第287話 独立に向けて

 星野さんが再び俺の胸に顔を埋めてしまった事で、社長室は沈黙に包まれる。唯一、俺の胸元から発せられる、すすり泣く様な音だけが静かに空間に響いていた。

 社長も、入り口の少し外に居る小宮さんも、ワケが分からず言葉を失っている。

 事情を知る自分か星野さんが会話を切り出すべきだが、かくいう俺も彼女の意外な行動に驚きで声が出なかった。


 そりゃあ自分のせいで誰かが会社を去る…なんてなったら心穏やかではないだろうけど。

 今の星野さんはまるで幼い少女のように感情を爆発させている。比較的気持ちのふり幅が少ないタイプの人間だと思っていた俺は、中々第一声が発せられずにいた。


「…」

「あ…」


 どうしようかと困った俺は視線を移動させると、申し訳なさそうに目を伏せる小宮さんが映った。その様子から、大体の経緯を察する。

 おそらく先に到着した小宮さんが、俺と社長がする退職話をコッソリかたまたまか聞き、後から来た星野さんに報告。それで『自分のせいだ』と勘違いしてしまった彼女が勢いのままに社長室に飛び込んで来た…と、そんなとこだろう。

 星野さんの突飛な行動に驚きながらも、秘密の話を聞いてしまって申し訳ない感じが表情に表れていた。


「塚田…。もしかして、巻き込んでしまった同僚って…星野なのか?」


 察しの良い社長が正解を口にする。

【ライフライン:オーディエンス】を行使したとはいえ、見事な推理だった。


「ええ、そうです。俺が―――」

「違うんですっ! 私が勝手に…っ! 悪いんです!」


 俺の説明を遮るように、星野さんが訴える。だが気持ちが先行し過ぎて説明のていになっていない。

 見かねた社長は苦い顔をしながら、今度は小宮さんに声をかけた。


「小宮。悪いんだけど、会議…30分遅れるって参加者にメールしてくれるか?」

「あっ…はいっ!」

「それと星野。いつまでもそんなんじゃ、余計に塚田を困らせるだけだぞ」

「……」


 社長の落ち着いた声掛けに、星野さんは静かに俺から離れる。


「じゃあ、そこに座りなさい。ちゃんと話すから」

「…すみません」


 こうして、定例会議を遅らせて再びの事情聴取(?)が始まる。

 社長の隣に俺が座り、星野さんとメールを送り終わった小宮さんが隣同士に座り、少し落ち着いた星野さんの話を三人で聞くという時間が過ぎていったのだった。



「えー…つまり、星野がいつもと違う方向に帰っていく塚田の後をつけていったら巻き込まれてしまったと」

「はい…」

「だから塚田に全く責任はないと言うんだな?」

「そうです…」

「…テレビとかでも言っていたと思うが、『この人能力者かも』と思っても、みだりに探るような行為は控えろって。それは分かってたのか?」

「……すみません」


 軽率な行動を諭す社長だったが、消え入りそうな声を出す彼女を見て非常に困っていた。社長もこんな星野さんを見るのは初めてだったんだろう。

 小宮さんは隣で星野さんの手を握りながら慰めている。


「だそうだぞ、塚田」


 キラーパスきた…。


「………ひとつ、星野さんは勘違いをしています」

「かんちがい…?」

「はい。僕は貴女に感謝しかしていない」

「え…」


 顔をあげた星野さんは、俺の意外な発言に素っ頓狂な声をあげる。

 しかしこれは紛れもない事実だ。なので俺はしっかりと伝わるように話を続けた。


「警察の仕事を手伝っている以上、遅かれ早かれこういうことになるのは分かっていたんです。でも居心地が良くて、中々離れる決断が出来ないでいました。いや…そもそも両立できるとすら思っていました」


 俺は裏の世界の"深さ"を分かっていなかった。


「もしあのまま突き進んでいたら、"同僚の死"という最悪の結末が待っていた事は想像に難くありません。だから、怪我をさせておいてなんですが…あのタイミングで星野さんが現れてくれたことは俺にとって幸運以外の何ものでもありません」

「それは…」


 廿六木の打算と俺の利が一致した。


「もし僕に引け目を感じているというのなら、お互い様ということで手を打ちませんか?」

「でも…辞めるんでしょ……?」

「そうですね。それはもう決まりです」

「…!」


 それを聞き、また少し目に涙を溜める星野さん。

 とても困ったな。


「えーと…大切だからこそ、遠くに置かなくちゃならないものっていうのが世の中にはあって、それがここなんです」

「なるほどな…」


 社長が相づち助け舟を出してくれる。


「ホントは、ずっとここに居たかったです。でも、能力者になってみて、目の前の困っている人を放っておけなくて、気付いたら狙われるような立場にいました。そうなったら、ここにはもう居れないなって…。大事だからこそ……」

「…」

「それに、何も今生の別れじゃないですから。たまに会社に遊びに来ますし、怪我した時に連絡くれれば、コッソリ能力で治しますよ」

「いいな、ソレ」

「ええ。手足が千切れても、生きてさえいれば元通りに治せますんで」

「すごいな…」


 社長はとても感心している。


「あと、ウチならいつでも遊びに来てください。また食事会でもやりましょうよ」

「………いいの?」

「もちろんですよ」

「……わかった」


 これで一先ず納得してくれるか…?


「―――おっと、ホントにもう時間がないみたいだ。そろそろ会議だから、一旦解散だ。塚田はまた総務部長を交えて話し合いがあると思うから頼むな」

「分かりました」

「星野と小宮は、くれぐれもこのことは内密にな。仲良しの相手でも言うなよ。これは塚田の生活の為でもあるんだからな」

「はい」

「承知しました」


 そうして、俺の退職の話は社長のお陰でトントン拍子に進み、年内で『1月13日が最終出勤日』ということまでが決まった。(退職日は1月31日)

 その裏で、総務部長の腰痛と経理課長の膝関節痛が治ったのは特対には内緒である。


 かくして俺は、フリーランスの道を歩む事となったのである。

 篠田やサッさんにはいつ言おうかなー、なんて思いながら年内最後の出勤を終えた。
















 _________




















「おっちゃん。食いに来たよー」


 12月29日 11:45

 俺はランチを食べに、宝来へとやって来ていた。

 本日が年内最後の出勤日となっている為、今日を逃すと休日にわざわざ電車でここまで足を運ばなければならなくなる。

 まあそれでもいいんだけど、どうせならついでに来れる出勤日に…ということだ。報告もあるしな。


「よォ、卓也。飯か?」

「そそ。味噌バターコーンラーメンの大盛り。半チャーハンもつけてね」


 カウンター席で新聞を読んでいたおっちゃんは俺に気付くとすぐに準備に取り掛かってくれた。

 オフィス街の昼時だというのに、相変わらず客足はイマイチなようだ。


「卓也よォ」

「んー?」


 中華鍋を振りながら、おっちゃんが話しかけて来る。

 俺はカウンター席で調理の工程を見ていたので、会話には支障が無かった。


「残念だったな、カード能力者の依頼。先越されちまってよ」

「あー…まあね」


 おっちゃんから請けていた依頼である"カード能力者の討伐"。

 俺の使った手段では『依頼未達成』になってしまうのだ。


 何故なら実際に討伐したのはヤクザの組員で、それを捕まえたのは警察だからである。

 組の連中には俺と廿六木の関与は話さないように頼んであるし、能力で探られてもいいように姿や声だって変えている。(当然偽名)

 事件に関わったと絶対に知られたくない廿六木がいるからそこは信用している。


 しかしおかげで報酬もゼロだ。

 蓋を開けてみれば俺も向こうから狙われてたワケだし、それを無事切り抜けることができたと思えば全くの無駄骨ではないと言えなくもない…こともない……と強がってみる。


 まとめると、防衛戦には無傷で勝利したのに賞金が貰えなかった…といったところか。

 退職の件を考慮しても、善斑・後鳥羽・廿六木と面倒事が多く増えたし、高い勉強代だったな…。

 てか職失ってるし、やっぱ良くないわ。廿六木め…


「…でもまあ、警察のおかげでこれ以上犠牲者が出ないと思えば、良か―――」

「ウソつけよ」

「―――え?」

「お前が裏で動いてたんだろ?」


 チャーハンと格闘しながらこちらを見ずに、そんな事を言うおっちゃん。

 急に詰めて来るのはやめてくれ。


「どうしてそう思うんだよ?」

「捕まったヤクザよ、動機は"仇討ち"だって言ってるらしいじゃねーか。なんでも組の若頭の息子が、カード能力者に能力を与えられたソイツに恨みを持つヤツに殺されたからってな…」

「おっちゃん並みの情報力を持ってたとか?」

「若頭の息子殺害からカード能力者死亡まで1週間だぞ? しかも直接殺ったヤツは死んでるから、間接的な原因を断つって…手際が良いにもほどがある」


 警察での事情聴取内容やそれぞれの関係性を完璧に把握しているっぽいな。

 こりゃとぼけても意味がない…というか、始めから意味はないんだけど。

 正直に白状しよう。


「…おっちゃんの言う通りだよ。俺がカード能力者を探し出すためにヤクザを仕向けたんだ。こっちの事情で解決を優先した。報酬は諦めてな…」

「やっぱりか」

「悪いな。おっちゃんに入るハズの達成報酬も、勝手に諦めちまって」

「別にいいさ。ホレ、半チャーハン」

「ありがと」


 先に半チャーハンを提供したおっちゃんは、そのまま茹でていた麺の湯きりをし始める。もうすぐ味噌バターコーンも食べられそうだ。

 あと、報酬の件もそれほど気にして無さそうで良かった。

 事情が事情とは言え、依頼を優先しなかった事を咎められるかと思ったが、本当に気にしてないみたいだな。


 結果だけ見れば達成した事になるが、カタチが良くない。

 偶然先を越されたのならまだしも、これでは仲介のおっちゃんは『話が違う』と言いかねなかった。

 もっとちゃんとホウレンソウをしっかりした方が良かったかもな。



「ほいよ、味噌バターコーン」

「待ってました」

「お前ェ、会社辞めるんだってな」

「……話が早すぎるな」


 ラーメンのついでに門外不出の人事情報まで披露してくるおっちゃん。

 会社でも直接聞いていた三人と、総務部長・経理課長・人事部長の計六人しか知らない情報を…

 マジで何者なんだぜ。


「3年前だっけか、お前がここに通い始めたのも」

「そうだね。会社の方は3月いっぱいで丸4年だね」

「時が経つのは早いもんだな」

「だねぇ。ここにもあまり来れなくなっちゃうなぁ」


 味は抜群なのでたまに来ることはあっても、今みたいな頻度では来ないだろう。

 月一とかそんなもんか?


「おめぇ、逆だよ逆」

「逆?」

「これからフリーでやってくんだろ?」

「ああ、一応。個人で認可も取ろうかなって…」

「だったらウチで"実績"を作らねえとだろ。ホレ」


 そう言っておっちゃんはテーブルに1枚のA4用紙を置く。

 俺は麺をすすりながらそちらに目を向けると、大見出しでこんな内容が記載されていた。


【認可組織と個人との直接取引の緩和について】


 内容は平たく言うとこうだ。

 これまでは能力が秘匿されてきたので、一般事件から能力事件まで警察が一括で受ける。そこから一般警察や特対・認可組織に再分配するというやり方を取ってきた。

 ところが先月能力が公表されてからというもの、些細な事も全部"特対専用相談窓口"に寄せられてしまいパンク寸前なのだそう。

 そこで近々、認可組織と個人を直接やり取りさせる仕組みを始める方針で動いているとの事だ。


 これにより特対が仕分けるという工程が減り、迅速に事件解決へと導くことができる他、一般人は警察に相談できない・するまでもないような依頼を気軽にすることができる。

 その場合はきな臭い依頼になってしまうのだが。


「強盗・傷害から異音騒音…果ては『恋人が浮気したのは能力で操られているからだ』なんて特対に訴えてくる始末だ」

「うーん…それは手に負えないな」

「だから今後は認可組織にもある程度権限を与えて、トラブル解決をスムーズに進めていく方向なんだとよ」


 "特対からの依頼"、"能力覚醒業務"に続く認可組織の新しい稼ぎか。


「だから、これから認可組織を起ち上げるお前ェは、ウチで実績を作らなきゃいけねぇのさ」

「実績ねぇ…」

「事件を解決したことない探偵と、大きな案件を何度も解決してきた探偵…どっちに頼むかは明らかだろ?」

「そりゃそうだ」

「特にオメェは『公表できるような実績』がねえだろ」

「……ホントによく知ってるね」


【手の中】の連中を捕らえた手柄は、主に四十万さんのモノ。

【CB】の幹部は光輝に倒してもらったことにした。

【ネクロマンサー】尾張も四十万さんに手柄を譲っている。


 しいてアピールできそうなのは嘱託職員として900万円の報酬を貰った事と、聖ミリアムでの生徒失踪事件を解決した事くらいかな。


「だから認可が下りるまでの間はウチで実績を積んで、いざ開業したときに『何千万円の報酬実績があります!』って旗を掲げられるようにしとけってこった」

「なるほどね…。確かにそうかも」


 個人の依頼主と直接やり取り出来るようになることは追い風だが、まだまだ良いスタートを切るには足りない。

 おっちゃんの言う通り、ここで色々と勉強させてもらった方が良さそうだ。


「おっちゃん」

「おう」

「今後ともよろしく」

「おう、こちらこそよろしくな」


 俺の挨拶に、おっちゃんはニカっと笑って答えた。

 何かが始まる時にはいつもおっちゃんがいるような気がするな。

 これも縁ってヤツか。


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