第8話

「真竜族の策とやらは、失敗したようで」

 不機嫌なメーガナーダの元に、弟のヴィビシャナがそう言って訪れたのは、玄武門の封印が修復されてから5日後の昼の事である。

 おりしもこの日の朝、羅刹司令官メーガナーダは、激怒した父王ラーヴァーナに作戦の失敗を激しく罵られたばかりであった。

「次にわしの前で失態を晒してみよ。息子といえど容赦せぬぞ」

「はっ。私のこの命に代えましても、次こそは必ず」

「命に代えてもだと?殊勝なことだ。では行くが良い。そして次に敗者としてわしの前に立ったその時は、当然命は無いものと心得よ」

 息子を睨みつける父王の目には、憎悪と殺気しか宿っていなかった。それは親子の情愛などとはまるで無縁の、血に飢えた獰猛な肉食獣の瞳である。そんな凄まじい野獣の目を垣間見た時、メーガナーダは我が父を初めておぞましいものに感じた。

「まず薬草を全滅させた上で、4人のうち1人を真竜の眷属であるナーガに噛ませ、薬草を求めて分散したところを各個撃破する。…なかなか良い作戦でしたが、惜しかったですなあ、兄上?」

 ヴィビシャナは作戦の失敗を惜しむような顔をして、兄の失脚を当てこすっていた。こうして見ていても解る通り、2人は決して仲の良い兄弟などではない。

 事実、彼らは生まれたその時から、反目し合って生きてきたのだ。

「ふん。そう喜んでばかりはおられんぞ?俺の次に誰が粛清されるか…それが解らん貴様でもあるまい」

「なんの、喜んでなど!!こう見えても哀しんでいるのですよ!?何しろ兄上は私に残された、たった1人の兄弟なのですから!!」

「ふん。言っておれ。俺は忙しい。要件はそれだけだな?」

 わざとらしいヴィビシャナの態度を無視して、メーガナーダは長い廊下を歩き始めた。そうしながらふと、後を追ってくる弟を哀れみの目で見る。


 最後の兄弟。

そう、考えてみればこの弟は、己に残されたたった1人の『兄弟』であったのだ。


 彼らには最初、たくさんの兄弟がいた。長兄であるメーガナーダを筆頭に、末弟のヴィビシャナまで計13人。すべて母親の違う、異母兄弟であった。

 羅刹王ラーヴァーナは、異種部族を侵略して服従させると、必ず人質を1人要求した。それは大抵が王族の関係者であり、中でもとりわけ、女の王族を求める事が多かった。

 もちろん彼女らは1人の例外なく王の後宮に仕え、王の慰み者となる運命である。

 敗者となった部族の誰もが、勝者の要求に苦しみ悩んだ。だが、力で劣ると解りきった部族が、強大な羅刹族に逆らう事など出来ようはずもなく。

 結果、女達は泣く泣く人質として、羅刹王の元へ嫁ぐ事になった。そんな経緯を持つ彼女達から、次々と彼らの兄弟が誕生したのである。

 成長した兄弟は、各々羅刹軍の中枢を占め、父の権力拡大の道具となった。だが、長い、長い戦いの末、ある者は戦死し、またある者は、自らの失敗の罪によって断罪されていった。


 そうして気が付いた時には、2人きりになっていたのである。


「ふん。女々しいことだな…俺とした事が」

「……何か?兄上」

 失敗すれば『最後』の出撃を前にして、柄にも無い事を考えてしまったらしい。メーガナーダはふと我に返ると、そんな己の女々しさを嘲笑った。

「俺は3部族混成の部隊2千を率いて西国へ出撃する。おそらくこれが、聖獣討伐に裂ける最後の出撃となるだろう。後は任せたぞ、ヴィビシャナ」

 彼の言葉通り、勝っても負けても、本当にこれが最後となる出撃であった。もはや羅刹の軍に王都を離れ、戦いへ赴くだけの余力は───王城守護として残留する真竜族を除けば───ほとんど残されていなかったのである。

 戦火における大量死と、人界への大流出。そして出産率低下による人口の激減。それら3つの大きな要素が、羅刹軍の戦力をも弱体化させていた。

「勝利を信じておりますよ、兄上」

 自らの言葉を裏切る顔付きで、ヴィビシャナは歩き去る兄の背を見送った。長年見慣れたその背中が消えた後、彼自身も静まり返った廊下を後にする。

 そして、彼等の足音さえもが反響を残して消えた後、静寂を破って城内に響き渡ったのは。


 栄華を誇った羅刹族の、滅亡の時を知らせる、鎮魂の鐘の音であった。



 西の大地。白き虎の門を大峡谷の向こうに見る場所で、4人は近付いてくる大軍の気配を察知した。

 『魔術王子』メーガナーダが、最後の軍隊を率いてランカー城を出立してから、まるまる3昼夜が過ぎていた。それから4日目のこの朝、ようやく彼等は、彼等の討伐すべき敵と、直接相見える事となった訳である。

「俺達を始末しようって割には、ちょっと頭数が少な過ぎるんじゃない??連中、本当にやる気あんのかねぇ?」

 すっかり体の毒も抜けたらしい大輔が、従来の元気さを取り戻して言った。

「へーえ。余裕じゃねーの…ま、その調子で頼むわ。3日も休んで、体力もあり余ってるだろーし、なぁ??大輔ちゃん?」

 大輔が体力を取り戻すまでの間、ずっと彼を背負って歩いていた聖が、ワザとらしく肩を叩きながら皮肉を言う。しかし、もちろん大輔も負けてはいなかった。

「けっ。ご老体に言われるまでもねーよ。アレくらいの敵なんか、俺が1人で全部片付けてやっから、お年寄りはせいぜい自分の足に躓いて転ばないよう気をつけてな!!」

 元気になったらなった分だけ、憎まれ口も達者になっていたのである。

「い、言うじゃねえか…このっ!!」

「じゃれ合うのも、そのくらいにしておけ」

 舌を出して逃げようとする大輔を、ムカついたらしい聖が捕らえようと腕を伸ばした辺りで、あくまで冷静な透の制止が入った。

「いいか、敵はそれでも2千人は居る。しかもこれまでの敵と違ってかなり手強そうだ。おそらくアレは、羅刹の正規軍なんだろう。まともに戦っては数で劣る分、こちらが不利だ」

 さすがにふざけてる場合では無いと判断した2人が、大人しくなるのを目の端で見届けて、透は目の前の状況に対する判断と作戦とを提示し始める。

「じゃあ、どうするよ??シッポ巻いて逃げるか?」

「昨日までならそれでも良かったが…すでに手遅れだな」

 考え込むような様子で透は、遠く眼下に見える光景を眺めた。

「…まあ良い。幸いと言うか、この複雑な地形が、俺達の味方になる」

「ゲリラ戦法、だな?」

 にやりと笑う透に、聖もまた不敵な笑みを返す。

「そういう事だ。奴らも当然、この事を察知して警戒しているだろうが…現状、その『手』に頼るしかない。敵も、俺達も…な?」

 透の指摘した通り、この辺りの地形は実に複雑だった。果てしない広がりを見せる柔らかい岩質の大地を、風や雨や川の流れが自由気侭に浸食し、何万年もかけて形成された自然の迷路である。

「確かに。どこ歩いても似たよーな岩山なのに、実は全然違う地形だったりするもんね。俺も何度迷いそうになったことか…」

「そこが狙い目だ。いいか、たとえ奴らが全軍で突入してきても、見晴らしの利く平野ではけっして戦うな。少数ずつ岩山の中に引き込んで、各個撃破するんだ。それから…」

 いくつかの細かい指示を全員に伝え終わると、1人、透はその場に残り、『彼』にしか出来ない『作戦準備』に取り掛かった。


「なるべく殺すな。大将を狙え、か。…ねっ??透は『真竜王』とやらの頼みをきく気なのかな?」

「俺が知るか!!指示された事に黙って従や良いんだよ!!…何か…何か、考えがあるんだろ」

 作戦に従って散開する少し前、並行して峡谷の中を走り抜けながら、聖と大輔はこんな会話を交わしていた。

「…………」

 そして黙ったまま併走する冴月もまた、彼等とまったく同じ考えに囚われていたが、何とかそんな疑惑を胸の内に押し込んだ。

 今はただ、この戦いに勝つ事だけを考えなければならなかった。

「じゃーな。ドジんなよ!?」

「そっちこそな!!」

「みんな、気をつけて…!!」

 3人は3方向へ散ると同時に、完全に存在の持つ気配を消した。それと同時に、羅刹軍にとっての、危険極まりない天然の迷宮が完成したのである。



 塔のように林立する岩山の群れが、羅刹軍を不気味に待ち受けていた。

「出て来ないつもりか…小賢しい」

 大峡谷地帯の入口に広がる台地で全軍をいったん停止させたメーガナーダは、四聖獣がどう動くのか、その出方を待っていた。

 付近にいる事は、先に偵察へ送った者の調べで分かっている。同時に、相手にもこちらの所在は知れているはずなのだが、一向に動く気配がないのである。


 たとえ相手が天界『最強』の四聖獣であろうと、2千もの軍で押し切れば負けるなどとは考えられなかった。そして、多少、先制を許したところで、この絶対的有利な状況は覆りようがない。メーガナーダはそう考えたからこそ、迂闊に軍を動かす事をやめて静かに情勢を見守ったのだ。

 彼のそんな考えは、確かにこの時点では正しかった。彼らの敵である玄武も、圧倒的な数の不利を悟っていたがゆえに、平原での戦闘を避けるよう仲間達に伝えていたのだから。

「持久戦に出るつもりか…?いや、まさか、な」

 極端な事を言えば、このままここで四聖獣を包囲し続けていれば、それだけで羅刹軍が無血で勝利を得ることも不可能ではなかった。彼らに補給は望みようもないが、羅刹軍には十分な補給線が整備されている。持久戦に持ち込めば、それだけ不利になるのは四聖獣の方だ。

「……ちっ」

 しかし、メーガナーダにはそんな猶予も時間も与えられていなかった。

 羅刹王はそれでなくとも気が短い。四聖獣の首をなるべく早期に王の前へ差し出さなくては、今度は自分の首を差し出さなくてはならなくなるだろう。

「おおかた、我らをあの迷路のような地形に踏み込ませて、分断させて各個撃破するつもりだろう。玄武あたりが考えそうなことだ」

「そうしますと、迂闊に攻撃できませんな。どういたしますか?」

 参謀役として従軍している男、ヒディムバが、周辺地図を広げながら言った。

「ふん。貴様も参謀を名乗るなら人に問う前に何か策を練ってみよ」

「いえ、滅相もない。私などの立てる愚案では、ムーマですら倒せません」

 おもねる様な、媚びるような口調でヒディムバは言い、頭2つは上にあるメーガナーダの顔を見上げて笑った。ちなみにムーマとは神霊界の動物で、集団で生活する小さな鼠の事である。

「ちっ…まあいい」

 メーガナーダはそんなヒディムバを嫌そうな目で見下げ、何か言いたげに口を開きかけたが、途中で時間の無駄だと悟ったらしい。そのまま無言で地形図へと視線を移した。

「時間さえあれば、包囲して持久戦に持ち込めたが…奴らとて、今は所詮、人としての肉に束縛されている身。補給の道を閉ざされれば出て来ざるを得ん。しかし、今さらそんな事を言っても詮無い事。すると、あとは…」

 地形図を前に独りごちながら、メーガナーダは幾通りかの案を試行する。結果、最終的な作戦実行案は、実に彼らしい悪魔的なものとなった。

「2千のうち千2百を峡谷内へ進撃させる。岩山のだいたいの高さは?」

「個々によりますが高いもので約10メラ(メートル)」

「よし。進撃させる部隊には、バラバラにならず一塊で移動するよう伝えろ。四聖獣の攻撃を受けたら、その場で円陣を組んで交戦。防御に徹しつつ狼煙を上げろとな」

 メーガナーダの命令が、伝令を通して全軍に伝達された。ほどなく、

「出撃!!」

 本隊として残る8百名ほどはそのままに、羅刹軍の大半が進撃を開始する。

「良いのですか?本隊がかなり手薄となりますが…」

 身の周りを囲む兵が少なくなって心許なくなったのか、ヒディムバが不安そうな顔で進言してきた。

「ふん。構わぬ。万一に奴らが無傷でこの事態を凌げたとしても、残った者のみでどうにでもなる」

「な、何か、策があっての事で…?」

 不安を拭いきれぬ顔で、「自称」軍師が問いを重ねると、メーガナーダの口元が、残虐な薄笑いの形に引きゆがんだ。

「ふふ…奴らが攻撃を受けたら、この俺の特大の雷撃を周辺の岩山もろとも、四聖獣に味わわせてやるのだ。千2百の兵士共は…ま、貴重な人柱となるだろうが、ね」

「で、では、あの者達は囮…」

 四聖獣の襲撃を知らせる狼煙は、援軍の要請を求めるためのものではなく、彼らの死刑執行の合図であったのだ。そう考えに至った瞬間、ヒディムバは、ヒヤリと背中に冷たいものを感じた。そして、その時になってようやく気が付いたのだ。

 本隊として残った8百名余りの兵士達が、すべて、羅刹の血族に連なる者であったということに。

「し、しかし、1人でも討ちもらしたら…」

「1人倒せれば十分だ。奴らは4人で1つなのだからな。1人欠けただけで奴らは、この世界に封をかける事が出来なくなる。…我らの目的が『人界』にある事を忘れるな」

 羅刹王の目的もそこにある以上、封印がなせなくなった四聖獣に価値はない。もちろん殲滅できればそれに越した事は無いが、四聖獣が1人でも欠けた時点で羅刹族の勝利が確定するのだ。

「…しかし、遅いな…」

 部隊が進撃を開始して優に10分は経っている。そろそろ、何かしらの動きがあって良さそうなものだ。四聖獣が待ち伏せしているのなら、すぐにも狼煙が上がっておかしくないのだが。

 メーガナーダの不審をよそに、その後、数10分が経過してもなお、渓谷から狼煙は上がらず、戦闘の剣戟の音すらも聞こえては来なかった。


「……これは!?まさか、奴らの目的は…!!」


 メーガナーダが自軍周辺の地に溢れる『異変』に気付いた時には、すでに手遅れだった。

「うわあああっ!?」

 ドオン!!という爆発音も凄まじく、突然、目の前に岩山が隆起したのだ。

「おのれ、玄武め!!これが目的で…!!」

 岩山は信じられないスピードで隆起し、見る間に高く長く連なり、軍のほとんどが進撃した渓谷と、メーガナーダ直属の軍の待機する台地とを隔てていった。

「ひっ、ここ…これは、いったい…!!」

 激しく揺れ動く大地に、ヒディムバがヘタリと力無く座り込む。周辺に立つ兵士達も、地の揺れで倒れぬよう、必死に足を踏ん張ったり、武器を地に突き刺して支えにしたりしていた。

「玄武か…っ!!」

 そう、言うまでもなくこれは、大地の化身「玄武」の、強大な神霊力の一端である。

「結界…だが、これほどの結界を、一瞬で…!!」

 その後も巨大な岩壁は、軍を隔てるよう2重3重にせり上がり、気が付いた時には、周りを囲んだ8百余名の兵士は、わずか百数十人にまで減らされていた。

「こ、これでは、我らは孤立して…この数で奴らと、た、戦わなくては…!!」

「狼狽えるな!!皆の者、剣を抜け!!相手はたかが4人だ!我ら羅刹の敵ではない!!」

 オロオロと狼狽えるヒディムバを一瞥したメーガナーダは、無言のまま腰の剣を引き抜くと、周辺の兵士達に向けて激を飛ばした。そんな彼の揺らぎない自信に満ちた声に、最初、狼狽えていた兵士たちも、次々と我を取り戻していく。すると、

「四聖獣だ!!!」

 兵士達が平常心を取り戻した直後、土煙の収まりやまぬ岩壁の内側に、それぞれ武器を抜き、疾走する4人の姿が現れた。メーガナーダの目が、父に似た獰猛な光を放つ。

「行くぞ、羅刹の勇敢なる戦士たちよ!!」

「魔術王子とともに!!」

 多くの声が唱和する。と同時に、砂塵を巻き上げ、岩の大地を踏み鳴らし、残されたすべての羅刹軍が突撃を開始した。

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