第285話 塚田、会社辞めるってよ

『塚田さん』


 廿六木が去ったあとのランドリースペースでひとりベンチに腰掛けていると、小さく俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 音量は控えめで内緒話をするように、誰も居ない正面からの囁き。俺はその声に聞き覚えがあった。

 というか俺がお願いして居てもらったのだから、当然なのだが。


「そのまま俺の部屋までついて来てください」


 俺は誰も居ない空間に小さ目の声でそう伝えると、乾燥機から衣服を取り出し袋に詰めた。

 そしてホカホカと心地よい温度の衣服たちを小脇に抱えながら、ランドリースペースをあとにしたのだった。



 自分が寝泊まりしている部屋の前に到着すると、カードキーを通しドアの施錠を解除する。

 ノブをひねり部屋に足を踏み入れそのままベッドの前まで進むと、背中からバタンとドアが閉まる音が聞こえた。

 この部屋のドアは開けっぱなしでも放っておけば勝手に閉まる…といった建付けにはなっておらず、能力でも使わなければ必ず人の手で押すなり何なりしなければならない。


 つまり、たった今マイルームの扉が閉じたのは、誰かの手によるものということである。


「塚田さん」


 再び俺の名前を呼ぶ声が聞こえるが、今度は誰もいない空間ではなく、ハッキリと声の主の姿が視認できた。

 特対1課の駒込瓜生さんだ。

 彼は透明化能力を解除し、自らの姿を晒す。俺と廿六木が話をする前からずっと行使していた、その能力を解除して…


「ありがとうございます、駒込さん。すみません、変なことを頼んでしまい…。あ、座ってください」

「あ、どうも…」


 俺は部屋にある椅子をベッドの近くまで移動させると、そこに駒込さんが着席した。

 そして俺がベッドに腰掛けると、先程のやり取りについて話が始まる。


「それより塚田さん、先程のあの話…廿六木についての……一体どうなってるんですか?」


 俺と廿六木の答え合わせ…その一部始終を近くで聞いていた駒込さんは困惑したように聞いてきた。

 俺が何の説明もせず駒込さんを"監視役"として巻き込んでしまったから、当然の混乱なのだが。

 というのも、待ち合わせ場所に向かう道すがら何か用事のあったらしい駒込さんにエレベーターホールで声をかけられ、急きょ監視を頼むことに決めたのだ。


 彼の能力は、ざっくりとしか把握していないが"透明化"だ。

 俺の読みが当たっていれば、廿六木はランドリースペースで事を構えるつもりは無かっただろうが、もしもの事態に備えて彼にコッソリ居てもらった。

 俺がいちいち説明口調で今回の件の全容を総まとめしてみせたのも、傍で聞いている駒込さんに向けてのモノだ。鬼島修一郎氏の存在含め、まだ伏せておきたい部分は極力ぼかしてな。


 そして実際に読みは当たり、廿六木はあの場で俺をどうこうするつもりは無かったみたいだが、琴夜に探してもらい隠しカメラはキッチリ2台見つかった。

 隠しカメラを見つけてくれた死神(代行)には、あとでご褒美にリンゴをあげないとな。『ウホッ』と言って喜んでくれるだろう。


(喜びませんよ、別に)


 喜ばないらしい。


「色々と説明する必要がありますが、聞いてくれますか? 巻き込んでおいてなんですが、これ以上深入りしてしまうと危険が及びますよ」

「…構いません。特公というワードや廿六木が黒幕というのが事実なら、私には一切関係ない、というワケでもなさそうですし。それに、塚田さんが困っているのなら、助けになりたいですから」

「……ありがとうございます」


 甘え上手(?)になるための第一歩として、こうして駒込さんを巻き込んでしまった。とても褒められたようなやり方ではなく、不意打ちや騙し討ちの一種だ。

 そしてそこまでやって引き返すような選択肢を与えるのも、我ながら卑怯だなと感じている。逃げ道を塞いでおいてよく言う…と。

 しかし駒込さんはそんな事をされても、俺の力になりたいと言ってくれた。

 まだこんな下手くそな方法しか知らない俺にも、快く手を貸してくれるというのだ。


 これから俺が何とかしないといけない敵は、体術やユニ・琴夜といった上位存在の誇る"武力"では足りない相手であり、強力かつ便利な能力者の仲間は一人でも多く欲しいところ。

 駒込さんが味方になってくれるというのなら、これほど心強いことは無い。



「先ほど説明したのが、俺の把握している"カード能力者の件"と"俺を狙う殺し屋"についての情報の全てだったのですが。そもそも廿六木の認識が俺と駒込さんで異なっていると思いますので、まずそのあたりを軽く補足しますね。ズバリ、彼女は何者ですか?」

「…今年ピースを卒業して、特対ウチに入職予定の人間……でした」


 俺の質問に対し回答するも、語尾が小さくなる駒込さん。先ほどの会話で既にそうではないことが分かっているからだ。

 しかし中途半端な認識ではマズイのでしっかりと伝える。


「彼女は特対のお目付け役として存在する"特殊公安部"という組織に既に所属している人間であり、特対には入職しません。ご存知ですか? 特公」

「話には聞いたことが…。しかしメンバーとか人数とかは全く…交流もありませんので」


何となくの概要だけ把握していると言う駒込さん。

まあ全員の詳細が特対に明るみになっているワケはないか。


「廿六木は俺と駒込さんと大月の四人で聖ミリアムに訪れた直後に接触してきました。俺を特公にスカウトするという名目で正体を明かして…。今となってはどこまでが本当の事か分かりませんが」


 彼女にスカウトをする権限など本当にあるのかどうか。

 メンバー勧誘は少数精鋭だから相当厳選するみたいだしな。


「一体いつから…」

「時期までは分かりません。ただ発言から推察するに相当な戦力やコネクションを有しているみたいですし、所属して数年は経っているかもしれません」

「そんなに…」


 ピース生の時から目を付けられるほどの人材なので、若い時から(今も若いけど)相当なやり手だったのだろう。だから周囲に実力や身分を偽ることなど造作もない。


「まあそんな優秀な特公サマに目を付けられてしまいましてね。今回の騒動…殺し屋やらカード能力者やらドローンやらに廿六木が絡んでいたってワケです。そしてその結果、特公のヤンチャ坊主こと【後鳥羽 璃桜】ってヤツに狙われることになりました。正直、かなり面倒な展開になっています」

「そうだったんですか…。話に出ていた"ヨシムラ"という人物も特公なのですか?」

「いえ…それはまた別の問題です。今は一旦置いておいてください」

「分かりました…」


 一気に広げ過ぎても大変だからな。


「それで、駒込さんには当面の特公問題について力を貸してほしいと思ってます。立場もありますし命の危険もあるので、常にとは言いません。ただどうしても困った時に、どうかご助力をお願いします」


 俺は頭を下げてお願いする。

 下手をすれば、特対内での彼の進退に関わる問題に発展するかもしれない…。そんな事に巻き込むのは、正直忍びない。

 それでも力を貸してくれるなら是非とも頼りたいので、俺は誠意をもってお願いした。

すると―――


「…頭を上げてください。話を聞いても私の意志は変わらないですよ。友人として、塚田さんのピンチは放っておけませんからね」

「駒込さん…」


 俺は顔を上げて目の前に座る人物を見た。

 そこには、特対という特殊な環境で育ったにも関わらず、偏った思考に染まらずに長年責任ある仕事を務め清濁併せ呑むまでになった職員がひとり、鎮座していた。


 キッカケは鬼島さん上司からの司令偵察だったかもしれない。だがこの人と知り合えた事は、俺にとって僥倖以外の何物でもなかった。


「ありがとう…。俺は貴方の友人であることを誇りに思う」


 そう言って俺は右手を差し出す。

 するとそれを見た駒込さんは少しだけ笑って…


「私もですよ、塚田さん」


 と、俺の手をしっかり取り、固い握手を交わしたのであった。

 頼もしい仲間。俺のわがまま(?)を受け入れてくれた、友達だ。

 まだまだぎこちないが、それでも俺はこれからの困難な局面に希望を見いだせたような気がしていた。



「そういえば、さっき言ってた駒込さんの頼みってなんですか?」

「あー…」


 俺は思い出したようにそう質問する。

 俺が駒込さんを巻き込もうと思ったキッカケ…それは向こうから「実はお願いがあって」と声をかけてきたからに他ならないのだ。

 そこで緊急性を確認したところ俺の案件よりも急ぎではなさそうだったので、廿六木の方を優先させてもらった。


 丁度話も一段落ついたので改めて先ほどの件を掘り返したところ、何故か駒込さんはバツが悪そうな顔を見せる。

 そんな頼みにくいことなのかな?

 今なら友人のために、損得関係なく大抵の頼み聞いちゃう感じあるよ?


「助けになりたいなんて言った手前恥ずかしいのですが…」

「? 何ですか?」

「塚田さん。私を助けてください」


 それは、友人からのSOSだった。














 _________















 12月25日 18:30

 特対から着替え等荷物を持ち帰った俺は、ある人物に一通のメールを送った。

 するとその人物から『時間が作れる夕方に、直接会って話がしたい』旨の返事があったので、1週間ぶりの我が家のリビングでゴロゴロしつつ約束の時間まで待ち約束の場所である最寄り駅近くのカフェにやって来た…というワケである。


 そして目の前の席でホットココアを飲む女子高生【三口 美園】は、フーフーと息を吹きかけ冷ましながらカップの2割ほど飲み物を胃に収めた段階で口を開いた。


「今朝になって、カードが消えてました。"能力"も"NG行動"も、どちらもです」

「それは良かったな。ちょっとそのままでいてな」


 俺はサーチを使い念の為三口を見てみる。

 以前彼女の体を覆っていた泉気は消え、技術で消していなければ見た目は一般人のそれそのものだ。


「大丈夫、泉気は出てないみたいだ。NG行動は…ちょっと試すのは怖いけどな」

「そうですね…。でも今度サンシャイン60あたりで試してみます。いつまでも怖がっていたんじゃ何もできませんし」

「……だな」


 決意のこもった三口の目を見て、この件はもう大丈夫だろうと感じた。変にトラウマなどが残ったりも、しなさそうだ。


「ところで、今日は塾に行ってたのか?」

「あ、はい。実はあのあとお母さんとちゃんと話して、それで大学進学することにしたんです」

「へぇ…。調理学校の方はもういいの?」


 以前彼女は、やりたい事とやらされている事の折り合いが付かずに悩んでいたと言っていた。

 本当は料理の道に進みたいのに、大学進学…しかも高偏差値大学を勧める母親。

 そのすり合わせができないまま学力が伸び悩み、心が弱ったところを後鳥羽侑李に付け込まれたのだ。

 ちゃんと話をした…という事は納得した上で進学を決めたのは分かるが、その結論に至るまでの課程が気になって聞いてみた。


「実は……塚田さんの家から帰宅した時、助かりたいと思う反面…半分命を諦めていたんです。きっと死んじゃうんだろうな…って」

「そうだったのか…」

「すみません…。信じてないワケじゃなかったんですが、多分気持ちが弱っていて」

「いや、いいんだけど」


 だとしたらこの1週間は辛かっただろう。


「それで思い切ってお母さんに聞いてみたんです。なんでそんなに大学進学に拘るんだ…と。今までは怖くて聞けませんでしたが」

「あー…それで、母親は何て?」

「それが…お母さんから、音楽系の大学に行っていたと打ち明けられまして」

「そうだったの?」


 てか、母親の最終学歴聞いた事なかったんだ。

 いや、そんなもんか?


「はい。でも希望の職はおろか、音楽系の仕事にすら就くことができなかったと…。だから私には苦労してほしくなくて、大成するかどうか分からない"賭け"みたいな進路よりも、手堅い学歴を身に付けろってことで…」

「なるほどね…」


 母親としては、自分の中の恥みたいな話を娘には言えなかったワケか。

 だから『大学に行け』という結論だけしか伝えられず、衝突した。


「私も、実際に命の危機に直面してみて…後ろ盾とか保険とか逃げ道の大切さに気付けたので、大学進学に舵を切れるようになったと思います」

「そっか。不安だったんだもんな」


 大学の、しかも高偏差値なところであれば、仮に勉強していくうちに料理以外のやりたいことが見つかったりしても理不尽な壁にぶつかる可能性を低く抑えられる。

 海外は知らないが、日本では就職や転職をする際、学閥や最終学歴での足切りはまだまだ多い。学閥は応募条件には書いていないが。

 だからいい大学を出ているに越したことはない、となるのは当然の思考だ。


「でも、浅いですよね…?」

「何が?」

「いや、そんなんで諦める夢って…」

「あぁ…。いや、それも生き方じゃないかな? 俺もやりたい事があって大学に行ったワケじゃないし」

「そうなんですか?」

「うん。モロに学歴とモラトリアム目当てだったよ」


 その時は生きる目標なんてものとは縁遠かった。


「これに関してはいくつになっても、どっちが正解だったかなんて分からないからな。どっちの道も進んだ上で、正しい方を選ぶなんて事は出来ないからね」

「そうですよね…」

「だから、自分の進んでいる道を正しい道にするのが、これからの三口の頑張る事だな」

「…………ありがとうございます。まずは受験頑張らないとですが」

「だな…」


 それから少しだけ三口と他愛のない話をして、駅まで送っていった。『誰がカード使いを殺させたか』という話題には最後まで触れてこなかったが、賢い彼女の事だからきっと気付いていたのだろうな。

 彼女は後鳥羽侑李の被害者の中でも、かなりハッピーな最後を迎えた方だろう。刺激が生き方を固めて、リスクも無くなったのだから。

 皆が皆こんな結末だったら良かったのにと、クリスマスの寒空の下でひとり思うのだった。
















 _________


















 そしてクリスマス翌日の月曜日。

 晴れて出社できるようになった俺は、いつもより早く家を出て会社へと向かった。ある人物と二人きりで話をするために…。

 そしてまだ社長室の二人が出社していない時間に、扉を3回ノックする。

 毎週月曜日の定例部長会議前、必ず能代社長は自室に居るハズだ。


「はい」

「おはようございます。塚田です」


 予想通り、社長は既に出社していた。

 そしてノックの相手が俺だと分かると社長は入室を許可してくれたので、扉を開けて中へと入っていくことに。


「どうした? こんな時間に」


 社長はソファで朝刊を読んでいた。

 俺は憩いの時間を邪魔してしまうことに若干の申し訳なさを感じるも、時間をかけないよう早々に話を切り出すのだった。


「実は…折り入って相談がありまして」

「相談? 珍しいな。どした?」


 本来はルール違反だが、事情が事情なだけにこのような手段になってしまう事を許してほしい。



「会社を退職させて頂きたく思います」



 それは"元"表の世界との別離わかれの第一歩だった。


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