04 耳元で幽霊にささやかれたのに、なぜビビらない!?


 俺は一介のビジネスパーソンのはずだ。


 それなのに友人と話していると、お笑い芸人または漫才師なのかと錯覚することがある。



 俺――紫桃しとう――の友人・コオロギ――神路祇こうろぎ――は、アヤカシたぐいからラブコールを受ける特異なやつだ。


 たとえば、買い物帰りに住宅地を歩いていたら姿なきモノに腕を引っ張られたとか、オフィス街で会社に向かっていると上からナニカが降ってきて背中に乗っかられたなど、アヤカシのほうから接触してくる。


 コオロギからアヤカシと遭遇した話を聞くたびに、俺はなんという恐ろしい体験をしているんだと怖くなる。


 でも当人はホラーな経験をしてもナンパお断り程度にとらえてて、アヤカシに対していきなりで無礼だと怒るだけだ。


 コオロギくん、もっと怖がってくれよ……。

 キミの腕をつかんだアヤカシは、異界へ引きずりこもうと企んでいたのかもしれない。背に乗ったアヤカシは、キミに憑くつもりだったのかもしれないんだぞ……?


 アヤカシがちょっかいだしてくるなんて、ものすごく怖いことなんだから!!


 俺は体験したのが自分じゃなくてよかったと、ほっとしながら胸の内でコオロギにつっこんでいる。


 なんかずれてるコオロギだが、アヤカシのちょっかいを受けて、びっくりすることもある。そんな話が俺の創作ノートに書かれていた。




┄┄┄✎ 紫桃ノート ┄┄┄┄

【怖噺】いきなり幽霊

トイレ 怪異 女性

┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄┄



「そういや、アヤカシにどきっとさせられたよ」


「へえ?(珍しいな!)」



 居酒屋で好物のチキン南蛮をたらふく食わせ、飲み放題でカクテルを遠慮なく飲むコオロギは満足げだ。


 ふだんコオロギは奇談を話したがらないが、満腹とアルコールでご機嫌となっていて、すらすら話してくれる。


 飯で釣る作戦は成功だ!

 コオロギから見えないところで俺はこぶしをぐっと握る。


 さて、と。

 アヤカシが絡む奇妙な体験をしても怖がらないコオロギが、どきっとしたと言った。これはそうとう怖いものに違いない。


 俺はこれから語られる恐怖に耐えるべく、身を引き締めて傾聴の体勢をとった。



「仕事していたときのことだ。

 作業していたら、ちょっと行き詰まってね。しばらく考えていたけど、いい対処法が浮かんでこない。気分を変えたらアイデアがわくかもと思って、休憩を取ることにしたんだ。

 席を立ってオフィスを出てトイレへ向かった。いい方法はないかずっと考えていて、そのまま個室に入った」



 ここでいったん話を切った。

 コオロギはジントニックの入ったグラスを真剣な眼差まなざしで見ている。


 コオロギが話すのをためらうなんて……。

 そんなに怖い体験だったのか?


 いつもと雰囲気が違うコオロギ。

 辺りがさっきより薄暗くなった気がする。それに背中もぞわぞわしている?


 急にのどの渇きを感じて俺はテーブルにあるグラスを手に取る。

 コオロギは手元のグラスを見つめたままだ。氷が小さく音を立てるなか、静かな口調で続きを話しだした。



「個室に入るとドアを閉めて鍵をかけた。

 すると耳元で『シェィシェィ』と女性のはっきりした声が聴こえたんだ……」



 俺は口に含んでいたビールをごぎゅんと変な感じで飲んでしまい、少しむせた。テーブルにグラスを置き、呼吸を整えながらコオロギを見るとうつむいている。


 いつもならアヤカシに対して怒りだすのに今回は違う!

 女性の声がしてそのあと、どうなったんだ!?


 自然と拳を握り締めていて、どきどきしながらコオロギが話すのを待つ。



「考え事をしてるときに、急に耳元で声が聴こえたから『ぅおっ!?』と驚いて声が出て、反射的に声がしたほうを見た。

 目に映るのは仕切り壁だ。狭い個室には自分一人しかいない。

 休憩を取った人がトイレに来ていて、その人の声が聴こえたのかもと思い、個室の外の気配を探ることにした。

 聞き耳を立ててみるけど、しんとしていて人がいる気配はない。

 しばらく様子見していたけど声が聴こえたのは一度きりで、あとは何も起きなかった。……急に声をかけるのはやめてほしいよ」



 コオロギはため息をつくと、ジントニックをごくごくと飲み始めた。



 ん……?



 そのまま飲み続けている。



 え……?



「あ、もうないや。すみませーん!」



 ジントニックを飲み干したコオロギが手を挙げて店員を呼んだ。


 えっ……? ええぇぇ―――!?

 それで終わりかよ!?


 コオロギは怖かったと青ざめるのではなくおびえる様子もなく、困ったという顔を一瞬だけ見せて終了。さっきまで怪異を語っていたとは思えない嬉々とした表情で追加のカクテルを注文し、運ばれてくるのを待っている。


 おいおい! ちょっと待てやぁ!!



「コオロギ、怖くなかったのか?」


「怖い? なんで?」


「だって、声がしたのに誰もいなかったんだろう?」


「逆に誰かいたほうが怖いよ。

 人がいたってことは、使用中なのに自分が入ってきたことになるんだから」



 そう…だな……

 人が用を足しているときに乱入すると気まずい……。



 いや、そうじゃないだろっ!



「論点がずれてる!

 まず! コオロギはアヤカシに声をかけられたんだよな!?」


「誰もいなかったからアヤカシだと思う」


「次! アヤカシはなんて言っていた? もう一回言ってくれ」


「えっと、『シェィシェィ』と聞き取れたよ」


「シェィシェィ?

 中国語か? 中国語なら『謝謝』のことかな?

 たしか、ありがとうとか感謝みたいな意味だったはず……」


「ふぅん」



 コオロギは首を少しだけ横に傾けて俺を見ている。



「なんでそんなに冷静なんだよ。

 中国出身の女性の霊から声をかけられたのかもしれないんだぞ?」


「感謝されても困るなあ。

 知らないヒトにお礼を言われても理由がわからないから『なんで~?』としか思えないよ」


「それだけ!?

 姿なきアヤカシに声をかけられる恐ろしい出来事が起きたんだぞ!」


アヤカシに声をかけられたことよりも、自分が用を足しているところを見られてなかったかが気になる」


「はいぃぃ―――!?」


「紫桃だって自分が用を足しているトコをじっと見られるのは嫌だろう?」



 それは


 嫌だ……。



 ああ、嫌だよっ!

 じろじろ見られながら用なんて足せるか!


 でもな、コオロギ!

 ふつうはアヤカシが現れたと知った時点でダッシュでトイレ現場から逃げると思うぞ!!


 握られた俺の拳がテーブルの上でふるふると小さく震えている。

 これは恐怖によるものか? それともコオロギに対するプチ怒りか?


 とにかく――

 ブルドッグを飲んで「おいしい~」と言っているコオロギの頭をぽかんとたたいてやりたい!



 ✿



「はああぁぁ―――……」



 おっと、大きなため息が! 失礼しました。


 ノートの内容をWeb小説へ書き写していくうちに当時のことをどんどん思い出していったよ。


 姿が見えないナニカから突然、声をかけられた――これは恐ろしい状況のはずだ。


 急に声がした! どこから!?

 いや、ここには誰もいないはず!?


 いない……?


 えっ!? それなら姿が見えないモノが居るってこと??

 アヤカシ……? アヤカシが居るのか!?


 何か危害を加えてくるかもしれない! コワイ、怖い!!



 俺なら恐怖でパニックになる。

 姿のないモノの声が聴こえたという状況になったら俺だけではなく、ふつうは気が動転するはずだ。


 コオロギは恐怖の感情が変だ……。


 俺だと非常事態に分類する状況をコオロギは日常の1コマのように語る。

 コオロギが体験したことは明らかに異常な状況下にあり、途中までは完全なホラーだ。


 流れはホラーだったのに……

 恐ろしいホラーになるはずだったのに……


 最後はコメディーになっているじゃないか!!


 コオロギから聞いた話はありのまま小説として書くとホラーにならない。それに本人がいつもあっけらかんとしているから、読者は俺のことをビビりと思っている気がする。


 コオロギよ、キミにはもう少し恐怖心というものをもってほしいぞ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る