第3話:想い出の夏祭り料理

 目を覚ました嘉一は、氏神様の本殿裏に倒れていた。

 連続首吊り事件に、警察も地区も十分な警戒をしていたはずなのに、誰にも知られずに境内に入り込めたことが大問題になった。

 その所為で嘉一は警察で厳しい取り調べを受ける事になってしまった。

 だから嘉一は正直に全てを話したが、誰にも信じてもらえなかった。

 それどころか、心療内科を受診しろと言われる始末だった。


 警察は自分達の警備に不手際があったと認める事はできなかった。

 そんな事になったら、また反日反政府マスメディアが騒ぐだけだった。

 そのような事は嘉一にとっても不本意な事だった。

 取り調べを円滑に行うために色々と雑談している間に、取り調べる警察官と嘉一の間で、それぞれの考え方を知る機会があった。


 そこで言わず語らずの阿吽の呼吸で、地区の警備の隙をついたことにした。

 責任を警察ではなく地区に押し付ける事にしたのだ。

 更に天涯孤独となった嘉一が、マスメディア報道に煽られて、自殺したい気持ちになってしまったという話にした。

 唯一の自殺失敗者の公式発言を、マスメディアも捏造するわけにはいかない。


 昔ならマスメディアの都合がいいように、被害者加害者の言葉をどうとでも作り替えることができたが、今は本人がSNSでマスメディアの捏造を指摘できる時代だ。

 マスメディアにできる事は、報道しない自由を行使して隠蔽する事だけだった。

 だがそれも、嘉一がSNSに書き込んだ事で失敗に終わった。

 大した騒ぎにはならなかったが、マスメディアの自分の都合の悪い事を報道しない姿勢が少しだけ批判された。


 だがそのような事は、嘉一にとって大したことではなかった。

 嘉一にとって重大だった事は、ロト6に当選した事だった。

 一等ではなかったが、二等二口と三等三十二口を当選していた。

 合計金額は二四二三万七〇〇〇円だった。

 五十四歳の嘉一なら、もう働かなくてもいい大金と言えた。


 徳を積むために神仏の手伝いをする心算の嘉一にとって、思いがけない幸運なのだが、同時にうさん臭くも思っていた。

 二十歳から買い始めた宝くじだか、三十二年間一度も高額当選した事がなかったのに、神仏と縁ができたとたんに高額当選したのだ。

 しかも身を持ち崩すほどの高額当選ではない、二等三等の多数当選だった。


 うさん臭くは思っても、神仏の加護をありがたく思ったのも本当の気持ちだった。

 これでお金が稼げる小説を書かなくてもよくなった。

 一般受けしない不人気ジャンル、自分が本当に書きたい小説だけを書ける。

 徳を積むために神仏の手伝いをすると言った嘉一にとって、これほど有り難い現世利益はなかった。


 そこで神仏に御礼をするためにお供えをする事にした。

 問題はお供えする物だが、あの場には仏と神が一緒にいた、と嘉一は感じていた。

 ニューハーフと縊鬼を捕らえた者が仏で、縊鬼が食べる料理を作っていたのが神だったように感じていた。

 ニューハーフは偉そうに食事で救うと言っていたが、実際に料理を作っていたのは、とても美人とは言えない神だった。


 そんな神仏に供えるのなら、料理を主にすべきと感じていた。

 もちろん料理だけでなく、線香、花、灯明、水も供えるが、主役は料理だった。

 五辛のニンニク、ネギ、ニラ、ラッキョウ、はじかみは供えないが、祖母が作ってくれていた想い出の夏祭り料理には、紅ショウガや魚介類が含まれていた。

 少々悩んだ嘉一だが、思い切って魚介類も使った夏祭り料理を作ることにした。


 仏教では避けられる肉や魚も、神道では許されている場合がある。

 神に供える神饌だと考えれば、主食の米を柱にして、酒、海の幸、山の幸、旬の食材、特産物、祭神と所縁のある物を捧げるべきだと思われた。

 あの場の事を考えれば、神仏習合だと思えたから、生臭物も許されると考えた。

 それに、古くからの考えを優先すれば、生饌よりも調理や加工を行った熟饌の方がいいとも嘉一は考えていた。


 嘉一は心を強く持って、家を出て近くのスーパーを周った。

 高橋家の夏祭り料理を再現するために必要な食材をそろえるには、一ケ所ではとても集められなかったからだ。

 スーパーに置いていない食材はネットで探して集めた。

 昔なら、各地区にあった魚屋さんにお願いすれば、翌日には仕入れてくれた。

 だが今では、地区ごとにあった魚屋さんは全て潰れてしまっていた。


 この状況では、ある程度お金がないと必要な食材が集められない。

 神仏が現世利益として当選させてくれたであろうお金がとても役にたった。

 昔祖母が作ってくれていた夏祭り料理を忠実に再現しようと思ったら、結構高級な食材を買う必要があったからだ。

 明石の蛸だったのか泉州の蛸だったかは分からないが、日本産の蛸は高かった。

 活けの鱧も蛸同様高級品になってしまっていた。


 それどころか、大正海老と呼ばれていたコウライエビは、ほとんど取り扱われてさえいなかった。

 宝くじに当選しているから、高価な車海老を使う事もできれば、どこでも売られているブラックタイガーやバナメイエビを使う事もできた。

 だが想い出の味を再現するには、当時食べていた大正海老が必要だった。


 四日ほどかかってしまったが、嘉一は想い出の夏祭り料理を再現できた。

 大阪は元々三つの国だった。

 河内、和泉、摂津の一部を併せて大阪が作られた。

 だから大阪弁も厳密に分けると四つの方言になる。

 河内弁、泉州弁、摂津弁に船場言葉だ。


 だから今の大阪でも、気性や食習慣が地区ごとで微妙に違う。

 河内の人間に言わせたら、河内弁よりも泉州弁の方が汚いという。

 だがその河内も、大和川を境に大きく習慣が違ってくる。

 大和川より北は車輪や車のついていない神輿を担ぐ夏祭りが多いが、南は車輪や車のついただんじりを引く秋祭りが多い。

 泉州の南は根来寺の影響が強く、北は堺の影響が強かった。


 だから大阪の食習慣も、地域や時代によっては大きく違っている場合がある。

 嘉一の幼い頃は特に地域差が大きかった。

 だから嘉一の想い出にある夏祭り料理も、海に接していない河内でも手に入る、生命力の強い魚介類が使われていた。

 京都ほどではないが、海の幸を安価に手に入れられる地域ではなかったのだ。


 だから生命力の強い鱧を照り焼きにした物がハレの日の料理だった。

 蛸や海老も、鮮度の関係で茹でてから酢で〆られていた。

 錦糸卵で美しく飾られたちらし寿司も、よく思い出してみると、生の魚などなくて、デンブ以外は紅ショウガに煮〆た椎茸が入っているだけだった。


 それでも、幼い頃の嘉一には大ご馳走だった。

 嘉一が生の魚を使っていたと思い違いしていたのは、時代と共に生魚が安価に手に入るようになって、想い出の夏祭り料理が上書きされてしまっていたからだ。

 ようやく再現する事のできた夏祭り料理をお重に入れて、嘉一は氏神様の社に向かったのだった。

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