第286話 追い風 向かい風

「…そうか。まあ、座りなよ」

「はい。失礼します」


 俺の退職宣言を受けた能代社長は、読んでいた新聞を折り畳み自分の横に置くと俺に座るよう促してきた。

 俺もそれに素直に応じ、社長の正面のソファに腰を掛ける。黒い皮に覆われた、ふかふかの高級ソファだ。

 この部屋に招かれている時点でその人物は会社的にVIP確定なので、それなりのおもてなしの姿勢を見せる必要があり、その姿勢がこの超高級本革のソファに表れていた。

 帳簿にも、何年か前にウン十万で購入した事がバッチリ記載されている。俺のような一般職員は社長面接で年に2回ほど座れるか座れないかの代物だ…。


「…傍から見ると、仕事はすごい順調そうに見えているが…。去年あんな事故があった直後だって言うのに、同じ事故で亡くなった西田のフォローまでしてくれて、みんな大変助かったと言ってたぞ。ここだけの話、今度昇格させよう…なんて話が総務部長からも上がっていてな。一体何が理由か、教えてくれるか?」


 本来であれば秘密であるはずの人事情報を持ち出し、評価してくれている事を伝える社長。

 しかし―――


「退職する理由は、仕事とか人間関係の事ではないんです」

「ん…? そうなのか」

「はい」


 社長は、俺が経理課長や総務部長をすっ飛ばし直接意思を伝えに来てしまった事で、ここらへんと揉めたのではないかと勘違いしているようである。

 なので誤解の無いよう早々に訂正させてもらう。


「それならどうして…?」

「単刀直入に申し上げますと、僕が能力者で、先日そのことで同僚に迷惑をかけてしまいました。それでこれ以上ここには居られないと判断し、退職を申し出ました」


 具体的な内容はまだ伏せ、概要だけ説明する。

 それでも社長としては整理しきれない情報量ゆえ、『ちょっと待ってくれ』と制されてしまった。


「……えーとまず…お前、能力者なのか?」

「そうです。例の事故で覚醒し、それ以来能力が使えるようになりました」

「確か…死にかけると覚醒するって、ホームページに書いてあったあれでか…?」

「はい」


 先日一般公開された情報であり、今や30代以下の人には総理大臣のフルネームよりも知られている。余程情報に疎いか、インターネットもテレビも新聞もありません…という環境でもない限り目にしているだろう。

 俺の場合厳密には取得経緯は違うのだが、こうしておくと面倒が省けるので使わせてもらっている。


「ちなみに…能力って……」

「そうですね。少々お待ちください」

「お、おう…」


 実物を目にするのが初めてであろう社長は、戸惑いに好奇心が混ざった態度で遠慮がちに訊ねてくる。

 その期待に応える為、俺はソファから立ち上がると社長のデスクの上に"手ごろなモノ"がないかを物色し始め、ひとつのアイテムに注目した。


「すみません。この灰皿、少しお借りしても良いですか?」

「え、あ…ああ。別に構わないよ」

「ありがとうございます」


 俺は社長のデスクに置いてあった灰皿をパフォーマンスに使わせてもらう事にした。

 分厚いガラスで出来た、魚の鱗のような装飾が施された灰皿。

 よく2時間ドラマとかで、犯人が口論の末に相手を鈍器のような物で殴って殺してしまう…その"鈍器のような物"の定番のひとつだ。


 前社長がまだタバコの規制が緩かった頃に部屋の窓辺で吸っていた時に使っていたようだが、今は現社長のデスクで物入れと化している。

 俺は灰皿の上に乗っていた"ふせん"や"消しゴム"を机の上にどかすと、灰皿だけを持って社長から少し離れた所へ移動した。そして…


「行きますよ…っ!」

「!?」


 俺は見やすいよう灰皿をかざすと、そのまま持っている両手でベキベキと砕いた。

 なるべく丁寧にやったつもりだが、破片が少しだけ散ってしまう。距離を取っておいたおかげで社長には当たらずに済んだけど。


「……!」


 およそ人間の力では不可能な芸当を目の当たりにし、言葉を失う能代社長。

 だがこの程度なら鍛えれば開泉者にも容易く出来る。

 俺のパフォーマンスはここからが本番だ。


「見ていてください…」

「……おお? おお…! うおおおお…!?」


 俺が能力を使うと、砕けた灰皿が床に落ちた破片を巻き込みながら手の中で元の形を取り戻していく。

 対象の"失われた部位が近くにある"場合に見られる再生課程は、何もないところから手足が生える課程とはまた違った趣がある。

 まるで動画の巻き戻しのように、重力を無視したガラスの動きと再生が見る者の心を鷲掴みにした。


「これが私の能力で…対象を治療する効果があります」

「……」


 すっかり元通りになった灰皿を掲げてフリフリする俺。そしてあまりの出来事に絶句している社長。

 この瞬間はえも言われぬ高揚感がある。なんかこう…承認欲求みたいなのが満たされた感じ?

 だがいつまでも驚かれていると話が進まず始業時間を迎えてしまうので、声をかける事にする。


「社長」

「ん…あ、ああスマン。つい驚いてしまった」

「無理もありません。みな同じようなリアクションを取りますから。話を続けますね」

「ああ。能力者だったせいで、ウチの社員の誰かに迷惑が掛かって…って言っていたな。それはどういうことだ?」


 サッと頭を切り替えてくれたのは助かる。流石は敏腕経営者だ、


「実は…僕が能力者になって以降、警察内にある超能力組織からの仕事を何回か請けたんですが…」

「特殊犯罪対策部ってとこだよな、確か」

「はい」


 こちらも、能力に関する情報収集をしていれば何度も目にする言葉だ。

 能力絡みのトラブルが起きた時の通報先や、連日メディアで一生懸命PRしている光輝や美咲たちの所属組織となっている。


「なんか副業規定がどうとか言ってたのはソレか」

「そうです。それで、先日もその依頼の関係で動いていたところ…ある社員を巻き込み怪我をさせてしまったんです……」

「そうか…。ちなみにその社員の怪我っていうのは……」

「直ぐに治して、フィジカル面・メンタル面ともに問題ないと本人は言っています。でも、もう…ここには居られないと判断しました……。むしろ決断が遅すぎるくらいだと反省しました」


 治ったからヨシ! というワケにはいかない。今回は相手に殺意が無かったことが不幸中の幸いだったというだけ。

 ここで離れなければ本当に取り返しのつかない事になってしまう。


 そして俺の報告を聞いた社長は少し沈黙した後に自身の心中を話した。


「………そうだな。お前の言う通りだ」

「…社長」

「多くの社員を預かっている立場としては、そんな事を聞かされてしまった以上、見過ごせない」

「すみません…」


ぐうの音も出ないな。


「いや、お前が謝る事じゃないよ。実は先日政府から経営者に向けてブックレットが郵送されてきてな…」


 そうだったのか。それは知らなかった。

 だがそれが一体どうしたのだろう。


「そこに『能力者を雇用して事業をはじめようとしている経営者の方へ』って項目があったんだよ」

「……そこにはなんて?」

「能力者を雇用するという事は、会社の超重要機密に手足が生えて動き回るようなモノです…だってよ。おかしいよな」

「あはは…」


 そんなジョークっぽい内容もあるのか…


「まあ『雇っておしまい』じゃなくて、その社員に対しての一定の防衛策だったりケアだったりが必要だから、特に中小企業の経営者はよく考えましょうね…って」

「ああ…」

「物凄い能力者が居てそれを中心に仕組みを作ってしまうと、誘拐だったり傷害事件だったりが起きるんだと。それで能力者本人だけでなく周りも被害を被って、組織が崩壊してしまう可能性があるんだってさ。それに雇った能力者が調子に乗って報酬を吊り上げてきたりとか…とにかくあらゆるデメリットが書いてあったよ。そもそも事業開始の申請には"超"厳正な審査があるし」


 社長はウンザリしたように語る。

 もしかしたらちょっとやってみようかな…なんて思ったりもしたが、そんな気を粉々に打ち砕く内容のブックレットだったのかな。


「つまり俺が何を言いたいのかというと…何かあった時にお前を守ってやれるような備えが会社ウチには無い…ってことだ。お前には悪いがな」


 社長は、自分にも責任がある口ぶりでそう話す。

 俺が勝手に深入りし過ぎただけだというのに…。


「悪いのは僕です。本当なら能力も隠して、普通に生きていくべきだったのに…自分のやりたい事を優先して、結果仲間を…」

「でもお前は正しい事をしようとしたんだろ?」

「それ…は…」


 確かに俺は正しい事を全力でやってきた。

 でもそれは自分のしたい全力で生きる事を、周囲を顧みずにしてきただけだ。

 結果は別にしても、その過程は立派でもなんでもない。


「3年間も見てきたんだから、分かるよ。お前が悪い奴じゃないって事くらいな。それにここ半年は見違えたぞ。エネルギッシュで、生き生きとして…。会社を起ち上げようと奔走してた頃の親父を見てるみたいだった」

「先代の…?」

「ああ。けど俺にはそれを支えてやるだけの力がない。ウチは医療機関でもない。だから、気持ちよく見送って…応援してやることしかできそうにないな………」

「………ありがとうございます」


 社長の言葉が、有り難かった。


 ここにはもう居られないけれど、独立なんて初めての経験だ。

 自信が無い訳ではないが、不安が無い訳でもない。

 特対や認可組織に属するか、あるいは自分で起ち上げるか。方針が決まらないまま、出なければならない。


 しかし応援していると言われただけで、少し心が軽くなった気がした。

 実際に何かをしてもらいたいワケじゃない。

 ただ、見ていてほしかった。

 これから、先の見えない大海原に飛び込むにあたり、振り返れば見えるところに居てくれる事が嬉しい。

 ただそれだけだ。



「内容が内容だから、総務部長には私からまず話すよ。業務の引き継ぎは…」

「一応、引継書とマニュアルは用意してあります」

「分かった。それじゃ、なる早で動くようにするよ。そしたらそろそろ―――」


 社長とこれからの段取りを話し、会議の時間が近付いているので一旦切り上げようとしたその時…。

 社長室の扉が勢いよく開かれた。

 そして丁度退室しようとしていた俺の胸に何かが飛び込んでくる。


「星野さん…?」


 それは、俺と同じく今日から職場復帰することになった社長室の星野さんだった。

 抱きとめる形になり、顔を確認しようと見下ろした俺と、見上げる星野さんの目がバッチリ合ってしまう。

 瞳は潤んでおり、俺の背広の胸元あたりを掴む両手にギュッと力が入っていた。


「星野さん、どうし―――」

「だめだよ…塚田くん……」

「え…」

「行っちゃだめ…辞めないで…」


 振り絞って出したのは、俺に対する懇願の言葉だった。



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