第298話 宣戦布告の夜に

「どーだ? ここのあおさの味噌汁は絶品だろ?」

「結構なお点前」

「はは。茶会かよ」


 入店して40分。

 俺たちの飲み会(酒なし)は進み、志津香には俺セレクトの『〆部門』のひとつである『あおさの味噌汁』を飲んでもらった。

 程よい塩分はアルコールの浸透した体によく染みるのだが、単体でも絶品である。でもお酒がある方がより旨く感じる(未練)


「卓也、明日からまたこっちに来るって」

「ああ…」


 味噌汁のお椀を置いた志津香は、ふとそんな話題を振ってくる。

 明日からの嘱託入職と、それに伴う宿泊。今回は急ではないので、志津香には事前に言っておいた。

 駒込さんの手伝いをするという名目で、またお邪魔しまーすとか、そんなノリのメッセージを。


「駒込さんに頼まれて断れなかった?」

「んー…別にイヤイヤってわけじゃないぞ? 彼にはお世話になってるし―――」

「それだけじゃないでしょ」

「え?」

「他に目的がある」


 ただの雑談から、突如詰められるような兆しが。

 一体どうしたというのか。雑談はスデに、尋問に変わっているんだぜ…。


「なんだよ、他の目的って…。他の目的が無きゃ手伝いしちゃいけないわけじゃないだろう?」

「それはそう。でも今の卓也は違う」

「今の俺?」

「何か企んでいる顔をしてる」


 バレテーラ。


 思えば志津香には、『何かを企んでいる俺』を多く見られていたな。

 初めての嘱託期間や、尾張を追い詰める為に活動していた時…。

 俺の策謀に彼女を巻き込んでいたっけな。


 純粋に光輝とゲームに興じている時と比べれば、悪い顔をしているのだろうな。知らんけど。


「……俺はそんなに打算的な人間に見えるか?」


 必死の抵抗、もとい…おとぼけ。


「卓也は勢いで動くことはあっても、感情だけで動いたりはしない」


 まあ確かにあれこれ考えて動くことは多いけど。

 そこまでパッション足りてないか。


 そして志津香の口ぶりから、完全に俺が何かを抱えて動いていることがバレていた。

 よく見てらっしゃる…。

 ここらが限界だな。


「………志津香の言う通り、義理だけで嘱託の件を請けた訳じゃない。ちゃんと見返りリターンを期待しての事だよ」

「見返り?」

「ああ」


 これは、先日相談を持ちかけられたときに駒込さん本人にも直接話している。

 彼の直面している問題と、それを助けることで得られる俺のメリット。

 お互いをいい意味で利用する…助け合いの上に成り立った契約だ。


「端的に言うと、俺はいま、とある組織の人間から命を狙われているんだ」

「また…」


 志津香の表情がほんの少し驚きに変わる。


「しかも今度は数も多く、結構面倒な相手でな。確実に殺し屋たちより手を焼く。だから俺も色々と準備をしてるんだ。駒込さんからのお願いは、俺の戦力を強化できるかもしれないと感じたから請けたんだ」

「そうだったのね」


 かなり物騒で踏み込んだ内容の話が、俺と志津香の間で飛び交う。

 しかし、入店時から客も増え賑わいを増した店内にはいい感じに溶けて消えた。


 そして志津香の考察通り、今回も悪巧みと打算の上で特対の敷居をまたぐ。

 まだまだ手放しでの甘えには程遠いが、これでも駒込さんとの距離は近付いた気がする。

 これまでのお互いの立場だったら、俺の要求には決して首を縦には振らなかったはずだ。


 だが今は友人として俺の身を案じ、立場上厳しい要求を譲歩して呑んでくれた。

 だから俺も自分の事を考えつつ、彼の助けになるために明日から全力で考え動く。


「だからまあ、俺には俺の目論見があって特対にお邪魔するよ。ただ、少し自分を変えたくてな…これまでとは違った俺になれるように頑張ってみるつもりだ」

「変わる…」


 俺の言葉に思うところがあったのか、少し考えている志津香。

 俺はそんな彼女に更に話を続ける。


「というわけで、俺から志津香に頼みがあるんだ」

「! うん」


 ちょっと背筋を伸ばし、改まる。


 ネクロマンサーを炙り出すとき、そして尾張を炙り出すとき…どっちも同じ相手だが。

 俺は彼女からの申し出を、好意を、ただ受けるだけだった。

 ある意味“甘え”とも言えなくもないが、そこは『貸しがある』という気持ちが俺にあったかもしれない。

 対等に、身を委ねたりしていなかった。


 だから、今度はちゃんと言わないとな。


「俺を助けて欲しい。また一緒に、戦ってくれないか?」


 これは、ただの俺の自己満足だ。

 向こうから言うのと何も変わらない。多分今日も俺の状況を察し、手を差し伸べに来てくれたんだと思う。

 彼女は優しいからな。


 けど今度は俺から、志津香を一人の仲間としてちゃんと引き入れたい。

 損得関係なしに、ちゃんと甘えたいと思った。


「………卓也は、私が今日何しにここへ来たか分かってる?」


 俺のお願いを聞いた志津香は、少し話を逸した。


「『そうかなー』くらいは、薄々…」

「じゃあ、私が断らないのも分かってる?」

「それは…そうあってほしいと思ってるよ。でもこれは俺のケジメでもあるんだ。それにさっきも言ったように、俺は危険な状況にいる。だからよく考えて、気軽には受けないでほしい」


 俺が大規模作戦で助けたことを恩に感じているのなら、それはもう気にしないでいい。

 でも、俺に協力もしてほしい。

 自分で言っていて少し矛盾しているな…。


 今までならスムーズにいったであろう交渉も、いのりに言われたことを意識しだすと途端に難しくなるな。

 甘える、か…難しいよ。

 特に恩とか損得から始まってしまった関係で、それを取っ払って対等な関係を築くことの難しさよ。


「…ねえ」

「ん?」


 俺の頼みを聞いて少しだけ考えていた志津香が、俺を呼ぶ。

 何だろう。微笑んでいる…のか?

 これまで見たことのない志津香の表情に、俺の視線は吸い込まれる。


「受けてもいいけど、ひとつ試してもいい?」

「試す?」


 志津香はどういうわけか俺を試すと言ってきた。

 てっきり何か見返りを要求するのだと思っていたから、少し驚く。

 俺は一体何を試されるんだ? 覚悟とかか?


「左手を開いて、前に出して」

「え、こうか?」


 言われた通り左手をパーにして、前に突き出す。

 別に志津香にビッグ・バン・フラッシュを撃とうとしているわけではない。

 しかしこのポーズになんの意味があるのだろうか。


 そんなことを考えていると、志津香はおもむろに立て膝になりこちらに身を乗り出してきた。


「どうしたんだ、志津―――」


 次の瞬間。

 俺の左手の指は志津香の右手の指に絡め取られ、彼女の左手は俺の後頭部に回された。


 そして、グッと引き寄せられた俺の額は、目の前の彼女の額とゼロ距離になる。

 おでこのシワとシワを合わせて幸せ、なーむー…じゃない。


 少なくとも志津香のおでこにはシワ一つない。

 そういうことでもないか。


「あの、なんすかコレ…?」


 彼女の意図がまるで分からず、問いかける。

 俺の目と鼻の先には、彼女の目と鼻が。本当に何なんだこれは。


「テスト」

「テスト? この儀式が?」

「そう」

「そうなんだ…」


 これで何が分かると言うのか。

 というか、俺の行きつけの店の、顔なじみの大将もこっちを見ているんだが。

 ここ来づらくなっちゃう。


「どう?」

「…何が?」

「ドキドキした?」

「そりゃあ、するだろ…」


 こんな可愛い娘が紛うことなきガチ恋距離に居るんだからな。

 俺でなくとも、世の男性諸君のハートはDOKIDOKIで壊れそう1000%LOVEって感じだ。


「良かった」

「何がよ…?」

「卓也は鷹森さんか駒込さんが好きなんだって、特対(一部)で噂になってた」

「はは。なにを馬鹿なことを…」

「…」

「え、マジ…?」


 何その設定。初耳なんだけど。

 そして志津香は、ベーコンレタスしか知らないと思ってたのに。


「いつも楽しそうにしてるから、てっきり」

「いや、そりゃあ光輝とはな…ゲーム仲間でもあるし。駒込さんは、まあ良きパートナーって感じだよ」

「知ってた」

「知ってたんかい。それでこのテストは、それを確かめるためだったのか?」

「それもある。でもそれだけじゃない」

「他になんかあるっていうのか」

「そう。これは、誓い」


 誓い? 確かに距離は近いが…

 そんなしょーもないことを考えていると、志津香の体を覆っていた泉気がフワッと優しく膨張した。

 能力発動時に見られる泉気の動きだが、非常に弱く、こうしてゼロ距離の俺だから気付くことのできるくらい弱い挙動である。


「私から卓也への宣誓」


 そう言うと、志津香は薄いピンクの花を一輪、俺たちの間に挟む。

 本当に何かの儀式みたいだな…これ。


「宣誓?」

「そう。だからこのジャスミンの花をアナタに贈る」

「それは…」


 志津香の大胆極まりない行動に面食らっていると、手は繋がれたまま彼女の顔が離れる。

 そして、スッと目を細め、こう言い放った。


「私も変わることにする」


 その表情は、今まで見たことのないものであった。















 _________














 私を助けてくれたその人は、何処か遠くの場所を見ていた。

 私を見ているようで、見ていない。そんな感覚がうっすらとあった。


 私に興味がないとか、そういう類のものではない。

 たまに、ここにはいない誰かに思いを馳せているようなそんな気がした。ただの勘だけど。



 引っ越し祝いの時に現れた死者が、卓也の視線の先にいるヒトだということは直ぐに分かった。多分、きっと、あそこにいた全員に共通している感覚だろう。

 とても大切に会話をしている卓也がとにかく印象的で、心が揺さぶられたのを覚えている。


 そして頭の中で色々と繋がった。

 特対職員の中からネクロマンサーを炙り出すときや、黄泉に行ったとき。出会う前のエピソードもそう。


 卓也は『あの人に会えるから死んでも良かった』のだと。


 積極的に死地に飛び込んだりするのではない。

 ただここぞというとき自分の命を賭けられる。いや…可能性が少しでも高い手段に命が必要なら簡単に差し出せる。

 そんな刹那的な思考があったのだ。

 それは彼自身も自覚していない、深層心理。



 何となく、あの死者の女性に卓也が連れて行かれそうな気がした私は、すぐさま何かをやろうとしている彼に協力を申し出た。

 その時の特対は鬼島派・衛藤派の2大派閥に分かれていたが、どこにも所属していなかった私は少数派の四十万派と協力関係にあった卓也の仲間にすんなり入ることができた。


 しかし活動はまさかの“動画撮影”で、驚くことに。

 更にそれが一定の効果を上げて、もっと驚いた。

 そこからはあっという間に事件解決だ。



 私が卓也の次の変化に気が付いたのは、ネクロマンサー事件解決のご褒美に行った寿司屋でのことだった。

 事件前後の卓也をよく観察していないと気づけないくらいの微細な変化。


 具体的な事は言えないけれど、吹っ切れたような気がした。

 聞いてもはぐらかされるが、きっとあの人と何かがあったのだと言うことは理解できる。

 そしてその結果、卓也が皆を見るようになった…気がした。



『ああ。というわけで、俺から志津香に頼みがあるんだ』


 今までにない眼差し。

 今までにない展開。

 間違いなく卓也の瞳に私が写っているのが分かった。


 ただ、そんなことで喜んでいられない。

 ライバルはきっと多い。

 彼を独占しようとしている人は男女問わず沢山いるはず。

 そう直感した私は、動くことにした。


 彼の言葉を借りるなら、変わろうと思った。



「私から卓也への宣誓」



 ジャスミンの花言葉は『あなたは私のもの』

 いつか貴方からこの花を贈ってもらえるように…


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