第61話 擬態するパンドラ

「楽しそうな事、やってんじゃあねーか…」

「清野」


 今横濱で最も邪悪な笑顔の男が、俺たちの前に現れた。

 ジーパンにシャツというシンプルスタイルで夏の日差しを微塵も恐れず堂々たる出で立ちの清野は、後ろに知らない男を引き連れている。


「こんにちは」


 清野とは対照的に上品さと知的さを兼ね備えた爽やかイケメンが柔和な笑みを携えて、俺たちに挨拶をしてきた。

 チノパンにポロシャツというラフさ全開の装いだが、清野よりも爽やかな風を纏っているのは気のせいだろうか。

 いや、違う。

 片方はヤンキー、もう片方はクールビズを導入した町役場の若手といった感じだ。

 涼しさを保ちつつ、清潔感も全く損なわない完璧な仕上がりには星3つあげよう。

 と、アホなことを考えていたが、この男の声、聞き覚えがある。


「こんにちは。君は…藤林くん?」


 そう、昨日の清野との電話で近くに居た男の声と似ていた。

 そして今日この場に同行させるという事は、十中八九同一人物だろう。


「よく分かりましたね」

「ああ、電話越しに聞こえた声と似ていたからね」


 男は少し驚きを見せたものの、直ぐに元の笑顔に戻った。


「はじめまして、清野先輩の後輩の【藤林ふじばやし 驟雨介しゅうすけ】と言います。よろしくお願いします」

「よろしくな。俺は塚田卓也で、この子は…」

「南峯いのりです。よろしくお願いします」


 俺たちはその場で軽い自己紹介をし、握手を交わす。

 南峯も"余所行きモード"だったため、非常に爽やかな紹介となった。


「挨拶はそこまでだ。連中は?」


 清野が早速状況把握をするため、俺に確認をしてきた。

 実は今朝方、今回の作戦を清野に事前に知らせておいたのだ。

 おおまかな内容と、ゴールまでのシナリオを。


 清野は反対するかと思いきや、色々とアドバイスをくれたのが意外だった。

 しかし、もし清野たちが合流するまでに連中を捕獲できていないようなら、は任せてもらうとの条件をつけてきた。

 いのりの能力で二人から新たな情報を聞き出すチャンスだが、手間取って長時間愛と白縫を放っておくのは危険だと判断し、俺はその条件を飲むことにした。


 本当は白縫の護衛の方を清野たちに任せたかったのだが、あまりワガママを言うのも悪いなと思い引き下がった。

 どのみち警察に連行されれば情報を引き出すことにはなるだろう。

 時間はかかるかもしれないけどな。


「あそこにいる男女二人組がそうだ。既に能力は使えなくしてある。そのことに気が付いて、ここから離れることにしたのだと思う」

「へぇ…すごいですね」


 俺は清野にメンバーと思しき先ほどの二人組を指さし教えた。

 そそくさと人の居ない所に離れていくので、とても分かりやすい。

 このままリーダーのところに案内してくれるのならベストなんだが。


「了解。じゃ手筈通り、俺と藤林がヤツらを追うから、お前らは一旦護衛対象のところに戻れ。ここらは流石に人が多すぎるから、もうちょい人の居ない所に待機しとけ。あとで俺たちが合流するから、場所をメールで送ってくれ」

「わかった。じゃあ行くぞいのり」

「ええ」


 俺たちは最低限の連絡をすると、お互い背を向け足早に歩き出す。

 別れ際、藤林が「では後程」と一声かけてきたので、俺はそれに右手を上げて答えた。



「いのり、もう少しだけ周囲の警戒、行けるか?」


 俺はカフェに戻る道すがら、隣のいのりに声をかける。

 彼女にはここから愛と白縫の居るカフェまでと、その後ここから離れる際に、周囲の声を聞き俺たちを狙う人間が居ないかを探る仕事がある。

 だがこれだけの人が居る中で特定の声を聞き分けるのは相当キツイらしく、先ほども目に見えて疲弊していた。


 俺としてもあまり無理はさせたくないが、この作戦の半分は彼女が望んだことであり、一度始めたからには途中で止めるというワケにはいかない。

 もう周囲に敵は居ないと踏んで、能力をオフにさせ急いで移動する事もできる。

 しかしそれでは不意打ちの危険度は増すし、何よりもいのりがそんなことを望むわけはない。


「もちろん、行けるに決まってるじゃない…」


 やっぱりな。分かっていて聞いた俺もズルイ人間だが。


「でも…」

「…でも?」


 その先があった。これは予想外だった。


「移動中、腕を組んでくれたら精度が増すかもしれないわね」

「…りょーかい」


 強かだ。

 彼女もまた、この逆境の中でたくましく成長していっているのだと実感した。

 俺もうかうかしていられないな。

 あと、能力で水増ししたとは言え、組んだ腕に伝わる柔らかい感触が、夏の暑さをより強くさせる。

 夏の暑さにも負けぬ、そんな人に、私はなりたい…。







 ______________________











 スマホには、アイツからのメッセージが一件入った。

 どうやら、潜んでいるという刺客を無事見つけ出したようだ。

 そして、同じテーブルで影武者のような事をしてもらっているホテルの従業員さんを解放していいという内容が書いてあったので、チップを渡し二人の従業員を本来の仕事に戻した。

 私は軽く息を吐くと、残った真白さんと一先ず驚異が去ったことを喜ぶ。


「無事成功して良かったわ…」

「そうですね。かなり無茶な作戦でしたが、上手く行って良かったです」


 本当に無茶苦茶よ。護衛対象を囮にするなんて、どうかしてるわ…。


 でも、最初にこの作戦を聞いたとき、"らしい"と思ってしまった自分がいる。

 不思議よね、今日が彼と会って三日目なのに、長い付き合いみたいな感覚がする。

 きっと昨日の夜に交わした約束のせいだ。

 殺されそうになって怯えている私を、事もあろうに煽るなんてね…。


 今思い出しただけでも笑いが込み上げてくる。

 それを信じる私もどうかしてるわ。


 目の前の紅茶を一口すする。

 口の中に芳醇な味と香りが広がり、やがて体に染み込む。

 先ほどまで味なんて感じなかったのに、今はえらく美味しく感じた。

 それだけ緊張してたということかしら。そりゃそうよね。


 私たちを囮にして、彼と南峯さんが敵を探すというこの作戦。

 昨日の警官には私たちは皆狙われているなんて言っていたのに、能力を持たない真白さんと私二人だけ残すという大胆さ。

 その大胆さは見習いたいものね。


 それと今朝、浴室に彼の様子を見に行ったら南峯さんと添い寝(彼は起きてたけど)していた時は少し驚いた。

 南峯さんも彼の影響を受けまくっているってことなのかしらね。


「…ふぅ」


 彼の肩に頭を乗せて安心しきった顔で眠る南峯さんを見て、少しだけ羨ましいと思ったのは内緒だ。

 私は残った紅茶を飲み干すと、視界に入る二人を見て、夏の暑さに負けない人になりたいと思ったのだった。







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『もしもし…?!』


 とある商業ビルの多目的トイレに一組の男女が入っていた。

 本来であればひとつの多目的トイレに男女で入るなんて、言語道断である。

 ましてや中でいかがわしい行為などしてそれがバレでもしたら、しばらく社会復帰が難しくなるほどリスキーな行為なのだ。


 だが彼らにとって今が緊急事態であり、なりふりかまっていられる状況では無かった。



「静間か。どうした?」


 男女が電話をしているのは【全ての財宝は手の中】のリーダーである虎賀だった。

 虎賀は横濱にいくつか用意したアジトのうちの一つでその電話を受けた。


『実は…』


 虎賀は一つのミッションにしてはやたらと電話連絡が多いなと感じている。

 いつもなら皆サクッと終わらせて終了報告を受けるところを、その終了報告は無く、電話は意見伺いがほとんどだ。

 しかも仲間が既に四人、警察に掴まってしまっている。

 その事実に虎賀は辟易としていた。


 相手も本腰を入れて捜査をしているからここまで難航しているのだと思ったが、何となく直感がそうではないことを告げていた。

 何か踏み込んではいけない領域に足を突っ込んだかのような。

 はたまた交通事故にあってしまったかのような。

 自業自得と不可抗力を1:1で混ぜたような渦の中にいるような感覚の虎賀であった。



『能力が、奪われた…!』

「何…?」


 受話器越しの静間から驚きの発言が飛び出した。

 なんでも二人の能力が、ある時から使えなくなったのだという。

 静間の隣にいる杉内が「厳密には泉気が出なくなった」と捕捉をしていた。


『昨晩は能力を使えていたのだけれど…』

『俺は…能力は使っていないが、昨日まで泉気は出ていたと思う』

「ふむ…」


 二人とも泉気を止めている時間が長かったから、いつから出なくなったという点はハッキリしたことが言えなかった。

 虎賀は、十中八九敵の仕業と見ている。

 だとしたら虎賀たちにとって、いや能力者にとって相当脅威となる能力者を相手にしていることになる。


 しかし、それほど強力な能力だ。

 発動するのにクリアしなければならない条件があるはずと虎賀は踏んでいた。

 そもそもターゲットの護衛にそのような能力を有している者がいたとしたら、どうしてヘヴィーリスナーに出なかったのか。

 ハガキの情報では、護衛についている者の中で完醒者は『テレパシー能力者ひとり』と出ていた。


「能力が使えなくなる前に、何か変わったことは無かったか?」


 自分を含めた残りのメンバーがその能力を食らわないよう対策を取る必要があるため、虎賀は能力発動のトリガーとなる出来事を確認しようとしている。


 少しの間電話の向こうの二人はうーんと唸っていたが、杉内が何かを思い出すように喋りだした。


『そういえばさっき…』

「ああ」

『…』


 何かの手がかりになるかもしれないと、杉内の言葉の先を促す虎賀だが、そこから返事が返ってこない。

 少しして、電話の向こうでゴトンと鈍い音がしたので思わず「どうした?」と様子を伺う虎賀。


 するとーーー


『よォ…こそ泥の大将…』


 電話越しでも分かる邪悪な声が虎賀の耳に届いたのだった。







 ___________________________







 卓也たちが見つけた【全ての財宝は手の中】のメンバー二人が、商業ビルの多目的トイレに入っていく。

 二人を追跡していた清野と藤林は、彼らが入っていったトイレの近くで自然に待機している。

 しかしただ待機しているわけではなく、各々自分の能力で中の様子を見て、会話を聞いていた。


 特にトイレという水場は清野にとって、ごく自然に自身の支配下にある水を忍ばせることのできる最高の環境だった。

 感覚委譲で視覚と聴覚の一部を持たせた水の触手で、清野は中の様子をしっかりと把握していた。



『能力が使えなくなる前に、何か変わったことは無かったか?』

「…」


 電話の向こうでは組織のリーダー虎賀が仲間から、今の状況に至るまでの経緯を聞き出そうとし始めた。

 清野は以前卓也から教わった能力発動の条件、自分以外の人間の数値を操作するには直接接触しなければならないことを思い出す。


 清野は先ほどの卓也の「普段ではありえないような格好」も思い出し、恐らく一般人を装い二人に接触して能力を行使したと見た。

 だが仮に接触の時の事を二人のどちらかが報告しても、そこから虎賀が卓也に辿り着くことは無いと踏んでいる。

 それに二人が警察に能力者だとバレないよう泉気を切っており、卓也がサーチを受けている可能性が低い事も分かっている。


 しかし、絶対ではない。能力者に絶対はない。

 もし二人が見た"記憶を引き出す能力者"が居たら?

 触った箇所から"生体データを引き出し追跡する能力者"が居たら?

 予知能力で名前も住所も割れていたら?

 考えれば能力の可能性など無限に存在する。


 そうなると、清野はもう二人を生かしておけない。


「そういえばさっき…」


 杉内が何かを報告しようとしたとき、清野は先ほどまで先端が丸かった水の触手を鋭い刃状に変え、トイレの中の二人の首を素早くはねた。

 泉気の止まっている二人の体には、実にスムーズに刃が通る。

 即死した静間の手からはスマートフォンが落ち、それと同時に二人の体も力なくトイレの床に倒れた。


「あーあ…」


 清野の横では藤林が「まただよ…」とあきれた様子だ。

 しかし清野はそんな後輩の態度など意に介さず、水を操ってトイレの内側からロックを解除し、扉を開けた。

 清野は開いた扉から多目的トイレの中に堂々と入ると、藤林も黙ってそれに続く。

 藤林は自分が入ったと同時に扉を閉め、中の様子が他の客に分からないよう配慮をした。


 清野は水で床に落ちたスマートフォンを拾い上げると、電話の相手から「どうした?」と確認されたので、


「よォ…コソ泥の大将…」


 と返事をしたのだった。


『………誰だお前は』

「通りすがりの正義の味方だな」


 水を操りスマートフォンを顔の前でキープしながらそんなこと自己紹介を話す清野と、それを鼻で笑う藤林。


『二人はどうした?』

「あー、二人とも床で寝てるな。首と体が離れちゃいるが、そこ以外は無傷だぜ」

『………そうか』


 トーンは変わらないが、沈黙が仲間の死を悼んでいることは誰が聞いても明らかだった。


「残念だったなぁ。まあ、すぐに会えるからそう気を落とすなよ」

『…………』


 虎賀は、清野のあからさまな挑発には応じなかった。


「心配しなくても逆探知や操作系能力なんて野暮はしねぇ。お前らはうちの大将がやるって言ってるからな。もう終わりだ、安心してくれ」

『ほぅ…』

「例えるなら、そうだな…」


 急に虎賀に対して何かの例え話をしようとする清野。

 虎賀や藤林でさえも、彼が何を言わんとしているのかは今は分からない。


「500枚入りコピー用紙が10パック入ってる箱があるが、あの箱と同じ見た目の"パンドラの箱"があったとして…」


 コピー用紙の箱とは、会社や学校などの事務所には必ずと言っていいほど存在する、500枚1パックのA4・A3のコピー用紙が10パックないし5パック入る"商品梱包箱"のことである。

 メーカーによってはつづら箱のような蓋つきボックスになっており、事務所の収納などに使われていたりすることがある。


「お前は、それを開けちまったんだよ」

「は…?」

『………なるほど』

「今ので通じるんだ…」


 電話の相手に聞こえないくらいの声でボソッと呟く藤林。

 清野はつまり、なんてことのない案件だと思ってうっかり卓也に手を出して、手痛い失敗をした彼らを揶揄する例えとして、『コピー用紙の箱に見えるパンドラの箱を開けた』と言ったのだ。


 清野が電話で聞いた卓也の話からすると、卓也たちは渡会たち四人の奇襲を完璧に受けたにも関わらず無傷で乗り切り、結果的に組織は静間たち含め六人を失う大打撃となった。

 警察と大手能力者組織による合同での襲撃を凌いだ彼らにとって、いや彼らを知る多くの人たちにとってもこの結果は予想出来なかったことだろう。


 その事実にテンションを上げた清野は、あまりしない例え話で相手を"口撃"した。


『クク…俺はとんでもないことをしたってワケか…』

「そうだ。せいぜいあの世で後悔するんだな」

「話スムーズだし…」


 虎賀と清野、二人の間で愉快に会話が進んでいく中、藤林だけが置いてけぼりをくっていた。



『面白い話の礼に、良いことを教えてやる』

「あ?」

『確かに俺は禁断の箱を開けたらしいが、別にうっかりってワケじゃない。何事もなく終わるミッションだとは初めから思ってなかったよ。それでも俺の人生をかけてまでやる価値のある内容だった。そして今のところ失敗続きだっていうだけの話だ』

「そうまでしてやりたいのがガキを殺すことか。復讐か?」

『落ち着けよ、良いことっていうのはここからだ。俺たちのターゲットはあくまでもだ、最初からな』

「あぁ?どういうことだ」

「…」

『あとは自分で考えな』


 虎賀は例の宝石即売会に出品される幻の宝石が狙いだという。

 にもかかわらず、執拗に白縫を殺そうとする。

 その二つが線で繋がらない清野は疑問を口にするが、虎賀はそこまでは教える気がないらしく、突き放されてしまった。

 清野の横では藤林が何かを考えているが、すぐには答えに辿り着けないのか、眉間にシワがより下を向いたままだ。


「まあいいや。どのみちお前を消すのに変わりはねーし」

『そうか』


 清野は早々に考えを止めて、再び話に戻った。


「じゃ、首を洗って待ってな。こっちもギロチン磨いていくからよ」

『楽しみだな。こっちも余裕がなくなって来た。攻めさせてもらう』

「ああ、そうかい」

『そういうことだ。じゃあな』


 ここで虎賀と清野の会話は終了した。

 しかし言いたい事をある程度告げられてスッキリした清野に対し、藤林はしばらく自分の考えの中から出られずにいたのだった。




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