第5話:何かの縁

「くそっ! まだ探してやがったのかよ!」


 向こうが近づいて来るよりも先に、地面を蹴って北へと駆け出す。


「こらー!! 待ちなさーい!!」


 同時に女も背後から俺を追って来る。


「逃げるなー!」


 変な女に追われながら、大勢の人々が行き交う大通りを駆け抜ける。


「うるせぇ! お前みたいな変な女に構ってる時間なんてねーんだよ!」

「あんたは使徒なんだから! 私に協力する義務があるのよー!」


 妙なことを叫び続ける女とそれに追われる男。


 ミズガルドは円形の都市を中央から十字に四つに分割した地区から成り立つ。


 各々の地区の間にある大通りは四六時中大勢の人々で賑わっている。


 そんな場所で騒げば通行人たちの注目は否応なしに集まる。


 もし、こんなところを知り合いに見られたら最悪だ。


 よもや受付さんに知られたらせっかく積み上げてきた俺の評価が下がってしまう。


 せっかく回復した精神がまた凄まじい速度ですり減っていく。


「待ーてー! 話を聞きなさーい!!」


 女は依然として俺を追いかけてくる。


 そのしつこさは獲物を見定めた飛竜並だ。


 しかも、あんな動きづらそうな格好をしているのに意外と足も速い。


「くそっ、こうなったら……」


 とにかく人目を避けよう。


 そう考えて大通りから外れて闇雲に裏通りへと入っていく。


 一つ、また一つと路地を曲がるにつれて人の気配はどんどん薄くなる。


 そのまま女から逃げるべく走り続けるが……


 気がつくと再び、この街の深淵――貧困街アビスへと足を踏み入れてしまっていた。


「やばっ! 行き止まりかよ!」


 土地勘のない場所へと入ってしまったせいか、早々に路地の突き当りに辿り着いてしまう。


 それは奇しくも、あの女と始めた出会った場所だった。


「お、追い詰めたわよ……」


 転回するために振り返ると、眼前にはにじり寄ってくる目が血走った女の姿。


 それ以外の三方には壁があり、もう逃げ場はない。


「わ、分かった……。とりあえず……落ち着け……な?」


 まるで獲物を追い込んだダイアウルフのように興奮している女を諭す。


「私は落ち着いてるわよ……これ以上にないくらいにね……」


 完全に落ち着いていない奴の台詞だ。


「い、一体……お前はこれ以上俺に何を求めてるんだ……?」


 激しい葛藤の末に一旦抵抗を止め、再び女と向かい合う。


 とりあえずもう少しだけ話を聞いて、また隙を見つけて逃げ出そう。


「……それは、貴方にはこの私と共に愚かなじんる――」


 女がまた妙な言葉を口走ろうとした時――


「おう、姉ちゃん! さっきからやかましいぞ! せっかく寝たうちの若いのが起きてまうやろ! 痴話喧嘩なら他所でやってくれや!」


 すぐ側の建物に付いたボロボロの窓から怒声と共に誰かが現れた。


 顔に大きな傷跡を付けた、いかにもスラム街って感じのガラの悪いオッサンだ。


「それと家賃の件、どないなっとんねん! ワシは今日までやって言ったよな?」

「きょ、今日の夜までには払うから大人しく待ってなさいよ!」

「ほんまか? 三日前にも同じこと言いよったから伸ばしたったんやぞ」

「今日こそちゃんと払うわよ! 私を誰だと思ってるのよ。私は上天の万神座が一柱にして禍福を司るめが――」

「なんでもええから、ちゃんと払えよ! 今日中に払わんかったら出ていってもらうさかいな!」


 バシっと窓が強く閉じられ、二人の会話が強制的に打ち切られる。


 俺にもこのくらいの冷徹さが欲しかった。


「……と、言うわけなのよね」


 窓に向けられていた視線を俺の方に戻す女。


 その顔には何故か得意げな表情が浮かんでいる。


「つまり、家賃が払えそうになくて困ってるって話だな」


 神だの天界だのって話から一気にスケールダウンした。


「ふっ……自らが生み出した貨幣経済という名の虚構に支配されるなんて……本当に人類は愚かね……」

「往生際の悪い奴だな……。それで、いくら要るんだ?」

「5000ガルドだけど……え!? もしかして貸してくれるの!?」


 女は期待に目を輝かせるが、残念ながらそこまでお人好しじゃない。


「馬鹿。絶対に取りっぱぐれる相手に貸すわけねーだろ。しかも5000ガルドって……そのくらいも用意できないのかよ……」


 酒場で皿洗いの手伝いでもすれば三日とかからずに稼げる額だ。


 あらゆる者に門戸が開かれたこの街なら仕事を探すのに身分の照会だって必要ない。


「そんなこと言わないでよ。ねっ? ねっ?」


 腹をすかせた猫のように媚び媚びの仕草と声ですり寄ってくる。


「はぁ……しかたねーな……。貸しはしないけど、そのくらいならすぐに稼げるところまで連れてってやるよ……」


 気乗りはしないが、また騒がれても面倒だ。


 これも何かの縁と思うしかない。


 こんな女にでも頼られると断れない自分が嫌になる。


「稼げるところって……ま、まさか! 自由恋愛という建前のいかがわしいお風呂屋さんに私を沈める気!? 言っとくけど恩に着せてエッチなことしようたってそうはいかないんだからね! そ、そういうのはちゃんと手順を踏んでから……ムードのある場所で……」

「そんなわけねーだろ。馬鹿かお前は……さっさと行くぞ。金が必要ならな」

「あっ、待ちなさいよ!」


 路地裏によく響く声と共に、背後から軽快な足音が付いてくる。


 ――これが俺とエイルの出会い。そして、俺が持つ呪いに纏わる物語の始まりだった。

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