第1話 出会い

 見上げると満開の桜――


 私の前で、貫禄ある桜の大木のほうぼうにみるみる枝を広げていった。

 目の前に来た枝の一つはまるで人が手を差し伸べるように迫ってくる。

 ――はじめまして、こんにちは。

 と、まるで私は桜の木に挨拶されたみたい。

 それから青空に向かってぐんぐんと枝は急激に育っていく。


「えっ? ゆっ、夢?」


 桜の木はそこから花びらをひらひら、ひらひらと幾百枚も落とし花吹雪を見せてくれた。


 花びらに触れてみた。

 確かな感触……、夢じゃないみたい。


 散る花びらが、不思議と風もないのに舞っている。

 やがて戯れるように、チョココロネか旋風つむじかぜのようにぐるぐる渦巻いて目の前を漂う。

 その後は、空中にぷかぷかと浮かびながらゆっくりと移動して、まるで「こっちだよ」と言っているみたい。


「ねぇ、私を……誘っているの?」


 ついて行くと一軒のお店がたたずみ、そこで桜の花びらたちは一斉に力を失った。まるで操り人形の糸が切れたみたいだ。

 私の足下あしもとの地面が桜のピンク色の絨毯になった。


 私はひさしの上の看板を見つめる。


「おにぎり定食屋……甚五郎じんごろう?」


 桜吹雪に私は導かれていた。

 お蕎麦屋さんの様な外観のお店の引き戸をのろのろと開くと、少ししゃがれた声が威勢よく聞こえた。


「いらっしゃい! 好きな所に座りな」


 穏やかな顔つきだけど、石っころみたいな印象のおじいちゃんが店主のようだった。

 私の他にはお客さんはいない。

 店内は掃除したばかりなのか、澄んだ空気。

 清潔さを感じる店内は明るい。

 白っぽい色の木のテーブルに木の椅子。

 私はキョロキョロと店内を見渡した。特別変わった所はないはずなのに、ナニカを感じる。

 ナニカ……は分からない。

 直感が訴えてくるだけで、正体は分からなかった。計り知れない。

 根拠のない感覚が私に教える。


 壁やテーブルに視線をやる。

 メニュー表らしき物もなく、このお店が出すのはおにぎりだけなのだろうか?

 看板にはおにぎり定食屋と書かれていたから、きっとおにぎりがメイン。

 おにぎりの中身の具材は何だろう?


「お前さん、疲れてんな。桜の木の奴がここへ連れて来たんだろ?」

「えっ?」


 おもむろに店主らしきおじいちゃんが口を開いた。


「目の前……、じっと目を凝らしてみなさい。お前さんならそこに見えるはず」


 私はわずかに首をかしげた。

 店主のおじいちゃんに言われるまま、じいっと目を凝らしてみると薄ぼんやりと影法師が現れる。

 二つの影がゆらめき、私の前の席と左隣にが座っていた。


「ひゃあっ!?」


 お店には私だけだと思ったのに。

 私の座った4人がけの席には、誰かが確かに座っている!

 ……実はね。白状すると、私、お店に入ってすぐにほんのりと彼らの気配はしてたの。

 気配はしてたけど、正体が何者かまでは分からなかった。

 人間じゃない存在をこうして目にすると、臆病な私は毎回びっくりしちゃう。

 存在を感じて「そこにいる」って認めたら、はっきりと彼らの姿が見えてきた。


 一人は……、藍染めの着物姿の子供だ。男の子かな?

 頭に獣の耳らしき物がついていてパタパタさせてる。


 もう一人は……、鶯色の着物姿の颯爽とした男性だ。

 切れ長の涼やかな瞳をこちらに向けている

 手には鴇色ときいろの扇を優雅に持っている。綺麗な上品さを感じる鴇色の扇を仰ぐと、彼は妖艶に微笑った。


「あんた……死ぬつもりだったのかい? そいつ桜のあやかしだ。蔵之進くらのしんという武士の魂が桜の大木になったんだよ。あんたの魂が儚くて心配だと言っておる」


 私は心を見透かされたのを驚いて、視線を向けると鶯色の着物を着た端正な顔立ちの男性は、はにかむように笑った。


「それから、おれは妖怪犬神だ。おれは犬神の豆助まめすけだよ」


 しゃ、喋った!

 私は不思議な生き物、妖怪の声が聞けたのは初めてだった。


「そなたのことはずっと見ていた」


 そこで初めて蔵之進さんが喋った。

 蔵之進さんの落ち着いた心地よい声色。優しく耳に残る。

 私の泡だった心が、ようやく凪いだ。


    ❀


 私はボロボロだった。

 幼い頃からどうも人間関係には恵まれていなかった。

 両親は私をさげすんでいて、私は兄に暴力を振るわれていた。

 近所の優しいたちだけが、私のり所だった。

 そのたちは人もいたが、どうやら人間以外も紛れていたようで、物心ついた時から見える私が、無邪気にそれを話したがために家族は気味悪かったようだ。

 

 私が小学五年生だったある日、兄は突然鬼の様な形相で私に刃物を振りかざした。「あぁ、死ぬんだな」と漠然と他人事のように思った。

 だが、兄は誰かに殴られたみたいに意識を失い倒れて、私は助かった。正体は見えない、が助けてくれたのが私には分かった。

 私は保護され、規模の小さい施設で生活をすることになった。

 そこではだんまりを決め込んだ。

 何も話さない、誰ともおしゃべりしない変な子を演じた。

 やがて私は16才になり、働くことにした私は養護施設を卒業し独り立ちをした。

 もう、施設での暮らしに限界を感じていたから。

 けれど、住み込みで働いた飲食業の会社は経営不振で入社後すぐに潰れてしまった。

 私は住む場所も失ったんだ。

 手元にあるお金はたかが知れていた。すぐに底を尽きるのは目に見えていた。

 それにアパートを借りるにしても保証人がいる。

 中卒では、次のまともな働き口はなかなか見つからず、何度か市役所に相談した。

 親切な女性の職員さんが親身になってくれて、NPO法人の自立支援団体を紹介してもらえた。

 すぐに市営のアパートに仮住まいが出来たし、仕事を紹介してもらえたまでは良かった。

 中卒では仕事は限られるし、知識が無ければ社会で孤立する――。

 私は出会った何人かの大人にそう説得されて、自立支援団体からの援助を受けることになった。

 でも、通うことになった夜間の高等学校や日中の仕事も、私の居場所だと思えなかった。

 人間関係はまったくといっていいほどに上手くはいかなかったし。

 親しい友達なんて一人も出来ずに、助けてくれる優しくてあたたかい家族もいない。

 狭くて薄暗い、年季の入ったアパートの部屋は不気味な黒い影の塊が蠢いていた。

 なるったけ視界にいれないようにしても、影は増殖して禍々しい冷たい霊気を吐き出してくる。

 やだ、やだっ、こんなとこ

 だけど、私には行く場所はない。

 宛てなどないんだ。


 孤独、孤独、さびしい一人ぼっち。

 私には人間はずっと誰も仲良くしてくれなかった。


 影たちはそのうち、人の様な形になった。

 私が漏らす独り言を覚えた影たちは壁に文字を勝手に書いていく。

 滲み上がる赤い血のような文字は、言葉を連ねる。


 ――さびしい

   さびしい

   ひとりぼっち

   たすけて――

 ――みんな

   ともだちになろう

   みんなで

   かぞくになろうね――


 いやっ、怖い、怖いよ。

 私を影たちが飲み込もうとしてる!

 あんな部屋には帰りたくない。


 私はここに来た経緯いきさつ、身の上の事情をひととおり話していた。

 なぜだろう。

 聞かれてもいないのに、私はつらつらと……。喋る口は止まらなかった。

 聞いてほしかったんだ。

 誰かに最初から最後まで。

 隠さずに。

 あやかし……、妖怪や幽霊や得体の知れないモノが見えること。

 正体が怖ろしいバケモノなモノも私には時々見えた。

 牙を生やした鬼や、せせら笑う山姥まで。

 害を成そうとするモノもいた。

 ずる賢く悪いあやかしや、優しくて可愛いあやかしもいる。

 だけど、私の他に見える子なんて知らない。

 あやかしなんて見える私はオカシイ子なんだ。


「なあ、大丈夫かい? 良かったら、わしの作るおにぎり定食、食っていきなさい」


 私の頬には気づいたら、あたたかい涙が伝っていたの。

 上ずった涙声で話すお店の店主のおじいちゃんの頬にも、瞳からこぼれた雫が一筋流れていた。


 一緒に泣いてくれる人なんてね、私は、私は生まれて初めて出会いました。








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