第7話:賄賂
「嘉一の考えと想いは分かりました。
それが成仏するための正しい行動かどうかを教える事はできません。
それに、間違いだと言っても止める気はないのでしょう。
私達の教えよりも、祖母の教えの方が大切なのでしょう。
だったらそれを信じて続けなさい。
貴男が物の怪に変化しない限り、私達には手出しできませんから」
ニューハーフ仏が優しいのか厳しいのか分からない事を言った。
「ありがとうございます。
涅槃で祖母に会いたい気持ちは今も変わりません。
ですが、涅槃で祖母に箒でベシバシ叩かれるのは嫌ですから、祖母の教えに反するような事はできません」
嘉一が真摯に答えた。
「その嘉一の記憶が間違っている可能性もあるのですよ。
まだ十二歳でしかなかった嘉一の勘違いと言う事もあるのですよ。
その事を分かっていて『姥ヶ火』に復讐させてやると決めたのですね」
「はい、神仏から見れば間違いかもしれませんし、僕が祖母の教えを間違って受け止めているかもしれません。
ですが、それでも、今回は『姥ヶ火』の方が正しいと思っています。
『姥ヶ火』に焼き殺されている連中の方が悪人で、因果応報で殺されるのは当然だと思っています」
「これから殺される者を見捨てると、嘉一が悪行を行う事になるかもしれませんよ」
「その可能性もありますが、悪人を助ける事で、被害者の親を苦しませる事になれば、その方がはるかに悪行だと思っています。
目の前にいる悪人を、自分の虚栄心や利のために助けて、助けた悪人が善人を殺してしまったら、善行を積んだとはとても思えません。
それとも神仏は、悪人を助ける事は善行で、助けた悪人がその後で善人を殺しても、助けた人には何の罪もないと言われるのですか」
「目の前で死にかけている人が例え悪人だとしても、先ずは助けるべきでしょう。
助けた後で、悪人がさらに罪を重ねたとしても、助けた人の責任ではありません。
目の前で死にかけている人が悪人だと知っているのなら、教え諭して悪い考えを悔い改めさせるべきですね」
「何千年も人間の行いを見て来られて、そんな事が可能だと、本当に思っておられるのですか」
「何千何万と裏切られ、どれほど傷つこうとも、成仏を目指す者ならば、諦める事なく悪人を教え諭し悔い改めさせるべきですね」
「僕にはとてもできそうにありません。
僕は、僕の思う、祖母の理想通りの行動をするだけです」
「分かりました、私達神仏が嘉一に何かを強制する事はありません、好きになさい」
嘉一とニューハーフ仏の会話は、心優しい女神と八仏も聞いていたが、途中で嘴を入れる事なく、美味しそうにお供えを食べていた。
それどころか、嘉一とニューハーフ仏の会話が終わったとたん、とんでもない事を言いだす仏がいた。
「嘉一殿、この鶏のすき焼きはとても美味しいのだが、こんな美味しい料理を持ってくるのなら、般若湯も一緒に持ってくるべきではないか」
八仏を代表して言っているのは、嘉一との関係が一番深い、命の恩人ともいえる虚空蔵だが、事もあろうに酒を寄こせと言ってきた。
嘉一もこれにはとても驚いていた。
破戒僧が酒を飲む事は知っていたが、仏自身が戒律を破るとは思ってもいなかったからだが、直ぐに言い訳をしてきた。
「嘉一の気持ちは分かるが、俺達も神仏混交や神仏習合で困っているのだ。
仏として駄目な事でも、神として許されることがある。
長年神と同じようにお神酒を御供えしてもらっていたのだ。
今も氏子や檀家がお神酒をお供えし続けてくれているのだ。
仏が酒の味を覚えてしまうのもしかたがないではないか。
まあ、下戸の嘉一に酒の事を言っても理解してもらえないだろうが」
「僕の下戸は関係ありませんよ、虚空蔵様。
そう言われたら、酒は駄目だとは言えませんから、直ぐに買ってまいります。
直ぐに買えるお酒になりますが、何がいいのですか。
ビールですか、日本酒ですか、それともワインですか」
「そうだな、熱々の鶏のすき焼きにはビールが合うだろうな。
だが長年御供えしてもらっていたのは、日本酒だよな。
しかしこの地域の特産品はワインなのだよな」
虚空蔵の言う通りだった。
今の大阪では、葡萄の産地は地元以外の場所に変わってしまっている。
だが一番古い大阪葡萄の産地はこの地域で、第二次大戦中はレーダーに使う酒石酸を生産させるために、砂糖を優先的に配給されていたと聞いている。
第二次大戦後は多くのワイン醸造業者が日本酒に圧倒されて廃業していた。
今この地域で残っているワイン醸造業者は一社だけだ。
「この地区のワインは直売所で買えますが、もう閉店してしまっています。
どこのワインでもよければ買ってきますが、地域の特産品を飲みたいというのなら、明日買ってきますから、待っていてください。
ビールと日本酒は、今から現世に戻って買ってきます、待っていてください」
「そんなに急がなくてもいいわよ、もうほとんど食べ終わっているから」
急いでビールと日本酒を買いに行こうとする嘉一を優しい女神が止めた。
「ただ嘉一さんには、次に来る時に御供えして欲しいものがあるのよ」
「女神様がお供えして欲しいと申されるのでしたら、できる限り用意させていただきますが、何が必要なのでしょうか」
「この鶏のすき焼きもそうなのですが、せっかく御供えしてくれた料理も直ぐに冷めてしまうので、できればカセットコンロかIHクッキングヒーターを御供えして欲しいのだけれど、いいかしら」
優しい女神様が言う通り、せっかくの料理も、冷めてしまっては本来の美味しさを味わう事ができない。
本殿には都市ガスもなければプロパンガスもないのだが、電線がきているので、電気を使う事はできるというのだ。
この常世の状況を考えれば、生饌としてお供えされた食材を使って料理する事もできるかもしれないと嘉一は考えた。
だが同時に、地域の事を考えれば、万が一にも火事を出すわけにはいかない。
地域の知人を頼って神社総代の末席に加えてもらう心算の嘉一としては、万が一にも火事を出して莫大な寄付をする羽目になるのも嫌だった。
神仏の現世利益のお陰で、残りの人生、食べる事に困らない程度のお金を手に入れられたからこそ、不必要にお金を失いたくないという欲が出てしまっていた。
「分かりました、僕に買える最高級の炊飯器とIHクッキングヒーターを、明日必ず持ってこさせていただきます」
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