竜が言っていたな。これは自分の罪だと」
「飛竜の…罪?」
苦し気に目を閉じた龍二を見て、聖はつい先刻の出来事を思い返していた。
「あぶねえっ!透!!」
聖は叫ぶと同時に剣を抜いた。透も、大輔や冴月も反射的に武器を手にし、瞬時に戦闘行動に移る。だが、その時、突然叫んで飛び出した龍二によって、四人の攻撃の手は妨げられてしまった。
「どいて!兄ちゃん!!」
「龍二っ!?」
透の背を突き飛ばした龍二の身体を、次の瞬間、透明な刃が刺し貫く。それは、飛竜の身体から生まれた、あの美しい宝刀であった。
「龍二!?」
「てっ、てめえ!!まだ生きていやがったのか!」
全身血だらけの巨体を幽鬼のごとく揺らめかせ、手に持つ刀に龍二を突き刺したまま、羅刹王ラーヴァーナはぞっとする笑みを浮かべた。光り無きその両岸が、昏い洞穴と化していて、まるで死者のような印象を四人に与える。
「龍二!!なんて無茶を!」
「だい…大丈夫。今の僕にはわかるんだ…これは、僕の身体から生まれた、僕の一部。この刀では僕の身体を傷付けることは出来ないんだって…待ってて…今、元に戻すから」
言葉が終わらぬうちに、身体を貫いていた刀身が、急速にその輪郭を失っていく。
「……ごめんね。みんな僕のせいで…でも、もう君も、こんなことはやめて眠るんだ。僕は…これ以上、君を罪に貶めたくない…」
「………罪、だと?」
場違いなほど優しい声で、龍二は──いや、彼の中に残る飛竜の記憶は、ラーヴァーナを諫めようとした。ところが、そのとたんにラーヴァーナの瞳には、殺気のこもった光と生気が宿ったのである。
「わしは死なぬ。死んで神の思い通りになってたまるものか。滅ぼしてやる。何もかも!」
「違う!違うよ!そんなことをしても神の意志からは逃れられない!むしろ…」
咆哮と共にラーヴァーナの肉体から、凄まじい鬼気が放たれた。龍二の悲痛な叫びも、彼の耳にはもはや届いていない。
「このくたばりぞこないが!!龍二を離せ!!」
剣を構えた透や聖が、ラーヴァーナの動きを牽制する。攻撃を仕掛けようにも、龍二の身体を盾にされては下手に動けないのだ。
「許さぬ…赦さぬ!!わしは絶対に許しはしない!神を!我らを犠牲にしてぬくぬく生きる人間どもも!そして飛竜!!わしを、神霊界のすべてを裏切った貴様を!!」
「あっ!?あっ、あああああああ!!」
突然、龍二の身体から、光が逆流し始めた。それは半ば形を失った刀を介して、ラーヴァーナの肉体へ注ぎ込まれていく。そして四人は見た。光が注がれるたびに、みるみる崩れかけた肉体が修復されていく様を。
「うあああああああっ」
一際激しい光が一瞬、四人の視界を遮った。透画を細めながら見ると、いつの間にかそこにラーヴァーナの姿はなく、ただ気絶した龍二が倒れているのみだった。
「龍二!!」
真っ先に駆け寄った透は、素早く龍二の身体を調べた。龍二の言った通り、その体にも衣服にも、刀で刺された傷跡はない。ホッとしながら辺りを見渡すと、聖たちがやって来るのが見えた。
「駄目だ、透。どこにもいねえぜ!」
「そうか…奴はいったい…」
「羅刹王は次元の道を辿って、真の神座へ行った」
唐突に気絶した龍二の唇が動いて、彼らの疑問に答えを与えてくれる。その口調の変化に気付いた透は、無表情になって問い掛けを発した。
「飛竜か?」
「……そんな心配そうな顔をしなくとも…大丈夫だよ、玄武…私の意識は間もなく…眠りにつく。君お陰でね…」
ふっと唇に笑みを浮かべると、ぱちりと龍二は閉じていた目を開いた。そこに浮かんだ表情は、確かに龍二のものとは異なる別人格。真竜の王『飛竜』としてのそれだった。
「ありがとう玄武…君の強さと優しさが…私と、もう一人の私を救ってくれた」
「こうなるとわかっていたわけじゃない。ただ俺は、弟との約束を守りたかっただけだ」
「え?なんだ?どういう意味だよ、透」
訳が解らないと言った顔で、大輔は二人の会話に割り込んだ。飛竜はほんの少し笑みを深くすると、彼の疑問に答えた。
「君たちの身体を癒した金色の光を覚えてる?あの時…玄武が持っていたもう一人の私…龍二の心の結晶が、私の内へ入ってきた。
それによって、この身体の主権はより純粋な魂である龍二に移り、闇に汚染された魂…私は、心の奥で永い眠りにつくことになった…という訳だ」
「おかげで私はこうして君たちとまた、話すことが出来たのさ。ほんのわずかの間だけど…ね」
「あ……そうだったのか」
大輔は言いながら、人界での出来事を思い出していた。
もう遥か遠い昔のように思える記憶。
守れなかった小さな命。弔いの時間も、その余裕もなかった彼らは、死んでしまった龍二の身体を分解して、心の結晶だけを取り出したのだ。
いつか自然に弔ってやるために。
そしてその日が来るまではと、小さな金色の結晶は、透が胸に抱いてずっと持っていたのだ。
それが結果的に飛竜と龍二を救い、また、同時に四人の命をも救ったのである。
「飛竜さ…飛竜様!!」
「泣き虫だね、青龍。本当はもっと君と、話したいことがあったのだけど…どうやらそんな時間はないみたいだ…要点だけ、手短に話すよ」
飛竜はそう言うと、少し焦ったように語り始めた。
「ラーヴァーナは次元の道を通って、真の神座へ向かった。そこは私が神と対話するための異空間で、人界、神霊界、天界、そのすべてを繋いでいる、いわゆる力の場だ。そしてこの神霊界の中心でもある…」
「そんな場所で奴は何を…まさか!?」
「そう…彼は私の力のすべてを奪い取った。私が持っていた『神の霊力』のすべてを」
時間が無いと言った彼の言葉は真実だったらしい。現に四人の見ている前で、飛竜の気配は急速に薄れていった。しかし、それでも飛竜は、必死に何かを伝えようとしていたが、もはや目を開けているのも辛いらしく瞼を閉じてしまっていた。
「あの力を……彼に解放させては……ああ、もう…これ以上は…」
「待ってくれ飛竜!!まだ聞きたいことが…!!」
「どうか…彼を救って……私の罪を…」
「飛竜様!?」
かくり、と、ついに力尽きて、飛竜の首が落ちる。
透は慌てて呼吸を確かめたが、どうやら完全に気を失っただけのようだった。
「どうする?透」
「とにかく一度、城外へ出よう」
透はそう決めると飛竜…いや、龍二の身体を背負って走り始めた。聖も大輔も、そして冴月もその後を追って走り出す。
後には白く美しい神殿と、父親に見捨てられた寂しい男の遺体だけが残された。
「確かに飛竜は自分の罪がどうとか…でも、それが?」
「昨夜…俺はずっと考えていたことがあると言ったな?神の存在と、飛竜のこと。この一連の出来事の真の意味。お前たちもあの時、ある程度の推測に辿り着いたはずだ」
ハッとしたように、三人は顔を見合せた。
「だけど…それは」
「ラーヴァーナの話を聞いて、俺は確信を持った。ずっと疑問に感じていながら、口に出せなかったことを」
「神はもう……いない、か?」
いつの間にか四人は、走ることを忘れていた。
どのみち片手間に話すには、あまりにも重大過ぎる話題だったので、透は背中の龍二を一旦下すと、柱の側へそっと寄りかからせた。
「我々という存在が誕生した時、まだ天界に神の姿があった。だが、神がこの世界…神霊界と人界を創造した後、俺は神の存在を感知できなくなった。その意志や、神霊力を感じることはあったが、神という存在そのものはあやふやになっていた」
「でも、じゃあ、俺達に神霊界へ行けって命じたのは誰なのさ?それに…いったい神はどこに行っちゃったんだ」
大輔が納得し切れないと、当然の疑問を口にする。透はそれにひとつ頷くと、
「ここからは推測に過ぎないが…竜族の伝承にある通り、神は自らの代理人に、そのすべての霊力を与えて任務を託し、いずれかの地上へ降りたのだろう。そしてその代理人…神の計画書であるアカシックレコードの管理人とは」
「…!!飛竜か!?飛竜が俺達をここへ?」
ハッとして聖は言い、振り返って龍二を見た。気絶したままの龍二は、柱に寄りかかって頭を下げ、固く伏せられた瞼には目覚める気配もない。
「だけど神はこの世界を滅ぼすつもりだったんだろ?だったら俺達を地上へ送るなんて、そんな計画の邪魔になることしないんじゃないか?」
「そう、確かに矛盾している。この辺りはさすがに本人に聞かなければ、はっきりしたことは言えないが…おそらく飛竜自身に何かが起こったんだろう」
「飛竜様の身に……何かが?もしかして…」
それまでずっと黙って話を聞いていた冴月だが、透の推測に何か思い当たったらしい。透の目で話の先を促されると、冴月は自信なさげに語り始めた。
「竜王たちとの戦いで、娑加羅様と対峙した時のことだけど…」
結界が壊れゆく最中、娑加羅は飛竜の変化が、青龍によってもたらされたと言ったのだ。
「飛竜様はお前に、とても感謝しておられた」
「私が……飛竜様に??」
それ以上詳しく話をする暇はなかったから、具体的に自分が何をしたのか、飛竜の身にどういった変化が起こったのかは聞けなかった。だが確かに飛竜の身に何かが起こり、そうしてその変化こそが、滅ぶべき神霊界へ聖獣を遣わすきっかけとなったのだ。
「娑加羅がそんなことを…?」
「ええ。私には何も覚えが無いのですが…」
本当に覚えのない冴月は、困惑顔で透を見上げる。
そもそも冴月がここまで黙っていたのは、単に透の話に驚きっぱなしで、口を挟めなかっただけなのだ。
六千年前には思いもしなかったこと──真実だった伝承、神の代理人としての飛竜、そしてその飛竜が、一時は世界を滅ぼそうとしていたこと──などが、次々に真実味のある推測として、透の口から語られたのだ。無理もないことと言えよう。
「まあ、そのことはいずれ解るだろう。それよりも今はラーヴァーナだ」
「そうだよ!!あいつはいったい、どこで何をするつもりなんだ!?っていうか、あいつ、何もかも滅ぼすとか言ってなかった?なあっ、透!!」
我に返った大輔が、噛みつかんばかりの勢いで透に詰め寄った。
「ラーヴァーナの件はよほど簡単に推測できる。奴は飛竜の持っていた神の霊力を奪い取り、そして三界すべてに繋がる神座へ向かった。奴が復讐を誓っているなら、やることはひとつだ。力の場でもある神座で、神の力を暴走させたら…どうなる?」
「バランスが壊れて、世界が…!?」
恐ろしい想像に行き当たり、大輔の顔から一瞬で血の気が引く。
「なるほどな…そういうことか」
「って、な、なに、落ち着いてんだよ!?透も聖も!!のんびりこんなとこで話してないで、早く止めにいこうぜ!?」
「てめえこそ落ち着け。だいたい、止めに行くったって、肝心の神座がどこにあんのか知ってんのかよ?」
「う……そ、そうか。あ、でも、龍二なら」
「だからその龍二が気付くの待ってんだろ」
「じゃあさ、早く起こそうよ」
「馬鹿言うな。気絶した原因が原因だ。無理に起こして龍二に何かあったらどうする気だ…って、ああーっっもう、うざってえ!!やっかましい!!黙れ馬鹿!!」
オロオロする大輔を落ち着かせようと、聖にしては根気強く相手していたのだが、さすがに面倒臭くなったらしい。まだ何か言いたげな大輔を、聖は大声で怒鳴りつけて強引に黙らせてしまった。
「…なんだよう…聖の方がやかましいじゃん…」
「なんか言ったか!?」
「別に………」
大輔は不満げに口を閉じたが、険悪な雰囲気が二人の間に漂っていた。声のデカイ二人が押し黙ったおかげで、なんとなく場が静まり返る。すると、それまで気付かなかった微妙な振動が、四人の足元へ伝わってきた。
「なんだ、この揺れは?」
不審げに足元を見ていた大輔は、ふと、別のことに気付いて顔を上げた。視線の先、ちょうど城の出口方向から、走って近寄ってくる影がある。
「おーい、朱雀!!」
「あ、あいつ、和脩吉だぜ!」
知人の姿を目にした大輔が、満面の笑みを浮かべて駆け寄っていった。
「…………!!」
だが、辺りを包む空気にただならぬものを感じた透は、再び龍二を背負うと、城の出口へ向かって走り始めた。聖や冴月も気配を察して彼の後に続く。大輔は自分を追い抜いて行った三人に一瞬出遅れたが、和脩吉がいきなり方向転換したのを目にして、ようやく事態が急変したことを察した。
何かが動き始めたのだ、と。
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