第264話 駒込は思ふ

「さ、どこからでもどうぞ!」


 私の前で笑顔でそう話すのは、サラリーマンの塚田卓也さんだ。

 フィンガーグローブをはめた両手の拳を打ち鳴らし、組み手をするため構えを取る。

 さて、自分で申し出ておいてなんだが…一体どこから攻めればいいものか……。



 夕食を終えた私達三人は早速ジムの受付に行き、揃ってトレーニングウェアをレンタルしそれに着替えた。

 いきなり戦うのもなんなので、まずは各々軽く体を動かしウォームアップを済ませる事に。


 私は柔軟をしっかりするためにマットのあるエリアへと足を運ぶ。

 いつもはヨガや体操をする人たちで賑やかな場所だが、流石に夕食時となると人はまばらで、落ち着いて体をほぐすことが出来た。

 肘や肩関節、股関節に足首等可動域を入念に確認し組手に備える。

 柔軟をしながらチラリと塚田さんの方を見てみると、竜胆と一緒にサンドバッグを使い何かをしている様子だ。


「ふむ…」


 改めて、あの竜胆が誰かに心を許すという事実が不思議でならなかった。

 そうなった契機は、CBのアジトのひとつであるショッピングモールで、塚田さんが竜胆の命を救った事であるのは間違いないのだが…。(報告書と実際に参加した者の証言で裏を取った)


 これまで彼女は、特定の誰かと仲良くしているということが無かった。

 派閥に属さず、仲良しグループも作らず、いつも独りで黙々と任務をこなしていた印象だ。

 仕事について文句を言うことも無いので、使う側は楽だという事だったが。(勿論実力も高かったので)


 昔、ピースで講師をしている職員から『竜胆は上手くやれてますか?』と聞かれた事があり、なんとも言えなかったのを憶えている。

 だから、塚田さんと仲良くしている様子や、彼の口から語られる竜胆の情報には耳を疑うばかりだ。

 お笑いが好きでボケたがり? 和菓子が好き?

 彼女に好きな食べ物とかあったんだ…という感想だ。失礼な話だが。

 よくそんなことを周りに知られないまま過ごしてきたなと感心している。

 塚田さんとはよほど波長が合うのか…?


「あっ…」


 向こうではサンドバッグを押さえる塚田さんと、その塚田さんを軽く蹴る竜胆の姿があった。

 恐らく竜胆にサンドバッグを蹴らせようとしていたところを、彼女が"ボケ"で塚田さんを蹴ったということだろう。

 塚田さんがすかさず竜胆にチョップを食らわせる。ツッコミだ。


 その後何かを話した竜胆のほっぺたを掴んだり引っ張ったりする塚田さんの様子が見えた。

 表情は相変わらず変化に乏しいが、ほっぺたを触られ耳を赤くしている竜胆を見て、『感情豊か』という塚田さんの言葉が多少は信じられるようになる。


 そして彼に関わって変化が見られたのは竜胆だけではない。私にもあった、のだと思う。

 その変化は、『体術プログラムをもう一度受けたい』と申し出た時のピース講師の驚きの表情が如実に物語っていた。


 ピースでは特対に入職できるようになる年齢まで様々な教育プログラムを受ける。

 一般的な学問から体術・武器術・能力、そして心理学や政治学など…業務に必要となるであろうことを朝から晩まで徹底的に叩きこむ。(上の判断で"流行"に関する知識を取り入れる機会に恵まれないので、些か世間とズレが生じている職員が多いのは如何なものかと思うが)


 ピースに若くして入った者ほど必然教育を受ける期間も長くなり、5年以上在籍していれば能力を使わずとも弱い能力者には負けないような人材が出来上がるようになっている。

 つまり"プログラムをもう一度受け直す人間"というのは、期間が短く十分な訓練が受けられなかったり、センスがあまりにも無かった人間…そういった"能力不十分"な者がするのだ。

 成績優秀者である自分が再履修するなんて思ってもみなかった……塚田さんと任務にあたるまでは…。



 CBの島で見た彼の動きは、自分達が修練した技術とは別のモノだった。

 自分達が受けてきたプログラムは多くの人間に学ばせるためにある程度標準化されており、競技としての格闘技を多く取り入れている。

 勿論 跳ぶ・走る・ぶら下がるといった体の使い方も一通り訓練した上で、ボクシングや柔道やレスリング等の技術を学ぶ。


 ピースでの"体術の成績優秀さ"とは、運動能力に秀で多くの格闘技を高い水準で体得している事であり、決して戦闘力とイコールではない。

 実戦を想定したサバイバル訓練は行っても、その後実戦経験が積めるかどうかは運次第。CBの島みたいなシチュエーションはレアケースである。

 これは役割分担がしっかりしている特対という組織の性質上仕方ない事なのだが。


 塚田さんが島で見せた動きは、まさに"敵を倒すために磨かれた技"に他ならなかった。

 自分の体だけでなく、地面の石や土や木、果ては相手のエモノまで利用して立ち回る姿は圧巻としか言いようがない。

 エモノも、必要とあらばどんどん投げてまた奪って…と、その様はまるで映画のワンシーンのようだった。

 投擲の命中精度も抜群で、CBのボス上北沢との戦闘では樹上を移動しながら正確無比な攻撃を繰り出し相手をけん制していたのを覚えているし、ビデオで何度も見ている。

 あんな訓練、私は受けていない。センスがある職員の中にはああいう自由な戦闘スタイルの者もいたりするが、あまり推奨はされていない。


 でも私は、あれになりたい…


 目の前であの立ち回りを"見てしまった"私は、もう焦がれずにはいられないのだ…


 あれから約4ヶ月―――技術よりも体の動かし方を徹底して鍛え、ようやくそれを本人に見て貰える…



「この時を楽しみにしていました」


 私が構えながらそんな事を言うと、塚田さんはほんの僅かだけ驚いた表情を見せる。私の口からそんな好戦的な言葉が出るとは思わなかったのだろうか。

 しかしすぐに微笑むと…


「がっかりさせないように頑張りますね」


 と言った。


「はじめ」


 離れた所に居る竜胆が開始の合図を述べる。

 その瞬間、私は一気に距離を詰めるべく動き出していた。我ながら良い踏み込みが出来たと思う。

 そして眼前の塚田さんは構えたまま動かない。こちらの攻撃を見てカウンターを入れる狙いだろう。


 拳に力を入れ、どこに撃ち込むか考える。その間0.2秒。

 右足を上げてあと3~4歩で射程に入るといったところで―――


「ッ!?」


 目の前の塚田さんが消え、いつの間にか

 迎撃はフェイクで、ずっと攻める姿勢で居たんだ。


「っぁ…!」


 そんな事を考えている間にも私の軸足は払われ、床と水平に浮かされてしまった。

 視界の右端には、私のみぞおちへ容赦なく拳を叩き込もうと振りかぶる塚田さんが映る。

 このままではやられる…!もうこの時間が終わってしまう…!

 そう直感した私は左腕でガードをしつつ、右手で裏拳を塚田さんに繰り出していた。


「…っと」


 あっさり左腕でガードされてしまうも、その間に体勢を立て直し、塚田さんに蹴りを繰り出す。


「おっと…」


 が、それも右腕でいともたやすく防がれてしまった。

 まるでサンドバッグのように硬い塚田さんの上腕筋の盾は、蹴った足の方が痛くなるほどだ。

 しかし思い切り蹴った反動で塚田さんと距離を空けることが出来たので、応酬を仕切り直すことが出来た。


「凄いですよ、駒込さん!今の動き、俺の兄弟子みたいでした」

「…ふぅ。苦し紛れでしたけど、初撃はなんとか……えぇ」


 ひたすら体の動かし方を研究したからこそできた対処。だが型も何もあったもんじゃないその不格好な一連の動きを、塚田さんは褒めてくれた。

 それが堪らなく嬉しい。


「まだまだ、これからですよ…!」


 嘘です。

 本当はとっくに満足してますが、カッコいいとこ見せたくて虚勢を張りました。


「はは。その調子です!」


 このあと、メチャクチャ打ちのめされた。















 ________














「大丈夫ですか? 痛いところはありますか?」

「ええ。もうどこも不調は無いようです」


 治療を終え、念のため駒込さんにコンディションを確認する。

 俺の認知している"ライフ外"のダメージが残っていたらマズイので、必ず確認するようにしていた。


 駒込さんの熱量が凄すぎて結構ハシャいでしまったが、本人はとても喜んでいるので、なんだか変な感じだ。

 結局駒込さんとは、ひたすら実戦さながらの打ち合いをしただけだが、何か手応えのようなものがあったみたいなので一安心かな。


「卓也」


 組手が終わり修練場で一息ついている俺に、志津香が声をかけながら袖を引っ張ってくる。


「どうした?」

「あそこ」

「…? あ…」


 修練場の入口の方に目を向けると、ジャージ姿の"食堂のおじさん"がこちらを見ていた。

 もしかしてずっと見ていたのだろうか。気付かなかったな。

 先ほど天ぷらの感想を言おうと志津香と食堂を探したのだが、既に上がった後だったので捕まらなかった。その時に食堂のおばちゃんから俺に天ぷらをくれたのが"食堂長"だということを教えてもらったのだ。(職員の間では有名らしい)


 丁度いいので、声をかけることにしよう。


「行くか志津香」

「うん」

「すみません駒込さん。ちょっと話を…」

「あ、私はここで振り返りをしてますので、行ってきてください」

「はい」


 俺は志津香を引き連れ、食堂長に話しかけに行くことにする。



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