舞い込んできた奇妙な話
第7話 サクラと甚五郎
私がおにぎり定食屋『甚五郎』にお世話になり始めて、一ヶ月ほどが経っていた。
今日は朝から雨が降っている。
しとしと雨はお昼前には、次第に窓に打ちつけるぐらい強く激しくなってきていた。
風も暴れてる。
まだ音は遠いけど、雷も時々鳴ってる。
眩しい太陽がいっそう輝き照りつける夏がやって来て、暑さが厳しい七月に入っていた。
甚五郎さんは珍しく店を休んで出掛けると言って、支度をしている。
こんな嵐みたいな雨の日なのに。
いいや、これが嵐なんだよね。
「サクラちゃんも、あとで晴れたらたまには街にでも出て買い物したりしといで」
「えっ、街に……?」
甚五郎さんは「これはバイト代だよ。貰っておきなさい」と茶封筒を差し出す。
「私、全然そんなに働いてませんから……。貰えないです」
「サクラさんがあやかしのお客を相手にしてくれてるだけで、ワシは助かっとるから。あやかし相手に臆さず接客できる人材は探してもなかなかいないもんじゃよ。そこらの若者は、だいたいがな、あやかしは視えんし。サクラさんはうちにとって逸材、看板娘だから、居てもらわくては困る」
「ありがとうございます。私、ここに置いてもらえるだけで嬉しいんです」
「サクラさん、気兼ねすることない。自分の家だと思ってな。ここがアンタの居場所だよ」
でもね、私はそんなに甚五郎さんの定食屋さんで働いているわけでもなくて、お手伝い程度。
最近はあやかしのお客様が来ると、噂話を聞いたとお客様の方が物珍しがって私と話したいって言われる。
――あの蔵之進の子孫だって?
ある日来た、お客様の天狗のおじいちゃんは蔵之進さんが大好きで、凧揚げ競争の
甚五郎さんは「今は勉学を優先しなさい」って言ってくれてる。
甚五郎さんは赤の他人の私なんかの面倒を見て、このお家に置いてくれる。
身も心もあったかくなれる場所、安心して住めるお家。
私は、自分が生まれ育った家には帰る気がしなかった。
両親に蔑まされ兄に暴力を振るわれていた私には、あの家は恐怖でしかない。たとえその原因が怨霊の祟りのせいだったからで、呪いが解けたといったからって、戻る選択には至らなかった。
――もし、もしもだよ?
万が一にも両親と兄が人が変わったように良い人っぽくなったとしても、周りにも私にも善人に見えるようになっても、私が小さい頃から受けてきた虐待の傷は消えない。
いつか癒えても、傷痕は決して消えないんだ。
それは、――恐怖だ。
両親からの言葉の暴力、支配、ネグレクト、無関心。
兄には加えて私は、肉体的な暴力も日常茶飯事に受けてきた。
逃げ場のない地獄のような
やっと、人間として生きられるようになったのに、だから今さらあの家に帰る選択肢は私には存在しない。
私は自身にかかっていた呪いがはれたからか、幾分『自分』というものを取り戻した気がした。
心の中を支配していた黒い靄がかったドロッとした液体が、少しずつ消えてゆく。
それはちょっとずつ、ちょっとずつだけど。
安心感を得られたから、だとも思う。
ここには私に暴力を奮う人間も支配する者もいない。
人とは違う者、変わった能力を持つ不思議な妖怪さんは住んでいるけれどね。
私のご先祖様で今は桜の木のあやかしに生まれ変わった蔵之進さんは、よく遊びに来てくれる。
今度、蔵之進さんのお屋敷があった場所に連れて行ってくれるんだ。
甚五郎さんのお家には妖怪犬神の豆助の他にも棲んでるらしいんだ。
だけど、私はまだ他の妖怪には会ったことがないの。
なんでも、甚五郎さんには遠くに住むお孫さんたちが三人いて、心配な事がある。だから棲んでる妖怪たちがすすんでお孫さんの護衛に、交代でついているそう。
甚五郎さんのお孫さんたち、私とかシグレくんのように妖怪が視えるのかな?
心配事ってなんだろう?
豆助の他の妖怪には、だからまだ会ってないの。
どんな妖怪なのか、会えるのが楽しみ。
そういえば、シグレくんが今日は学校帰りに遊びに来るって、電話があった。
『満願寺に奇妙なお祓い依頼が来たんです。怖くないし、ちょっと面白そうなんで、サクラさんがどう考えるか教えてもらいたいんですけど。あとついでにオレに勉強教えて下さい。数学の宿題がヤバいんです』
シグレくんは中学二年生。
私はちゃんと通えていれば、高校一年生だもの。
たぶん、教えてあげられるかな。
――学校、か。
……甚五郎さんは「お金は
こんなにお世話になっているのに、これ以上迷惑を掛けられないよ。
私のなかにやる気や学びたい気持ちがあって、また大勢の人の中に飛び込んでいける勇気……。
無いの、まだ。
怖い、人間が。
人が怖い。私に悪意を向けてくる人が怖い。そんな人が集まる学校はたまらなく怖い。
また、爪弾きみたいになって、孤立するかもしれないもの。
祟りは消えたけど、こびりついた恐怖心はトラウマになっているんだよね。
情けないけど、時間がかかると思う。
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