第16話

 透の持つ玄武の力で結界が破られ、閉鎖空間から放り出された八人は、気が付くと緑の美しい庭園に立っていた。

 木々の息づく小さな森、透明な水が溢れる池。鳥たちはさえずり、生き物たちは風と共に緑の中を渡っていく。


 それはこの荒れ果てた世界に残された、『優しさ』という名の最後の光景だった。


「ここは城と神殿とをつなぐ内苑だ。この向こうへ行くと神殿がある」

 森の奥を指差しながら、娑加羅が言う。

「そこに羅刹王と…龍二が居るんだな」

 透や冴月だけでなく、聖と大輔も二人の竜王から、それぞれ飛竜の事情を聴いていた。というよりもたぶん、竜王らの本来の目的は、そこにこそあったのだろう。

 黒い闇に囚われ、今なお苦しみ続ける飛竜を、己が魂かけて愛する王のその命運を、神の使いたる彼ら四人へ託すために。そのために四人の竜王は、こんな手段を用いてまで四聖獣に挑んだのだ。

 この先の未来へ進む、心と決意を見極めるためにも。

「我々はここまでだ…飛竜様を頼む」

「なんでさ。一緒に行こうぜ。龍二を…飛竜を助けたいんだろ」

 無邪気な大輔の誘いに、娑加羅は少しだけ微笑みを浮かべた。

「我々は行かない方が良いだろう。行けばまた、お前達と戦わねばならぬ。それも今度は、どちらかが死ぬまで」

「…………ッッ」

「それにな、朱雀。我々にはまだしなくてはならないことがあるのだ。そしてそれは飛竜様が託してくださった最後の『願い』でもある。だから…」

 娑加羅の話を聞いていた透は、その時、四人の竜王が誇らしげに微笑むのを見た。そうして一瞬のうちに理解した。飛竜の『願い』がなんなのか。そこにどんな想いが込められているか、を。

「そうか。それなら我々からも頼む。どうか守ってやってくれ。あいつの…」

「心配無用!!任しといてよ!」

 やんちゃそのものの反応で和脩吉が、親指を立てて突き出しながら言った。その隣で大男の難陀は、豪快に鼻を擦りつつにやりと笑う。

「気を付けて行け。油断はするなよ…特に白虎。お前はお人好し過ぎるからな」

 美しい顔に輝く微笑を浮かべながら、摩那斯が言った。

「おう!!って、なんかちょっと引っかかるが…まあ良いか」

 そして娑加羅は、真っ直ぐな視線で、透の言葉に答えた。

「また後で会おう」

「おう!!きっとだぜ!」

 八人はこうして別れ、歩き始めた。

 それぞれの心に抱いた、想いのままに。


「君たちなら、ここまで来てくれると思ってたよ」

 黒装束に身を包んだ少年は、美しい顔に微笑みを浮かべながら四人を出迎えた。


 最初の出会いは、六千年も昔のことだった。

 前世の彼は長い黒髪を風になびかせて、封印の大地に立つ四聖獣の前に現れた。

 神の寵愛を一身に受けて光り輝く、この世のものとも思われぬその美しさを、彼らは今でもはっきりと覚えている。

 次に出会ったのは、砂塵の吹き荒れる北の砂漠だった。

 毒に倒れた仲間の命を案じる三人の前に、少年の姿をした現在の彼は現れた。

 小さくて華奢な体つきと、過去にも増して美しいその容貌とは、四人が永遠に失った親しき人とそっくり同じであった。

 そうして三度目の出会い。

君たちなら、ここまで来てくれると思ってたよ」

 小さいけれど深い内苑の森を抜けると、そこに巨大な白亜の神殿と、黒装束に身を包んだ飛竜とが、眩しいほどの陽の光を受けて立っていた。

「龍二……」

 四人を微かな笑みで出迎えた飛竜は、完全に無防備で武器すら持っていない。

「懐かしい名前だね、透兄ちゃん。でも今は飛竜って言うんだ、玄武」

 飛竜は階段に膝を抱えて座り込みながら、『玄武』透にそう話しかけた。

「いいや。お前は龍二だ」

 普段はほとんど無表情な顔に、常にない優しい微笑みを浮かべて、透は足を一歩前へ踏み出した。武器を持たぬその両手は、ゆっくりと飛竜へ向けて差し伸べられる。

「待ってろ…龍二。今、兄ちゃんが助けてやるからな…」

「………助ける?」

 さらに一歩足を踏み出す透を、飛竜は不思議そうな目で見詰めていた。そしてそんな二人の距離を、聖たち三人が気掛かりそうな表情で見守っている。

「お前は羅刹王の闇に囚われているんだ。俺がきっとそこから解放する。だから…」

「闇に……」

 さらに前進する透。あとほんの一歩で、その手が飛竜の肩にかかる。だが、

「ふうん…それで、そうやって僕を殺そうって魂胆なの?」

 透の手が触れる寸前に、素早く飛竜は身を躱して、数メートル離れた場所へ着地した。

「闇に囚われる、ねえ?つまりそれって、精神汚染のことだろ?…知ってるよ。だって僕自身がそう望んだんだもの。もちろん、二度と元へは戻らないって承知の上でね!!」

「望んだ!?自分から?それは本当なのか?」

「嘘ついてどうすんのさ」

 くすくすと声を立てて笑いながら、飛竜は一気に階段を駆け上がった。

「僕を救いたいだって!?あはは!!殺すしか方法がないってこと、もう知ってるんだろ!?じゃあいいよ殺せるもんなら殺してみなよ!あははははははっっ」

「龍二、待つんだ!!方法は…何かいい方法がきっとある!俺はそれを探して…絶対に、絶対にお前を死なせたりするものか!!もう二度と!!だから…ッ」

「神の玉座で待ってるよ」

 透は必死になって追い駆け、飛び跳ねる飛竜を捕らえようとした。ずっと様子を窺っていた聖らも、二人の後を追って階段を駆け上がる。けれど、彼ら四人が階段を上り切った時、そこにたただ広大な空間が広がるのみで、小さな飛竜の姿はどこにもなかった。

「龍二……!!」

 落胆する透を慰める言葉もない。

「…………」

 四人は無言のまま、眼前に広がる巨大な神殿を見詰めた。


 どこかで嘲笑う、運命の声を呪いながら。


 シンとして歩き始めた四人の前に、やがて、神の玉座へ通じる扉が見えてき始めた。

白くて巨大なその扉には、一匹の白い竜が描かれている。

「あれ?俺、これと同じもの…どっかで」

 既視感に頭を捻る大輔に、冴月が解答を与えた。

「竜の谷にあったでしょう?こちらが『天の竜』よ」

「ああ、『地の竜』の対になってるっていう…これがそうなのか。へえ~」

 なるほど感心しながら大輔は、観光客よろしく扉の竜を見上げる。その脳裏には、まだ新しい記憶が甦っていた。

 紫龍の竜珠を葬るために訪れた、真竜族の神域『竜の谷』

 そこには黒い扉に描かれた長大な黒き竜と、その奥に眠る幾万、幾億の竜珠が丁重に奉られていた。祭壇の中央には、虹色に輝く竜珠が鎮座し、それの発する光が主を失った竜珠達の、その永遠なる眠りを今この時も優しく見守っていることだろう。

「天の竜と、地の竜……これこそが、龍二を救う力とはず」

 扉の開く地鳴りにも似た重い音が、透の小さな呟きをかき消した。

 今、白い扉は中央から割れて、四人を招くように内側へ開いていく。

「ふえ~」

 内部は思いのほか明るくて、差し込む太陽の光に満ちていた。床面の広さと天井の高さは、ここへ至るまでの通路とは比べ物にならない。そして壁や床、天井も柱も、その一切が白一色に統一され、派手な装飾も取り除かれた空間は、神への真摯で純粋なる祈りで満ち溢れていた。

 しかし、そんなものよりなにより、彼らの視線を釘付けにしたのは。

「…………ッ!」

 入口からは一番奥まった、床から数段高い位置にある玉座の、そのすぐ下が、羅刹族の緑血に染まって異臭を放っていた。そしてその血だまりに転がる黒い塊が、恨めし気な目で天井をにらんでいたのである。

「息子と言えど、わしに逆らうものは容赦せん」

 まるで空中から湧き出てきたかのように、邪悪な声と強大な魔の気配とが神域を支配した。反射的に剣を抜いて身構えた四人は、血まみれの剣をぶら下げて壇上に立つ、銀髪の大男をその目にした。

「ら…羅刹王、ラーヴァーナ」

「ヴィビシャナめ。このわしに貴様等と和解しろなどと、くだらぬことを意見し折った。わしの意のままに動いておれば、死なずとも済んだものをな」

 自らの血に塗れ、冷たい床に黒い塊。


 それはラーヴァーナに残された、たった一人の血を分けた息子──羅刹軍副司令官ヴィビシャナの、変わり果てた姿であった。


「ふん………」

 神座に羅刹王が腰掛けると、右隣に飛竜が寄り添い立った。正面を向いた飛竜は、かすかに笑ってはいたけれど、その黒曜石の瞳は、氷よりも冷たい視線で四人を見下ろしていた。

「早かったねえ。そんなに僕に殺されたいんだ?」

「飛竜様……」

 今、冴月の前に立つ飛竜は、彼女の知る飛竜ではなかった。また同時に、透や聖たちの愛する、小さな龍二でもない。


 それは四人が全く知らない、危険な香りのする『魔性』であった。

 

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