第240話 元プロ野球選手のケース
「みなさんこんにちは……元横濱BEASTARSのピッチャー【
特対の会見の翌日、MeTubeにとある動画が投稿された。
その動画は、野球のグラウンドをバックにひとりの男が自己紹介をする所から始まっており、丁度バッターボックスが男の右側に来るような画角で撮られていた。
他に映像から分かる情報としては"昼間の野外"で撮影していること、そして他に人が誰もいない事から、グラウンドを貸し切っている、ということくらいだった。
「さて…皆さんがこの動画を見ている頃にはきっと、国から超能力についての説明を受けた後だと思いますが…。"異能力庁"のホームページの方も見てくれましたかね?一応見てないよって人のために、少しだけ私の事を話します」
男は、この動画を見ている人が能力について一定の理解をしている前提で話をしようとしている。
またその言い方から、これを撮影したのが例の会見の前であることがうかがわれた。
そして男は会見の後に皆必ず見るであろうホームページをまだ見ていない人に配慮し、自分の簡単な経歴を話し始めたのだった。
「えーと…私は高校卒業と同時に横濱BEASTARSという球団に入団して、以降そこでずっと投手としてプレーしていました。それで、丁度20年前ですかね…。チームは優勝できなかったんですけど、私が28歳の時に、23勝無敗という成績でシーズンを終えて…。で、その年に選手を引退しました。メディアへの露出も、それ以降は一切しなくなりました」
野球ファンでなくともある程度の年齢の人なら知っている、当時のセ・リーグ最強投手の突然の引退。その異常な出来事に世間は大騒ぎとなった。
なにかの事件に巻き込まれた、薬物の使用、球団との普通ではないこじれ…。世間には様々な憶測が飛び交ったが、本人や球団が一切の釈明を行わなかった為、真実を知ることなく本件はやがて風化していったのだった。
そして20年経った今、日本球界史の大きな謎が本人の口から語られようとしていた。
ちなみにこの動画、能力者に興味のある人とプロ野球に興味のある人がこぞって視聴し、公開から僅か数日で500万再生に達したのである。
「それで今日はね、私の"驚いたこと"を二つ紹介しようと思って動画を撮ることに決めました。一つは勿論"超能力"のことです」
男は自分が能力に覚醒した時の事を語り始める。
それはこの動画を開いた多くの人間が関心を寄せる内容であった。
「それは絶好調のうちに終了したシーズンのオフの事でした。確か…近所の川で走り込みをしていた時だったかな…。『あれ?なんかいつもより速く走れて、疲れてないぞ…』ってなったんです。そん時は、まあそんな事もあるかなーくらいに思ってました。それで、そんな感覚が何日か続いたある日…特対の職員さんがウチに訪ねてきたんです。『あなたは能力者になりました。プロ野球は続けられません』ってね…」
彼の口から語られたのは、多くの能力者が経験したエピソードだった。
初期症状として、泉気が体を巡り始めた事による身体能力の若干の"向上感"。そして次に"説明係"である特対職員の登場。
それは開泉者でも完醒者でも通る道。しかし能力の事を知らない多くの一般人からしたら新鮮な実体験の披露だった。
「で、もう一つは先日…総理大臣から直々に『能力の事を公表する事にしました。つきましては貴方の名前を教本に例として載せてもいいですか?』と打診が来たのに驚きました。あんなにひた隠しにしてきたのに…?私が覚醒した後も、する前もずっとやってきたのに?と思いました」
先日卓也家で市ヶ谷たちと読み合わせた、異能力庁のホームページに記載の"過去の能力者の例"に彼の名前があったのは、きっと多くの者が知った事であろう。
それが総理大臣から直接打診があったという事を、男は語った。
「総理の話を聞いたとき、最初は『勝手な都合で選手生命を断っておいて…』と思いましたが……すぐに間違いだと気付きました。ちょっと見ていてくださいね……」
国への憤りを語りかけた男だったが、急にカメラを持って移動し、またある場所にカメラを置いた。
男は、バッターボックスからグラウンド奥のフェンスにかけて映るような位置にカメラを置いたのだ。
また、奥のフェンスには大きなマットレスが立てかけられているのが見える。
「行きますよー」
男はマウンドではなくバッターボックスに立つと、そのまま投球フォームに移り、手に持った硬球を奥のマットレス目がけて…放った。
直後、破裂音にも似た音がし、奥のマットレスに男の放った硬球がめり込むのが見えた。
信じられない事に、彼はバッターボックスから奥まで"ストレートで"球を届かせたのだった。
「見えてましたかね?私の現役時代の最高球速は156kmでした。そして20年経った今の最高球速は187kmになっています。しかもあれくらいの距離ならノーバンで届いちゃうんですよ」
カメラの前まで移動して来た男は喜々として自身の球速を語る。
しかもその内容は通常ではありえない事なのだが、その前に見せた投球が真実である事を視覚的に物語っていた。
勿論この程度の映像なら『合成だ』と異議を唱えるのは容易い。
だがそれが無意味な事くらい、動画を見ている多くの人間が分かっていた。
「よくよく考えてみたら…いや、考えればすぐに、こんなのにプロ野球入らせられないよって分かりますよね。私の球を打てるバッターも捕れるキャッチャーも居ないワケですからね。だから、引退した事に対する未練みたいなのは、もうありません」
彼と一緒に野球が出来る一般人が居ない事は、他でもない彼が一番よく分かっていた。
だがそれを語る彼の表情には一点の曇りもない。
「以上が驚いた事の二つ目です。で、ここからがこの動画の本当の目的。能力の布教活動に協力するという私のミッションは、"名前を貸す"という時点でその役目の大半を終えていますが。実は私、プロ野球選手を引退したあと、色々と調べて自分で"認可能力者組織"を立ち上げたんです。そしてその組織への応募資格はズバリ!元スポーツ選手!」
男は能力者がメインで在籍するという組織を自ら立ち上げたと語る。
しかも認可組織の多くは特対から出来るだけ高難度の仕事を請けたい都合上、強力な能力を有する者を集めがちだ。
しかし男は自身の組織への応募資格を仕事とは関係ない要素で絞っていると言う。これは認可組織の中でも少し珍しいスタンスである。
「プロとかアマとかは問いません。競技内容も問いません。学生でも場合によってはOK!応募資格は、覚醒してしまったことでやっていたスポーツを諦めた人!それだけです」
特対は覚醒した人に対し、ちょっとした便宜をはかることがある。
それは能力秘匿がスムーズに行くよう、辻褄合わせに動いてくれるという意味での便宜だ。
特に桑原ほどの有名人ともなると、突然姿を消すことで及ぼされる影響を考慮しそれなりに手厚い協力を得る事も出来た。
しかし男はそれを最低限に留め、代わりに先ほどのような主旨の組織立ち上げの助力を申し出たというワケである。
自分の為でなく、自分と同じような苦い経験をした、あるいはこれからするであろう者の為に動く事を決めたのであった。
「私たちの活動は、他の多くの組織と同様能力者専門の仕事をこなしつつ、定期的にスポーツ大会を行う事です。ここがウチならではと言えますね。今日みたいにこうしてグラウンドを借り切って、"超人野球"や"超人サッカー"、あるいはテニスの"
男は楽しそうに自分の組織の活動を語る。
その様子は少年のようにピュアで、聖人のように慈悲深かった。
「もしこの動画を見ている人で、私と同じような経験をした人が居たら、連絡をください!給与はプロスポーツ選手の年俸にはもちろん及びませんが…スポーツができなくてストレス溜まってるよ~というのなら任せてください。私の組織にはアナタの相手をしてあげられる人が沢山居ますよ!それでは、応募待ってます!」
動画はそこで終了した。
それから男の元には、同じような悩みを持つ人からの応募メールの他に、超人スポーツが見たい!という多くのお便りが寄せられたという。
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