第301話 死の恐怖

 まず最初に、ほのかな温かみを感じた。

 自分の血液と、エネルギーで象られた短い刃の熱が脇腹のあたりを覆う。

 スーツの上は直前で脱いでおいたので良かったが、白いワイシャツとスラックスは血のりでベッタリとなってしまった。

 ワイシャツに付着した血液って中々落ちないんだよなぁ等と考えていたが、最早それどころではない赤が刺した箇所を中心にジワジワと広がっていく。


 こんなものをクリーニング屋に持って行けば確実に騒ぎになるな。

 被害者か加害者か、その違いはあれど事件は確定。関わりたくない認定をされてしまうのは間違いないだろう。

 特対に持って行って、誰かの何かしらの能力でキレイにしてもらうか…。


 そんな勝手な予定を立てていると、俺とゴス女の両方がほぼ同時に口から血を吐く。

 そして女はダラダラと血を吐きながらこちらに笑いかけた。

 きもちわる。


「………ふ、ふふ…。随分情熱的なアプローチですのね。いきなりこんな痛みをくださるなんて」

「喜んでもらえて何よりだ。もっと楽しんでくれよ」


 女は大好きな痛みを貰えて喜んでいるようだ。


 そして今の発言で理解した。ヤツの能力は『傷や痛みダメージだけを共有させるもの』であることを。

 状態変化はリンクせず、そのまま。

 回復が共有されるのは“マイナスのダメージ”と解釈すれば納得できる。


 だから俺が能力で“痛覚を消した”という効果は、共有されていない。


 他に奥の手があるかもしれないし、わざとダメージ以外のリンクを切っている可能性も無くはないが、恐らく“俺への強化”や“女への弱体化”や“泉気封印”はリンクしないハズ。

 これなら直ぐにでも接近し、無力化が可能となる。


 だがもう少しだけ、女のごっこ遊びに付き合ってやることに。


「あら、もう治療してしまうんですね。わたくしならまだまだ―――」


 女が喋っている途中だが、今度は今刺した方とは逆の左脇腹にナイフを突き刺し、グリグリしてみた。


「ブブッ…! ……スゴイですわね…。切腹した人は…今際の際にこんな痛みを―――」

「えいえい」


 女のよく分からない感想を無視して、次は回復した後に右胸にふた刺し。正確に、平行に、2回刺す。

 そういえば、昔見た少年漫画に出てくる敵キャラに二本の刀を繋げたような武器を使う奴がいたな。

 人間は同じ傷を近くに並んでつけられると、そこの縫合がうまくいかず化膿して、傷の場所によってはやがて死に至るとか何とか…


 だが俺の能力なら、絶対助からないような怪我もたちどころに治療する。

 今つけたばかりの深い傷も、もう元通り。


 …まあ、痛みを消しているとはいえ、不快感や苦しみはちゃんとある。血は込み上げてくるし、異物感・圧迫感とか。

 だからあまり大胆なことはイヤなのだが…


「この胸を走る痛み…こんなのハジメテ……」


 女が喜んでいるうちは、まだまだ手を緩める事は出来ない。


「楽しそうで何よりだ…よっ!」

「ごァっ…!」



 俺はその後も小粋なトークを交えながら身体を刺したり手足をもいだりアキレス腱を切ったり、すぐ治したりしばらく治さなかったり…緩急を付けて自分(相手)を痛めつけてみた。

 その間はじっくり様子を観察し、どういう痛みに弱いのかとか、どの部位が弱いのか等を研究する。


 こちとら痛みを消しているので、自分じゃわからないからな。被虐趣味に付き合う気は毛頭ないし。

 だから弱点が分かり次第そこを重点的に攻めてみて、さっさと相手を屈服させる。

 痛みが麻痺しないように、たまには違うところも攻めたりしてみてな。


 そんなことを企て己をいたぶり続けること10分…徐々にだが女に変化が見えてきた。

 呼吸が乱れ、肩が上下し、直立し辛そうにしている。

 なまじ痛みに耐性があるばっかりに、気を失わない。だが回復できることを良いことに、俺は人が何回も死に至るような攻撃を繰り返す。

 痛みによるショック死にならない程度に、強烈に。

 それが被虐趣味の女の精神こころを削った。


「はぁ…はぁ…アナタ……結構我慢強いんですのね。それだけ自傷しても、まだ余裕そうですわ」

「そうかな…? そうかも」


 おびただしい鮮血で作られた血溜まりの上で、女は息を切らしながら語りかけてくる。

 額に脂汗を滲ませながら、少しだけ口角を上げて。


「アナタもそろそろ、この快感が、分かってきたんじゃありません?」

「いや全然。そろそろウォーミングアップは終わりにしようか」

「…ふ…ふ……」

「そら」


 俺は左腕をナイフで切断した。

 肘より少し先がボトリと地面に落ちて、力なく横たわる。

 見ると女の腕も、俺と同じように地面に落ちていた。

 色の白い細い腕が、本体から切り離されて力を失う。

 もうしばらく放っておけばさらに色味を失うであろう事が分かる。


「グッ…うぅぅ…!」


 残った右腕で左腕をおさえて、苦悶の表情を浮かべている女。

 その様子は快感などではなく、確実に苦しみに変わっているように見えた。とうとうキャパを超えたのかな? あるいは我慢の限界か

 ともかくゴールは近い。


「うーん…分からんな」

「はぁ…はぁ…」

「快感なんて全く覚えないぞ」

「はぁ…はぁ…」

「……多分だけど、お前と俺とでは、痛みに対する記憶が違いすぎたんじゃないか?」

「…きお、く?」


 俺の言葉にか細い声で返してくる女。


「そう、記憶。お前みたいにカッターナイフで小さい切り傷をガリガリ付けたり、自分のタイミングで刺す程度の“ままごと”に興じているようじゃ、分からないだろうけどさ」


 もちろんそんなのでも痛いは痛いだろう。


「突然、なんの前触れもなく、いきなり襲われて受けた痛みはさ…快感なんかじゃないんだよ」


 この女は勘違いしちまったんだ。自分は痛みに強い、怖くないと。

 俺はゆっくりと女に近づくと、目の前で止まる。右手にナイフを構えたまま、見下ろすように。


「大抵の人が感じるのは、快感じゃなくて―――」

「…ぐっがッ……!」


 女のみぞおちにナイフを深々と刺した。

 いつかの階段の踊り場で、影人形に刺された時のように…容赦なく。しかし殺気など発さず、粛々と、無機質に。


「死の恐怖なんじゃないか…?」


 生の実感なんて、そんなものはまやかしだ。

 根源的恐怖が無いなんて、壊れてしまっているか、まだ“そこに到達していないか”のどちらかだろう。


「あっ…ガっ…あ……」

「痛みは好きでも、死ぬのは怖いか?」


 刺した女の耳元で囁く。

 俺のみぞおちにも凄い異物感があり、相手のダメージの深さを推し量ることができた。

 これほどの深い傷ではすぐに死んでしまうと思った俺は、ナイフを抜くと即座に治療し少しだけ距離を取る。


 すると治療したハズの女は膝から崩れ落ち、立膝の状態でこちらを見ていた。

 効果はあったのだろうか。


「……………ふ、ふ、ふ…」


 残念。まだ痛みは足りないようだな。


「次はどこがいい?」

「…………アナタ………とってもイカレていますわね」

「ん? イカしてる、の間違いだろう」


 “レ”と“し”は似ているからな。仕方ない。


「…最初は、アナタみたいなただの会社員、いつもみたいに脅せばすぐに屈すると思っていましたの。こんなのに後鳥羽さんの手を煩わせる事はないわ…とね」

「その話、長い?」

「でも、今確信しましたわ…アナタは超危険人物だということが……。アナタのような狂人に、後鳥羽さんを油断した状態で向かわせることはできませんわ」


 無視された挙げ句に狂人呼ばわり。酷い話だ。



「わたくしは、先に帰りますわ。このことを、彼に伝えなくちゃ…」

「逃がすと思うの―――」


 言うや否や、女が消える。


「か…って何だよ。つれねーな」


 一緒に行こうとか言ってたくせに一人でさっさと帰ってしまう女に、聞こえないだろうが悪態をついてみた。

 いや、それよりも気になったのは…


「なぁ、琴夜。普通にここから出られちゃったけど」


 俺は女がアッサリとこの位相の違う場所から脱出したことに疑問を感じ訪ねてみた。


『……おかしいですね。単なる転送能力では、決して逃げられないハズなのですが』

「だよなぁ」


 琴夜にとっても女の脱出は予想外だったらしく、腑に落ちない様子でいる。

 この空間、脱出不可能とは言わないまでもおいそれと出入りできるような場所でもない。

 ましてや術者が別の場所にいて、遠隔ないしは先がけしていたとしたら、相当に強力な能力だ。


 流石は天下の特公サマのお眼鏡にかなった仲間たち。

 いい能力を取り揃えてやがるぜ。


「…まあ今は考えていてもしゃーない。とりあえず着替えて四ツ矢行くか」

『そうですね』

「飯を食う時間は無いから特対本部で―――」


 気を取り直し出発しようとした俺の袖がクイッと引っ張られる。

 見るとユニが実体化し、控えめに掴んでいたのだった。


「どした? ユニ」

『なぁ、タク。もうああいうのは控えてくれないか……』

「…えーと、自分で自分を切ったり?」


 コクリと頷くユニ。


『いくら痛みがなくても、あんな姿のタクを見るのは、その…辛い』

「………すまん」


 俺は心配してくれるユニの頭を撫でると、素直に詫びた。

 確かに見ていて気持ちの良いものじゃないし、気分も悪いよな。反省だ。


「何となく知りたい情報も手に入ったし、もうやらないよ」

『ん。だったらいいんだ。行こ』

「あぁ。そうだな」


 機嫌のなおったユニが右目に戻ると、元の位相に戻ってきた。

 そして俺は急いで庭に溜まった血液を水で流すと、キレイなスーツに着替えて家をあとにする。

 とりあえずパッと見キレイになったが、今度しっかり庭の洗浄しなくちゃな。


 そんな呑気な事を考えながら、特公部長の待つ四ツ矢へと向かったのであった。


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