05 既視でも既知でもない。その異能は予知なの? 読心術なの?
俺には創作ネタがたくさん詰まったノートがある。
趣味で書いているホラー小説のもとになる大切なノート。
でも俺以外の人が読むと誤解されそうな
秘密にしておきたいノートは本棚に置いている。数冊あって本棚の定位置となっているが、万が一のことを考え処分しようと決めた。決断したきっかけは友人の来訪だ。
夜、部屋でくつろいでいると呼び鈴が鳴った。対応すると連絡もなしに友人が玄関の扉前にいて、ビールが入った袋を見せつけてきた。
俺は冷静な声で「待ってろ」と言い、あわてて部屋へ戻るとノートを鍵付きの引き出しに隠した。もう心臓はばくばくだった。
このときは事なきを得た。鍵付き引き出し作戦は一時的には回避できても、根本的な解決にはならない。
そこで
読者が俺のことをコメディー作家と勘違いしそうなので、ホラーやオカルト系であることがわかる話を取り上げよう。
まだ見たことがないはずなのに、すでに見たことがあるという「既視感」を経験したことがある人はいるかな。
そして似たような言葉に「既知感」がある。
まだ経験したことがないはずなのに、すでに体験したことのように感じる現象のことだ。
「既視感」「既知感」という単語があるから体験した人が大勢いるのだろう。
じゃあ……この二つに当てはまらない事象を経験したことがあるとしたら?
今回はふしぎな話だ。
┄┄┄✎ 紫桃ノート ┄┄┄┄
居酒屋 おねだり成功
【ふしぎ】既知
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「なあ、何か変な体験した?」
この
「ほ―――ん。変な……かあ」
俺――
辺りから笑い声や楽しげな声が聞こえ、仕事帰りのビジネスパーソンが羽を伸ばしている様子がうかがえる。
コオロギは手に持ったグラスをゆっくりと動かす。中の氷が揺れて、からからと小さく鳴る様子を見ながら考えこんでいる。
表情が変わった。
何か思い出したみたいだな。ここで必殺技だ!
「コオロギ、頼むよ。ふしぎな体験をしていたら話してくれ」
困った声色で頼みこみ、両手を合わせて頭を軽く下げる。そうすると――
「しょうがないなあ~」
よっしゃっ!
顔を上げるとコオロギの
コオロギは「お願い」に弱い。強引に聞こうとすると話さないけど、食事と酒で機嫌が良くなったときに頼むと、すんなりと話してくれる。
俺はどんな話が聞けるのかと、わくわくしながらコオロギの話に耳を傾ける。
「派遣先で暑気払いがあった。そのときのことなんだ――」
✿
暑気払いという行事がある。
会社は長く続く暑さで沈んでいる社員の士気を上げることと、ねぎらいが必要だと考える。そこで費用を会社負担にした『暑気払い』という名目の宴会が行われる。
派遣先の会社では部署単位で暑気払いをしていて、社員だけでなく一緒に働いている派遣社員など非正規雇用も参加することになっていた。
自分が所属している部署はチーム制ではなく単独で業務を任されている。打ち合わせのとき以外は話し合う必要はないから、ふだんはあまり交流がない。
もちろん仕事中におしゃべりをすることは少なく、静かなオフィス環境で業務をこなしているメンバーだ。
金曜日、終業時間から30分後に会社近くの居酒屋で暑気払いが始まった。
あまり話さないメンバーとの宴会は渋る人が多い。
はじめのうちは会社の飲み会なんて仕事の延長で面倒みたいな空気がある。食事したりお酒を飲んだりしていくうちに、少しずつ空気が変わっていく。
だんだんとプライベートな話をする人が出てきて話に花が咲く。1時間も経てば、みな打ち解けて宴会を楽しんでいる。オフィスでは黙々と仕事をしているから驚くくらいの変わりようだ。
わいわいと話していたところ、自分は少し席を外した。
戻ると話題はすでに別のものになっている。なぜその流れになったのかは知らないが軽い怪談になっていて、女性社員がやや興奮気味に語っている。
女性の話によると、ほかの部署の人が会社内で幽霊を視たらしい。
話を聞いているメンバーの反応は驚く人、無関心な人とさまざま。自分は
「神路祇さんは、会社に幽霊が出るという噂、知っていた?」
「○階の大きな会議室のことでしょうか?
会議室の入り口、窓側の扉のすぐ横に立っている女性の霊?」
「なあんだ、知っていたんですね!」
話を振られてとっさに答えた。
でも「知っていたんですね」と言われて気づいた。
そこにそんな霊が居ることは知らない……。
自分で言ったことなのに、その幽霊は視たことがない。
✿
「会社は7階建てのビル。
1フロアのほとんどを占める大きな会議室が○階にある。会議室はほかの階にもあるけど、なぜか幽霊がいる正確な位置を特定していた。
勤務先では自分が仕事をするフロア以外に行くことはないから、おかしなことだ。もっと変な点は実際には幽霊を見ていないことだ。でもなぜか存在を知っている。
そんなことがたまにあるんだ。知らないはずのことを知っていて話すから、なんで知ってるんだろうと自分でもふしぎに思うよ」
BGMのように聞こえていたグラスの氷の鳴る音がぴたりと止まった。
真面目な顔をしていたコオロギがうれしそうな表情に変わり、手にあるグラスを持ち上げてカクテルを飲み始めた。
俺はグラスを持ったまま固まっている。
視ていないのに霊体が居る場所を知っていた?
しかもどんな霊体だったのか詳細まで把握している?
どういうことだ?
「コオロギ、どうやって霊が居ることがわかったんだ?」
「ん――……。話したとおり、わからないんだよ。
話していた人と目が合ったときに思い浮かんだことを答えただけなんだ。考えていたわけじゃない」
「無意識なのか?」
「無意識……に近い……かも?」
考えてみれば説明ができる事象なら、どこかの天才がコンピューターを使って解析し、仕組みを応用したなんらかのシステムを完成させているはずだよな。
未知の領域だからコオロギが説明できないのは当たり前で、今の技術では解明しづらく、しっくりくる答えがまだないんだろう。
コオロギは持っていたグラスが
「人の思考を読んでるみたいで、気分のいいものじゃないんだよなあ」
人の思考を読む……?
そういえばコオロギは幽霊を視ていないと言っていた。
見てない
話し終えたコオロギの関心はすでに別のものへ移っている。
店内をきょろきょろと見回していて何かを探している。まるで暇を持て余し始めたときの子どものようだ。
コオロギは俺の好奇心を刺激する。
既視でもなく既知でもない。はたまた予知でもない異能――。
俺の知らない能力がまだあるとわかり、コオロギが体験している世界を知りたい欲求に駆られた。
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