第4話 〈蔵之進の懐古〉女の怨念は彼岸の鏡の呪い花に咲く(前編)

 あれは現在から、幾百も月日を遡る遥かに昔の世――。


 蔵之進は血気盛んな若者だった。

 剣の腕は一流、文学にも熱心に励み、武術馬術だけではなく舞や雅楽も興味を示し習っていた。

 いずれは当主になるように、と厳しく育てられ、覚悟と心構えを胸に刻む少年時代を過ぎ、立派な青年武士に成長しつつあった。


 天下取りで武将達がせめぎ合う乱世、この年夏の陣で、父の頼義よりよしが同盟を組んだ相手に裏切れ騙し討ちに合い戦死した。

 さらには、叔父の正親まさちかが何者かに毒殺された後、野々原家当主に治まった嫡男蔵之進は、やがて近いうちに来るであろう戦に向け、城の守りを強化し固めさせ入念な準備を整えていた。


「父上、叔父上……」


 蔵之進は組座で座り、仏間の先祖の位牌に手を合わせる。

(叔父上はさぞ無念であったろう。必ずや毒殺の下手人を捕らえてみせまする)

 暗闇をぼんやりと照らす油の灯りはゆらゆらと揺れた。

 スーッと隙間風が入り込み、不意に蔵之進の体にゾッとした気配が襲う。


「蔵之進様。前田家御息女がお越しになられました」


 家臣の声が廊下からして戸が横に開かれると、絢爛豪華な着物で着飾った前田家のニノ姫の千奈津が蒼白の面持ちで立っていた。


「このような時刻にどうなさったのです? 千奈津姫」

「……」


 蔵之進が話し掛けても、千奈津姫は口を開こうとしなかった。

 千奈津姫は今宵訪ねに来る前触れや音沙汰もなく、突然に屋敷にやって来た。不審に思いながらも、蔵之進は客間に案内しようと立ち上がる。


『恨めしい、恨めしいわ……。赦しはしませぬ』

「どういうことだ、千奈津姫」


 千奈津姫は吊り上げた瞳を赤く光らせ、艶めいた紅をさした唇を妖しく歪ませた。

 フウッと部屋を照らしていた灯りが消え、真っ暗になる。

 頼りは開き窓より、わずかに入る月の光のみ。

 蔵之進が暗闇にまなこが慣れてきたあたりになると、千奈津姫はけたけたと笑いだした。


『ケッケッケッ。憎い、憎いのさ。恨めしい、恨めしい……。孫のそのまた孫の代まで赦しはしませぬぞ』

「そなた、誠に千奈津姫か?」


 蔵之進には千奈津姫に恨めしいと言われる所以ゆえんになんの心当たりも無かった。

 千奈津姫は叔父の正親まさちかの許嫁であり、蔵之進とは幼馴染みで仲が良かった。

 互いに幼い頃には宴で歌を交わし送り合い、舞を踊って神社に奉納献上した仲だ。


『殺せ、殺せや。この女を殺せ。お主も苦しめ。末代まで野々原家を祟ってやるわぁっ!』

「うっ、……ぐうっ」


 蔵之進は千奈津姫に両手で首を締められ、息が出来ない。

 呼吸が出来ずに苦しくなり千奈津姫の両手を引き離そうとするが、尋常ではない力にどうしようも出来ない。

女子おなごとは思えん力だ! どうすれば良い?)

 自分の屋敷とはいえ、蔵之進は刀を肌身離さず身につけていた。

 叔父の不審死があった為、屋敷内に敵がいるやもしれぬと思っていたからだ。

 千奈津姫を斬ることも、――出来る。

 だが、この私が千奈津姫を斬れようか。


「何故だ? 何故、このようなことをする? 如何いかがしたのだ、千奈津姫。恨みとはなんだ?」

『アタシは正親殿の正妻になりたかった。農民の娘であるアタシは散々弄ばれた上に山に捨てられた。だから、この姫様に取り憑いてさ、毒を入れてやったんだ。あっけなかったでしょう? 正親様は死んだ。さぞや苦しんだかしら? さあっ! お前も手伝うのじゃ! 次はこの女を殺してお前も死ぬ。そうしたらアタシはあの世で正親様と夫婦めおとになれるでしょう?』


 ますます強く首を絞められ、蔵之進の頭は血の巡りが悪くなる。くらりと目眩めまいがして意識を手放しそうだった。

 白じんだ視界、手指と足先の感覚が奪われ鈍くなる。


「ぐふっ……。地獄だ。お主は地獄に堕ちるんだ。叔父上と夫婦になんぞなれるものか。はぁはぁ……。大人しく帰れ。己の御魂を己の身体に、さあ還せ」

『帰れないんだよ』


 ――女の、生霊か。

 迷うておるのか?

 千奈津姫に取り憑いている。

 憐れだ。哀れな女だ。

 こんなに成り果てて。

 そして、げに怖ろしき愛を裏返した憎念だ。

 悪いのは叔父上だがな。


「すまん。叔父上の代わりに謝る」

『……。アタシはもう死んだんだ。山で凍えて死んだんだ。アタシのむくろは鏡を抱いている。正親様から貰ったもの。祟りは続く。奇妙な妖術は子孫を苦しめ、争いは絶えない。親兄弟で憎み合い殺し合うが良い!』

「許してくれ。叔父上の愚行をどうか……」

『許さない。だってアタシは正親様を愛してた。正親様だけを信じて想ってた』

「そ、……そなたの魂が成仏出来るようにしてやる。居場……所を教えろ。わた、……私はっ、叔父上の所へ昇れるようにしてやりたい」

『来てみるが良いさ。アタシの骸は待つ、彼岸花が一年中咲く山に。一輪だけ呪いを吐く花が紛れ、妖かしが待つ』


 千奈津姫の身体はガクリと力を失った。

 蔵之進は抱き留めた。

 女の怨霊からやっと解放されて、息も絶え絶え、荒く呼吸を繰り返す。

 何度か思いっきり空気を吸い込む。

 肩が上下した。

 千奈津姫の身体を横たえてやる。


(捜さなくては。あの女の亡骸を。鏡を割らなくてはならない気がする)


 彼岸花が一年中咲く山はどこだ?

 一輪だけ呪いを吐く花が紛れていると申していたな。

 子孫まで襲う不幸の連鎖を、私が断ち斬らねばならない。

 蔵之進は屋敷の庭から満月を眺めた。

 庭に植わる桜の大樹から花びらが散り、吹き荒ぶ風に煽られ無尽蔵に宙に舞う。

 美しい。

 いつぞや、この綺麗な桜を誰かと見た。

 ……そうだ、あの時は妻が傍にいた。


「ああ、相分かった。現実ではない。これは夢だ。私の夢の世界だ」


 いくつもの出来事が重なり、私は桜の木のあやかしになったんだった。


「蔵之進さんっ!」


 声が響いた。

 蔵之進の頭の奥で。


「私の夢に共鳴したのは、……サクラか」


 気づけば、サクラの姿が蔵之進の夢に現れていた。

 パジャマと言われる西洋の夜着を着ている。

 サクラはひどく困惑したようで、微かに震えているのが見てとれる。


「私、私も夢で見えてました。これって蔵之進さんの武士だった頃の、あやかしになる前の記憶ですね?」

「そうだ。私の遠い記憶でござる」

「蔵之進さんの夢の潜在意識に同調シンクロしたんですよね?」

「シンクロ? 西洋の言葉はまだまだ勉強不足だが、私の意識にサクラの意識が共鳴したのだということだろうな」

「そう、ですね。聞いても良いですか?」


 サクラは目を伏せ一旦閉じた。それから決心したように目を開け、蔵之進をじっと見つめた。

 その瞳の奥のいろは強い輝きを放っていた。


「……蔵之進さんっていったい私の何なんですか?」


 蔵之進は沈黙した。

 サクラの問う声に、真実を知りたがっている意思の強さを感じた。

 蔵之進がどう答えれば良いのかは決まっていた。ずっと前から。

 だが、悩んでいた。

 サクラに明かしても良いのか、蔵之進は考えあぐねていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る