第315話 Trueルート

「………何なんだよ、あの女は…」


 卓也の夢を観察していた男が、突然愚痴をこぼしながらゴーグルを取る。


「…何かあったんですか?」


 最初は順調に進みワクワクしながらその様子を伺っていたが、やがて無言になり、そしてとうとう忌々しそうな態度に変わってしまった。

 その変わり様に、近くにいた女性職員が思わず問いかける。


「夢の世界で、塚田を殺しまくってる女がいる。何度もだ」

「え…」

「おかげで”深度“が上がらないどころか、警戒心がマックスだよ。まだ必死に攻略しようとしてくれているのが幸いだけど、このままじゃ朝になってしまうタイムアップだ


 苛々を押し殺して、なんとか努めて飄々と女に状況説明をする。

 女はその説明を聞き、ひとつの疑問が生まれる。


「でも、夢の世界では確か“敵”は出てこないんじゃ…」

「そう。正確には本人が悪感情を抱く人物は一切出てこない」

「なのに、どうして…」

「……………信じがたい話だが、黒コートの女は負の感情で殺しをしているわけではないって事になるな」


 催眠世界では、攻略対象がプレイヤーに対して自然に憎悪や嫌悪感を抱くことはほぼない。

 もちろんテニスプレイヤーのような敵対関係になる相手もいるが、それはあくまで“なごみルートの”舞台装置としての怒りであって、常に悪感情を持って生成されたキャラクターではないのだ。

 また卓也の記憶を元に生成されたキャラクターは、生成された後はある程度の自由意志を持っている。


 つまり黒コートの人物は、自らの意思で『卓也を憎んでいないのにも関わらず命を狙っている』ということになる。

 術者である男はそれが奇妙で仕方がなかった。


「それって、病的に愛してるとか、そんな感じですか?」


 女性職員はスラングではなく丁寧な言い方でヤンデレを表現する。

 そしてその可能性を示唆された男は納得いかない様な口調で答えた。


「確かに今までもそんなヤツは居たには居た…が、一度も接触せずに殺しだけする人物は初めてだ。というか、そういう“病み”みたいのはルートに乗ってからジワジワと蓄積していくもんで…」

「でも実際そうなってますよね」

「…………そこがわからない」


 男は腕を組み、初めての出来事に頭を悩ませていた。

 これまで男は自動で生成される世界の、自分の手が入っていない部分を観察するのが好きだった。が、こうも自分の意志に反する展開は初めてである。


 ヤンデレ、暴力系、ツンデレetc…

 結果的に刃傷沙汰になるような性質の人物は珍しくない。卓也の世界で言えば真里亜がそれに該当する。

 しかしそれも、近くで他の女性とのやり取りを見ることで段々と怒りが募り、大爆発を引き起こすというものであった。

 正体不明の黒コートは、男が今まで観察してきたどんな相手とも違う。まさにイレギュラーといえる存在だった。


「その人だけ排除するというのは駄目なんですか?」

「それは無理だな。一度発動したら部分的な関与は術者である俺でもできない。これまではその必要もなかったし…」

「…」

「やるとしたら能力ごと解除しなくちゃならないが、その時は対象がお目々パッチリで覚醒する。チャンスは明日に持ち越しだ」


 二人は沈黙してしまう。

 あえて口に出すまでもなく、特対本部敵の本拠地で作戦を”1日延期“することの難しさは身に沁みていたからである。

 特対にいる卓也に一度でも術をかけられたのだって、かなり好条件が重なった結果だ。

 だから多少上手く行っていなくても、中断して仕切り直すという選択肢は彼らには無かった。


「まあいいや。とりあえず俺はまた観察に戻るから」


 そういって専用ゴーグルを再びつけ直そうとする男。

 そんな彼に女性職員が声をかける。


「…もし、その邪魔をしているという女性の存在を無理矢理納得するとしたら…」

「ん?」

「塚田卓也に、過去に『愛し合ってるのに殺さなくてはならなかった相手』が居たから、じゃないでしょうか」

「はぁ?」


 女性職員は、男の能力で作られた世界の性質と、その中での黒いコートの人物の行動をもとに推理した。

 どうしたら、卓也が復活しても復活しても殺しに来る…しかし敵ではない人物などというものがあの世界に誕生するのかを…


 手段に殺しを用いて、卓也が能力世界に没入し過ぎないように待ったをかけている


 そう考えた時が多少しっくり来る。

 ではそんなキャラクターが当てはまる相手はどんなものか。

 それが男に述べた関係性の相手だろうと女性職員は考えた。

 しかし…


「あのなぁ…」


 男は心底呆れたように反論した。


「ヤツは能力者になるまで平々凡々なただの一般人だったんだぞ。それこそ人と違う体験なんて『ビル倒壊事故に巻き込まれた』くらいなもんなんだ」

「ですよね…」

「能力者になってからが、まあ、調査結果が本当ならかなりエキサイティングな動きをしているが…その中にさっきのが当てはまるような出来事は無かった」


 愛した女性との殺し合い。

 そんな記録は確認できる範囲ではなかったと語る男に反論できない女性職員。彼女も見たことがないからだ。

 起きている現実と調べた真実が繋がらない時、能力者たちは何を信じるのか。

 答えは未だに出ていない。
















 _______






















「おはよう真里亜。今日は入学式で、設営のために早く行く必要のある俺は真里亜と一緒に家を出るんだったな」

「え、ええ…そうですね。分かってるなら早く支度をしてくださいね」


 妹に揺すられて起きた俺は早口でまくし立てる。お馴染みのスタートだ。

 それに対し『何だコイツ』といった表情で対応する真里亜。これもお馴染みの光景だ。

 できれば『入学式ならとっくに終わっていますよ』と言って欲しいところだったが、未だその願いは届いたことがない。


「ふぅ…」


 真里亜が出ていった部屋で、溜め息のような深い呼吸を吐く。

 またこの朝がやってきてしまった…

 ナイスなボートに乗ることかれこれ19回。20回目の入学式の朝を迎える。


 1周目の攻略失敗以降、俺は謎の存在に殺されまくっていた。

 刺殺、撲殺、轢殺、焼殺、圧殺、絞殺etc…

 殺しの見本市みたいな状態がずっと続いている。

 どれだけ警戒しても、気付いたらソイツはいる。そしてあっという間に殺されてしまう。

 影のようにどこにでも居て、決して離れられない存在だった。


 これだけ殺されているのに素顔は一度も見たことがなく、分かるのは黒コートを着た小柄な人物ということくらいだ。

 声も聞いたことがない。

 死に戻りできるから、正体さえわかれば最初に始末できそうなものだがそれすら叶わない。


「…無理ゲーか、あるいは条件を満たしていないか」


 流石に段々と精神力が消耗してきた。

 そろそろヒントの糸口くらい見つけないとしんどい。

 10周目くらいから”脱出不可能“という単語が頭をよぎっているが、それは考えないようにしている。

 その考えに委ね全てを諦めるのはやることやってからだ。


 ギャルゲーでやることって言ったら“全ルート踏破”だろう。

 なので俺はこの世界で確認できている知り合い全員に手を出し、変化を見極めている。

 特定のキャラのセリフがトリガーになって選択肢が変わり、そこから新しいルートの道が拓ける…なんてのは難しめのゲームである仕掛けだ。


 …こうしてみると人聞きが悪いが、俺は諦めも悪い。

 必ずこの世界を攻略してやる。俺は新世界の落とし神だ。



「紫緖梨は危ないから先に逃げて」

「嫌だ…。卓也がいない世界なんて、なんの意味もない」

「そんな事はないさ。この世界はこんなにも美しいんだから」


 20周目のヒロインである紫緖梨さんとの別れの時をを迎える。

 恋人同士…という程ではないが、ずっと一緒にいることを約束した俺たちは夏休みを利用し、南峯家の所有するコテージにいのりや愛やご両親たちと一緒に避暑に来ていた。

 ところがそのエリアに正体不明の殺人鬼が現れ、近くのコテージの人たちが次々と惨殺されてしまう。


 残った人たちと南峯家のみんなで手分けしてようやく車を修理し終え、あとは脱出だけというところだったが…


「あ、アイツかっ?!」


 血塗れのサバイバルナイフを持った黒コートの人物が、車の前に立ちはだかった。

 堂々と姿を現すのは初めてのことだったので、俺はチャンスとばかりに車を降りて囮役を引き受けることに。


 みんなで原因であるコイツをボコればいいって?

 とんでもない。最初に遭遇した時のコイツの人間離れした動きときたらもう…

 束でかかってもいたずらに犠牲者を増やすだけだし、俺以外の人間は自分が行っても殺されるだけだと分かっているので動けないでいた。

 まあ、邪魔が入らないのである意味好都合だが。


 そして最初のやり取りに戻る。


「やだっ! 置いていくなんて無理! 離して」

「紫緖梨、暴れないで…!」


 現実世界では見ることのできない、酷く取り乱した様子の紫緖梨さん。そしてそれをなだめるいのり。

 俺と過ごした日々を思い出してか、目に涙を浮かべる彼女。

 催眠世界ではあるが、後ろ髪引かれる思いがある。


「塚田くん、必ず迎えに来るからな…!」

「はい、頼みます。紫緖梨、また後でな」


 いのりの父である司さんは、いのりと一緒に紫緖梨さんを車に留めてくれている。

 そして泣きながら抵抗する紫緖梨さんを尻目に、車のパワースライドドアはゆっくりと閉まっていった。

 その間も黒コートの人物は車の前に立ち塞がり、ただ黙ってこちらを見ているだけ。

 さて、コイツをどかさないと―――


『感動のお別れは済みましたか?』

「―――!」


 マスク越しでくぐもっていた為しっかりとは聞こえなかったが、この世界に来て初めてアイツの声を聞いた。

 やはり女性の声。しかも結構若い。


「………一時的なお別れさ。お前を始末してから追いかけるからな」


 俺は黒コートを見据えながらゆっくり車と距離を取る。

 そして舗装された道と芝生エリアとを区切るロープ。そのロープを張るための杭を、一本地面から引き抜くとそれを手に持った。

 ロープを外せば、手持ちの武器と化す。気分はエクソシストかなんかだ。


「来いよ。お前の母親のセーターは無いけど、コイツを心臓に突き立てりゃ死ぬだろ?」

『…………それはどうでしょう』


 右手に持った杭の尖端を左手でポンポンと叩きながら挑発する。

 相手は強敵だが、ジェイソンキルほど難易度は高くないハズだ。

 俺の挑発が効いてるのか分からないが、黒コートは俺を追いかけて芝生のエリアへと足を踏み入れる。

 これで車の進行方向には障害物が無くなった。


 黒コートが車道からどいたので、俺が手で先を行くよう合図するとエンジン音を響かせながら真夜中の道を車が走り去っていった。特にそれを追う様子もない。

 これで南峯家の人たちが傷つく心配はない。


「おら、来いよ。俺が目的だったんだろ」

『では、遠慮なく』


 車のヘッドライトという光源を失い、あるのはポツポツとそびえ立つ街灯と月明りのみ。

 それでも、存在感と殺意のおかげで相手の位置を探知するのは問題なかった。


『―――っ!』


 体勢を低くし、猛ダッシュで接近してくる相手。常人ではありえないスピードだ。

 だが…


「おっと!」

『くっ…!』


 ナイフを木の杭で弾く。確かに素早いが、対応できないスピードではない。

 これまでの戦いで蓄積した感覚が、殺人鬼の人間離れしたフォジカルを凌駕していた。

 しかし相手も、思い切り叩いたにも関わらずそのエモノを落とすことなく何度も斬りかかって来る。

 コンパクトに、素早く、そしてフェイントを織り交ぜながら攻撃をしてきた。

 テニス野郎とはモノが違う。だから俺も手加減はなしだ。



『はぁ…はぁ…!』


 派手な金属音こそしないが、ナイフと杭のぶつかり合う異音が静かなコテージエリアに何度も響いてから十数分が経ったころ。

 俺たちの差が決定的に現れたのだった。


「どうした? 結構しんどそうだな。マスクくらい外せよ」

『………余計な、お世話です』


 そう。

 元々の体力差でも俺にお釣りが来るのに、避暑地とは言えまだまだ暑い8月の夜に全身を覆う黒いコートと黑マスク。

 更には俺を遥かに上回る運動量では、こうなるのは当然の結果だ。

 力量がわかった時点でぶっ飛ばしても良かったが、過去には自爆のようなことをされたこともあった。


 だから待った。

 南峯家の乗った車がここから離れるのと、相手が爆弾を持っていないことを確認する時間を…。

 そしてどちらの条件もクリアした。車の光はとっくに見えないし、体に攻撃を加えても爆弾らしき物はないと思われる。


 後者は確信ではないが、正体を掴むのにいつまでも様子見というわけにはいかない。これ以上引っ張ってここから逃走されても困るしな。

 そろそろ、そのマスクを剥がさせてもらう。


『―――っはぁ!』


 少しだけ息を整えた黒コートが大地を蹴り突進してくる。

 右手には鋭いナイフを携えて。

 俺は刺突をギリギリで躱すと、左手で黒コートの右手を掴み右膝蹴りを腕に叩き込んだ。


『くっ…っは!!』


 パサッと地面にナイフが落ちたと同時に、俺は右手による裏拳を黒コートの顔面にかます。

 短いうめき声をあげた相手がフラフラと後ずさりするので、続けて顎に右フックを入れるとクルリと回り地面にうつ伏せに倒れた。


『…っ!』

「どこ行くんだよ。今更」


 倒れたあともほふく前進のようにズルズルと移動する黒コート。しかし息は絶え絶えで、スピードも遅い。

 とてもじゃないが逃げられるようなシチュエーションではないはず。

 最後の悪あがき…なのか?


 あんなに手こずった相手が、こうもあっさり地面にひれ伏すというのも不思議な話だが…今はコイツの正体を探るのが先だ。

 俺は這いつくばる黒コートを足で仰向けにすると、その顔からフードとマスクを剥ぎ取った。

 するとそこには、とんでもない素顔が隠されていた。



「…西――」



 最後まで言い切ることなく、俺は地面に倒れた。

 こめかみを何かが貫通した…ような気がする。

 恐らくどこかに既に罠を仕掛けていて、まんまと誘導されたのだろう。またドジを踏んでしまったか。


 しかしでかい収穫はあった。

 それが、倒れた俺の眼の前でうつ伏せになっている”黒コートの正体“だ。

 顔だけこちらに向けて、口を動かし何かを喋っていた。

 しかしそれももう聞こえない。

 俺はすぐに死んでしまったからだ。


















 _______




















「兄さん、起きてください…! 兄さん…!」

「!?」


 勢いよく上体を起こす。

 すぐ横には驚いた真里亜の顔があった。

 またいつもの光景…


「…大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」

「いや、大丈夫…。ちょっと、夢に驚いただけだから」

「はぁ…。夢に」


 真里亜はナンノコッチャと言った表情で俺を見ている。

 そりゃそうだろうな。

 いきなりそんな事言われても『知らんがな』って感じだからな。


「ごめん、気にしないでくれ。内容は忘れた」

「そうですか。ご飯、出来てますから。早く支度して下りてきてくださいね」

「おう。ありがとな」


 そうして真里亜が居なくなった部屋で、体感時間ではつい先程の出来事の光景を思い出す。

 夢でもなければ忘れてもいない、あの避暑地での出来事を…。


「西田…」


 黒コートの正体は、西田さくらだった。

 年齢は若くなっていたが、間違いなく彼女だ。間違えるはずがない。

 しかし今度は『何故?』という疑問が出てくる。彼女がコウリャクの邪魔をしてくるのは一体どうしてだ。

 敵の妨害のカタチなのか、それとも西田という“個”の意思によるものか。

 わからないことだらけだ。



「ん?」


 俺の考えが深みにハマりかけた時、我が家のチャイムの音が聞こえた。

 こんな早朝に珍しい…。今までのループではこんな事は無かった。


「兄さーん。手が離せないので出てもらえますかー?」

「…分かったー!」


 階下からの真里亜の声が、開きっぱなしの扉の向こうから聞こえる。

 俺は慌てて制服の袖に手を通すと、来客の対応に向かうことにしたのだった。

 そしてそこには、やはりというか、まさかというか。とにかく渦中の人物の姿があったのだ。


「………西田」

「おはようございます! センパイ♪」


 ニコニコの笑顔を携えて、一学年下の西田さくらが我が家へやってきたのであった。



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