挿話:1 宣託
「これは面白いことになりそうじゃのう」
祭壇のようなものの前に何本もの蝋燭が灯された薄暗い空間の中でしわがれた声が響く。声の主は真っ黒なフード付きのローブを身に着けており、その顔ははっきり見えないが、声の感じからして老婆であろうことは分かる。大きな水晶玉に手を翳し、不気味な笑みを浮かべているのが蝋燭の明かりに僅かに浮かび上がる。
「また占いかい、婆」
そんな老婆の背後から若い女の声がした。体のラインにぴったりとフィットした露出度の高い服を身に着けた褐色の肌のその女の頭には、左右にねじれた角が生えている。一目で普通の人間ではないことが見て取れた。
「宣託と言わんか、ペルニウム!畏れ多くも百眼をもって全ての事象を見通す偉大なる我らが神、グリモス様のお告げじゃ!」
「ああ、はいはい。で、グリモス様は何ておっしゃってるんだい?」
「この地に数奇なる
「へえ、そいつはいいね。いい加減窮屈な暮らしは飽き飽きしてたんだ。あたしらが堂々と表に出られる日が来るといいんだがね」
ペルニウムと呼ばれた女の瞳が猫のように細くなり妖しく光る。
「それはどうなるかは分からぬ。グリモス様のお告げは無限に分岐する未来のその手前までを見通される。儂らを含め世界の者がどう動くかによって結果も変わる」
「百眼に百通りの未来を見るグリモア様のお力か。ふふ、ならよりよい結果になるよう動こうじゃないか。まずはその数奇なる
「待て。宣託を元に儂の力をもって探ってみようぞ。……トルカーナ王国の西方、森と赤い屋根が見える……森の傍の小さな町じゃな」
「ふん、なら当たってみるか。結界の方はどうだい?」
「この辺りなら少しくらいは問題あるまい。顔を見るくらいの時間ならな」
「それじゃあ挨拶といこうか。出かけるのは久しぶりだ」
「油断はするな。聖教会の連中はどこにでもおるでな」
「分かってるよ。今のところはおとなしくしてるさ」
ペルニウムはそう言って手をひらひらと振りながらその場を後にした。
「それは真なのですか?」
煌々とした満月の光を浴びるテラスに佇み、その女性は言った。眩いばかりに輝く金髪が足元まで伸び、人を魅了してやまない美貌が僅かに曇る。
「はい。マントラの冒険者ギルドよりの使者によりますれば」
白い法衣を身にまとった初老の男が女性の前でかしずき、頭を垂れながら答える。
「
「は、幸い
「その者はまだ記憶を取り戻してはいないのですね?」
「はい。結界に不備はございません。こちらに連れてくるまでは町の宿に留め置くとのことでしたので、ひとまずは問題ないかと」
「
「は、馬車の準備をしております」
「今動けるものは誰か?」
「シアがおります。まだ経験は浅いですが、優秀な
「彼女ですか。……直接私がお願いします。連れてきてくださいますか?」
「かしこまりました。おい」
初老の男がさらに後方に控えていた若い男に指示を出す。若い男は深々と一礼し、足早にその場を後にした。
「タクネール、私は昨日夢で宣託を受けました」
女性が空を見上げながら言う。
「神のお言葉を?どのような」
「ごらんなさい」
そう言って女性は北の空を指す。
「見えますか?あの北の空に光る赤き星が」
「凶星でございますな。地乱れ天嘆かんとする北の赤き凶星、ブルワンド」
「そうです。それが西に動き、白き星に並びかけています」
「白き星?まさかそれは……」
「海狂い人堕する西の凶星、ウルクリエス。二つの凶星並び光るとき、世界は大いに乱れる。凶兆です」
「神の威光地に堕ち、人心激しく乱るる。聖典第二章、ですか。まさか邪教の者どもが何か……」
「いえ、この度の凶兆は世界全体を覆うものとお告げがありました。邪教の者にとっても凶事なのです。何かこの世界そのものを揺るがす大きな変化が起きるのやもしれません」
「そのような宣託があった直後に見つかった
初老の大神官タクネールが眉をひそめてそう言った時、
「お呼びですか、イルミーネ様」
そう声がして若い女性が先ほどの男に連れられてやって来た。歳はまだ十代であろう。艶やかな黒いショートヘアに整った顔の少女だ。
「よく来てくれましたシア」
イルミーネはテラスから室内に入り、軽く頭を下げる。
「おやめください。主教様ともあろうお方がそのような」
「いえ、礼を尽くさねばならない立場は私の方ですから。シア、申し訳ありませんがまたあなたの力を貸していただきたいのです」
「
「はい。ここの西、マントラという小さな町の近くの森です」
「分かりました。浄霊に行ってまいります」
「それからもう一つ。同じ場所でノーマンも見つかっているのです」
その言葉にシアの表情が一瞬引きつる。
「浄霊を行った後、そのノーマンをここへ連れてきてもらいたい。馬車の用意はさせてある」
タクネールがやや尊大な口調で言う。主教であるイルミーネが頭を下げたのが気に障ったらしい。シアのせいではないのだが。
「解呪をなさるのですね?」
「辛い役目を負わせてしまっていること、真に申し訳ないと思っています。しかしあなたがた
タクネールとは対照的に申し訳なさそうな顔でイルミーネが言う。
「お気にされないでください、イルミーネ様。今はこれが自分の務めと納得しております」
「そう言っていただくと少し心が軽くなります。よろしくお願いします、シア」
再び頭を下げるイルミーネに苦々しい顔をしながらタクネールが先ほどの若い男に出立の準備をさせるよう言い渡す。シアは二人に頭を下げ、その男と去って行った。
「シアの申す通りです、イルミーネ様。エルメキア聖教の教主ともあろう方が軽々しく頭を下げてはなりません」
二人が去ると、タクネールが渋い顔で
「タクネール、私たちが彼女たちにいかに多大な迷惑をかけているか、忘れてはなりませんよ」
「それは分かっております。まあシアはまだ従順に協力してくれているので良いですが、
「協力を頼んでいるのはこちらです。ある程度は目を瞑ってください」
「限度というものがございます。あまりに目に余る者は
「それでまた新たな者を召喚するのですか?解任した
「そ、それは未だ……」
「そのような無責任なことは出来ません。可能な限り彼らの要求には応えてあげてください」
そう言って再びテラスに出るとイルミーネはため息を吐いて凶星が光る夜空に目をやる。タクネールはそんな彼女に深く一礼をし、部屋を出て行った。
「イルミーネ様はお優しすぎる」
メンテの大教会の通路を歩きながら、タクネールは呟く。
「それにしてもイルミーネ様がこの地に巡幸されておられるときに宣託を受けられ、その近くで
独りごち、タクネールは顎に手を当てる。
「念には念を入れておくとするか。不遜な輩でも使い道はあるというものよ」
ぶつぶつと呟きながら、タクネールは見事な意匠が施された天井のステンドグラスを見上げた。
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