第312話 B 真里亜ルート 『五月丿蝿』

「あ、そういえば」


 昼休みの教室で、私の友人である小笠原洋子さんが突如何かを思い出し話を切り出してきた。

 私達は机をくっつけて向かい合うようにして食べていたので、バッチリ目線が合う。


「どうしました? 足りないならまだ購買にホットドッグが10個くらい余っているはずですよ」

「あたしゃフードファイターか」

「浸す用のお水も忘れないでくださいね」

「だからフードファイターかって。そんなに食えないっての」

「あはは…」


 隣で佐藤聖來さんが苦笑いしている。それもそのはず。

 購買のパンを4つも食べておいて『そんなに食えない』とはコレ如何に…。

 しかも彼女は中休みに早弁まで済ませている。ハッキリ言ってかなり大食いの部類だ。


 だが部活で相当なカロリーを消費しているらしく、こんなに食べても余分なお肉は全く付いていない。私なんか体型を維持するのに色々と我慢しているのに…。

 それを言うと『運動部に入ればいいのに』と言われるが、それは本末転倒だ。

『兄さんの好きな体型を維持する』、『兄さんとの時間を取る』

 両方やらなくちゃならないのが妹の辛いところだが、覚悟は出来ている。


「それで小笠原さん。何かを思い出されていたようですが、どうしたんです?」

「ああそうだ。真里亜が話を逸らすから忘れてた」


 聖來さんが話の軌道修正をする。律儀だ。

 別に逸れたままでも良かったのだが、洋子さんは先ほど思いついた話とやらを私達にし始めた。


「真里亜のお兄さん、今1年生の女子の一部で凄い人気なの知ってる?」

「………へぇ」


 洋子さんの話題に平静を装ってみたが、果たして上手く行っているだろうか。もしかしたら顔が引きつっているかもしれない。

 だがそれよりも重要なのは、その中身だ。

 どこの馬の骨が私の兄さんに目をつけているのか…そこが問題だ。


「皆さんやっと兄さんの魅力に気付かれたのですね」

「以前から真里亜さん、お兄さんの自慢をしていましたからね」


 聖來さんが微笑みながら、まるで自分の事のように喜んでくれている。

 そう、私は以前から兄さんの良さを二人にはアピールしていたのだ。自慢の兄だと、そう伝えていた。

 だからここで急に目くじらを立てては不自然に思われる。ここは我慢して、いったん普段の私のキャラに乗っかるのだ。

 落ち着け私…。


「いや、あたしもこの前放課後の部活前にね。真里亜のお兄さんが何人かとグラウンドで遊んでいるのを見たんだけどさ。あんなに動ける人だったっけ? って驚いたのよ」

「確か…昔は少しテニスをやってらしたんですよね?」

「ええ…まあ」

「ではその”昔取った杵柄“というやつですかね?」

「うーん? なんかそういう感じでもないんだけどねぇ」


 およそ3年前。

 一部の人しか知らない“あるちょっとした事件”をキッカケに退部するまで、兄さんは中等部の硬式テニス部に所属していた。

 だから運動も苦手ではないが、洋子さんが感じているように見た人間が驚くほどの抜群の身体能力を誇っている訳では無いハズなのだ。


 しかし確かに最近よく兄さんの話をよく聞く(噂で)

 たかが遊びのスポーツで、何をそんなに騒ぐようなことがあるのか、不思議でならない。


「でも確かにわたくしも、別のクラスの女生徒が先日真里亜さんのお兄さんの話をしているのを聞きました」

「どんな話でした?」

「えーと…」


 私の質問に困った顔をする聖來さん。

 何か言いづらいことでもあるのだろうか。


「あのー…“誰推し”か、みたいな話をされておりましたね」

「ああ…」


 推し。

 アイドルグループに対して使われる言葉で、複数のメンバーのウチの誰のファンかということを指す用語だ。

 つまりは黒瀬さん、鷹森さん、兄さんの誰を応援するかみたいな会話だった事が想像できる。


「いつも鷹森先輩とか黒瀬先輩と一緒にいるから注目を浴びやすいんだろうねー」


 少ない単語で洋子さんも状況を理解したようで、的確に兄さんの周りのメンバーを言い当てた。


「で、そん時は誰が1番人気だったの?」

「当然兄さんですよね」

「えーと…」


 私は心情とは真逆の、これまでのキャラクターを踏襲した発言を口にした。

 本当はどこぞの馬の骨に兄さんを上から審査されるなど許し難い行為だと感じている。しかしその本音をぐっとこらえて、普段の兄さん尊敬キャラを演じた。

 ところが


「その通りです…」

「…え」


 聖來さんから返ってきたのは、私の発言を肯定する返事であった。


「なんか、イキイキしてて、優しくて、大人びてて余裕があって…色々と良いところを言い合ってました」

「うそー。鷹森先輩とかのファンはいなかったの? 一人も?」

「はい。四人いたのですが、皆さん真里亜さんのお兄さんの話しかしておりませんでした」

「えー…絶対他の二人のほうが良いじゃ…………って今のはウソね!」


 何やら洋子さんが失礼なことを言っているが、私の心はそれどころではなかった。

 最近の兄さんの変化と、それによる周りの評価。その激動の事実が、私の心中を大時化へと変えていった。


「真里亜さん…?」

「おーい…ゴメンて。お兄さんをディスったわけじゃないのよ?」

「ああ、いえ…それは別に」


 呼びかけられ意識がようやく戻ってきた私に、洋子さんはある提案をしてきた。


「あ、じゃあ今からグラウンド行かない?」

「グラウンド?」

「確か真里亜のお兄さんのクラス、次の授業体育だからさ。きっと早めに行って遊んでるって」

「よくご存知ですわね、洋子さん」

「真里亜のお兄さんと同じクラスに部活の先輩がいるからねー。聖來も見に行こうよ」

「わたくしは別に構いませんが…」


 二人して私の方を見る。

 どうやら決定権は私に委ねられたようだ。だが選択肢はあるようでない。

 この状況でノーとは言い辛いからだ。余程の理由がなければ。


「…はぁ。分かりました。行きましょうか」

「そうこなくちゃ」


 自身の提案が可決され喜ぶ洋子さん。一体何がそれほど彼女を動かすのか。

 ともかく私は兄さんが遊んでいるであろうグラウンドへと向かうことにしたのだった。



「ナイッシュー」

「いぇー」


 校舎を出てグラウンドへ向かった私達は、ある一角に人だかりがあるのを見つける。バスケコートだ。

 そこへ足を運ぶと、男子生徒と兄さんの声が聞こえてきたのだった。

 二人はハイタッチをして互いのプレーを称え合っている。どうやら兄さんがシュートを決めたようだ。

 周りのギャラリー(女子多め)は彼らの遊びの様子を見守っており、時折声援を送りながらコート上の六人に注目していた。


「げっ、マジか」


 洋子さんが驚きの声をあげる。

 敵チーム同士の兄さんと鷹森さんが対峙し、鷹森さんの華麗な高速ドリブルで兄さんを抜きかけた瞬間に、兄さんの超速水平チョップがボールだけを射抜いた。

 そしてそのままボールは兄さんの味方のバスケ部員の生徒に渡り、見事なフリースローでカウンターが成功したのだった。


「これでも卓也にはダメか」

「俺の横を通ろうなんて一万年と二千年早いぜ? 光輝」

「マジ味方だと頼もしいな」

「しかも最近はシュートやドリブルの精度が上がったしな」

「バスケ部の俺等が教えてるからな」

「流石は親友だ!」


 兄さんとクラスメートたちはギャラリーなど気にせずに楽しそうに遊んでいた。既に体操着に着替え、有意義な休み時間をエンジョイしているのだ。

 これがあのものぐさな兄さんなのかと自分の目を疑いたくなる。

 だがあの声や顔や体は紛れもない塚田卓也のそれそのものだ。他に何があるというのか。


 そんなことを考えていると、ギャラリーから控えめに黄色い声が上がった。


「ふぃー…流石に暑いな」

「…!」


 何と兄さんはコレだけの衆人環視の中、体操着の裾をめくりそれで顔の汗を拭ったのだ、

 そうなると当然兄さんの腹筋が露わに…


「やだ…」


 聖來さんが手で顔を覆っている…フリをして指の隙間からバッチリ見ていた。

 私は堪らずコートへと歩みを進める。


「卓也、タオルはどうした?」

「教室に忘れちまってさ…って、真里亜じゃん。居たのか」

「い、妹さんだ」

「こんにちは。兄がいつもお世話になってます」

「い、いえ…」


 挨拶もそこそこに、真っ直ぐ兄さんのもとへと歩みを進めた私はポケットからあるものを取り出して兄さんの前へ差し出した。


「ハンカチ…?」

「使ってください」


 私は体操着で汗を拭く兄さんのために、自分のハンカチーフを差し出したのである。

 しかし兄さんは


「いや、いいよ。イチゴ柄とか…恥ずかしいし」

「何言ってるんですか。体操着の裾で汗を拭く方がみっともないですよ。ホラ」

「………ありがとう」


 渋々…といった様子で受け取ると、兄は顔や首を可愛らしいハンカチーフで拭い始めた。

 するとどんどん布の色の濃い部分が出始める。兄さんの汗が染み込んでいる証拠だ。

 このハンカチーフは、言わば”E缶“。アニナミンが長らく摂取できない時に使う虎の子のアイテム。


 そしてある程度兄さんの汗でハンカチーフが染まったところで


「さあ、そろそろ返してください」

「え? あ、コレを?」

「そうですよ。教室にタオルがあるなら取りに行けばいいでしょ?」

「あ、いや。汗で汚れちゃったし…このまま返すのもなと」

「どうせ洗濯物は私がやりますから。ホラ、教室に戻る時間が無くなりますよ」


 そういうとようやくハンカチーフを差し出してきた。

 流石に兄さんも汗で濡れたばかりのモノを渡すのは恥ずかしいのだろう。苦い顔をしていた。

 それがまた私の心をくすぐる。


(あぁ、折角の腹筋が…)

(なによあの子)

(妹さんみたいよ)

(少し冷たいんじゃない)

(あのハンカチいくらで出品するのかしら)


 聖來さんと洋子さんの元に戻るまでに、こんな声が周りから聞こえる。



 囀ルナ…蝿ドモ……-



 私の頭の中で、どんどん大きくなる声がある。

 それはとても深く、暗く、濁った声。

 自分の声帯からはとても出せないようなドス黒い声が日に日に大きくなっていく。












_______



















「くそー…”アサクル“でレターオープナー頼むかぁ? 安いやつ」


 私が家に帰ると、兄さんはリビングのソファで何やら唸っていた。

 入口からでは後頭部しか見えないが、私がドアを開けた音を聞いたのか、振り向き声をかける。


「おかえりー。さっきはありがとな」

「いえ、お気になさらず」


 今日は私が美化委員の仕事があり、帰りはバラバラだった。

 時間にして30分も変わらないが、その間兄さんは何をやっていたのだろう。

 随分と楽しそうだが。


「それより随分と楽しそうですね。何かありましたか?」

「ん? おお。コレよコレ。じゃーん」

「?!」


 私の方を見ずに兄さんが頭上に掲げたのは、複数の封筒だった。

 どれも可愛らしい色の、私が密かに処理していたような…封筒。


「真里亜宛のラブレター……じゃあないぜ? なんと、俺宛のラァブレイラァよ!」

「…」


 集ルナ…蝿ドモ………


「いやー、まさかこんな漫画みたいなことが起こるとはなぁ。あ、真里亜の分はちゃんとそっちの下駄箱に押し込んでおいたから」


 汚イ手デ書イタ物ヲ、兄サンに渡スナ…


「もしかしたら今までも俺宛のが入ってたのかな? いやでもそれなら真里亜が見て気付くか。しかしまあ、これで目処が立ったなぁ」


 ドウしてハえにタカらレて、そンなにウレしそうニすルの? 兄さん


「今さ、こいつらを簡単に開けるためにレターオープナーってのがあればいいなって思ってたんだよ。真里亜は知らないか? 封筒を極力傷つけずに開けられる事務用品があってさ」


 こえもえがおもぬくもりもだえきもやさしさもかおもからだもかこもみらいも にいさんはあまさずわたしのもの

 ほかのものはいらない


 だれかにとられるくらいなら


「いやでも不便だけど一通ずつ丁寧に開けるのも“オツ”かもなぁ。気持ちとかさ。あ、それに関しては大先輩がそばにいるじゃん。なぁ真里――――」


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