第2話 ノーマン
ダンテたちの定宿は町の西側にあった。彼の話でここがマントラという町であることが分かったが、やはり記憶には全くない名前だった。街並みにも見覚えはない。坂の上から全体が見渡せたので、あまり大きな町ではないようだ。
「とりあえず何か飲もう。走り続けで喉がカラカラだ」
宿に入るなりダンテはそう言って並んだテーブルの席の一つに腰を下ろす。一階は食堂というか酒場のようなものらしい。激しく同意したいところだが、俺は金を持っていない。金どころか何もない。文字通り身一つでさっきの森に立っていたのだ。自分のことは何一つ思い出せないが、なぜか一般的な社会通念のようなものはしっかり覚えていた。外で飲み食いするのに代金が必要なことくらいは分かっている。
「心配すんな。それくらい奢ってやる」
金が無いことを正直に告げると、ダンテはそう言って「チェム」という飲み物を二つ注文した。運ばれてきたそれは木製のジョッキに注がれた半透明のビールのような代物だった。……ビール?ビールというものを俺は覚えている。麦が原料のアルコール飲料。これは何だ?俺は一体……
「どうかしたのか?」
じっとチェムを見ながら固まっている俺にダンテが声を掛ける。
「い、いえ」
「遠慮せずに飲め」
お言葉に甘えてジョッキを口に運ぶ。渇いた喉に炭酸のような口当たりの液体が流し込まれる。思ったより辛みがあり、思わずむせてしまった。
「おいおい、大丈夫か」
「す、すいません。思ったより辛くて」
「まさかチェムを飲んだことがないのか?こいつは酒じゃないぜ。お前さんくらいの歳でもよく飲んでるはずだ」
怪訝そうな顔のダンテの言葉にはっとする。歳……。俺は一体幾つなんだ?体を見た感じではまだ若いだろうということは分かるが、顔は自分では見れないからな。
「す、すいません。ちょっとトイレに」
そう言って席を立つ。トイレに行けば鏡があると思ったのだ。……何故そう思ったのか?俺は全てを忘れているわけじゃない。だから何となく今いるこの場所、というかこの世界に何か違和感を覚える。
「ふう」
トイレに行くと思った通り洗面台に鏡があった。少しくすんでいるがちゃんと姿が映る。これが俺の顔か。正直ピンとこない。自分の顔すら忘れてしまったのかと思うと情けないような悲しいような複雑な気持ちになる。見た感じは十代後半といったところだ。酒が飲めないだろうと踏んだダンテの推量は当たっていたことになる。
「顔色が悪いな。大丈夫か?」
席に戻った俺の顔を見てダンテが言う。
「え、ええ。大丈夫です」
「で、何であんなとこにいたんだ?あそこの森は魔物が出ることもあって町の人間は滅多に近づかない場所だ。それを武器の一つも持たずに」
一体どう説明したものか悩む。しかし何も覚えていないのだから正直にそう言うしかないだろう、と覚悟を決めた。
「実は……」
ためらいがちに口を開きかけた時、ダンテの肩をポン、と叩く者があった。見ると先ほどの金髪男だ。後ろに残りの二人もいる。
「よう、無事だったか。よかったよかった」
金髪男が笑いながらそう言い、近くの椅子をこちらのテーブルに引き寄せて座る。
「おう、早かったな。どうなった、奴は?」
ダンテの問いに金髪はやれやれ、と言った風に首を振り、
「ダメだ。何とか動きは止められたんで逃げてきたが、ミルテの上級魔法でも殺せなかった。そもそも奴が生物なのかも分からんがな」
「噂どおりか。となるとやはり聖教会に連絡しないといかんな」
「ああ。そいつは今ギルドに寄って頼んできた。ここは小さな礼拝所しかないし常駐の神官もいないからな」
「
「おそらくな。向こうに連絡が行って
「ギルドに森への立ち入り禁止を布告してもらわんとな」
「当然それも頼んである。
「さすが抜かりないな。だがこの短時間でよくそこまで……ああ、ルーナの転移魔法か。それで疲れた顔してるんだなお前」
隣のテーブルの席に疲れた顔で座っている銀髪女を見てダンテが笑う。
「笑い事じゃないわよダンテ。せっかく溜めていたMPがごっそり減っちゃった。しばらくクエストは無理よ」
「仕方ないだろう。ミルテがあんなバカでかい火炎魔法をぶっ放すから、こっちまで火に巻かれるところだったんだからな」
金髪男の言葉に青髪の少女が頬を膨らます。
「何さ、あたしのせいだっていうの?あれくらいの魔法じゃなきゃあいつを止められなかったじゃない」
「そうだな、だから責めてるわけじゃないさ。
「あの、本当にありがとうございました。皆さんが無事でよかったです」
改めて礼を言うと、金髪男は笑って手を振り、
「気にしなさんな。君がいなくても奴に遭遇していた可能性は高かった。森の調査をしていたところだったからな」
「はあ。冒険者のパーティー、だそうですね」
「ああ。自己紹介がまだだったな。俺はクリフ。一応このパーティーのリーダーを務めている。見ての通りの剣士だ。君と一緒に来たこの親父はダンテ。まあこいつも一目瞭然だな。戦士としては一流の腕の持ち主だ」
「親父とは何だクリフ。お前とそう歳は変わらんぞ。まあ珍しく褒めてくれたから許してやる」
「私はルーナ。見ての通り魔道士よ。攻撃魔法も使えるけど得意なのは治癒や感知魔法ね」
銀髪女が手を上げ名乗る。パーティーのヒーラー役か。……こんな言葉も俺は知っている。だが何かしっくりこないというかちぐはぐな感じがして気持ちが悪い。続いてクリフが青髪の少女を親指で指す。
「こいつはミルテ。珍しいだろう?アルター族だ」
「アルター族?」
「知らないのか?数は少ないがこの国じゃ有名だと思ったが。魔法に長けた種族だ。寿命も長い」
エルフのようなものか。エルフ……これもなぜか分かる。
「で、君は?」
まっすぐな目で見つめられ、俺は今度こそ覚悟を決めて正直に記憶が無いことを話した。それを聞いたクリフたちの顔が異様なほど曇る。記憶喪失というのがそんなに珍しいのだろうか?
「本当に記憶が全くないのか?」
「はい」
「おいクリフ、こいつは……」
ダンテが深刻な顔で呟き、クリフが頷く。
「ああ。まさか彼が‶ノーマン″とはな」
「ノーマン?」
「これもすぐ報告が必要だな。君、疲れてるところ悪いがギルドまで付き合ってくれないか。聖教会への使者が出ていなければいいが」
「ああ。二度手間になっちまうからな。急いだほうがいい」
訳が分からないまま、俺はクリフたちに付き添われて冒険者ギルドに行くことになった。ノーマン。彼らは俺をそう呼んだ。記憶がない人間のことをここではそう言うのだろうか。だが彼らの深刻そうな顔はただそれだけのことではないように思える。嫌な予感を覚えながら俺は宿を出てギルドへと向かった。
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