第9話:デート的な行為

「うわぁ……人がいっぱーい! ねっ、ルゼル! あれ何!? なんかぐるぐるに巻いた紙がいっぱい並んでる!」

「あれは呪文書店だな。並べられてるのは魔法の呪文書だけど、あそこは質が悪いし尚且値段はぼったくりで有名な店だから気をつけろよ」

「へー! じゃあ、あれは!? あっちは!?」


 クルクルと周囲を見渡しながら四一通りを進むノア。


 まるで街の全てを初めてみるかのように目をキラキラと輝かせ、何かを見つける度にいちいち足を止めて尋ねてくる。


「こんなとこで寄り道してていいのか? ギルドに行くんだろ?」

「ん~……そうなんだけど……でも、これも食べた~い……。おいしそ~……」


 そう言って、今度は通りに並ぶ屋台の割高なB級グルメを眺めるノア。


 ともすれば口の端からよだれが垂れかねない物欲しそうな表情をしている。


「はあ……しかたねーな……。おっちゃん、これ二つ」


 携行鞄から小銭を取り出して、屋台のカウンターへと置く。


「えっ、いいの?」

「まあ、このくらいならな。朝飯も食ってなかったし」


 この様子を見るにずっと外に出られない軟禁状態で働かされていたのかもしれない。


 大した値段でもないし、このくらいは気前よく奢ってやってもいいだろう。


「あいよっ! 二つで500ガルドね!」


 威勢のよい声と共に、タレがふんだんにかかった二本の串焼きが差し出された。


 焼かれた肉の香ばしい匂いが食欲を唆ってくる。


「いただきまーす! あむっ! やば~い! おいひ~!」


 ノアは店主の手から串を受け取るや否や、勢いよくかじりついた。


 その勢いときたら、白い服に黒茶色のタレが跳ねているのも全く気にしていないほどだ。


「おっ、嬢ちゃん。良い食いっぷりだねぇ! 気に入った! おまけにもう一本サービスしてやるよ!」

「えっ、いいの!?」

「いいってことよ! ほれ、彼氏の分も! これからデートってぇなら、夜に備えてたーんと精をつけねーとな!」


 がっはっはと品のない笑いを上げながら、追加の串焼きを差し出してくる店主。


「おじさん、ありがと! う~ん、やっぱりおいひ~!」


 ノアは特にその言葉を気にする様子を見せず、幸せそうに二本の串焼きを頬張る。


 俺としても、何か反応をするのも面倒だったのでただ苦笑いを浮かべながら受け取るしかなかった。


 そうして朝食を兼ねた買い食いを終え、俺たちは再び目的地へと向かう。


「ねぇねぇ、ルゼル。さっきのおじさんには私たちってデート中のカップルに見えたのかな?」


 通りを並んで歩いていると、不意にノアが切り出してきた。


「からかっただけだろ。あのくらいの年齢のおっさんってのはそういう生き物なんだよ」

「そうかなぁ……。ところでルゼルはデートってしたことあるの?」

「なんだよ、藪から棒に……」

「いいじゃんいいじゃん、教えてよ~」


 いたずらな笑みを浮かべながら、まだ出会って一日とは思えない近すぎる距離感で尋ねてくる。


「デート、ねぇ……」


 記憶の蓋を開いて、人生における男女交際に纏わる出来事を思い起こす。


 路地裏の建物に連れ込まれて、二桁万ガルドする粗悪なコートを買わされたのはデートと言えるのだろうか。


 あるいは手相を見てくれると付いて行ったら、妙な形の壺に触れられる権利を買わされそうになった経験は含めるべきか。


 もしくは誘われるがまま連れ込み宿に入ったら顔面が傷だらけのオッサンに恫喝された経験は……ダメだよな。


 あれらの体験をデートとしてしまうのは惨めにもほどがある。


「まあ、人並みにはあるな」


 でも見栄を張りました。


「へ~……いいなぁ……。私は何するにしても、ず~っとあの人たちが一緒だったからふつーの女の子らしいことなんて全然……」


 ずっと明るかったノアの顔に少し陰が落ちた。


 やはり、あのお風呂屋では“働いていた”というよりは“働かされていた”のか。


 まだ若くて未来のある子に無理やりそんなことをさせるなんて……。


 華々しさの裏側にあるミズガルドの暗部を知ってしまったかもしれない。


「……だったら、今日からは人一倍に人生を謳歌しないとな」

「うん! だから、これが私の初デートってことにさせてもらうね?」


 そのあまりにも無垢すぎる笑顔と言葉に虚を突かれる。


 そうか、これはデートだったのか……。


 碌なことがなかった青春の1ページに初めてまともな思い出が刻まれた気がした。


「馬鹿なこと言ってないで、さっさと行くぞ。随分と道草を食っちまったからな」


 少し口調が強くなったのは、ただの照れ隠しだ。


「りょうかーい!」


 そうして少し浮ついた思いを抱きながら、また二人で並んで歩き出す。


 ノアは何がそんなに楽しいのか、周囲にひたすら無償の笑顔を振り撒き続けている。


 道行く男たちは例外なく、その純真無垢な可憐さと服の下にある霊験れいげんあらたかな膨らみに目を奪われていく。


 女性であってもその笑顔には心が洗われるのか、皆が釣られるように笑顔になっている。


 そして、皆を笑顔にすることでノア自身の笑顔も更に輝くを増していく。


 その姿たるや、まるで人を幸福にするべく生まれてきた本物の聖女様のようだ。


 そんな魅力ある女の子と、デート的な行為(控えめ表現)をしているとなると多少の優越感を抱いてしまうのは男として仕方がない。


「自由っていいなぁ……。ここの人たちも好き。みんな、キラキラ~って輝いてて……幸せそうで……」

「そりゃ良かったな。まあ、桃園あつちの人間はキラキラっつーよりもギラギラって感じだったもんな。それに比べたらこっちは確かに幸せそうだ。典型的なミズガルド住人……自由な馬鹿って感じで」

「自由な馬鹿……なるほど、そういう幸せもあるんだ。勉強になるなぁ」


 深く感心するように、ふんふんとノアが頷く。


 よく分からないが今の言葉のどこかに何か沁み入るものがあったらしい。


「それで、冒険者になるための場所までは後どのくらいかかる?」

「えーっと、そうだな……ここからだと、後――」


 ノアの質問に答えるために現在地を確認しようとした時、視線の先にあるものが映った。


「やばっ! ノア、隠れろ!」

「え? わっ!」


 同時に、ノアの手を掴んですぐ側の路地裏へと引っ張り込む。


「ど、どしたの? 急に……」

「しっ、静かにしてろ」


 困惑するノアの隣で、路地裏から半分だけ身を乗り出す。


 大勢の通行人で賑わう大通りの先。


 そこにいたのは見覚えのある二人組――昨日、ノアを連れ戻そうとしてた店員たちだった。


「やっぱり、あいつら……まだ探してやがったか……」

「あっ……あの人たち……」


 俺の横から同じように身を乗り出したノアもその姿を確認する。


 先刻まで太陽のような笑顔が浮かんでいた顔に暗澹あんたんたる影が落ちる。


「あれでまだ諦めないなんて、しつこい連中だな……」


 血眼になって通り一帯を捜索している男たち。


 忙しなく動いている頭には痛々しく包帯が巻かれている。


 その根性は見上げたもんだが、たかが嬢一人を連れ戻すためにここまでするとは。


 いや、ノアの存在があの店にとってそれだけ重要だったってことか……。


 これだけの器量とおっぱいだ。間違いなくダントツの稼ぎ頭だったんだろう。


「ルゼル、どうしよう……」


 連中の執念に感心していると、隣のノアが不安げな声を漏らした。


「心配すんな。ここにいりゃそう簡単には見つからない」


 俺たちと連中の間を通りを行き交う人の群れや立ち並ぶ屋台が遮っている。


 運良く先に視認出来たこっちからはともかく、向こうから隠れている俺たちを見つけるのは困難だろう。


 ここでじっとしていればやり過ごせるはずだ。


「静かにして、あんまり顔も出すなよ」

「……うん」


 路地裏で息を潜めて、連中が目的地の逆方向へと去っていくのを待つ。


 雑踏に紛れながら男たちが10mも離れていない地点を通り抜けていく。


 張り詰めた空気に息が詰まる。


 もし気づかれた場合は、また荒事になる可能性もある。


 日中とはいえ、昨日のように武器を持って襲いかかって来ないとも限らない。


 万が一の有事に備えて腰の武器に手を添えておく。


 頼むから気づかずにそのまま消えてくれ。


 不自然になりすぎないようにノアを背中に隠しながら、エイルではない神に祈る。


「ふぅ……行ったか……」


 緊張の糸が解け、大きな安堵の息が肺の奥から漏れる。


 覚悟は杞憂に終わり、連中は俺たちが来た方向へと消えていった。


「……ルゼル、私……どうしよう……」


 しかし、隣のノアはまだ不安そうに二人が去っていた方向をじっと見ていた。


「やっぱり、ここよりもっと遠くに逃げた方がいいのかな……」


 もの悲しげな声で尋ねられる。


「……確かに、安全を期すなら遠くに逃げた方がいいかもしれないな」

「そうだよね……」

「でも、お前はここがいいんだろ?」


 その言葉にノアは少し驚いたように目を開く。


 そして言葉ではなく、小さな頷きを以て返事が返ってきた。


「だったら大丈夫だよ。お前がここに居たいって願うなら誰にもそれを妨げる権利なんてありゃしねぇよ。なんたってここは世界で一番自由な街、ミズガルドなんだからな」

「……そうなの?」

「当たり前だろ。ただ自由であるためには自分の意思をはっきりと示すのが大事だけどな」

「自分の意思を示すのが大事……」


 噛み締めるように反芻される。


「どっかの誰かが言ってた受け売りだけどな」

「ぷふっ……なにそれ」


 神妙な表情で俯いていたノアが僅かに吹き出した。


「でも……それでもあの人たちが諦めてくれなかったら……?」

「そうだな……そんときは自由おれらの敵ってことで、全員まとめて俺がぶっ飛ばしてやるよ」

「ルゼルが? ほんとに?」

「ああ、あんな奴ら何人まとめてかかって来ようが俺の敵じゃねーからな」


 力強さを誇示するような身振りを行いながら、尚も不安そうなノアにそう言ってやる。


「……さて、あいつらもいなくなったし今度こそ行くか。目的地はもうすぐそこだぞ」


 あまり楽しくない話題を切り替え、再び目的地へと向かうことを告げる。


 一度引き返すことも考えたが、連中が消えて行った方向を考えると今は目的地へと向かった方が安全だ。


 このまま当初の予定を完遂することにしよう。


「ほんとに!?」


 俺の言葉を聞いた途端に、物憂げだった表情が一変する。


「ああ、ここから歩いてもう十分ってところだな」

「じゃあ、早く行こ! ほら、早く早く!」


 その顔に再び笑顔が戻り、出会った時と同じように腕を取られる。


 多少は慣れたが、こういうことをされるのはまだまだ照れくさい。


 それでも暗い顔をしているより笑っている顔の方がよく似合っているのは間違いない。


「お、おい……あんまりはしゃぎすぎるなよ。まだあいつらが近くにいるんだから」

「へーきへーき、いざとなったらルゼルがぶっ飛ばしてくれるんでしょ?」


 一転して浮かれだしたノアに裏路地から通りへと引っ張り出される。


 でも浮かれたデート気分はここまで、今日の本題はここからだ。


 今朝思いついたのはこいつに冒険者の実情を知ってもらう作戦だった。


 というわけで目的地は第四地区うちの冒険者ギルド。


 あそこが立派なのは見てくれだけで、中身はダメ人間たちの伏魔殿と言っていい。


 朝から酔っ払って喧嘩をしている夢と希望の成れの果てを見せれば、冒険者への盲目的な憧れも無くなるだろう。


 そう考えて、再び目前まで迫った目的地へと歩き出そうとした時だった。


「あーっ!」


 右の耳がどこかで聞き覚えのある甲高い女の声を捉えた。


 そのまま首だけを動かして声の聞こえた方へと視線を移す。


「やっと見つけたー! ルゼルルゼル、ルゼルー! 上から読んでも下から読んでもルゼルー!」


 俺を指差し、嬉しそうに顔をほころばせている銀髪の女が視界に映る。


 それはある意味ではノアを探している連中よりも今は出会いたくないやつだった。

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