第4話
「あああああああああああっ!!!」
東階段は思った通り無事な姿で残っていたが、代わりに羅刹共の黒い姿で埋め尽くされていた。
透と大輔は持てる神霊力を惜しまず発揮して、羅刹の黒い塊りを次々と抹消していった。だが、最後に残った1匹を倒すのに、思いのほか手間取ってしまった。2人の前に壁のように立ち塞がった、一際大きな羅刹に。
「ああああっ!!」
階段を昇り切った時、透の目に、シャニの手から逃れてこちらへ走り寄る龍二の姿が飛び込んできた。恐怖で青ざめた龍二は、その大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、両腕を兄へ向けて必死に伸ばしている。
「龍二!!」
間に合った。そう思った瞬間、
「ーーーーーっ!!」
少年の小さな体の胸の部分から、突然鋭く尖った何かが生えてきた。それが黒く光る槍の先端だと気付くのに、常に冷静で的確な思考力の持ち主たる透が、数秒もの時を要した。
「り…!」
信じられなかった。夢だと思いたかった。あとほんのわずかな時間があれば、彼の腕は大切な弟を護り切れていたはずなのに。そう、あと3秒、いや、たった1秒でもあれば…それさえあれば、彼の手は弟に届いていたのだ。
「うあああああああっ!!」
力を失った龍二の体が、ゆっくり前へと倒れ込む。
「あああああああっ!」
透の両腕がその体を胸に抱いた時、すでに龍二は事切れていた。
薄く開かれたままの瞳には、命の名残のような、涙の粒。
そこにはもはや、命の輝きも、心の欠片もない。
失われてしまったのだ。おそらくは、永遠に。
「惜しかったですねえ。…もう、ほんの少し早ければ、助けられていましたのに」
あざけるような口調でそう言った後、シャニは甲高い声で哄笑した。
「き…貴様!よくも…っ、えっ?!」
「うおおおおおおっ!!」
大輔が切れるよりも早く、透の復讐心が暴発した。透は全身から殺気を放ちながら、ミサイルのような瞬発力でシャニに襲いかかる。
「無駄ですよ。当たりゃしません。私の防壁はかんぺ…」
憎らしいほどの余裕を見せていたシャニはしかし、台詞を最後まで言い切る事が出来なかった。何故なら、その前に無防備な彼の体は、透の生の拳をまともに顔面へ食らって、廊下の端まで吹っ飛ばされたからである。
「な…こ、こんな馬鹿な!私の…私の完璧な防壁を、そ…それも、神霊力すら使わずに?!」
顔面を血だらけにしたシャニは、壁にめり込んだ己の体をどうにか引き剥すと、つかつか歩み寄る透の鬼気迫る姿を、信じられないといった目付きで見つめていた。
「死ね」
シャニの目前に立った透の体から、神霊力の波動が揺らめいた。しかし、シャニは自身の間近に迫った死を感じ取りながらも、魅入られたように透から目を離さない。いや…離すことが、できなかった。
それはまるで、日本刀の輝き。
その冷たく鋭利な美しさに似て───。
「透…!」
「よせ!やめろっ、やめるんだ、透!!」
いつの間にか、大輔の後ろに聖が立っていた。彼はまだ少しだけよろけていたが、落下直後のあの酷い怪我はかなり回復している。苦手とする神霊力によるヒーリングで怪我を治し、どうにかここまでたどり着いたのであろう。
自らの不甲斐なさゆえの結末を、己がその目で見届けるために。
しかしそんな聖も、透の様子を見るやいなや、大輔同様、必死になって彼を制止しようとした。
「やめるんだ!玄武!!」
「あはははははは!!美しい!復讐に青ざめる貴方は、どんな美術品より美しい!光栄ですよ!玄武!貴方に殺されるなら…私は…私は!」
突然、音程の外れた声で叫び始めたシャニの目には、狂った陶酔の光が満ちていた。
「そう、私は…どんな幸福な死をも超越した…究極の『死』を、この身に得ることが出来る!!」
「大輔!結界を!」
「お、おう!」
「…っ!!」
次の瞬間だった。白熱した光が爆発し、視界のすべてを漂白し、無音の衝撃波が全身に襲いかかってきたのは。
「ぎいやあああああああっ」
「くそうっ!!」
圧倒的な神霊力の奔流は、時間にすればほんの1秒程度で収まっただろう。
だが、強烈な流れに押し流されぬよう耐える側にとって、それはもっとも長く辛い時間であった。
静寂が戻った時。夜叉王シャニの姿はどこにもなかった。彼の居た辺りの壁や床や天井と同じく、融けたように跡形もない。消滅してしまったのだ。この世に亡骸1つ残すことさえ許されずに…。
そうしてそこには、ただ呆然と立ちすくむ透と、肩で息をつく聖と大輔の、人ならぬ3匹の聖獣だけが存在していた。
「む…むちゃくちゃな神霊力を使いやがって…人界も滅ぼす気かよ…透っ!」
怪我も治り切らないまま、透の放出した強大な神霊力を、大輔と共に結界内に抑え込んだ聖が、息も荒々しくそう呟いた。
彼らがとっさに結界を張って、被害を最小限に抑えなければ、今頃は夜叉王ともども、この人界が大きく破壊されていたことだろう。それほどに、透の使った力は大きかったのだ。
「龍二…」
掠れた声にはっとして見ると、透は血溜まりに沈む龍二の遺体を抱き上げて、血だらけの頬を優しい手付きで撫でていた。そんな透の端正な顔には、驚くほど表情がない。
「と、透…」
聖も大輔も、掛けるべき言葉を失って、ただそこに立ち尽くしていた。透の哀しみを、穿たれた傷の深さを知っているから。安易な慰めの言葉など、今、この場でどれほど無力なものかを───誰よりも、知っていたから。
「…透」
「うおおおおおおおおっ!!」
死の沈黙に満たされた静かな校内に、獣のような悲痛な叫び声が響き渡った。
いつまでも…いつまでも。
まるで失った大切な者を、呼び戻そうとするかのように。
そこはいったい、何処だったのだろう。
外は星もない闇夜なのか、それともここが日の光も差さない洞窟の奥深くなのか…。一寸先も見えぬその場所は、前に伸ばした己が手さえも判別できぬほどの、真の闇にすべてを支配されていた。
動く人影ひとつないそんな場所に、たった今、小さな光がひとつ生まれた。光は蝋燭のように揺らめきながら、ひとつ、またひとつと、次第に数を増やしていく。
気が付くと全部で8つの光が、ある場所を囲むように灯されていた。
光の中心には、祭壇のような寝台がしつらえてあり、そこに1人の少年が眠っていた。
それは美しい少年であった。
全裸で寝かされていたのでなければ、それこそ少女と見紛うばかりに。
ふいに、少年を囲んでいた光が、大きく揺らめいた。
風でも吹いたのかと思ったが、そうではない。それまで身動ぎひとつしなかった少年が、突然、息を吹き返したように動き始めたのだ。
胸が呼吸に従って浅く上下し、細くしなやかな腕が、何かを求めるように持ち上げられる。そして、堅く閉じていた瞳が、何度かぴくぴく痙攣すると、やがてゆっくり開かれた。
その輝きは、黒曜石。
吸い込まれそうなほど美しく煌く、夜の宝石。
奇跡のように繊細な、神の愛した芸術品。
「お目覚めでございますか」
光のひとつ───良く見ればそれは、明かりを持った人らしきものであった───が、少年に恭しい態度で頭を垂れてそう言った。少年はだが、何も応えない。ただ、わずかに頷いてみせただけである。
「帰りましょう。我らが城へ。皆が貴方様のお帰りをお待ちしております…飛竜様」
8つの光が、少年の前に深々と跪いた。
彼らの永遠なる主が、今、彼らの前に帰ってきたのだ。
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