第2話:衆生救済
「嘉一君、私達も神仏として自殺を見逃す事はできないの。
全ての衆生を救うというのが私達の願いなのよ」
絶世の美女、いや、絶世のニューハーフが嘉一に話していた。
とても説法とは思えない情景だが、仏の教えを説いているのは事実だった。
一方説法されている嘉一には何が何だか分からなかった。
嘉一本人は積極的に自殺などする気はなかったし、自殺した記憶もなかった。
自分には自殺するほどの度胸などないとも思っていた。
「貴男は精神的に自殺してしまっていたのよ。
身体は生きていたけれど、心を死んでいたの。
そんな状態だったから、縊鬼に取り憑かれて首吊りさせられそうになっていたの」
絶世のニューハーフがそう説明したが、嘉一は信用できなかった。
それはそうだろう、嘉一のいる場所は異常過ぎた。
氏神様の本殿にまで登ったのはおぼろげに覚えている。
仏像を現実にしたような男に、剣で斬られた事も覚えている。
耳をつんざくほどの絶叫を放ちながら、自分の身体の中から恐ろしい姿の化け物が引きずり出されたのは、今も鮮明に覚えている。
そんな化け物が、どうやら縊鬼と呼ばれるモノのようだが、その縊鬼が同じ場所にいて、しかものんきに何か食べているのだ
あまりにも支離滅裂な状況に、これが現実の出来事だと思えるはずがなかった。
嘉一がよく見る悪夢の一つだと思うのが当然の事だった。
悪夢に真面目に答える必要などないと思ってしまっていた。
「嘉一の気持ちは分からないでもないが、これも私たち神仏の宿願なのです。
全ての衆生の中には、死んでも成仏できずにこの世に彷徨うモノも含むのです。
霊魂の状態となって、悪霊や物の怪の変化してしまったモノでもです。
この者は、仇討ちのために業平道を歩いていたのですが、飢えのために弱っていたところを、この村の人間に襲われて死んだのです。
その無念の想いが、虐めにあって自殺した者の無念と一緒になり、力を得て虐めた人間やこの者を襲った子孫に向いたのですよ」
ニューハーフの言葉は嘉一にとって聞き捨てならない事だった。
それが真実だとしたら、嘉一の祖先が縊鬼を殺した事になる。
荒唐無稽な夢の話であっても、絶対に抗議しなければいけない事だった。
「世がとても荒れていた時代の話なのです。
親が子を殺し、子が親を殺す事もよくあった時代の話です。
明日の食事を得るために、人を殺すこと事など当たり前の時代でした。
神仏の教えを人々に説くはずの僧が、刀を取り人々を殺していた、許し難い忌まわしい時代の話です。
嘉一が気にする事など何もないのですよ」
「そうは言われて、気になってしまう。
本当に俺の祖先がこいつを殺したのか」
「五百年以上前の話で、それも村が生き残るために旅人を襲っていたのです。
直系や傍流を考えれば、代々地区に住んでいる人間のほぼ全てが子孫です。
その中で心の弱っていた嘉一が憑依されただけです。
これまで自殺していたモノは、最初に自殺した者を虐めて自殺に追い込んだモノか、虐めを知っていて見て見ぬ振りをしていた教師や親ですよ」
「もしかして、神仏だと言いながら、虐めた連中が自殺させられるのを黙って見ていたのか、お前達は」
「一日でも早く地獄に落ちて、魂の修業をすべきモノもいるのです。
それも私達の救いの一つなのです。
ここにいる縊鬼も地獄に行って修行できるようにさせてやるのです。
それに、一度入滅している私達は、現世に介入できる事が限られているのです。
元々常世にいるモノにしか助けを差し伸べられないのです。
だから自殺させられるのを見過ごしていたわけではありません。
そもそも現世に介入できるのなら、虐め自体を止めさせていますよ」
「そう言う事ならしかたがないが、それでも、常世にいる縊鬼を地獄に送る方法が、食事を振舞う事なのかが分からん」
「そうね、ちゃんと説明しなければ分からないわよね。
私が地獄に落とすモノに料理を振舞うのは、私も飢えて死んだからなの。
心根の悪い者に騙されて、弟と一緒に無人島に捨てられ、飢えて死んだの。
だから、美味しい食事を振舞う事で衆生を救いたいと思っているのよ」
そうニューハーフに言われた嘉一は、今度はしっかりと縊鬼を見た。
御櫃を抱きかかえるようにして食べている縊鬼は、とても満足そうだった。
だが縊鬼が食べている料理は、嘉一から見ればとても粗末な料理だった。
嘉一は遠目に見ているだけなのだが、何故かその内容が手に取るように分かった。
玄米であろうご飯に、刻んだ『こうこ』沢庵漬けしか入っていなかった。
「それでも、飢えて行き倒れ寸前に殺された縊鬼にとっては想い出のご馳走なのよ」
そう言われた嘉一は、祖母が作ってくれたちらし寿司を思い出していた。
普段質素な祖母が、ハレの日に作ってくれたご馳走だった。
普段は食べられない生魚や錦糸卵がたくさん使われていた。
まだ日本が貧しかった時代、自動炊飯器や保温器などなかった。
作ったちらし寿司は、乾燥しないように大きな御櫃に入れられ濡らした日本手拭いで覆い、更に蝿が来ないように折り畳み式の蠅帳がちらし寿司を守っていた。
「今、嘉一が想い出の料理に心を揺さぶられているように、縊鬼にとっては玄米飯に沢庵漬けを混ぜただけのちらし寿司が、何物にも代えがたい想い出の味なのよ」
「……これで縊鬼は成仏できるのか」
「日本人が思っている成仏と、日本以外の神仏が考える成仏は違うのよ。
縊鬼は一度地獄に行って、輪廻転生の輪の中に戻るの。
そしていつの日か、成仏できる日が来るの。
縊鬼のまま現世に留まって、現生の恨み辛みを受けて復讐に手を貸しているよりも、成仏できる日を目指す方がいいと思わない」
「まだ俺には何が正しいのか全く分からないよ。
それに、これが悪夢ではなく、現実に起きている事だとも信じきれない」
「そうね、信じろと言う方が無理よね。
それに、中途半端に信じられて、おかしな宗教活動されても困るわ。
嘉一が完全に常世から離れて現世に戻ったら、私達にも手出しできないけれど、わずかでも常世に係わりがあると、悪事を働いたら地獄に落とさなければいけないわ。
私もそんな事はしたくないから、できる事なら、嘉一には現世で修業をして少しでも徳を積んで欲しいわ」
嘉一は祖母の教えを思い出していた。
親兄弟、親戚との事に絶望していた嘉一だが、中学入学と同時に亡くなった祖母の事はとても尊敬していたし、今も愛情を持っている。
もしこれが現実に起きている事なら、祖母と同じように成仏したかった。
嘉一には祖母なら成仏しているはずだという思いがあった。
徳を積まなければ死後に祖母と会えないのなら、少々厳しくてもやる心算だった。
そうすれば大嫌いない親兄弟や親戚と死後に会わなくてすむという思いもあった。
あいつらは確実に地獄に落ちていると、嘉一は確信していた。
「分かった、だったら貴方達の手伝いをさせて欲しい。
自分だけで徳を積めと言われてもとても無理だ。
全ての衆生を救いたいと思っているのなら、俺も救ってくれ。
俺が徳を積む手伝いをしてくれ」
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