第331話 ダイヤマン軍曹
駒込から『説得するのに難航しています。塚田さんは少し休憩していてください』という気遣いが多分に込められたメールを受け取った卓也は、読み終わると無表情で端末をポケットにしまう。
「……なぁ志津香」
「なに?」
「一本、見たい映画があるんだけど…一緒に見るか?」
「見る」
志津香にとっては思いがけず共に過ごせる時間ができたので、この誘いを断るはずもなく。
二人は以前も足を運んだ視聴覚室へと向かうのであった。
Bullshit! I can't hear you!
(ふざけるな! 大声を出せ!)
Sir, yes, sir!
「気合充分だな…」
2畳ほどのスペースに、低いテーブルと幅広の座椅子がひとつ。
そしてテーブルの上にはデスクトップPCが置いてあり、職員は借りてきたビデオをここで再生することができる。
視聴覚室の一番小さい部屋だった。
ちなみに、VHSでしか流通していない映像ソフトを見るための部屋というのも存在する。
まるで漫画喫茶の個人スペースのような作りだが、完全防音。座椅子タイプもゲーミングチェアタイプの部屋も、どちらも変わらずだ。
なのでこうしてイヤホンやヘッドホンをつけず音を垂れ流しても、外に漏れ聞こえることは決してなかった。
おかげで一人用個室をカップルシートのように使う卓也と志津香にとって、イヤホンを片耳ずつなどという面倒な使い方をしなくて済むのは大助かりだ。
Was it you, you scroungy little fu◯k, huh?!
(貴様か 腐れ◯◯は?)
Sir, no, sir!
「俺にはない引き出しだな…この下ネタ+罵倒というのは…」
IQが絶賛低下中の卓也は、映画の中の“ある人物”に釘付けになっていた。
それは時に厳しく、時に口汚く自分の担当する兵士を罵倒しながら鍛える軍人【ダイヤマン軍曹】その人である。
彼の口から出る下品なスラングは、とてもじゃないが異性と見ることはできない内容となっていた。
しかし志津香は気にしていなかった。
否、それどころではなかったからだ。
開始20分の時点で、彼女は隣で見ている卓也の胸にふざけて頭を預けた。
先程自分が卓也にしてあげた抱擁を期待して…ではなく、志津香の中ではすぐさま卓也から『何してんねん』とツッコミが入ると思っていたのだ。
それは、それほど映画にハマっていない志津香の、ちょっとした息抜きのつもりだった。
ところが、卓也は志津香が寄りかかってくるやいなや、座椅子の背もたれの後ろにダランと垂らしていた自身の右手を、あろうことか彼女の頭にON。そのままサラサラで綺麗な髪の上を優しく往復させたのだった。
「!?」
理外のナデナデに志津香の心臓は跳ね上がる。まさかそんな対応をされるとは思っておらず、いくばくかの硬直を余儀なくされる。
ここが戦場なら致命的となる隙だが、生憎戦場はモニターの中にしかなく、彼女が冷静さを取り戻すには十分な時間が得られた。
「…」
意図を確かめるため、頭の上の手は外れないようチラリと卓也の表情を見る志津香。
ニヤニヤとしていれば志津香の負けだ。完全に手玉に取られた事を糧に、次のスキンシップに活かすだろう。
だがもし真剣な表情でこちらを見ていたら、それはもう、(卓也と私の)戦争だろうが…!
そんなことを考えていた。
「………!?」
しかし卓也は見ていなかった。
画面に釘付けで、志津香の方は全く気にしていないのだ。
ナデナデも、言わば卓也の体に染み付いた条件反射のようなものだった。
ある日を境にベタベタしてくるようになった真里亜が要求してくるナデナデ。多い日は5回も6回も、テレビを見ててもゲームをやっていてもくっついてきては催促する。
最初こそまともに相手をしていたが、いつしか”ながらナデ“。
その所作が、映画に夢中になっていたことと、真里亜と似たようなことを志津香がしてきたこと、そしてIQが低下していたことも重なり、ふと出てしまった。
「微笑みデブってこれが元ネタかぁ…」
少しだけ膨れている志津香をよそに、映画は中盤に差し掛かる。卓也は飲み物も飲まず相変わらずじっと見ていた。
モニターには結構ショッキングなシーンが流れたものの、卓也はこれを見て何年か前に『地味過ぎて分からないモノマネ選手権』というバラエティ番組のコーナーでやっていたネタの元がこの映画だったことに驚きの声を漏らす。
残念ながら尊敬する師は物語中盤に退場した。
だが、その精神は卓也に無事インストールされたのだった。
「映画、どうだった? 志津香」
「ふつう」
「そっか」
映画の感想としては最低レベルの返しだったが、さほど気にした様子のない卓也。
「卓也は?」
「俺か? 俺は…」
志津香から一度視線を切り、少しだけ言葉を選び、そして…
「目から鱗が落ちたわ」
駒込班 矯正まであと1日半
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