✿ 余話 ✿ 旅の楽しみの一つに宿泊がある。ホテルでこんな思い出ができた


 都内の某ホテルに俺はいる。


 ドアの前に立って数分過ぎている。


 怪しい……。我ながら怪しすぎる!

 ほかの宿泊客に見られたら不審者扱いされてしまうだろう。



 よしっ! 行くぞ!



 俺はコオロギともりさんが泊まっている部屋をノックした。

 ドアを開けたのは杜さんで、「どうぞ」と無愛想に迎えた。俺は「失礼します」と言って入り、室内を見て驚いた。


 俺の部屋はシングルでビジネスホテルにありがちな簡素な造りをしている。

 小さな冷蔵庫や電子レンジなど便利な家電はある。しかし室内は狭く、ベッドが一番場所をとる寝るだけの空間で快適とは言いがたい。ところが二人が泊まるツインだといきなりグレードが上がる。


 窓ぎわにテーブルとソファがあり、壁掛けの大型テレビが見られるようになっている。パソコン作業ができるデスクが別にあって、ゆったりとしたスペースがとられたくつろげる空間になっている。……俺の部屋とは大違いだな。


 室内を見回したがコオロギの姿がない。

 ベッドには脱ぎ散らかされた服があり、見たことがある 制 服 コスプレ衣装ばかりだ。


 なんでこんなところに……?


 理由を知りたいけど杜さんに聞くのは怖い。

 もやもやしていたら杜さんのほかに人の気配がした。



「ツバメ~、これでいいのか?」



 バスルームから現れたコオロギはアオザイを着ていた。

 だいだい色の上衣は長袖で体にフィットしており、丈が長くてくるぶし近くまである。深いスリットからシルクを思わせるラメ調の淡い黄色のズボンが見えている。


 いつも後ろに結んでいる髪はおろしていて、顔を上げたらさらりとなびいた。



「おっ、紫桃しとう、来たんだ」



 コオロギは――エキゾチックな雰囲気のある美人だ。

 アオザイはとてもよく似合っている。化粧もしていていつも以上に華やかだ。


 言葉なく見ていたら杜さんがコオロギのそばへ行った。



「レイちゃん、やっぱり似合うね♪

 ふふふっ。サイズもピッタリ。メークも合っているわ」


「動きにくい~。化粧もなんだか息苦しい感じだよ」


「レイちゃんは機能重視しすぎよ。ふつうはこうなの!」


「ほ―――ん?」



 状況についていけない俺はたまらず質問した。



「一体、どうしたんだ!?」


「ツバメと会うときは毎回こうなんだ。手伝いだよ」



 コオロギは言葉足らずだ。いつもはカバーできるけど今回は余裕がなくて無理だ!

 訳がわからずおろおろしていると杜さんが説明してくれた。



「レイちゃんは私の作品をつくる手伝いをしているの」


「作品?」



 一体なんのことだか……。

 詳しい説明を待つけど、杜さんは作品がなんなのか言ってくれない。


 コオロギは冷蔵庫からチューハイやビールを取り出してテーブルに置いた。それからホテルのグラスを用意しながら話しだした。



「ツバメはね、漫画を描いているんだ。それで絵のモデルとして協力している。

 ほかに頼める人がいないからと、会うたびに自分に頼むんだよ~」


「そ、そうだったのか。

 その……杜さんはどんなジャンルの漫画を描いているんですか?」



 杜さんに問うけど答えずにいて、コオロギのことをじっと見ている。


 一体……?


 杜さんの視線に気づいていないコオロギは、グラスにチューハイを注ぐと一人で飲み始め、自慢するように言ってきた。



「ツバメはねぇ、BLや百合を描いているんだ。

 書店でさ、漫画を購入したことがあったでしょ? あの漫画はツバメの推し作家さんの作品が載っているから買ったんだよ」



 俺は本が好きで書店によく行く。

 以前、コオロギと書店へ行ったときに、コミックコーナーからエロい表紙の漫画を手に取って戻ってきた。百合とBLと知り、関心がないふりをしていたけど、杜さんが関係していたのか……。



「……レ~イ~ちゃ~ん? 誰にも言わない約束よねぇ?」



 これまで黙っていた杜さんが口を開いた。

 笑みを浮かべているけど目は笑っていない。


 コオロギはしまったという顔をすると、にへっと笑って「ごめんね」と謝り、話題をそらすように、あわてて話す。



「し、紫桃と同じだな。紫桃は小説投稿サイトにホラー小説を投稿している。

 ツバメはWebコミックサイトに投稿している。共通の趣味があるから二人は気が合いそうだなっ」



 おいおい! コオロギ!

 俺はコオロギ以外には小説を書いてるのを秘密にしてるんだぞ!


 人前で秘密がばらされた恥ずかしさと、ちょっと怒りを感じていたら、杜さんがコオロギのそばへ行った。にこぉと笑い、両肩に手を置くと口を開いた。



「レ~イ~ちゃ~ん? 私が漫画を投稿してることも秘密にしてって言ったよね?」


「へっ……へへっ♪」


「可愛く笑っても、ごまかされないわよ~?」


「ご、ごめん……」


「ばれちゃったら仕方ないわね。おわびに今日はとことん付き合ってね♡」


「えぇ~~」



 眉をひそめたコオロギを見て、杜さんが再びにこぉと笑った。コオロギは引きつったように笑うと、肩を落として「はぁ~い……」と答えた。



 動転している俺をよそに撮影会が始まる。


 杜さんがポーズを指示するとコオロギは素直に従う。

 屈託なく笑う姿や猫にいたずらを仕掛ける小学生の姿はない。しとやかだったり小悪魔的だったりと七変化する。いつものコオロギと全然違っていて……。


 俺はソファに座って映画を見ているふりをしながら、横目でふだん見ないコオロギの姿を追う。かつてないほど心臓がどきどきしている。


 休憩になるとコオロギはソファに掛けてチューハイを飲み始めた。



「紫桃、ごめん。撮影が終わったら話せる時間がくるから」



 話し方はいつもの男口調のまま変わらない。

 でも異国の衣装を着て、ふだんはすっぴんなのにメークをしている。化粧しているコオロギを見たのは初めてでどきどきする。


 コオロギは酒のせいで目がうるみ、ほおがピンクに染まって唇がつややかだ。妖艶でまるで別人……。意識すると心臓がさらにうるさくなった。


 どきどき状態の俺に杜さんはとんでもないことを言ってきた。



「紫桃くん、レイちゃんにからんで」


「へ!?」


「まず、『壁ドン!』が欲しい」


「えっ!? あのっ!」


「は・や・く?」



 こ、怖い……。

 杜さんの目が据わっていて怖い! 従ったほうが得策だ。


 俺は杜さんが指示するとおりにポーズをとる。


 壁を背にしているコオロギの前に立って、片腕を壁に伸ばすと杜さんがパシャリ。


 後ろから寄り添う形でパシャリ。そのまま後ろから腕を回してパシャリ……。


 コオロギは素直に杜さんに従う。


 杜さんに甘くないか? でも……かわいい。


 今度はベッドに寝転んだコオロギに覆いかぶさるようにして、両手首をつかんだところを、杜さんが写真を撮った。


 近い……。コオロギの顔が近い。


 まどろみにいるような瞳は吸いこまれそうに悩ましく、つややかな唇にふれたくなる。あと少し動くだけでお互いがふれることができそうだ。


 目を離すことができなくてじっと見ていたらコオロギの唇が開いた。

 少し開いた唇は色っぽくて……


 形のいい唇から「ん――……」と声がもれた。


 鼓動がどんどん速くなって心臓がうるさい。


 コオロギの唇が再び動いた。



「紫桃、重い~」


「…………」



 のああぁぁあああ―――!!

 衝撃的な言葉が俺の繊細な心 ハート をざっっくりと切り裂いた!


 重たい DE BU ……?


 俺、太っているのか……?


 がっくりきて、体の力が抜けてしまいコオロギに覆いかぶさった。

 するとシュババッと影が動いて、俺は後ろからものすごい力で襟首を引っ張られた!



「ぐるじい……!!」


「シ・ト・ウ。離れて?」



 語尾がきつい口調にふり向くと、微笑んでいるが殺気を放っている杜さんがいて、冷水を浴びたように鳥肌が立つ。俺はあわててコオロギから離れた。



「紫桃はツバメより重いな~。

 ツバメはやわらかくて軽い。男女の筋肉の差か?」



 ベッドにあおむけで寝転び、腕を組んでいるコオロギから独り言がもれている。


 コオロギは妄想させることを言うし、恐ろしい目つきでにらんでいる杜さんは居るわ……。


 くそ~~! どきどきとぞわぞわで心臓に悪い!


 ふだん見ることができないコオロギが見れるのはいいけど、猛獣の護衛付きで恐怖の度合いが高い!


 こんなチャンスは二度とこないとわかっているけど、俺はコオロギをじっくり見ることができずにいて、「撮影なんて早く終わってくれ!」と切に願っていた。






――――――――――

【参考】

✎ ネットより


アオザイ:

 ベトナムの民族衣装。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る