第5話

 学校の外は、驚くほど静かだった。車の排気音や人々のざわめき、街に溢れる音楽や、小鳥の鳴き声、そういった様々な音という音が、何ひとつ聞こえてこない。

 そしてまた、あれほど多く存在した羅刹の姿も、今はほとんど見えなくなっていた。おそらくは世界中へ散っていった為だろう。

「急げ。ちんたらすんな、大輔」

 彼らは、仇敵である聖獣の存在には目もくれなかった。それどころか、遠目に姿を見かけただけで、蜘蛛の子を散らすような勢いで逃げていってしまう。

 そもそも羅刹本来の目的は、人間に取り憑きその精神を喰らう事にあった。だからこそ、上位者のいなくなった今、負けると解っている聖獣と、あえて戦う者はいないという訳である。

「人間達に囮の餌になってもらってるみたいでさ…これで良いのかな…なんて」

「しょーがねーだろ。数が多すぎる上に、こう散らばってちゃ対処のしようがない。…それに…」

 学校を脱出した3人は、さして妨害も受けずに街中を東へ向かって走っていた。先頭を走る透の腕には、大事そうに小さな子供の亡骸が抱かれている。

「今は…はやいとこ『青龍』と合流して、門を閉める事だけ考えてろ」

 聖はそんな透の様子を、横目で辛そうに見つめると、あとはもうただ一言も発せずに走った。そして大輔もまた、同じように…。

 青龍の住む東…『水森』の家へ向かって。



「青龍、青龍の姫」

「冴月ちゃん、いねえのか?」

 ようやくたどり着いた家の中はまるで、台風が通過した後のような惨状だった。おそらくは羅刹が、『門』から出たあと荒し回ったのであろう。玄関に扉は無く、家中の窓はことごとく割れ砕け、硝子の破片や倒れた家具などが、足の踏み場もないほどあちこちに散乱していた。

「いねえな…家の中じゃないのかな。冴月ちゃん、怖がって泣いてなきゃいいけど…」

 先刻から大輔の口にしている『冴月』という名の少女こそが、新たな『青龍』の転生体であった。現在彼女はまだ10才の幼い子供だが、栗色の長い髪とつぶらな瞳の将来有望な(聖曰く)美少女である。

「大輔。『地下』へ行くぞ。たぶん青龍の姫はそこだ」

「霊洞か…そこっきゃねえな。よし」

 『霊洞』とは、4人の住むそれぞれの家の地下異空間にある、霊気を込めた洞窟の事である。聖獣の新旧交替時には、新世代の居住地下に異空間が作られ、そこに新しい霊洞と封印の門が出現する。四聖獣と4つの霊洞とは、常に共にある封印の鍵なのだ。

 もちろん、霊洞は次元の違う空間に存在するため、その存在を他の家族が知ることはない。だから彼らはいつも、床を『擦り抜け』て霊洞へ行くのだ。そしてそれが可能なのは、『力』を持った生物のみである。

「…うっ」

 霊洞のあるポイントへ移動する途中、3人は部屋の中に引き裂かれた1つの死体を発見した。

「せ…青龍」

「じいさん…」

 それはつい1時間前まで、『青龍』と呼ばれていた老人の物だった。

「まさか…冴月ちゃんも?」

「…それはねーよ」

 死体から思わず連想してしまった最悪の事態に、一瞬青ざめながら大輔がそう口にすると、聖が透の代わりとばかりに冷静な判断を下してそれを否定した。

「青龍の姫…いや、もう青龍と呼んだ方が良いか。彼女は生きているはずだ。でなきゃ、青龍門の封印が戻った理由がつかねえ」

「封印が戻ってる?どうしてそんな事、わかんだよ?」

 大輔の疑問も、もっともである。そうでなくとも世界はすでに、かなりの数の羅刹に覆われている。しかもその数は、今も着々と増え続けているのだ。青龍が死んで、門が開け放しになっていると考える方がよほど自然だった。

「てめえ…さては、人界暮らしが長過ぎて鈍りやがったな?」

「な…なんだよ。そんな事ねえったら!」

「んじゃ、大輔ちゃんの冴えた力で良く感知してみろ。世界中に散らばった羅刹共の中に、族長クラスの強い奴がいるかどうか」

「……っ!!」

 聖の指摘通りだった。確かに世界中のどこにも、強い力を持った羅刹はいない。

「気付かなかった…けど、どうして?」

 彼ら四聖獣の感知能力は、同次元内であれば無限に近い範囲をカバーできるのだ。そして魔力の強い羅刹ほど、その気配を隠し切れないのである。

「たぶん、青龍はまだ完全に封印できないんだ。だから、封印の対象を魔力の大きな者だけに絞って、仮の結界を張ったんだろう」

「…なるほどね。それで弱い奴は出てこれる訳か」

 感心したように大輔は頷き、改めて前を歩く聖の、冷静かつ的確な洞察力を見直した。が、本心はともかく、口に出してはこう言った。

「ふだんはただのスケベだけど、役に立つ時は立つもんだ」

 ほとんど負け惜しみである。


「にしてもさー。羅刹も通れないよーに造れんのかね。この霊洞って奴は…。そしたらこの地下だけで被害は止まって、人界は無事なのに」

「お前は死ぬほど馬鹿だな。何千回おんなじ事聞いてんだ?羅刹の魔力と、俺達の神霊力とは表裏一体…色は違えど同じ物なんだよ。奴等を封じれば、俺達だってそこを通れなくなる。んなこと常識だろーが、まったく」

 聖の言う常識とはもちろん、四聖獣と羅刹の間のみ通用するものであった。

「うるさいな。わあってるよ!!」

 子供に諭すような口調でそう言われ、恥ずかしさで真っ赤になった大輔は、そそくさと聖を追い抜き、霊洞の奥へと急いだ。だがそんな彼の様子には、完全には納得しきれてない気配が見て取れる。

「常識…か。そういや透、いつかお前、言ってたよな?わざとそうしてあるんじゃねえかって…な?」

「……」

 四聖獣のリーダーであり、知恵袋でもある透…こと、『玄武』は、数千年の昔からこの『常識』について、懐疑的であったのだ。『何者かの『作為』が働いている気がしてならない』と、そう、ことあるごとに、聖や大輔へ話して聞かせていたのである。

「え?透がなんだって?」

 黙ったままの透にかわって、大輔がそう問いかけてくる。はっとして透を見た聖は、彼が相変わらず自失した様子である事に、少なからぬ安堵を覚えた。無視された訳ではない。───しかし、

「……」

 気にしないようにしてはいても、やはり龍二の事が脳裏に棘のように突き刺さっていた。『まかせろ』と言い、自ら龍二を迎えに行ったのは、他ならぬ聖自身である。透はそんな聖を信頼し、大切な弟の護衛を任せてくれた。

 それなのに…。

「いや、なんでもねーよ。独り言、独り言」

 動揺を悟られぬよう適当に誤魔化し、聖は歩調を速めて霊洞の奥へ進んだ。今はどう償いようもない事を考えるより、先へ進むことの方が先決だった。

 そう。破られた封印を修復し、人界に平穏を取り戻す為に。そして、この奥に広がるホール状の空間こそ、封印の中心とも言うべき『門』があるのだ。

 四神結界の東に位置する、『青龍門』である。



「ひええ。出てくる、出てくる。本当に破れてらあ」

 青龍門は、名の通り青色の巨大な門で、2本の支柱には見事な昇龍が彫り込まれていた。本来なら2枚の扉の部分にも龍の絡み図があったはずなのだが、今は扉自体が破壊されて無く、残念ながらその壮麗な姿を見る事はできない。

 そんな壊れた扉の『向こう』から、黒い煙のような羅刹がとめどなく現れては、かき消すように地上へと消えていった。「早いとこ封じようぜ。このままじゃ、あっという間に人界が羅刹どもで埋まっちまう」

「まずは透を正気づかせてからだ。その後で青龍を捜す。彼女がいねえと封印は…」

 言いながら聖が、龍二の遺体を抱いたまま、ぼおっとつっ立っている透の肩を掴んだ。その時である。

「だ、大輔!聖兄ちゃん!」

「冴月…!」

 突然、岩陰から走り出た少女が、大輔の腰にしがみついてきたのだ。瞬間、敵の襲来と勘違いして身構えた聖と大輔の2人は、土埃に塗れた彼女の姿を認識すると、緊張を解いて安堵のため息を漏らす。

「良かった…無事だったか」

 小さく細い肩を震わせて泣きじゃくる、栗色の長い髪の少女。一見してただの子供のようなこの少女こそが、彼等の捜していた『青龍』冴月であった。 

「それにしても、どこに隠れてたんだ?」

 不思議に思って彼女の現れた辺りを見た大輔は、そこに小さな非常用シェルターを発見した。おそらくは先代の青龍がこの日の来るのを予見し、秘かに準備をしていたのだろう。 幼き青龍を、羅刹の魔手から護るために。

「青龍…おじいちゃんが、逃がしてくれたの。自分を囮にして。私、私、ずっと隠れてたんだけど…」

「うん。もう大丈夫。俺達がいるからね。けど…ちょっと離れてな、冴月ちゃん。汚れるよ」

 大輔は優しい目で冴月を慰めながら、しがみつく彼女をいったん離れさせた。彼の学生服は、血や土埃などで汚れ切っている。冴月が汚れる事を懸念したのである。

「ありがとう、大輔。でも、平気だよ。だって私も服ボロボロだし…あれ?」

 涙を拭いながら笑おうとした冴月の目が、ふと、あることに気付いて大輔の背後へ注がれた。そこでは今、ようやく落ち着きを取り戻した透が、龍二の体を地面へ下ろしている所だった。

「ああ…そっか。冴月ちゃんは会った事なかったんだっけ。あいつは…透の弟、龍二だよ」

「龍二…ちゃん?」

 ゆっくり地面に横たえられた少年を、冴月は泣くのを忘れて覗き込んだ。それはとても綺麗な男の子だった。『今生』の冴月が、これまで1度も見た事ないくらいに。

「冴月ちゃん…ありがとう」

 いつの間にか冴月は、声も上げずに泣いていた。少年がすでにこの世の人でない事は、幼い彼女にもなんとなく解った。

 だが、その事がなぜこれほどまでに哀しいのか、どうしてこんなにも胸が締め付けられてしまうのか、泣いている彼女自身どうしても解らなかった。

「大丈夫か?…透」

「…済まない」

 何度か瞬きした後、聖の顔をはっきり見つめて、透は1言だけそう応えた。彼の表情に、いつもの明敏さはまだなかったけれど。しかし聖は、『もう大丈夫だ』と、ひとまずの安堵を覚え、ため息をひとつついた。

「……」

 龍二の遺体の側へ跪いた透は、物言わぬ弟の青白い死に顔を、まんじりともせずただじっと見つめていた。

 もう血は乾いていた。柔らかかった肌も、すでに堅くなりつつある。もはやこの体に、透の愛した弟の魂はない。

「すまん…龍二。…俺は、お前を護ってやれなかっ…!!」

 透は哭いていた。目にも、頬にも、涙はなかったけれど、確かに彼は哭いていた。大切なものを失ってしまった哀しみと、護り切れなかった悔しさと、失ってから気付いた己の愚かさに。

 聖も、大輔も、そしてもちろんのこと冴月も、透のこんな顔を見たのは初めてだった。

「龍二…っ」

 そうして声を殺して哭きながら、透は龍二を想っていた。たった12年で死んでしまった、小さく哀れな命の事を。



 幼い頃、透はずっと孤独だった。

 父はいつでも仕事優先で家庭の事など見向きもしないし、優しい母は家を離れて長期の療養所暮らし。広い屋敷に使用人はたくさんいたけれど、皆、あくまで機械的に透を扱うだけで、心から親身になってくれる者など1人としていなかった。

 まだ自らの正体も知らず、記憶も神霊力も持たない、ただの子供だった透に、生きるべく世界はあまりにも冷たかったのである。

 透は孤独だった。ずっと。 

龍二が生まれるまでは。

「私はこれまで透に何もしてやれなかったから。だからどうしてもこの子は産んであげたいの。きっとこれからも寂しい想いをさせてしまうあの子のためにも…この子のためにも」

 母がそう言って周囲の反対を押し切り、無理を承知で子供を産んだ事を、透は母の死後に知ることとなった。

 もしかしたら母は、自らの命が長くないことを予期して、透に弟を遺してくれたのかも知れない。1人で寂しくないように。どんな時でも、兄弟2人で助け合って生きていけるようにと。

「大丈夫。兄ちゃんがいるよ。ずっとずっと一緒だよ。龍二のこと護るよ。兄ちゃんがずっとずっとお前を護ってやるから…だからもう泣くな」

 透が9才の時、力尽きたように母は亡くなった。物言わぬ母の亡骸を前にして、泣き続ける幼い弟を両腕で抱き締め、透は力強く誓いの言葉を口にする。龍二はそんな兄の言葉に安心したのか、透の首にしがみつきながらも泣きやんだ。

「にーちゃ…」

 ふいに、涙がこぼれた。驚いた龍二が、心配そうに透の頬を撫でてくれる。その手はとても小さかったけれど、とても柔らかく、そして心に染みいるほど暖かかった。

「龍二…」

「にーちゃ、泣かないで?」

 優しい母を失った哀しみに、押し潰されんばかりだった透の心は、弟の小さな手に救われたのである。透はこの時になって初めて気が付いた。いつも自分が護ってきた弟に、自分もまた支えられていたのだと。

「ごめん…ごめんな。ありがとう。龍二」

 こうして龍二の存在は、以前にも増して透の宝となった。透にとって龍二は、この世で唯一の、かけがえのないもの。

なにより大切な、可愛い弟。

この子を生涯護り続けようと、透は純粋な魂と心に誓った。

───いつまでも。


 そして透のそんな強い想いは、10才の誕生日を迎え、突然、目前に現れた老玄武から、記憶と神霊力とその名を受け継いだ後でさえも、なんら変わる事がなかったのである。


 そう。失ってしまった今この時でさえも。



「これからもずっと一緒だ。龍二の心は…俺が護る」

 透の腕の中で、龍二の体が目映い金色に輝き始めた。不思議そうに見守る冴月の目の前で、彼の体は徐々に輪郭を無くし、まるで砂山のように脆く崩れ去っていく。さらさらと音をたてて、倍速度フィルムのように急速に。

「ど、どうして砂にしちゃうの?お墓、造ってあげれば良いのに…」

「このほうが龍二のためだからさ。今、俺達に墓を造ってる暇なんかないし…なにより体を残しておくとね、羅刹に利用されかねないんだ。…奴等は死体にでも取り憑けるからな」

 沈痛な声で大輔がそう説明する間に、龍二の体は輝く金の砂山と化してしまっていた。中心に、虹色の小さな石をひとつだけ残して。

「あれが龍二の『心』だ…」

 透は石を拾いあげ、祈るように握り締めた。




「さあて。さろそろ封印しなおすか?」

 のんびりした聖の声で、透は我に返った。龍二の葬送を終えて、ほんの少しの間ぼんやりとしていたらしい。周囲に目を向けてみれば、すぐ横には大輔がいて、彼に対して気がかりそうな視線を注いでいた。

「いや。大丈夫だ。今のまま放っておいても門は閉じる」

「え?どういう事だよ?透」

 己の身を案じている仲間達に、『大丈夫だ』と言うように小さく笑って見せてから、透は現状を冷静に分析した結果を彼らに示した。

「俺達が4人揃った時点で、すでに閉まりかけていたんだろうな。ほら、羅刹の数が減ってきているだろう?…幻震も、それを起こし得る力の流入が出来なくなるし、羅刹も間もなく出てこれなくなる」

 言われてみれば、確かに羅刹の数は減っていた。透の指摘通り、門が閉じ始めた証であろう。しかし、

「でも…こちらへ出て来ちゃった奴らは?人界にそのままほっとくのか?」

 今、世界中に散っている羅刹がいかに『弱い』とは言っても、それは透達四聖獣にとってだけの話で、神霊力も持たない人間達にとっては、驚異である事に少しも変わりがないのである。

 大輔の口にした疑問もまた、護るべき彼らのことを案じてのものだった。

「奴らは人間の歴史上、初めて現れた『天敵』になる。…いや、すでにそうなってる。このまま放っといたら、遠からず人間は滅んじまうぜ?」

 聖の焦りに満ちた言葉にも、透はすぐには反応しなかった。ただ、静かに何かを考えている。

「透が…いや、玄武が動かねえってんなら、俺は勝手させてもらうぜ?」

「それで何をする気だ?世界中に飛び散った挙げ句に、人々の間に隠れ潜んだ羅刹を1匹ずつ片付けるのか?…何百年かかるか、見物だな?白虎」

 図星をつかれて聖は黙り込んだ。

「焦るな、白虎。どのみち我々が『向こう』へ行かねば、この状況は変わらん」

「どういう意味だよ。それ?」

 透の意味深な言葉に、聖ばかりでなく、大輔や冴月も興味をそそられる。

「1度開いてしまったら、『完全な封印』など、我々だけでは施せない。忘れた訳ではあるまい?最初に封印を完成させた時、我々の側に、誰がいたかを?」

 聖と大輔の顔に、あっ、というような表情が浮かんだ。透が何を言おうとしているのか、思い当たったのである。だがその場にあってただ1人、未だに記憶を受け継いでいない冴月だけが、釈然としない顔をして3人を見つめていた。

「冴月…いや、青龍」

 そんな彼女の様子に気が付くと、透は小さく笑って右手をそっと彼女の額に押し当てた。

「まだ君は『継承の儀』を受けていなかったんだな。…ゆっくり目を閉じて。俺が…青龍の代わりに、君の記憶を呼び覚ましてあげる」

「…うん」

 優しい透の声に不安を忘れ、冴月はそうっと目を閉じる。額に当てられた暖かな手のひらから、記憶が流れ込んでくるような気がした。


 数千年に及ぶ、長い永い記憶が。



 羅刹との戦いは、苦しくて、辛くて、とても長かった。

 今からおよそ6千年前、『神霊界』と呼ばれる異世界で、全ての種族を巻き込んだ激しい戦いが起こった。その戦いの火種となった部族の名を、『羅刹』と言う。

 当時『青龍』と名乗っていたのは男性で、彼は神霊界最強の部族『真竜(まりゅう)一族』の、誇り高き戦士であった。しかし数万年もの年月、栄華を極め続けてきた真竜族も、たかが辺境の一種族に過ぎなかった羅刹の侵略軍に敗北する。

 だが、青龍はこの戦いの結末に、どうしても納得する事ができなかった。何故なら、ろくな戦いもしないうちに、真竜王の独断で一族は羅刹に降伏してしまったからからである。

「真竜の神霊力があれば羅刹など、たいした敵ではありません!我らはこの『神霊界』で、最も大きな力を与えられた一族ではありませんか!それなのに何故っ!」

 しかしこんな青龍の必死の叫びも、真竜王には通じなかった。王は静かに首を横に振っただけで、彼に何ひとつ答えてはくれなかったのだ。

 結果、青龍は国と血族のすべてに別れを告げ、1人旅立つ事となった。侵略を続ける羅刹軍と戦い続けるために。

「納得できません…絶対に!!私は戦い続けます。たとえ1人になっても!!」

 一族のほとんどは青龍と気持ちを同じくしたが、しかし、彼と共に旅立とうとする者はいなかった。彼らは皆、敬愛する王と共に国へ残り、辛酸を嘗め、屈辱の日々に甘んじる道を選んだのである。

「青龍…この世に在る者はすべて、何らかの使命を負って生きている。お前の信じた道を、今は迷わず進むがいい」

 国を捨てようとする青龍を、真竜王は責めなかった。

どころか、むしろ笑って青龍の選んだ道を祝福してくれたのである。

「飛竜様もお元気で。いつか、この身勝手な振る舞いをお詫びにまいります」

 神秘的な美しい王は、旅立つ若者をほのかな微笑で見送った。


 それからどれだけの時間が過ぎただろう。ある日、あてどない旅路の果てで、青龍は3人の天人(あまひと)と出会ったのだ。それは運命ともいえる瞬間だった。

 強大な力を携えた3人の天人…彼らこそが、凶暴なる羅刹を神霊界内部に抑え込むため、天が遣わした神の使い。


 名をそれぞれ、玄武、白虎、朱雀という。


 これが『東西南北』を守護する四聖獣、その誕生の瞬間であった。


 それから始まった長い長い戦い。最後にからくも勝利を得たのは、4人の戦士であった。だが、

 ここでもまた、真竜族が降伏した時と同じような事態が、青龍の前に立ちふさがったのである。

「なぜだ?…このまま攻め込めば羅刹王を討てる!なのに、どうして危険を承知で、『次空封印』をしようとするんだ?玄武!!!」

「青龍。私たちは、羅刹を滅ぼすために来たのではない。奴等を滅ぼすことなく、この神霊界を人界から引き剥す…そのためだけに天から遣わされてきたのだ」

 羅刹族をことごとく世界の奥地へ退け、人界への4つの接点を内側から封印する。あくまでそれが、自分たちに課せられた使命であり、行使できる力の限界でもあるのだ。

 静かな声でそう諭す玄武であったが、そう言う彼の中にもまた、青龍と同じ疑問や反発が渦巻いていた。

「では玄武…最後の門を封印した後、あたし達はどうなるの?このまま神霊界へ残って、羅刹どもに殺されるのを待てって言うの?」

 杓子定規な玄武の応えに、赤毛の美女朱雀が反論する。

「そうだぜ玄武。俺達は封印の完成後、一切の戦闘を禁じられている。…天界へ戻れる訳でもねえってのにさ?…つまり、俺たちは野望を阻止されて怒り狂った連中に、ここで殺されてやるしかねえってこった。そんなのやだからな?俺」

 銀髪を揺らして、長身の青年白虎も賛同した。

「……」

 『羅刹を倒せ。だが、決して滅ぼしてはならない』そう、世界の創造主たる神は彼らに、そんな矛盾した厳命を下していたのだ。

 理由はわからない。知らされていないからだ。

「どうする?玄武」

 完璧な封印は神霊界側からしかできない。しかしこちら側に残る事は、すなわち完全な『死』を意味する。彼らに残された選択肢は、2つに1つ。

 神命に殉じて封印完成後、羅刹の手によって惨殺されるか、封印を放棄して人界へ逃れ、弱いながらもそちら側から封じてみるか。しかし、それはどちらを選んでも何らかの問題の残る、およそ完璧とは言い切れぬ選択であった。

「玄武…」

 事態は逼迫していて、のんびり悩んでいる時間はない。

 だが、玄武はとっくの昔に決断していたのだ。2つの選択のどちらでもない、第3の選択を。

「お前達は人界へ行き、今後もあちらから封印を護れ。私が残ってこちら側の封印は完成させる」

「な…っ!!」

「馬鹿言わないで、玄武!!」

「そんなことをしたら…っ」

 動揺する3人に、玄武は優しく微笑んで見せた。

微笑の奥の瞳が、彼の決意の堅さを映している。

 白虎らは悟らざるを得なかった。玄武の決心がどんな説得をも受け付けないであろう事を。だが、そうと知っていても言わずにはおれなかった。

「格好つけやがって…玄武だけにそんな真似させられるかよ?」

 白虎も、そして朱雀も青龍も、皆気持ちは同じであった。皆、大切な仲間を犠牲にしてまで、その命を生贄として差し出してまで、生き残りたいなどとは思わなかったのである。

「これは命令だ。どうあろうと従って貰う。さあ、急げ、羅刹が迫りつつある」

「だけど…玄武」

 玄武に注意を促されるまでもなく、白虎らも羅刹の気配は感じていた。それが凄まじい大軍であることも、着々と近付く魔力の大きさで計ることができる。と同時に、残された時間が少ないということも…。

「…お前達の気持ちは受け取った。ありがとう。…私の事なら心配はいらない。だから、早く行…」

「4人揃ってこその『四獣結封印』だろう?玄武が死んでは意味がない」

 涼やかな声は唐突に、悲嘆に暮れかけた四人の耳へ飛び込んできた。

「な…っ!」

 慌てて声のした方向へ振り返った4人は、そこに1人の青年がたたずんでいるのを目にして声を失った。

「……っ!!」

 あまりの衝撃に、4人は驚愕し、強く警戒して身構えた。青年は鋭敏な感覚を持った彼ら四聖獣に、己の存在と気配とを、ここにくるまでまったく気付かせなかったのである。

 しかも───。

「…ひ、飛竜様…!」 

「え…っ!?」

 それはあまりにも意外な人物であったのだ。

「真竜一族の王が、なぜ…」

 神霊界最強一族の長、ひいてはこの世界で最も強大な力を有する人物が、彼らの前に立つこの美しき王、飛竜なのである。かつては神霊界を治めた英明なる王だが、今では羅刹に仕える一部族の長。

 それがなぜ、今、この時、こんな場所に現れたのか。それも、供も連れずに、たった1人で。

 しかも彼は、4人に思わぬ提案を打ち明けたのである。

「ここは私が引き受けよう。4人で人界へ行くがいい」

「な…っ?」

 青龍を除く3人は、謎と疑念に混乱を深めつつ、なおも彼の真意を計ろうとした。

「何を考えてやがる?お前は敵側の人間だろうが?!」

 長く美しい黒髪。均整の取れた細身の体。筆舌にし難い、男とも、女ともつかない美貌。『神霊界の至宝』とまで呼ばれた美しき王は、短絡的な白虎の問いに、ひだまりのような微笑みで応えた。

「私は青龍を殺したくない。そのために君達を助けようとしている…それでは理由にならないか?」

「飛竜様…」

 驚き困惑する青龍を押し退け、玄武が前に出て飛竜と直面する。そしてその目が、一瞬、微笑む飛竜に対して探るような険しい視線を放った。

 彼の提案と、彼自身が、果たして信頼するに足るかどうか、見極めようとするかのように。

「さて、玄武?…どうする?私は君さえ良ければ、ここの封印を引き受けても良いと思っている。君はここへ残って自らの命を掛けた『滅封印』を施そうと思っていたんだろうけど、そんなものがほんの時間稼ぎに過ぎないことを、君自身が1番良く解っているだろう?」

「……」

 飛竜の指摘をこの時、玄武の目は無言で肯定していた。そんな彼に飛竜は、開いたままのゲートを指差しながらこう言った。

「だったら今は私を信じて、ここから4人揃って行くがいい。人界へ…」

「馬鹿言わないで。信じられる訳ないでしょ!貴方は…」

 間発入れず反論しかけた朱雀を、玄武はただのひと睨みで黙らせた。不満そうに口を閉じる朱雀だったが、目には飛竜への疑惑の念が込められている。

「…解った。貴方を信じさせてもらう」

「玄武!本気かよ?!」

 意外な決断に白虎が口を差し挟むが、それに対して玄武は場違いなほど明るい声で答えた。

「なんとかなるさ。さ、時間がない。行くぞ」

「…なんとかっ…て…」

 毒気を抜かれた白虎と朱雀は、唖然とした表情のまま、玄武に引きずられる様にしてゲートへ向かった。そして問答無用とばかりに、次々とゲートに放り込まれて人界へ旅立っていく。

───敬愛する飛竜の存在に後ろ髪を牽かれ、去り難い心境に陥った青龍ただ1人を残して。

「飛竜様…大丈夫なのですか?そのような危険をなされても…。もし、羅刹どもに知られたら…」

「心配は無用だよ。さあ、お行き」

「で、でも、いえ、やはりいけません。飛竜様にこのような危険を犯させては…」

 そう言って人界行きを拒み始めた青龍の腹へ、戻ってきた玄武は素早く当て身を食らわせた。気絶する直前に彼が見たものは、限りなく優しい飛竜の顔。

 それは瞳に焼き付くほど美しかった。

「ありがとう…玄武。青龍を頼む」

「私たちの仲間だ。当然だろう」

 完全に気を失う前に、青龍は2人の交わした会話を聞いた気がした。

「君はもう知っているのだろう?…君達の『神』が、どれほど不完全なものであるか…」

「…何のことだか解らないが」

「そう?なら、覚えていて。神が決して全能でも、絶対でもないってことを…」

 遠ざかる意識の中。それは謎めいた、秘密の言葉の応酬に感じられた。そして、

「それから、ありがとう玄武。…私を信じてくれて」

 それが最後の、飛竜の言葉。

なぜかその声は、とても嬉しそうだった。



「飛竜様…」

 冴月の閉じた瞳から、透明なしずくが滴っていた。それを見届けた透の右手が、そっと彼女の額から外される。

「……」

 大きな目を見開いた冴月は、初めて見るような視線で己の周囲を見渡した。

「思い出したかい?青龍?」

「…はい。玄武」

 長い長い『青龍』の記憶が、今は自分の物として心の中にある。青龍の感じた悲しみや、怒り。苦しみや、痛み、その想いのすべてが、彼女と共にあった。

 今、彼女は『冴月』であって、『冴月』でない者へと、明らかな変化を遂げたのである。そう。この瞬間、彼女はどこにでもいる普通の少女『冴月』から、大きな神霊力と使命を負った聖獣、『青龍』となったのである。

「俺たちがこれからどこへ行き、何を成さなくてはならないか…それも、もう解っただろう?」

 冴月が、そして聖と大輔がうなずく。

「時間はない。あの時と同じように」

 透が立ち上がった。釣られて3人も立ち上がる。そして、

「神霊界に行く」

 透の言葉は、まるで戦線布告のように、3人の心を打ち鳴らしたのである。

 ───否。



 これが再びの戦乱の、始まりであったのだ。

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