第220話 愛の女神

 聖ミリアム・塚田家・特対本部が襲撃されたのと同タイミングに、もう一か所。死者の襲撃を受けようとしている場所があった。

 それは南峯いのりの住む屋敷だ。

 彼女は卓也と親睦が深い事が『失踪事件』時に朽名に知られ、また"死者の国"を支えるインフラ整備に貢献しそうな南峯財閥の令嬢でもある。

 そこに目を付けた尾張の死者たち戦闘部隊が"協力者"の助力を受け、彼女とその父親の司を誘拐しようと動き出していたのであった。



「旦那様!」


 屋敷の多くの者が寝静まった23時過ぎ。

 南峯家世話係の副係長を務める黒木が、当主である司の書斎に慌ただしく駆け込んでくる。


「どうした?こんな時間に慌てて…」


 呼ばれた司は、普段は冷静沈着な彼女の慌てた様子にふと『5年前の出来事』を思い出していた。

 確実に只事でないような、そんな気配を察知している。


「そ、外に…!"ネクロマンサーの部下"と名乗る人が…勝手に庭まで入ってきて…」

「なんだって…?」

「警備の人は、おそらく皆、その人たちに…!」

「っ…!黒木さんはすぐに警察に連絡を…。私はモニター室から外の様子を―――」


 突然の来訪者に内心驚きと不安を覚えながらも、毅然とした態度で応じようとする司。

 しかし、相手はそれを許さなかった。


「それには及びませんよ、南峯司さん」

「ひっ…!」

「……どうやって中に」


 死者は既に書斎の入り口にまで来ており、怪しい笑みを携えて二人を見ていた。

 30代前半くらいの屈強な体躯の男である。


「どうやって…ですか?まあ、"物体を透過する能力"を使って…ですかね、ええ。貴方も良く知っているでしょう?娘さんが能力者なのですから」

「それは…!」


 侵入者への底知れぬ恐怖と、これまでいのりと愛の三人でひた隠しにしてきた能力秘密をいとも容易く暴露され動揺が隠せない司。

 そんな様子を察してか、侵入者はさらに言葉を続ける。


「ああ。そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。特対のルールなんて、これからは何の意味も持ちません。次の時代は我々死者が創るのですから、ええ…」


 男は尾張の創る世界が実現すると信じて疑っていない様子だ。

 司も最初に出た権田の動画は見ており、またいのりの能力の件で特対から説明を受けていた事もあり、ネクロマンサーと名乗る人物が何をやろうとしているのかをよく理解していた。


 しかし黒木だけはこの場で交わされるやり取りに付いていけず、ただただ不安な心が肥大化していき、それが表情に如実に出ている。

 その様子を見た司は、不安をかけまいと強引に場を動かすことに。


「一体何が目的だ…?」

「何が目的か…。多すぎて一言では言い表せられませんが、一先ず、貴方といのりさんには我々に付いてきてもらいますよ」

「…私だけでいいだろう。いのりは関係ない」

「そうもいきません。むしろインフラであれば替えがききますが、塚田さんの大切な方、となると限られてきますからね、ええ」

「くっ…」


 この時、司は限られたワードから理解した。

 自分と自分の会社が死者たちの世界のライフライン作りに利用されようとしている事、そして娘が卓也にとって人質として利用価値があると思われていることを。

 また、話題のネクロマンサー事件の中心に卓也がいることを察し、内心苦笑いしてしまう。


「ちなみに逆らえば、外で待機している仲間が屋敷を一斉に攻撃します」

「……選択肢は無いということか…」

「ありますよ。ただ、流れる血の量が変わるだけで、結果は同じですがね」


 敵の脅しに、司は思考を巡らせていた。

 何とか自分だけが犠牲になる事で事態が収束しないか…を。

 幸いにも能力者の事に理解がある為、"抵抗しよう"という考えは捨てていた。そしてその考えは非常に賢明である。


 南峯家に攻め入って来た死者は、いずれも尾張の揃えた選りすぐりの能力者たち。

 例え司が能力を持っていたとして、戦えば無事に済まないのは明白である。

 ましてや司は能力のことを知っているだけの一般人。補助系の能力を使う目の前の男にすら全く歯が立たない。


「さぁ、早くいのりさんを呼んできてください。グズグズしていると実力行使に出ますよ」

「…黒木さん」

「あ、ハイ!」

「済まないが、いのりを呼んできてもらえるか?」


 考えがまとまる前に男が急かし、余計な動きを封じた。

 下手に刺激し強硬手段に出られると困る司は、仕方なく男に従う。黒木は状況は相変わらず分からないモノの、家の人間の為に動いているであろう司を信じ早速行動に移した。


「どうぞ。ちなみに5分以内に戻らなければ、応援を呼んだとみなし速やかに攻撃を始めますのでそのつもりで…」

「…黒木さん、早めに頼む」

「はいっ!」


 促された黒木は急いでいのりの私室へと向かい、司と男はエントランスへと歩いて向かうのであった。















 ________


















「いのり様、何か声は聞こえますか?」

「…ダメね。家の人間の声しか聞こえないわ……」

「そうですか」


 能力で"声"を探知するいのりと、それを見守る愛。

 先ほどまでいのりの私室でお喋りをしていた二人だったが、妙な物音を聞いた愛が窓からコッソリと外の様子をうかがい、不審者の存在に気付いたのだった。

 それを受けいのりが声を探っているが、能力でガードされた死者の声を聞くことはできないでいた。


 そして自身の部屋に近付く黒木の声を聞き、時間がほとんどない事を悟ったのだった。


「ダメです。卓也さんに送ったメッセージに既読が付きません」


 能力に集中してもらう為、いのりの携帯を使って代わりに卓也に連絡を取る愛。

 しかし電話をかけても、メッセージを送っても反応が無い。


「この時間に寝ているとは思えないけど…」

「…もしかしたら、あちらにもネクロマンサーの刺客が行っているのかもしれませんね……」

「っ…!」


 愛の推理に嫌な予感がするいのり。

 戦闘で卓也がネクロマンサー陣営の誰かに遅れを取るとは思っていないが、不意打ちや何か卑怯な手を打たれたら…揺らいでしまうかもと考えた。

 例えばそれが、"人質を取られた場合"とか…と。



「いのり様…!スミマセン」


 黒木が部屋の外から焦った様子でいのりを呼ぶ。

 屋敷の人間全員を人質に取られていると思われる状況で余裕がないため、いつもより強めにドアをノックしている。

 それを受け、いのりはゆっくりと、覚悟を決めた様子で迎え入れた。


「あ、いのり様!実は…」

「分かっているわ。急ぎましょう」

「え…」


 黒木の心を読んで状況を理解しているいのりは、何も聞かずともエントランスへと向かい出す。

 黒木は最早全く状況に付いていけてないが、それでもかろうじて愛と一緒にいのりの後に付いて行くのだった。













 ________












「いのり…」

「…お父さん」

「来てくださいましたか」


 自室からエントランスに行くと、父の司と怪しい男が立っていた。

 男はいのりの姿を確認すると、下卑た笑いを浮かべている。それがいのりには堪らなく不快であった。


「事情説明はいりますかね?能力で読んでいるとは思いますが」

「いらないわ…。私が人質になればいいんでしょ」

「助かりますねぇ」

「いのり…!」

「大丈夫よ、お父さん。卓也くんはこんな卑劣なヤツらには負けないもの」


 いのりの抵抗。

 卓也がいなければ家族も守れない非力さに奥歯を噛みしめながら、正々堂々では勝てないからと言って人質を取る卑怯な死者たちに食らいつく。


「…言葉には気を付けてくださいね?人質といっても、何も五体満足で…とは言われてないのですから」


 いのりの言葉に対し脅しで返す男。それがいのりの神経を余計に逆撫る。


「何よ。志だけは立派だけど、卑劣な暴力しかできないアンタたちなんかに、新しい世界なんて創れはしないわよ!」


 こんなヤツにさえ歯が立たない自分の無力さ…、そこからくる苛立ちをぶつけるかのように言葉を発する。

 しかし、ある意味図星ともいえるこの言葉は男に刺さってしまった。


「そうですか…。このまま連れて帰っても、五月蠅いでしょうねぇ…」

「何を…ぐぁ…!!」


 突如男がいのりの首を右手で掴み、ぎりぎりと絞め始めた。


「いのり様!!」


 愛が主人を守るため、男に攻撃をする。

 しかし泉気で強化された男には愛の攻撃ではビクともせず…


「貴女に用はないんですよ!!」

「うっ…!」


 簡単に払われてしまった。


「何をするんだ!我々は人質なんだろ!?」

「ああ、ご安心を…。ちょっと少しの間喋れないように喉をね…。殺しはしませんよ、ええ」

「ぐ…ぁ…」

「やめろ!」


 司も男に掴みかかるが、やはり簡単にあしらわれてしまう。


「おぉっとぉ…大人しくしていてくださいよ……」

「くっ…!」


 床に倒れながら男を睨みつける司。

 そしていのりは首を締め上げられながら"悔しさで"涙を滲ませていた。


(私にもっと力があれば…。皆を守れる力……卓也くんと一緒に戦う力が、欲しい…!)


 いのりの脳裏には、先日の失踪事件での"誓い"の一幕が浮かんでいた。

 背中を預けると言われ、任せろと返事をしたあのやり取り。

 だが実際はどうだ。テレパシーでは、探偵の真似事には便利でも、戦闘になればご覧の有様。

 恐らく襲撃を受けているであろう卓也を守りに行くどころか、自分の身一つ満足に守れない。


 獅子の面の男と戦う卓也は、余裕の笑みを崩さなかった。

 もちろんそれは相手に隙を見せない為というのもあるが、あのような命のやり取りが卓也にとって"日常化"しつつあると考える。

 手足が使えなくなるくらい何ともない経験をしてきて、これからもそんな世界を生きていくという覚悟があったのだ。


 対して自分は、日常に戻ろうと思えば戻れたのを、それを拒否し卓也についていくと決めた。

 でも戦闘に身を置くほどの修練も自覚も足りない。非常に中途半端な状態だと痛感していた。


「くっ…」

「そろそろ眠ってもらいますかね」


 薄れゆく意識の中でいのりが思ったのは、もっと『卓也の力になりたい』だった。


 その想いが、右目の中の"ナニカ"を呼び覚ます。


「いのり…様…」

「あ…い…」


(そう、愛よ)


「え…?」


 突如脳内に響いた声に驚くいのり。テレパシーを使ったわけではないのに聞こえてくる綺麗な声の主は一体誰なのかと思考を巡らせた。


(アナタは既にもう、強い愛と力を持っているわ。でもね、使い方を知らないだけ。だから、私が少しだけ教えてあげるわ♪)


 謎の声がそう呟くと、自分の首を絞めていた男の手がパッと離れ、ゆっくりと

 そしてくるりとこちらに向き直すと、信じられない表情でいのりを見た。


「ごほっ!ごほっ!」

「…………今、何をした…?」

「…?」


 いのり・愛・司・黒木の四人は突然の男の行動に意図を計りかねていたが、男も謎の力による操作を受けたことに非常に驚いた。

 一切抗うことが出来ずに行動を曲げられた事に恐怖を感じていた。



『そんなに乱暴にしたらダメよ。まずはお互い理解するところから始めないと、なんだから』

「…あなたは……」

『ふふ…』


 いつの間にか自分の頭上に浮いている見目麗しい女性を見て、いのりは問いかける。

 するとその女性はフワリと舞いながらいのりの背中に付き―――


『今からこの【アフロディーテ】と一緒に、不躾な連中に"真実の愛"を教えてあげましょう♪』


 と言ったのだった。


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