第9話
「来たぜ!!はぁっはっはっ!」
「馬鹿みたいに笑ってんじゃねえよ、ちゃんとやれよ、聖!?」
猛然とダッシュしながら、四人は抜いた剣を構える。高くなりつつある太陽の光に、きらりと反射する銀の刃。異なる力と力とが、怒涛のごとくぶつかり合った。
「おりゃああああ!!!」
しかし、羅刹最後の兵士達は、思いのほか強かった。聖も、大輔も、一撃では勝負を付けられない。二撃、三撃と打ち交わして、ようやく打ち倒す始末である。
「こら、なかなかきついぜ」
「だから、年寄りはすっこんでろって」
だが、どんな困難な場面でも、軽口を叩く余裕だけは残しておくのが、聖と大輔のふてぶてしいところであった。
一方、陣頭に立って突撃した透は、風のように雑兵の間をすり抜けると、他へはまるで目もくれずに、首魁であるメーガナーダの眼前へ迫っていた。
「勝負だ、メーガナーダ!」
「ほう、我が名を知っているとは光栄だな、玄武!」
透の持つ黒刃の長剣と、メーガナーダの銀光を放つ厚刃の剣とが、火花を散らして打ち交わされた。力の均衡した者同士の、激しい鍔迫り合いが続く。
「ぬう…っ、くらえ!!」
透の力に押されかけたメーガナーダは、眉間に魔力を集め、必殺の雷撃を透目掛けて放った。青く放電する雷撃が、至近距離で透に襲いかかる。しかし、
「なにっ!」
虚を突いて放ったはずの雷撃は、何故か透の手前で放射状に拡散し、一瞬で跡形もなく消滅した。
「魔術王子と名高い貴様の…もう一つの名を知らないとでも思ったのか?}
「避雷呪か!おのれっ…!」
メーガナーダは、またの名を『雷鳴』という。その名は当然、彼の持つ能力に由来する。
彼の最大最強の魔力は、つまり、雷撃系なのだった。
「こちらもゆっくりとはしていられないのでな…決着を付けさせてもらうぞ」
透は、メーガナーダの最大魔力を、己の最大神霊力で相殺させ、勝負を剣の技量の優劣のみに持ち込んだのだ。
「小賢しい真似を…!!」
魔力を封じられたメーガナーダは、猛然と剣を奮って透に襲いかかった。刃と刃がぶつかり合い、二人は跳躍し、幾度となく激突する。だが、透とメーガナーダの力は、互いに均衡しているらしく、なかなかこの勝負の決着はつきそうにない。
そんな二人の周囲でも、壮烈な戦いは続いていた。大輔が双剣を操り、敵と切り結びながら戦場を駆け抜け、彼の通過した後で、ひときわ大きな男と剣戟を繰り広げる聖。聖獣たちは個々に苦戦を強いられてはいたが、それでも味方に倍する敵の数を、少しずつ着実に減らしつつあった。
その中で一人。冴月だけが戦場から外れ、ある一人の戦士と対峙していた。
「紫龍…」
それは、紫の長い髪を風に揺らす、真竜の女であった。
「紫龍…私は貴女に聞きたいことがある…」
小刀『青嵐』を構えながら、冴月は言った。青い瞳は、紫の瞳を、揺らぎなく真っ直ぐ見つめている。
「貴女は何故、記憶を持っているの?その姿は、転生後のものでしょう?我ら四聖獣や、飛竜様と違って、世界の生命はすべて、記憶は一世代限りのもののはず…」
「…………」
「それになぜ、私の命を狙うの?これは、飛竜様のご意志なの?」
緊迫した空気が張り詰めていた。紫龍は冴月の問いには黙ったまま、何一つ答えようとはしない。強く握りしめた彼女の右手には、冴月の物とよく似た小刀が戦場の光を反射していた。
「答えて!!紫龍!!」
「うるさい!お前になど、わかるものか!!」
突然、叫び声をあげて、紫龍は狂ったように小刀を振り回した。
「どうしても知りたければ、あたしを倒してみろ!!その刀で、あたしの命を取ってみろ、青龍!!」
「紫龍!?」
あまりに唐突なその言葉に、驚きを隠せない冴月。はっとして見た紫龍の顔には、憎しみや恨みより、むしろ深い悲しみが溢れていた。
「青龍ーーーーっ!!!」
無防備に斬り込んできた紫龍を、身を捻って躱した瞬間。
「……!!」
冴月は見た。紫龍の美しい紫の瞳から、真珠のように零れ落ちる幾筋もの涙を。
その時、冴月の心は定まった。
「紫龍!!私は貴女を倒す!…私の持つ、すべての神霊力で!!」
冴月の小さな身体から、強大な青いオーラが放たれた。紫龍が微笑んだように見えたのは、彼女の目の錯覚であったのか。
今、戦場の外れで、一つの戦いが終結しようとしていた。
再び主戦場。
冴月と紫龍が、離れた場所で激戦の火蓋を切った、まさに同じ時。
そこでは今、透とメーガナーダの戦いに、ようやく決着が付けられようとしていた。
「くっ…この俺が押されるなど…!!」
メーガナーダの息は荒く、顔にも大量の汗がびっしりと浮かんでいる。攻撃する手も途切れがちだ。もう何撃か打ち込めば、おそらく、透の勝利が確定する。
次の瞬間、透の渾身の一撃は、疲れ切ったメーガナーダの腕目掛けて打ち下ろされた。
ぎいんっ、という鋭い金属音が空を震わせ、銀刃の剣が地面へ突き立つ。
「…はっ」
勝敗は決した。メーガナーダは力尽き、剣を失った。透の持つ黒刃の切っ先が、喉元に突き付けられていた。そして、周辺を守っていた羅刹の兵達も、皆、一様に地へ伏せてしまっている。さすがの彼も、自らの敗北を認めざるを得ない。
「全滅か…これで、羅刹一族も滅亡だな…」
メーガナーダは投げやりな口調で言うと、開き直った態度で地面に座り込んだ。
「俺達は羅刹を滅亡させるために来た訳ではない。その証拠に、彼らは意識を失っているだけだ。もし、これ以上邪魔をしないと約束できるなら、命までは取らない」
「……なんだと?」
透の言葉に驚いたのか、メーガナーダは素早く周囲に視線を送り、倒れ伏した兵らの気配を探った。そして、彼の言葉が真実である事を知ると、さらに衝撃を覚えたように笑い始める。
「これはまた、舐められたものだ」
我が兵達は四聖獣を相手に熾烈な激闘を繰り広げた、「神」の手下である彼奴らを苦戦させ善戦した。彼は一瞬前までそう考えていたが、現実は、強大過ぎる敵に手加減されて遊ばれていただけだったのだ。そう考えると、怒るより、もはや呆れるほか無かった。
「……化物どもめ」
「返答をまだ貰っていない」
「そんな約束ができる訳ないだろう?第一、決めるのは俺ではないし。…いや、もし仮に俺が羅刹王だったとしても同じ事だ。約束はできん」
油断なくメーガナーダに黒刃を向けたまま、透は無感情な目で「敗者」を見下ろしている。その、息切れどころか汗一つ流れていない冷淡な顔を、メーガナーダは心底、おぞましいもののように睨み返しながらそう答えた。
「どうしてもか」
頑ななメーガナーダの返答に、透の黒い瞳がわずかに曇る。
「俺達の悲願は達せられなけれならないのさ。たとえ、自らが滅びようとも、な」
「なぜ、そこまで人界を付け狙う!?」
「神に復讐し、彼奴の立てた計画を邪魔するためだ!!」
殺気に目を血走らせて、メーガナーダは叫んだ。醜く引き歪んだ彼の顔には、確かに、復讐者だけが持ち得る、抑えきれない怒りと憎しみが浮かび上がっている。
「復讐だと!?なに、気取ってやがる!!人界を攻めようとしたテメエらが悪いんじゃねえか!!」
「確かに。だが、貴様らは本当にそれが間違いだったと断言できるのか?」
メーガナーダの意外な反論に、大輔はとっさに答えられず言葉を詰まらせた。
「神の計画といったな?貴様、何を知っている?」
口調こそ穏やかではあったが、この時、透の目は凄まじい眼光を放っていた。聖や大輔が、一瞬たじろいでしまう程に。しかし、メーガナーダは、そんな透の姿を、憐れみと嘲笑の瞳で見つめていた。
「くくっ、何も知らされていないのだな?…貴様らの本当の使命を」
「本当の…使命?」
大輔が不安げな顔で、透とメーガナーダとを見比べる。
「そうだ。結界を作り、人界と人間どもを俺達の手から守る…と見せかけて、実はまったく逆のものを守らされていたのさ。貴様らは」
「まったく逆だと!?つまりてめえは、俺達がこの数千年間、人間でなくてめえら羅刹を守ってきたとでも言いてえのか!!!ふざけんな!!」
激昂して剣を鞘走らせる聖を、静かに透の手が制した。
メーガナーダのここまでの発言は、透が長きに渡って疑問に思っていた事への回答に繋がっている。ゆえに、さすがの彼も、この時、内心で激しく動揺していたが、表面的にはまるでいつもと変わりない冷静さを装っていた。
「何を知っている?お前たちの本当の目的はなんなのだ」
「はん。これ以上、貴様らに話してやるつもりはない。疑問に思うなら、少しは自分で考えてみるんだな。だが…そうだな。俺を倒した褒美に、あと一つだけ教えてやらんでもない」
「………?」
「玄武、貴様の弟の事だ」
「……っ!!!」
透の顔は、一瞬で、冷静さを取り繕う事を忘れた。心を覆っていた鋼鉄の壁に、隠しようもない傷が刻まれ、その一言が彼の表情に、人として相応の幼さを露わにさせたのである。
「貴様のような化物に、そんな人がましい顔が作れるとはな…残念だ。この事を知っていたなら、こんな無様な負け方をせずに済んだものを」
ほぼ無表情で氷のようだった透の顔に浮かんだ「人らしさ」に、さすがのメーガナーダも驚いたようで、彼は、肩をすくめながら心の底から残念そうにそう呟いた。
「てめえ、何を言って…っ」
とっさに透の前へ出た聖が、首でも絞めかねない勢いでメーガナーダの鎧の襟元を掴む。おかしそうにクククと笑って、メーガナーダは毒を吐くように言葉を紡いだ。
それが、透に…いや、彼ら四聖獣に、どれほどの衝撃を与えるか、その効果を楽しんでいるかのように。
「貴様の弟…その皮を被って人の『ふり』をしていた化物…そう、それは、あの、真竜の王…貴様の弟は、彼奴の魂を宿した、人界の器だったのさ…!!」
「な………っ!?」
メーガナーダの言葉は、三人の心の平野に強大な落雷をもたらせた。それは、どんな力で攻撃されるよりももっと激しい、致命的ともいえるダメージと衝撃とを彼らに与えていた。
そうしてそれが、結果として、本当の意味での致命傷となるところであったのだ。
「………しまった!!」
メーガナーダは三人の心に穿たれた隙を見逃さなかった。
彼は、跳ね飛ばされて突き立ったままの己が剣に素早く駆け寄ると、最後の力で剣を引き抜きざま、棒立ちとなった玄武の首目掛けて振り上げたのだ。
「透……っ!!!」
聖も大輔も間に合わない。透も反応しようとしたが、一瞬の差で彼の剣は、メーガナーダの凶刃を受け損ねてしまう。斬られる!!その場にいた誰もが───透でさえも───そう覚悟した。だが、
「ぐふっ…」
断末魔の声を上げて地に伏したのは、透でなくメーガナーダだった。
「…透っ、無事か…っ!?」
「聖…大輔…」
駆け寄ってきた聖と大輔は、すぐに透の無事を確認するが、メーガナーダの最後の一撃を止めた力がなんなのかは解らなかった。
剣を握ったまま地に横たわるメーガナーダの死体。その背中には、見慣れない形の短剣が突き立っていた。それは、おそらくメーガナーダを、地面へ縫い付けるほどの勢いで放たれたのだ。でなければ、猛烈な勢いのあの一撃を、透にかすらせもしない様に無効化する事などできない。
「一体…誰が…」
「………」
三人は一様に周囲の気配を探ったが、そこに、彼ら以外のまともに動ける存在は感知できなかった。
後には大きすぎる謎と事実と、不条理な敗北感だけが残された。
決着は、一瞬一秒の差であった。
ぽたりと、赤い血が大地に染みる。それから僅かの間をおいて、力を失った柔らかな身体が、座り込むように膝から地面へくずおれた。
「…紫龍」
冴月は彼女の身体を支えると、地面へゆっくり横たえさせた。
「紫龍…どうして…」
伏せられていた瞼が動くと、紫の瞳は冴月を見つめた。冴月はそんな彼女の頭を、自分の膝の上でそっと抱え込む。せめて痛くないよう、苦しくないようにと祈りながら。
「せ…青竜、約束だ…あたしが知っている事は…すべて…」
「紫龍…苦しいのなら、もう喋らなくていい」
涙をこぼす冴月を、紫龍の目が優しく見つめていた。彼女は、血に塗れた手を差し出すと、はっきり見えない眼で冴月の手を探った。自身の全てを伝えるために。
「私はここよ。紫龍…」
見当違いな方向へ彷徨う彼女の手を、冴月は両手でそっと包み込んだ。
『これでやっと…伝える事が出来る…』
震える紫龍の手から、明確な心が伝わってきた。
『あたしの記憶を…想いを…そして、あたしが犯した、罪の全てを…』
心を通した言葉が終わると同時だった。
紫龍の記憶が重ねた手を介して、凄まじい勢いで冴月の中へ流れ込んできたのだ。そして、冴月は見た。紫龍という名を持つ女の、記憶と、歴史と、すべての想いを。
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