第330話 ダメな男の作り方

「このにほひ…」


 自分の部屋がある階に着いたとき、鼻腔をくすぐる僅かなカレー臭に気がつく。

 これは間違いなく、このフロアの誰かがカレーをテイクアウトして食べているな。

 食堂の料理は特対の敷地内であれば基本どこへでも持って行って良いことになっている。

 落ち着いて自室で食べるもよし。気分転換に外で食べてもよし。

 食器さえ返却口に戻せば、基本は問題ないのだ。


 居住エリア…しかもキッチンのない低層階の廊下から料理の匂いがするということは、誰かがテイクアウトしたに他ならない。


「誰だか知らないが気が合うじゃあないの…。どれどれ、どのあた…り……」


 見つけてどうこうするつもりなどなかったが何となく探す素振りをした直後に、俺は“匂いの出どころ”を見つけた。

 臭源(適当に作った造語)は、半開きになった俺の部屋のドアの奥からだ…。


 施錠したうえオートロックなドアがなぜ半開きかだって?

 そりゃあ植物のツタが挟まっていて閉まりきらないからだな。

 犯人は分かりきっている。この中に一人、志津香がいる。


「おかえり」

「………ただいま」


 室内に入ると、ベッドに腰掛けた志津香に出迎えられた。

 彼女の前には備え付けの小さい机が置かれ、その上に2つ、カレーが鎮座していたのだった。

 ご丁寧に別皿には福神漬けも盛られている。


 2つあるうちの片方は普通のカレー、もう片方はカツカレーだった。

 もしかしなくても、カツカレーは俺のだろうな。


「こっちって、俺の?」

「そう」


 一応確認のためカツカレーの方を指差し訪ねてみると、志津香は短い言葉でそれを肯定した。

 わざわざ買ってきてくれたのか。

 なぜまだ部屋に居るのかは、まあ良しとしよう。


「悪いな。電子マネーで代金払うよ。いくらだっけ?」

「いい」

「いや、そんな訳には…」

「じゃあ宝払いで」

「お前そりゃ詐欺だぜ」


 誰かに頼まれてないだろうな。

 あたしゃこの娘が心配だよ。


 心のなかで志津香の心配をしつつ椅子を取るため部屋の奥へと歩き出す。

 同時に閉扉を妨げていた植物のツタは俺の動きに合わせシュルシュルと引っ込み、やがてどこかへと消え―――ずに俺が移動させようとした椅子に絡みつき運搬の妨げとなってしまった。


「いや、邪魔するなよ」

「ここが空いてる」

「ここぉ…?」


 志津香の手は、現在彼女が座っているベッドの横のスペースを指し示している。

 隣に来いと、そういうことか。


「狭くない?」

「平気」

「食いづらいんだけど」

「サポートは任せて」


 そういうとツタを使いカレーとスプーンを持ち上げて見せる志津香。

 器用なもんで、本当に口を動かすだけで食事ができそうだった。

 まあ、奢ってもらった手前あまり無下にはできないか…?


「…分かったよ。座るから、植物は下げてくれ」

「ん」


 満足そうな志津香は素直にツタを引っ込めた。


「飲み物、大したモンはないけど、何飲む?」


 見ると飲み物は持ってきていないらしく、流石にカレーに水分なしはキツイだろうということで冷蔵庫にある買い溜めしておいたペットボトル飲料を出すことに。

 欲を言えばカレーには牛乳が良かったのだが、今はストックが無い。

 お茶か水で我慢だな。


「あるのはお茶と水と炭酸水と赤ブル…」

「カルーアミルク」

「女子か。いや女子だが」


 小ボケを挟んでくる志津香に目をやると、心なしか楽しそうな表情が見えた。

 しかしこれ以上付き合うと際限なく漫才が続いてしまうと判断した俺は早々に視線を切り、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを2つ取り出しベッドへ座った。


「ホレ、水でいいな?」

「ん。ありがと」

「んじゃま、いただきます」

「いただきます」


 目の前で手を合わせて軽く会釈すると、皿を持ちカレーを1すくい、自分の口へと運んだ。


「うまいなぁ…」


 とろみのあるルーが米によく絡み、口の中に同時に運ばれる。これぞジャパニーズカレー。

 具材も、人参玉ねぎじゃがいも豚肉が形を残したままブラウンオーシャンに浮かんでいる。

 甘すぎず辛すぎずな絶妙な味も相まって、旨い家カレーという称号に相応しい出来上がりとなっていた。


「カツもサクサクだ」


 スプーンでカツの腹を持ち上げ口に運ぶと、まず味覚より先に聴覚が刺激を受けた。

 サクゥっっっ!

 わざわざオーダーを受けてから揚げているだけあって、経年劣化が殆ど見られないこの固定資産。減価償却累計額0円だ。


「福神漬けもグー」


 ポリポリと奥歯から伝わる感触。

 黄色い福神漬け…いい。

 赤よりも、らっきょうよりも、黄色い福神漬けが好きなんだ俺は。

 いつからだろう。福神漬けとかたくあんとか、料理や定食の添え物が旨いと思えるようになったのは…


 そんな事を考えながら隣で黙々と食べる志津香を見て、あることに気付いた。


「志津香、パジャマのままだけど…。まさかそれで飯を買いに行ったのか?」


 緑色の生地に水玉模様の可愛らしいパジャマ姿の志津香。

 今朝は人通りも少ないとのことだったが、流石にこの時間の、しかも食堂なんていったら人だらけだよな。

 どうしたんだろう。


 すると彼女から短く『ちがう』と否定する言葉が返ってきた。


「じゃあどうしたん? このカレー。めちゃくちゃ作りたてだったよな」

「能力で運んだ」


 そういうと俺の傍から木がニョキニョキと生えてきて、やがて人型へと変形? 形成? したのだった。

 出来上がったソレは等身大のデッサン人形のような見た目をしており、志津香の意志である程度自由に操作可能だとのこと。

 試しにといって彼女が人形に”コマネチ“や”ジャンガジャンガ”といった動きをさせてみたが、確かに人間と変わらない挙動をしているなと感心することになった。


 志津香の話によると、『支払いができて』『料理を安定して運ぶことができる』のであれば、食堂では式神や動物といった人間以外のモノにも食事を提供してくれるとか。

 守屋のフライングガーデン…泉気で鳥を生み出す能力では難しいかな、なんてことを頭に浮かべた。


「これなら確かに、ここまで運んでこれるなぁ」


 感心の声を口にしながら、人形の頭をナデナデしてみる。

 表面はツルツルとしていて、非常に触り心地が良い。即席で作り出したのに表面が研磨されているのか。

 改めて志津香の能力の応用力や精度には驚かされる。


「…運ぶのは分かったけどさ、タイミングは? バッチリ過ぎた気が」

「……」

「まさか、監視してたのか? 植物で」


 目を逸らす志津香。

 その態度だけで指摘が事実であることを物語っていたのだった。

 しかし昨晩というか今朝、敵の能力者から助けられたおかげで、俺は強く出られないでいる。


 とはいえ、手放しでお礼を言うとずっと監視されてしまいそうだ。

 それは流石に勘弁してほしいので、ほんの少しだけ、あまーく釘を刺すことに。


「………………程々にな」

「ん」


 表情を変えずに短く返事をする志津香。

 些細な感情の変化に気付けるようになった俺だが、いま彼女が納得して引き下がってくれたかどうかは分からない。

 感情が表情に現れやすい人間でも、腹の中は別問題だ。


「ま、いいや。食おうか」

「わかった」


 能力を使って監視し、能力を使って運んでくれた作りたてのカレーに再び匙を伸ばす。

 なんか、至れり尽くせり過ぎる気がするが、今は食事に集中しよう。



「ご馳走様でした」

「ごちそうさま」


 二人してカレーを完食する。

 食べる速さは俺の方が上だが、量の多さと途中の雑談の口数の多さで自然と食べ終わるタイミングが揃った。

 どちらの皿もキレイになっており、それだけで満足のいく内容だったことがうかがえる。


「ふー、食った食った。これで午後の仕事も頑張れるわ。ありがとな」


 腹をさすりながら志津香に礼を言う。

 飯を用意するタイミングまでバッチリ調整してもらい、しかも奢ってくれるなんて。朝から世話になりっぱなしだ。


「卓也、何かあった?」

「え…?」


 志津香から突然質問が投げかけられる。

 英語の挨拶としての質問ではなく、俺に何かがあったことを確信しての問いかけ。


「…………」


 いつもと変わらぬ純真で真っ直ぐな瞳が、今の俺にはよく効く。

 俺が答えないと、多分ずっと見られるんだろうな。こっちが何も答えないからといって言葉で繋ぐようなタイプじゃないし。

 まあ、今更強がってもな。


「………………まあ、ちょっとメンターが上手くいかなくってさ、午前中。荒療治が過ぎたのかな…? 今どき流行らないのかも、そういうのは」


 ポツポツと、思いを紡いでいく。

 駒込さんの為に時間の無い中思いついた作戦が、結果的には駒込さんを奔走させてしまうことになってしまった。

 気にするなと言ってくれていたし、俺も次の一手を考えていて悔いている暇はないのだが…。掘り下げられると、心の底に隠していたものが出てきてしまうな。


 これがもっとしっかり目に聞き出そうとしようものなら、俺も強がって『大丈夫だよ』と答えていたかもしれない。

 ところが彼女の場合は、端的に、しかし静かに確実に、刺激してくる。

 それはまるで湖面に落ちた石のように、沈殿していた焦りや不安といった泥を巻き上げた。


「判定試験は明後日なんだけど、1日半前でこれだからな。厳しくすると帰るし、優しくするとシカトだし…参ったね」

「それはその人たちがヤワすぎるだけ」

「それはそうなんだけどな。結果は出さないといけないから」


 相手のせいや環境のせいにすることはいくらでもできるが、それを自分からやるのはな。

 それに俺は現状特対に匿ってもらっているのに、何も返せないのは嫌だ。


「まあ、どうこうしてほしいとかは無くて、こんな情けない事になって―――」


 喋っている途中に、頭に軽い衝撃が走る。

 いや、衝撃とかそんなキツイもんじゃない。顔全体が何かに包まれたのと、左側に柔らかい感触があるということ。

 それが志津香に抱き締められているということに気が付くのに、数秒かかった。


「えーと…志津香サン?」


 突然の抱擁をかましてくる志津香に何事かと確認する俺。

 彼女はベッドの上に立て膝になり、俺の頭を抱きしめている。

 シチュエーションとしては、タクシーの中で無償の愛を俺に説いてくれたいのりの時に似ていた。


 若干の違いがあるとすれば、いのりの時は冬に出歩くよう厚着だったのに対し、志津香は薄手のパジャマだということだ。

 だから彼女の結構立派な果実の感触が、顔にダイレクトにきてしまうという…

 こんなオプション、誰が頼んでくれたんだ。


「卓也は頑張ってる」

「え…?」


 俺が邪な事を考えていると、志津香が声をかけてくる。

 励ますような言葉だ。


「卓也はずっと頑張ってる。自分のことも周りのことも一所懸命考えて、いつも頑張ってる」

「そう…かな」

「そう。だから疲れたなら、たまにはこうやって甘えるべき。自分を変えたいって言ってたでしょ?」

「それは、そう…だな?」


 居酒屋では大げさに決意表明しておいて、世話になりっぱなしとかそんなことばかり考えてしまっていたな。

 でもいきなり”コレ“はハードル上がりすぎだと思うが。

 距離の詰め方がえげつないよ、志津香も、いのりも。


「志津香…?」


 俺が考えていると、頭を包む手に力が込められる。

 まるで咎めるように、痛くはないが、キツくキツく…。


「色々と考えすぎ。思うように動けば、結果はきっとついてくる。これまでそうだったように」

「そんな甘い問題じゃないし、今までも色々と考えていたつもりなんだけど…」


 そんな行き当たりばったりだっただろうか?

 だったか…?

 だった気もする…な。


「考えすぎな卓也に、送りたい言葉がある」

「言葉ぁ?」


 この姿勢で?

 何を送ってくるんだ? この娘は…


「『馬鹿になれ。とことん馬鹿になれ』」

「………………………いや、ソレはアント―――」

「『恥をかけ。とことん恥をかけ』」

「続けるんかい…」


 その言葉はあの伝説の闘魂レスラーの詩集の1節だ。

 まあ、別に自分の名言のように言っているわけではないのだろうけど。突然始めるから…


 しかしちゃんと聞いたことのないところに差し掛かった時、俺の変な部分にズブリと刺さった。


「『―――本当の自分も笑ってた。それくらい馬鹿になれ』」

「! あぁ…」


 普段音楽の歌詞とかそこまでちゃんとは聞かないけど、妙に耳に残るフレーズが引っかかったり。

 偉人の名言に妙に感銘を受けたり。

 今回も数少ないソレに近いものがあるかもな。


 がむしゃらに突っ走る俺に周りを見るよう教えてくれた西田。

 だが会社の人達が巻き込まれて、変にまとまってしまっていた。

 幸せ探しに囚われていたのもあって、あんま笑うことも無くなってたな、ここ1ヶ月ちょいは。

 だから…


「―――ありがとう志津香」

「どういたしまして」

「忘れてたよ…俺が馬鹿だったってことをさ」

「ん」


 誰の顔を立てて、誰をお膳立てして、誰を守って、誰を説得して

 そんなの無理無理。柄じゃないし。


 大規模作戦の時はそうじゃなかった。

 俺のやりたいことを押し付けて、押し通した。

 今回の俺のやりたいことはなんだ?

 当然“復讐”だ。その為にはまず邪魔な奴を排除しなきゃならない。

 排除するためには力がいる。だからあの四人を引きずり込む。

 確認OKじゃん。



「おかげで頭がスッキリしたよ」

「力になれて良かった」

「いつも助けられっぱなしだな。今度お礼するわ」

「ヤクソク。期待して待ってる」


 頭を抱かれたまま約束を交わす俺達。

 しかし吹っ切れてもこの姿は小っ恥ずかしいな。


「そろそろ離してもらえるか、志津香」

「もう少し”バリンドウ“を補給していけば?」

「志津香からしか摂取できない必須アミノ酸があるのか…」


 俺からも謎の成分が出ているらしいし、新たな発見が多いな。


「このままじゃダメ男まっしぐらだから、遠慮しておくよ」

「そう? それじゃこれ、今日のパチンコ代。今日こそは勝てる」

「さらに加速するわ」


 ヒモを養うダメ女かキミは。

 俺をどうしたいんだこの娘は。



 そんな充実した昼食を終え、午後の演習の時間に集合場所に向かうと、そこには



 誰もいなかった




「なぁ志津香」

「なに?」


 何故か付いてきた志津香に話しかける。


「一本、見たい映画があるんだけど、一緒に見るか?」

「うん」


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