第317話 羽化

「クソっ! やられたっ!!」


 4時半。深夜とも早朝とも言える時間帯。

 ベッドに腰掛け観察していた男は、立ち上がり叫ぶと、装着していたスコープを床に叩きつけた。

 叩きつけられたスコープは程なくして光の粒子となり、部屋の中に霧散する。

 能力解除に見られる現象だ。

 そしてそれが”自発的な解除“によるものではないことが明白なため、傍らで見ていた女性職員は様子を聞く。


「ちょ…どうしたんですか?」

「どうもこうもない…! 失敗だ、クソっ!」

「失敗? 一体何が…」


 計画が上手く行っていないことは分かっていたが、とうとう能力解除されてしまったことに感情を爆発させる男を見て、女性職員もまた動揺していた。

 本人も強力な能力と豪語していたし、彼女もまたそれに共感していた。(態度はウザいが)

『人間嫌いじゃなければ確実にハメられる』とは彼の言である。


 だが、そんなことはなかった。普通の精神性であるハズの卓也が数時間の抵抗の末とうとう破ってしまった。

 その事実は二人に緊張感を走らせる…。


「ずっと塚田を殺しまくってた女の言葉で、一気に目覚めちまったんだよ」

「え…何て言ったんですか?」

「『今幸せですか』とか、そんな普通の質問だよ…! ワケがわからん…!」


 髪をかきむしりながら答える男。

 原因不明の異常事態ともなれば心が乱れるのも無理はない。

 が、能力が効かないからといって取り乱すのは、戦いに身を置くものとしては二流と言える。

 それは彼がピース出身者のようなメンタルトレーニングを受けていないのと、驕りが強い彼自身の生来の性格に起因していた。


「とりあえず一旦脱出を…」

「…いや、待て」


 女性職員がポケットから“羽根”を取り出すが、それを手で制する男。


「強制解除じゃないから、塚田が起床するまでまだ余裕がある。今度は初期設定をいじって、最大速度で能力を使えば…」


 男は作戦続行の意思表示とその算段を口にする。

 今日を逃せば次はいつになるか分からない。だからこその判断である。

 この部屋も、普段はアパートで一人暮らしをしている女性職員が『明日の任務の準備と残務処理をしたいから』という理由で借りた。当然何度も使えるような理由ではない。


 卓也の部屋の隣をおさえたのも、『自販機が近いから』と受付の職員との自然な会話の中で”何となく決めた感“を出しつつだった。

 果たして次も同じ理由を言えるか。今度は卓也の行きつけ(?)の部屋の隣が空いているか。

 答えは『何とも言えない』だ。

 だから今日だけで済ませたいと思うのは仕方がないことであった。


「起きるまで、あと2時間…くらいか? 何周できるか分からんが、さっさと―――」


 男が能力を発動させるため、卓也の部屋側の壁に近付き泉気を漲らせる。

 しかしその時、室内を“緑”が駆け巡った。


「きゃっ…!」

「これは…ツタかっ! ぐぅ…!」


 それは、部屋の中にあった観葉植物から伸びたツタ。

 あり得ぬ速度で伸びたそのツタはあっという間に室内の二人を拘束した。

 両手両足に、首に…自由を奪うためしっかりと巻き付く。


「これ…は…! 竜胆か…! ガ…ぁ…」

「痛っ…」


 ツタの一つが、植木鉢にさしてある植物用の栄養剤…に偽装した”泉気抑制剤の注射“を掴むと素早く二人に薬液を注入し、抵抗する力を奪った。

 となると必然、男と女は腕力だけでツタを切らなければ脱出できないことになる。

 一方で志津香はそんな万が一を起きないよう幾重にもツタを重ねて、踏ん張りの効かないように近くの壁に磔のようにして固定した。


 直後に、ツタの一本が器用に出入り口のドアロックを外す。そして“ある一人の職員”が、開かれたドアから入室するのであった。


「おや…一人は特対ウチの職員じゃないですか」


 両手に具現化した大きな杭を持ち、水無雲粉雪が姿を見せる。うっすらと笑みを携えて…。


 以前、卓也に助けられた志津香を見て涙を流した弱い彼女の面影はどこにもない。

 二度と同じ失態をしないよう、あれから心身ともに鍛え、頼もしい出で立ちでこの場に現れる。

 敵が二人いると分かっていてもなお、怯まず進む。


 心の痛みを糧に成長した彼女は、特対職員としての資質があったのだろう。

 恩人である志津香のために、自分の力を振るうのである。


「お前は…知らんやつだな。一体なんのよ―――」


 言葉を全て言い終える前に水無雲は彼に近付くと、躊躇いなく右手の杭を胸に突き刺した。

 恐れも不安も容赦もない、無慈悲な一撃を加える。


「静かにしてもらえます?」

「ぐ…ぁ…っ!」


 男の体を痛みではなく異物感が襲う。

 彼は瞬時に”攻撃用“ではないことを理解し、事態がマズイ方向に向かうことを予感するのであった。


「!? こ…れは…」


 水無雲の能力【人体これくしょんインザ ポケットラボ】の発動条件が満たされたことで、男の周りに囲うようにして“箱”が出現する。人ひとりがすっぽり収まるような箱だ。

 そして、あっという間に男は”棺桶の中に眠る吸血鬼“のような姿となった。

 胸に刺さった杭が、より一層吸血鬼感を引き立てる。


「く…そ……。捕獲系か…」

「何処のどなたか存じませんが、さようなら。次目覚めるときまでに、身の振り方を考えておいてくださいね」


 水無雲が別れを告げると、最後に透明の壁が前面を覆い捕獲が完了した。

 杭を刺した相手を標本のようにして箱に閉じ込める。彼女の持つ能力だ。


 そして完成した標本はみるみる内にサイズダウンし、やがてスマホくらいの大きさになると地面にコトっと倒れた。

 それを拾い上げた水無雲は、志津香のツタに拘束されているもう一人の職員の近くへと向かう。


「駄目じゃないですか。塚田さんは外部の人間とは言え、今は嘱託職員。つまりアナタは仲間を売ったことになるんですよ?」

「くっ…」


 水無雲からの再確認を受け、顔をこわばらせる女性職員。

 纏う雰囲気と泉気にもだが、彼女のここ数ヶ月の“特対での戦果”に怖気付いていたのである。



 水無雲は、CB討伐作戦以前は直接戦闘をほとんどしなかった。まず仲間が無力化した敵に杭を刺し、拘束したり運びやすいサイズにするというのが彼女の立ち回り方だ。

『補助要因という立場にあぐらをかいている』と言えばその通りなのだが、同じポジションの職員はほとんどそうである。

 補助要員は”生存“を第一とし、攻撃要員をサポートし続ける。これは職員講習でも最初の方に習う鉄則だ。

 逆に戦闘向き能力ではない補助要員がしゃしゃり出て、部隊で一番最初に戦闘不能になったのでは失笑モノである。

 だから以前の彼女の立ち回り方は決して恥ずべきものではなかった。


 しかし、炎使いから身を挺して庇ってくれた志津香のおかげで、彼女の中の何かが変わったのだ。

 高位の治療術師のいない(と思っていた)C班で、致命傷も恐れず補助要員である自分を助ける志津香の姿に感銘を受けた。憧れ、焦がれた。


 そして深い絶望を経て手繰り寄せた回答が、『自身の能力は補助能力に非ず』であった。

 杭を打ち込めば大抵の敵を無力化できる自分の能力の本領は、むしろ最前線であることを確信したのだ。


『もっと早くにこの事実に辿り着いていれば竜胆さんが死にかけることもなかったのに』という後悔と、『気付いていない愚かで無知な自分故に竜胆さんとお近づきになれた』という喜びが、彼女の心の中で混ざり合う。

 そうして出来たカオスな感情が彼女の”特定の何かに肩入れしないフラットな価値観“という天秤を極端に傾けた。


 竜胆さんに貰った命は、竜胆さんのために使い切ろう。


 事実に気付いたのは良いが、さて…

 これまでまともに前線らしいトレーニングなどしたことがない水無雲には、何もかもが足りなかった。

 筋力も、体力も、知識も、経験も、師匠も


 だが情熱はある彼女は、時期を同じくして『何故か近接戦闘の素晴らしさに目覚めた』とある1課の職員に出会う。

 そこから彼との切磋琢磨までの流れは想像に易しい。

 鍛えたい水無雲と、(当時は)素晴らしさを誰かと共有したかった彼。

 ふたりの地獄の鍛錬は幕を開けたり開けなかったりする。



「そんなに怯えないでくださいよ」

「…」


 目を逸らす女性職員。

 相変わらず、緊張しっぱなしである。

 その緊張をもたらす水無雲の戦果とは一体何かというと、それは先程も片鱗を覗かせたが、彼女の『容赦のなさ』から来る行いの数々であった。


 たゆまぬトレーニングと駒込コネのおかげでアタッカーとして活躍する機会を得た彼女は、そこそこ大きい作戦にも参加することができた。ここ1、2ヶ月の話である。

 素早い身のこなしで敵に近付き杭を刺す電撃殺法で次々と犯罪者たちを無力化する彼女。


 そして、有益な情報が得られそうにない相手は箱に詰めたあと、踏み潰していた。


 清野のように“相手憎し”からくる行為ではなく、愉悦による嗜虐でもない。

 言うなれば、ただのリスクヘッジ。

 自分が死ねば捕らえた相手が復活してしまうかもしれない。生きていることが知られれば、助けに仲間が来るかもしれない。

 だから殺す。

 生かしておくのと、殺すのと、どちらがメリットが大きいか。簡単な問題である。


 これはピース出身者にも見られる精神性であり、2課3課の者と最も離れた価値観の一つかもしれない。


「私はアナタと違って、いきなり同僚を手にかけたりはしませんよ。それに判断をくだすのは私じゃありませんから…。ね? 竜胆さん」


 水無雲が入口の方に目をやると、丁度ドアを開けて現れた植物の主、竜胆志津香がいた。

 彼女は卓也の部屋の周りの部屋にある観葉植物に仕掛けをし、入室してきた人間を見張っていたのである。

 今日も早々に二人の存在を感知したのだが、男の能力の内容が内容だけにすぐに攻撃というワケにはいかず観察に徹していた。

 それでも卓也に危機が訪れそうであれば、二人を倒し強制解除もやむなしという覚悟であったのだ。

 だが観察していくとどんどん事態は好転して行き、ついに卓也は突破。ようやく攻撃の機会を得たというわけである。


「一旦確保」

「りょーかいです、竜胆さん」


 志津香からの指示に目を細め笑顔を見せる水無雲。

 そして先程の男と同じように胸の真ん中に杭を刺し、標本が一つ出来上がったのだった。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 水無雲は床に落ちていた二人の箱を回収すると志津香に手渡した。

 出来立てホヤホヤ、人間を詰めたこの世で一つの標本だ。

 このまま潰せば中の人間は死ぬ。このまま放っておいても、1週間程度で弱って死ぬ。

 大変デリケートな、生きた標本であった。


「どうする感じですか? ソレ」

「卓也が起きたら聞く。一番上手く利用できるだろうから」

「なるほど」


















 _______
















「で、俺のところに?」

「そう」

「これが敵ねぇ…」


 廊下に居た志津香と水無雲を部屋に招き入れた俺は、昨晩何があったのかを聞いていた。

 ベッドには志津香と水無雲が座り、俺は部屋の壁にもたれながら話を聞く。

 そしてあらかた聞き終わった俺は水無雲から標本の一つを受け取ると、人差し指と親指で箱の上の部分をつまみ、それをまじまじと観察していた。


 中には目を瞑っている女性職員がひとり。胸の中心には杭が打たれ、眠っているようにも見えるし、死んでいるようにも見える不思議な状態だった。


「…生きてるんだよな、コレ」

「もちろん。ただ時が止まっているわけではないので、このまま放置すればやがて死にます」

「ふーん…」


 俺は表面の透明な板をコンコンと軽く叩く。

 反応は当然ない。


「意識はありますけど身動きが取れない状態ですね。その表面のプレートを外せば会話も聞こえますけど、どうしますか?」

「…とりあえずこのままでいいや」


 いきなりの事で何も決めていない。迂闊な動きは控えよう。

 …しかし、敵のうちの一人が特対職員とはなぁ。

 可能性を考えなかった訳では無いが、随分と必死に殺りに来たもんだ…。

 こうやって捕まった時のことを考えたら、簡単には後鳥羽に手は貸す判断は下せないはずだがな。


 いや、簡単にいかないのは俺も一緒か。


「どうしたもんかね…」


 捕らえた二人の能力者を前に腕を組み唸る。

 勿論情報を取るべきなのだろうが、片方が職員となるとこのままではダメだ。


「尋問して、無理そうなら処分すれば良いのでは?」

「情報収集は賛成だが殺すのは駄目だ。特に男の方は良くても、女の方はな。こっそり始末すれば、早けりゃ今日にでも特対内部で騒ぎになる」

「職員がひとり、出勤してこないと」

「ああ。隣の部屋は女が予約したんだろうが、だとしたら余計に問題だ。特対本部内にいた職員が消えたってな」

「男のほうが犯人だったことにするのはどうです?」

「その場合は男の身柄を差し出すことになるが、事情聴取でなんて言うかな」


 素直にターゲットのことを話すか。それとも後鳥羽雇い主に危機が及ばぬよう口を閉ざすか。

 普通に考えれば後者だが、読めない。

 もしかしたら後鳥羽に義理立てするような関係じゃないかもしれない。金で雇われているだけとか。

 その場合は取り調べで俺と後鳥羽の関係性を喋られ、最悪これ以上ここに居られなくなるかもしれないな。


 狙われていると分かって隠れ蓑に利用した俺と、それを匿った駒込さんにまで迷惑がかかるかもしれない…。

 安全だと思われていた特対本部も、入られてしまい、職員まで味方につけられてしまうことでここまで身動きが取れないことになるとはな…

 侵入方法や女の職員・後鳥羽との関係性を聞き出すには時間も足りない。


 考えろ。

 手持ちの札でこの奇襲を切り抜ける方法…。その一歩を。


「卓也」

「…」


 志津香は無表情でこちらを見つめている。俺を信じて、全てを委ねているといった感じだ。

 水無雲は目を細めて微笑んでいる。俺を試そうといった感じだ。


 襲われていたとか後処理どうするとか、随分な目覚めだがやってやろう。

 何故かスッキリしている頭で、俺は初手を思いついたのだった。


「志津香、それに水無雲」

「うん」

「はい」

「ありがとな」


 俺は一手目を切り出した。


「…いきなりどうしたんです?」

「いや、一晩中見張ってくれていたのに対してお礼を言ってなかったな…って。それで」

「つい今まで、彼らの処遇に頭を悩ませていたようにお見受けしましたが?」

「親しき中にも礼儀ありって言うだろ? 俺は何よりも礼節を重んじる人間なんだ。なぁ、志津香」

「卓也は幼い時からそういう人間だった」


 そんな前からの付き合いじゃねーだろ。


「…ふふっ。なるほど、愉快な人ですね」

「これでも地元じゃクソ真面目で通ってるんだけどな」

「卓也は昔からそういうとこある」

「いや、俺のなんなんだよ志津香は」


 俺が振っておいてなんだが、重ねてくるな。

 おかげでリラックスできたけど。


「で、どうするんです? 二人を尋問する時間もなければ、どちらを生かすのも消すのも難しい。そんな状況を切り抜ける手がありますか?」

「俺には特対に頼りになるビジネスパートナーがいるからな。その人に頼ることにするわ」

「へぇ…?」


 俺は携帯代わりの端末を取り出すと、ある人物にメッセージを送る。

 その相手は、出世欲が強く打算的だが意外と義理堅く面倒見の良い男。

 職員の裏切り者も、敵の処遇も、同時に何とかできそうな力を持つ男だ。


「おぉ、早いな」


 端末には件の人物から早速返信が。

 まだ朝の6時ちょいだというのに、熱心なもんだ。


「誰なんですか? アナタの協力者というのは」

「ほいよ」


 俺は画面を水無雲に見せる。

『トラブルが発生したので助けてくれませんか?』という俺からのメールに対する返信を。





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 From:四十万 光臣


 Sub:Re:


 本文:美味しい話なら乗る




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