第303話 食堂のフュージョン 麻婆と炒飯

「頂きます」


 人のまばらなアイドルタイムの特対食堂。の、さらに端の方の席で、律儀に手を合わせる俺。

 目の前には熱々の麻婆豆腐がかかったチャーハン。遅い俺のランチだ。

 時刻は14時半過ぎ。特公部長との接見を終えた俺は急いで特対本部にやってきて、入館手続きやらなんやらを素早く済ませたのだが、結局飯にありつくのはこんな遅い時間になってしまった。


 周りを見ると、知り合いはおろか食事をするような職員もほとんどいない。

 それも当然か。割りかし規則正しい生活を送る人間が多いここで、すすんで遅い時間にランチをするような者はごく稀だ。

 朝早く起きて訓練やら任務やらで、腹が減らないワケがないのだから…。


 俺だってそう。

 四ツ矢のランチとここのディナーをフルに楽しむために、朝は7時起きかつ控えめなモーニングにしたのだ。

 それをあのゴス女のせいで…。

 次あったらもっと痛い目にあわせてやるアンニャロ…


 そして俺はこの“麻婆豆腐かけチャーハン”をオーダーするまでに、もう一つの葛藤を乗り越えた。

 それは『ディナーにオールインしようか』問題だ。


 中途半端なこの時間に食事をするということは、つまりはランチかディナーのどちらかの輝きが曇ってしまうということになる。であればやはりディナーをメチャクチャ豪勢にしたいと思うのが俺だ。

 しかしそうなると、この空腹を“程々の量”の食事でやり過ごさなくてはならない。


 昼か、夜か。夜か昼か。この空腹というスパイスが最高潮の今、ホンキを出すか。昼を諦めて“夜に賭ける”か…。

 騒がしい日々に、笑えない俺に。思いつく限り眩しい飯を…って感じだ。


 そんな思考がグルグル巡った俺は、一先ず食堂に行って決めようと思ったのだ。

 今にして思えば、空腹で食堂に行ってしまえばどうなるかくらい予想がついたハズなのに…。



『あ、この匂い…』


 食堂の入口をくぐった俺を迎えたのは、香ばしい“豆板醤”の香りだった。

 客の残り香か、食堂職員のまかないか、仕込みの最中か。出処は分からないが、一見すると食事中の人間が居ない食堂から魅惑のスメルがした。

 そこで俺は想像しちまったんだ。みじん切りの長ネギが油の中でハジケている様子や、溶岩のような赤い液体の中で泳ぐ白い四角の様子を。


『はい、いらっしゃいませー』


 気付けば俺は中華コーナーに足を運び、もう注文する気満々でいた。

 だがこの時はまだ希望もあった。“ライスを頼まなきゃセーフ”という希望だ。

 ライスさえ…炭水化物さえ摂取しなければ、俺は夜も舞える……。そんな蜘蛛の糸よりも頼りない希望にすがるカンダタの如き俺は、すぐに奈落に落ちていく。


『ご注文はお決まりですか?』

『えーと…麻婆豆腐の単ぴ―――うッ………!?』


 注文しようと食堂のおばちゃんに目を向けた時、視界の端に1枚の告知が入った。

 撮った写真を光沢紙ではなく普通紙に印刷し、それをラミネート加工しているため若干ボヤけたそれは、中華と中華の奇跡の融合だった。


 麻婆豆腐でも炒飯でもない、俺を倒すものの写真の横に毛筆で“麻婆炒飯はじめました”と書かれている。

 それを見て、一気に潮目が変わってしまった。


『…? 麻婆豆腐単品でよろしいですか?』

『あ、いや…』


 突然フリーズした俺を不思議がりながら、おばちゃんは俺にオーダーの確認をする。

 残された猶予は少ない。すぐに返事をしなければ怪しい奴扱いは必至…。(既にだが)

 一度“ちょっと待ってくだリスタートさい”をかけるか? それとも…


『はーい、麻婆炒飯“大”の方〜』


 この匂いの正体は、先客のオーダーだった。



 俺はレンゲで麻婆を上からお皿の下まで届くように刺した。

 こうしないと、炒飯と麻婆を黄金比率で食べられないからだ。

 そしてそのままグイッとすくい上げ、口の中に運ぶ。


「うめぇ…」


 辛味と旨み、そして少しだけ振りかけた山椒パウダーの痺れが口の中に広がる。

 炒飯も、絢爛豪華さの無いシンプルなたまご炒飯に見えるが、麻婆豆腐の隙をついてしっかりと存在を主張してきていた。

『白米でいいなんて言わせない』

 そんな誇りと自信が感じ取れた。


「このザーサイとスープもンまい…」


 ここの中華のメニューには必ず付いてくると思われる、小皿のザーサイ。

 シャキシャキとした歯ごたえがアクセントにGOODだ。

 更に、薄味のスープがメインの引き立て役として抜群に輝いている。

 普通のラーメンスープくらいの濃さでは、どこかで衝突してしまう可能性があるからな。

 やはりグループはダブルセンターより、一人のセンターが上手く行くんよ…。

 そんな関係ないことを考えていた。


「…………ご馳走さまでした」


 完食

 目の前には食器だけが残されている。

 それ以外はすべて腹の中だ。

 こんな中途半端な時間にガッツリランチ。それもたまには悪くないだろう。


 それに食事中に思いついたのだが、食った分は運動して消費すれば良い。

 折角の豪華運動施設なんだし、使わない手はないよな。

 真冬のプール、悪くないだろう…。

 そうと決まれば…


「塚田」


 食器を返却し、運動施設へと足を運ぼうとした矢先に俺を呼ぶ女の声。

 その聞き覚えのある声の方を向くと、そこには俺の“もうひとりの妹”がいた。


「大月か」


 特対1課のじゃじゃ馬ガール、大月渚。

 美咲と同じく強力なサイコキネシスを使う能力者で、清野と同じくとっつきにくい存在の彼女だが、ここ食堂で兄妹の契りを交わしてからは態度が軟化した…かな。

 我が家に来た時は愛から感謝の気持ちを受けてアタフタしていたし、本当は優しいヤツなんだと俺は思っている。

 ぶっきらぼうなのは相変わらずだが。


「こんな時間に珍しいな」

「私は夜勤明けでさっき起きたのよ。それで昼ごはんを食べようとしたらアンタがいたってワケ」

「ああ…そりゃあ大変だな」


 志津香と同じで、夜通しパトロールしていたのか。

 昼夜逆転生活って大変だよな。


「ここ、座るわよ」

「おう」


 大月は俺に声をかけると、目の前の席に座る。

 そこで俺は思わず彼女の持つトレーの内容に目が奪われた。


「え、飯それだけ?」

「そうだけど、なに…?」

「いや、足りんの?」

「私はアンタと違って馬鹿みたいに食べないのよ。つか、いちいち見んな」


 馬鹿みたいて…

 まあ確かに飯にあーだこーだ言われるのは嫌だったかもだが、ホットドッグとコーヒーだけってのもすごいなと。

 普通の女子ならいざ知らず、体が資本の特対職員の食事とは思えなくて、つい。


「悪い悪い。気を悪くしたなら謝るよ」

「別に、そこまでじゃないけどね…」

「公表されてから特対の仕事もより一段と厳しくなってるみたいだし、そんな量でもつのか心配になったんよ」

「…まあ、夜に食べるから」

「ならいいんだ」


 大月は夜に賭けたんだな。

 意志の強い子だ。それに比べて俺は…。

 空になった食器を眼下に、己の意志の弱さを実感するのである。


「アンタさ…また変な事に首突っ込んでるでしょ?」


 軽く反省している俺に、突然大月がそんなことを聞いてくる。

 なんだ、藪からスティックに。


「何でそう思うんだ?」

「アンタが特対ウチに来る時なんて、ロクでもない状況の時だけでしょーが」


 ごもっとも。

 見事に行動原理を言い当てられた俺は、特に隠すことなくストレートに答える。


「まあ、突っ込んでるな。首」

「やっぱり」

「ヤバい奴らから命を狙われてるから避難してる」

「………………はぁ」


 デカい溜息だこと。


「アンタねぇ…」

「仕方ないんだよ。ハメられたんだから」

「ハメられたって…誰によ」

「これ以上は危ないから言えない」

「はぁ?」


 俺の返答に露骨に嫌な顔をする大月。

 そんな凄まないでくれ。


「なに、アンタ死にたいの?」

「そんなワケないだろう」

「なら協力者を募りなさいよ。危ないから言えないって、そんなんじゃ誰も集まらないでしょ」

「それはそうだけど、今度の相手は今までのどんな相手よりもヤバそうだからな。『誰でもウェルカム』ってワケにはいかないんだよ」


 実力もそうだが、それ以上に気にしていることがある。


「もちろん大月が頼りないって事じゃないからな?」

「別に、そんな所を気にしてるワケじゃ…」

「ただ、まあ仮にも大月は、俺の家族だしな」

「………………は?」


 目と口を大きく見開いている大月。新鮮な表情だ。


「妹に進んで危ないことをさせる兄貴なんて居ないんだぜ?」


 これは建前。

 大月を巻き込みたくない理由。

 彼女は多分、本当は戦いたくなんてないんだと思う。


 最初の嘱託期間のとき。彼女がここで俺に漏らした気持ちは、普通の家庭で普通の暮らしがしたい…したかったという希望だった。

 家族のもとに戻ることはないと自覚し、それでも自分と似たような境遇のいのり達を気にかけたりしていた。

 自分の事は我慢して、他人を気遣って…。


 それに、この前駒込さんから聞いたのだ。

 ある時から、大月は鬼島さんに“自分から志願して”能力説明の任に就いたと。

 これは想像だが、彼女は能力者のフォローだけでなく、子供たちが普通の生活を崩さないようこっそり動いていたんじゃないかと思う。

 あまり露骨にはできないから、可能な範囲で、さり気なく。


 周囲へのつっけんどんな態度は、そんな反組織的な行動を取る自分を守るためのアーマー…のようなものかもしれない。


 そんな彼女を、俺は積極的に戦いには巻き込めない。特に、家族ごっこみたいな事を始めた手前な。

 あの時はノリによる所が大きかったが、今は不器用な彼女の休まる場所くらいにはなりたいと思うようになっている。

 今更俺が元の家族のもとに送ってやり、普通の暮らしをさせるなんてことはできないが、彼女の幸せに反することはさせられない。


 ありのまま言うとめっちゃ否定されそうだから言わないけど。


「まあ、俺のことは心配するなよ。絶対に死なないから」

「…………………塚田。私は―――」

「塚田さん!」


 大月が何かを言いかけた時、食堂の入り口から俺を呼ぶ声がした。


「駒込さん」


 声のする方を向くと、そこには今回の俺の依頼人とも言える駒込さんが立っていたのだった。

 何やら急いでる様子だが、一体どうしたのだろう…


「どうしたんですか?」

「いえ、あなたが受付に来たと聞いて。もしかしたらここにいるのかと思って…」

「そうでしたか」


 何か…いのりみたいだよな。

 前回から俺がここにいる間、かなり動向を見られている気が…。


「まさか挨拶のためだけに来たわけじゃないですよね…?」

「ああ、そうでした。実は今、丁度“メンバー”とミーティングをしておりまして。良ければ紹介しようかと思ったんです」

「なるほど」


 今回のメインクエストであり、俺が嘱託となった理由に関係する内容だった。

 明日から俺の“チームメイト”になる、彼らとの…


「ありがたいです。早速挨拶させてください」

「良かった…。じゃあ行きましょう」

「大月、最後なんか言いかけてなかった?」

「………あとでいいよ」

「分かった。じゃあ夕飯のときにでも」


 俺は何かを思う大月を一旦置いて、駒込さんとミーティングをしているという会議室に向かったのだった。



 そして駒込さんに連れられ歩くこと5分、とある会議室に到着した。

 既に何らかの話し合いは白熱しているようで、外にいても中の話し声が聞こえてくる。

 しかしこの後すぐに、『話し合い』などという上等な事をするような連中ではないことを俺は思い知るのだった。

 ドア オープン



「く、訓練…真面目にやろ? ね…?」

「あぁ? 無敵の能力者の俺に訓練なんか必要ねーんだよ!」

「そ、そんな事ないよ? ホラ…るーちゃんからも…」

「私の足さえ引っ張らなければ、好きにしてください」

「てめ、言うじゃねーか。勝負すっか? あぁ?」

「良いですよ。痛みを知って身の程をわきまえてください」

「駄目だよ…ふたりとも」

「若いねぇ…アイタタタ…! 腰が…」


 部屋の中では、駒込さんの抱える問題児…もとい“落ちこぼれインターン生&職員”がゴチャゴチャと話している。

 そう。俺が駒込さんから請けた依頼は、彼らとチームを組み“入職判定試験”に臨む…というものだった。


 果たしてこの四人の凸凹集団を導いて、無事試験をパスすることが出来るか…

 この様子から、もう不安である。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る