第316話 爽やかな朝
「せんぱーい!」
お昼休みが始まってすぐのこと。
”今日も“入口で元気よく手を振りながら俺を呼ぶ声が聞こえた。
一学年下のその子は、毎日俺を昼食に誘いにダッシュでやってくる。
新学年になってまだ日が浅いというのに、その光景はクラスの名物となってしまっていた。
「今日も来てるぞ、後輩ちゃん」
「早く行ってあげなよ」
バスケ部員やギャルに茶化されながら、俺は彼女の元へと向かう。
後輩の、西田さくらの元へと。
「ほら、早く行きましょう!」
「ちょ…! そんなに急がなくても屋上は逃げねーって」
彼女は片手に弁当の入った袋を持ち、空いた方の手で俺の制服の袖を引く。周りの生徒のことなど一切眼中に無いような様子で。
この
「美味しいですね、センパイ♪」
「ああ」
俺たちは屋上にあるベンチで二人並んで昼食をとっている。
俺は中休みの間に購入したパンを、西田は家から手作りの弁当をそれぞれ持ってきていた。
まだ暑くも寒くもない今日みたいな晴れた日に外で食べる飯は、また一段と旨いな。
「んー♪ デリシャス」
西田は量こそ少ないものの、バランスの取れたおかずの数々を口に運びその都度リアクションを取っている。
ヤミーとかボーノとかハオチーとかいみじー(?)とか、日によって色々と言語のバリエーションを変えるのがまた面白い。
頬に手を当て、本当に美味しそうに噛み締めている様子は見ているこちらまで癒やされた。
それだけに分からない。
どうして彼女がこれまで俺を殺しまくってきたのかが…。今の彼女には勿論そんな記憶などないのだろうけど。
ここ最近ずっと観察しているが、敵意も何も感じられない。本当に、仲の良い先輩後輩の関係そのものだった。
ここから徐々に恨みつらみが積もっていくのか、それとも同じ姿をしている別人なのか。
あるいは『我は汝 汝は我』的な別人格のシャドウなのか。
可能性はいくらでもあるが、俺は今日まで安心半分不安半分で彼女と接しているのだった。
「ちょーっと」
「ん…」
突然おでこに彼女が人差し指をブスッと指してきた。
痛くはないが何事かと彼女の方を見る。
すると…
「そんなに眉間にシワを寄せていると、年とった時にクセになっちゃいますよ?」
俺の顔を覗き込みそんな事を言うのだった。
「ああ、悪い。ちょっと考え事をな…」
「もしかして、一緒にランチは嫌でしたか?」
楽しそうな態度から一転、俺が彼女を警戒するあまり不安にさせてしまったようだ。
だから俺はちゃんと言葉にして誤解を解く。
「そんなことないよ。この時間が一番楽しみだよ」
「あはは…そんな臭いこと、よくさらっと言えますねー。もしかして私以外の子にもいつも言ってるんじゃないでしょうね…?」
「そんなワケ無いだろう」
このルートでは初めてだよ…とは言うまい。
「まあでも良かったです。時折難しい顔でいるから、本当は行きたくないのに仕方なく…とか思っちゃいました」
「まさか。嫌だったら言うし。無理矢理付き合う理由なんてなくない?」
「んー、それもそうですね」
俺がイヤイヤ付き合ってるわけではないということを分かってもらえたらしい。
安心したような表情に変わる。
この百面相は、一緒に仕事していた時もよく見られたな。
懐かしさに思わず俺も笑みがこぼれてしまう。
「にしても、そんなにシワが寄ってたかー」
話題を切り替えるため、先程の西田の発言を拾う。
おでこのあたりを軽くこすったり、親指と人差し指で眉間をグイッと伸ばしてみたりしながらそんなことを話してみる。
「そうですよー。怖い顔だったんですから。こーんな感じで」
大げさに表情を作る西田。
昔、日曜の夜にやっていたドラマの主役のような。これから倍返しって言う時の顔だ。
「…そんなにかよ」
「ホントですって! 私以外の女子だったら秒で幻滅しちゃうくらいのヤツですよ」
「じゃあ今の西田もヤバいじゃん」
「あ…」
言われてから気付いたのか、しまったという表情で固まる。
「…………センパイのせいです」
「嘘だろ…」
「センパイのせいで私が売れ残ったら、責任取ってお嫁に貰ってもらいますから」
話が飛躍しすぎだろう。
たかが変顔の一つで。
「それはない」
「えー」
「西田が市場に出回る前に俺が独占するから、売れ残ることはないかな」
「悪質な転売ヤーは嫌われますよ?」
「転売しないからセーフ」
「…欲張りなセンパイですねぇ♪」
軽口に対して軽口で応戦する。
あとから入社した彼女と仲良くなって以降、よく見られた光景だ。
学生時代というより西田とのストーリーのやり直しという感じがする。
社会人と学生、立場は違えどきっとこんな風に過ごしたんだろうなと、妙なリアルさのある日々が続いた。
その後も平日の日中はこうしてランチなどをして過ごし、放課後はゲーセンや図書館やバッティングセンターなど学生らしい遊びに興じ。
休みの日は水族館や遊園地などに行き、恋人同士のように過ごしたのだった。
どちらも思いは伝えてない。ただもうカップル同然の距離感なのは間違いない。
俺が思いを伝えないのは、このままエンディングに行くのを避けたかったからだろうな。
最初は恐れから来る警戒心で踏み込むのを躊躇ったが、今はコウリャクすることでこの世界に終止符を打たれるのが嫌だった。
あるはずもない、しかしあり得たかもしれない世界にのめり込んでいる。
良くないと分かっていても、コウリャクの事が考えられなかった。
そんな気持ちをひっそりと抱えたまま、西田との何度目かのデートの帰り道…
突然それは起きた。
「面白かったですね、“シン・となりのトロロ”」
「ああ。宣伝を見た時は『ないわー』とか思ってたけど、食わず嫌いしなくて良かったよ。とろろだけに」
「ダメですよー、私以外の人にそんな寒いギャグかましちゃ」
「ああ。気をつけるよ…」
現実と合わせて、どんどん『西田以外にしちゃいけないこと』が増えていく。
俺としてはありえぬリスト更新に浮かれていた。
「来週はどこ行く? 奮発して千葉の夢の国でも行くか? あ、そろそろ暑くなるし室内プールで予行演習ってのもいいかもな。そういや俺水着あったかな。無きゃ近くのオゾンスーパーに調達に―――」
「ねえセンパイ」
ペラペラと一人でまくし立てる俺に、優しく、しかし力強い口調でハッキリと話しかけてくる西田。
少しだけ先を歩く彼女の表情は見えない。
だがこれまでと違う様子に思わず足を止めて問いかけた。
「…どうした? なんか予定でも入ってたか…?」
「いいえ」
「じゃあ――――」
『じゃあどうしたんだよ?』と聞こうとしたところ、西田は少しだけ歩いて俺から距離を取り、そして振り返った。
沈む夕日が照らすオレンジ色の空と、間もなく街を覆う漆黒の夜空を背景に、彼女は微笑みながら俺に問いかける。
「これがセンパイの求めてた幸せですか?」
瞬間―――
世界が崩れたのだった―――
_______
「ここが俺が求めてた幸せかって…?」
「はい」
空も、地面も、建物も
この世界を構成する何もかもがゆっくりと崩れていく。
音もなく、しかし確実に、張り付いていたタイルが少しずつ剥がれていくように、催眠世界が崩壊していく。
そんな中、俺は西田の問いかけにハッキリと回答を出した。
「………そんなワケないだろう」
と、彼女の質問に”否“をつきつける。表面に“照れ隠し”を貼り付けて。
さっきまで浸ってました、ハイ…。
正直コウリャクに疲れて、もういいやこの世界でとか一瞬思ったり。一瞬ね。
でも、そんな目を開けたまま眠る俺を、彼女が言葉で起こしてくれたのだ。
今のこの状況が、目覚めのためのものだということは何となく分かった。
「良かったです。もし“イエス”だったら、私怒っていましたよ」
「そりゃあ、怖いな…」
西田の怒りはバイオレンスなんてもんを遥かに超えている。
この身で体験したから間違いない。
「でもこの様子なら大丈夫そうですね。目が覚めたらきっと覚えていないでしょうけど、もう二度と能力を食らうことはありませんよ」
「そうなのか?」
妙に確信めいた口調の西田に思わず聞く。
「ええ。だって今センパイの眼の前にいる私は、センパイの記憶を元に生み出されたコピーみたいなもんですから」
「コピー?」
「そう、コピー。こうしてこの世界から脱出できるのも、私という外枠を通しただけで、結局はセンパイの意思の強さがもたらした結果です」
西田曰く、俺の抗う気持ちが彼女を象り促したと、そういうことらしい。
これまで黒いコートを着た彼女が行ってきた事は、何かに抵抗する意思の現れだったのか…。
まあ正直、クリア条件も敵の目的もよくわからん俺と、今回の記憶しかない西田じゃ結論には全く辿り着けそうもないのだが…結果オーライということで良いだろうと言われてしまった。
「…………まあでも今回で、現実の私は出来なかった”センパイの監視“という役目を多少は果たせたから良かったです」
「ああ…言っていたな、そんなことを」
西田が入社してもうすぐ1年になるって時くらいに、そんな事を宣言されたのを覚えている。
俺の背中を見てくれていた後輩の宣言を…。
もしかしたらこの世界の彼女の行動には、その時の俺の願望が多少なりとも混じっているのかもしれないな。
「あ、もうすぐみたいですね」
「……だな」
俺と西田の間を分断するように地面が崩壊する。
もう景色は殆ど消え、立っていられそうな足場も僅かだ。
今の俺と彼女はまるで、現世と黄泉、住む世界の違いを表現するかのような立ち位置だった。
「………………じゃあ、そろそろ行くな」
「はい。お元気で、センパイ」
どこに行くでもないが、俺は西田に背を向ける。
何となく、また頑張ってくるよということを伝えたかったんだと思う。
でも先程までのルートが楽しすぎたせいで、尾張に復活させられた西田との別れのときより後ろ髪を引かれる思いが強かった。
いかんなぁ…
「なぁ、そう言えば―――」
話なんて何も考えていない。
ただ数秒間でも二人の時間をもっと共有できればと、そう思っての見切り発車だ。
だがそれを許してくれるほど、俺の中の西田は甘くなかった。
「痛て!」
振り向く前に背中をバシッと叩かれる。
紅葉のあとが出来そうなくらい、思いっきりパーで背中にバシッと。
その威力の高さに俺の足が2、3歩前進し、そして振り返ってみると。
そこに彼女の姿はもうなかった。
「…………もっとがんばらないとなー!」
俺は両腕を上に伸ばし、高らかにそんな事を言ってみた。
ここが自分の中だというのなら、これは自己啓発だ。
こんな夢にうつつを抜かしているようじゃ、きっと本物に笑われるぞ、俺。
「覚えてないかもしれないんだっけか…?」
西田が言うには、目覚めた時この中での出来事は忘れているとか。
だがそんな事は関係ない。
現世にも、黄泉にも、そして俺の中にも…俺を支えてくれる人がいる。
今はそれがただただ嬉しかった。
「スゥー………ハァー………」
いよいよマンホールの蓋にも満たない面積の足場だけが残ったこの世界で、俺は深呼吸して両手を横に広げる。
次の瞬間、背中から闇へと落ちていったのだった。
記憶はなくなっても、この昂る感情、高揚感
その1%でも残ってくれれば、楽しくなりそうだなと感じた。
そして俺の意識はそこでストップしたのであった。
_______
「……ん〜〜…」
目が覚めて上体を起こした俺は思い切り伸びをする。
特対本部にあるビジネスホテルのような部屋が、とても落ち着く。
新居も贅沢で良いが、何でも手が届く位置にあるような暮らしも、これはこれでいいな。
ちらりと横目で部屋に備え付けられた時計を確認すると、時刻は朝の5時半。モーニングコールをお願いした時間よりもずっと早い。
しかし二度寝をしたい感じは一切ない。むしろこの上ないくらいに爽快な感覚だ。
「ん〜…身体も軽い」
肩なんか回してみたりしたけれど、痛いところはどこにもない。
昨晩は猛烈な眠気に襲われ、とにかく本能の赴くままベッドにダイブしてしまったからな。
起きた時の関節の痛みや筋肉の凝りなどは覚悟していたが、そんな様子は微塵もない。心身ともに万全と言える。
『元気そうですね』
「琴夜」
俺の中からスゥーっと現れたのは、黄泉の住人で、現在は俺の左目の住人である椿琴夜。
右目の住人である霊獣ユニコーン(愛称:ユニ)と同じ上位存在だ。
彼女が起きているということは、今日は彼女が“当番”か。
基本的に人間ほど睡眠を必要としない彼女らだが、俺が寝る時に合わせて寝たりするらしい。
二人持ち回りで俺の警備をしつつの睡眠だとか。これ以上贅沢なセキュリティはないな。
そしてユニが現れないことから、琴夜が警備当番なのが推測される。
「早く寝たからかな? すこぶる調子が良いんだ」
『それは良かったです。ここ最近は問題が山積みで頭を抱えていらしたから…』
「だな…」
琴夜の言う通り、特公ふたりの対処に、それを成し遂げるための駒込さんの手伝いとやることはいっぱいある。それが自然と疲弊に繋がっていたのだろうな。
しかし、まだ何も解決はしていないが何故か元気は出た。やはり睡眠は大切だという事が分かる。
ついつい疎かにしがちだが、疲れた時はちゃんと食べてちゃんと寝ないとな…
「さて…時間もまだあるし朝風呂とシャレ込もうかね……」
昨晩はシャワーしか浴びていないので、湯船に漬かるため俺は着替えを手に取り部屋を出た。
ゆっくり漬かって、飯を食って、今日の駒込班との顔合わせに臨む。
なんとかしないとな。特公も、駒込班の更生も。
「…………ん?」
そう意気込んで廊下に出た所に、見知った人物と見たことあるような人物が並んで立っていた。
「おはようございます、塚田さん」
「おはよう、卓也」
「おはよう志津香…とそっちは……」
志津香と同じくらいの背丈の女子は礼儀正しく挨拶をしてくれる。
確か、どこかで見たことがあるような…
「お久しぶりです、塚田さん。私はC班作戦時に竜胆さんと同じ小隊にいた職員ですよ」
「…あー。そう言えば」
「ふふ。思い出してくださいましたか?」
思い出した。
志津香はCBという能力犯罪組織の幹部である炎使いから、たしかこの子を守ってやられたんだったな。
それで最後顔面蒼白で志津香の元に駆け寄って来たんだ。
「改めまして、私は【
「はぁ…こちらこそ。塚田卓也です。よろしく」
律儀に握手など交わす俺たち。3課というと、清野と同じく『能力者になってから警察(特対)に所属した』人たちの集まりだよな。
それより…なんというか、あの時の印象とはだいぶ違うな、この子。
あたふたしていたあの時より、随分と余裕そうというか…貫禄があるというか。パッと見は良いとこのお嬢さんっぽいけど。
それに粉雪とは…
「変わった名前ですよね」
「あ、いや…」
心の中を見透かされたようだ。
「母が冬が好きで、それに因んだ名前を…ということで決めたみたいです」
「あー…それで……」
「"美雪"とか"美冬"とか、いくらでもありましたのにね」
さして気にしていなさそうに笑ってそう語る水無雲さん。
しかし確かにまあ、少しだけ変わった感性をしているかもな。
"1000CCの涙"というテレビドラマが流行った時は苦労したんじゃないか…? 主題歌的に…
「お喋りはそこまでに」
俺たちの自己紹介を横で見ていた志津香がスパッと切る。
「そういや、ここで待ってたって事はなんか用事があったんだよな?」
「そう」
「どしたん?」
「卓也は昨晩、敵に攻撃されていた」
「は?」
突然そんな事を言う志津香。
俺が攻撃を受けていただって? そんなバカな。
俺は元気だし、どこにも異常はない。琴夜も警戒してくれていたし、気配があればユニだって起きていたハズだ。
「俺はなんともないぞ…? マジで攻撃されてたのか?」
「マジ。でももう大丈夫」
「大丈夫って…」
「犯人はもう捕まえましたよ。ホラ」
「え………」
笑いながら水無雲さんは両手に1つずつ"箱のような物"を持ち、それを見せてきた。
スマートフォンくらいのサイズで、少し厚みのある箱。
そして特筆すべきは、材質は分からないが前面のアクリルのような透明な板を通して見える中身だ。
「人…?」
それぞれの箱には見たこともない男女が一人ずつ入っている。目を瞑って、微動だにしない。
そう…まるで"標本"のような感じで、箱に杭で打ち付けられていた…
「私の能力【
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