19 もっと奇談を聞きたいのに、これでおしまい?


 有給休暇を取った俺――紫桃しとう――は東京に来ている。

 友人・コオロギ――神路祇こうろぎ――に会い、飯で釣って奇談を聞きだす計画をしていた。ところが計画が狂った。


 コオロギのイトコ・もりさんが九州から東京に来たため、俺の約束とバッティングしたのだ。


 遠い地から来ているイトコを放っておくわけにはいかないし、俺も杜さんも、ひんぱんにコオロギに会えるわけではない。片方だけという流れにはならず、三人で食事をする事態になっている。


 コオロギと二人きりでないことに、はじめは落胆したけど、今は杜さんに感謝している。



「ねえ、レイちゃん。私に話してないことある?

 たとえば、ふしぎなモノを視たとか」


「ふしぎなもの?」


「な・に・か、あるでしょ~」



 テーブルのしゃれた皿には、カットされたフルーツが数種類、それにバウムクーヘンやチョコレートなどのスイーツ盛りがある。杜さんはフォークを使ってコオロギの口に運び、食べさせている。



「窓の外を何かが通り過ぎたとか~、壁に不気味な物があったとか~」


「壁!? 壁に変なのはあったぞ」


「どんなものだったの?

 教えて。レイちゃん、お・ね・が・い♡」


「しょうがないなぁ~」



 すばらしいテクニックだ!

 コオロギの性格を熟知して誘導している!


 俺とコオロギだけだと、どうやって話を引き出そうかと作戦を練らなければならない。ところが杜さんのおかげで苦労なく奇談を聞く側に回っている。


 もぐもぐしていた口の動きが止まり、コオロギが話し始めた。



「地下鉄に乗っていたときのことなんだ――」



 ✿


 駅に到着することを知らせる車内アナウンスが聞こえ窓に目を向けると、流れていた壁がだんだんと見えてきている。


 窓から反対側のプラットホームが見える距離になり、電車はかなり減速してホームに近づいていく。


 ぼんやり見てると、トンネルの出口から1~2メートルほどの壁に手形があることに気づいた。


 ✿



「乾いたコンクリートに水が当たると濃いグレーになる。似たような感じの手形があったんだ」



 ぬれた手で触った跡なんじゃないのか?

 ――と思ってしまうけど、コオロギはありふれた話はしない。

 変だと感じた理由があるな……。


 会話に割って入るのは好きじゃないけど、杜さんに頼ってばかりだと情けない。俺が引き出していこう。



「コオロギ、レール点検をする作業員がぬれた手で壁を触ってしまい、跡が残っていたんじゃないのか?」


「その可能性はあるわね。

 レイちゃんはなんでその手形が気になったの?」


「はじめはぬれた手の跡と思った。

 でも点検作業は終電車から始発までの間に行われる。乗っていた電車は早朝ではなく通勤ピークを過ぎてて時間が経っている。

 水跡ならとっくに消えてるはずなのにはっきりしていたから、ぬれた手の跡ではないと判断したよ」



 言えてる……。

 東京の電車は遅い時間まで走り、かなり早い時間から動き出す。点検は電車が動いていない間に行うしかない。作業中についた水跡なら乾いて消えているはずだ。


 ほかにどんな原因が考えられるか思考を巡らせている間も、コオロギは話を続けている。



「ぬれた手形じゃないなら、トンネルをつくったときの記念に手形を残したんだと思った。

 面白いことをしているから写真を撮ることにしたんだ」


「「えっ!?」」



 コオロギが妙なことを言ってきたから思考は停止し、俺は驚いて声を上げた。杜さんも俺と同じ心境のようで声はハモっていたというのに、コオロギはかまわずに話を続ける。



「翌日、手形を視た駅で降りた。

 ホームの端まで行き、手形があった壁を見たけど何もなかったんだ」


「やっぱりぬれた手の跡で、乾いて消えてしまったんじゃないの?」


「その可能性もある。でも変なんだ。

 電車に乗るたびに壁をチェックするけど、車両に乗っている状態では手形があった場所を見ることはできないんだ」


「どういうことなんだ?」


「電車の動きが速くて視認できないんだ。

 手形を発見したときは、かなりスピードが落ちていて壁をじっくり見ることができた。でもその日以降は減速していても景色が流れるのが速くて壁を見ることなんてできない。

 車内で立つ位置を変えたり乗る車両を変えてみたりしたけど、同じように視ることはできなかったんだ」



 コオロギは話すのをやめて首をかしげた。むっとした表情になると、ぼそりと言った。



「あれは……アヤカシのいたずらだったのかな」



 コオロギに質問しようとしたが、店員がやって来て「飲み放題が終了しますが、どうされますか?」と聞いてきたので話が切れた。延長はせず、最後の1杯をそれぞれ注文した。



 居酒屋を出る時間が近づいている……。


 胸がざわついて手のひらに汗を感じる。

 コオロギをちらと見ると、畳に手をついて、少し背をそらした状態でくつろいでいる。



「レイちゃん、どこかゆっくり話せるところへ移動しよう?」


「ほ―――ん。たぶんコンサート客で近くのカフェは人がいっぱいだと思う」


「えぇ~? 探して回る体力は残っていないわ~」


「そうだなぁ……」



 杜さんはテーブルに突っ伏し、隣でコオロギが腕を組んで考え始めた。


 俺は有休を取って久しぶりに東京に来た。

 関東圏に住んでいるけど、コオロギとそう何度も会えるわけではない。


 まだコオロギと話していたい。ここで解散なんて嫌だ……。


 一緒にいたいと言えず、黙ってビールを飲みながら事の成り行きを見守る。



「ツバメ、ホテルに行こうか」



 ぶほっと噴いた。

 危うく鼻からビールが出るところだ!


 コオロギの台詞せりふにオトナの想像がぽわんと浮かんで二人をまじまじと見ていると、目が合った杜さんが優越感に満ちた表情をした。



「やだぁ、レイちゃん。大胆ね♡」


「ほん?」



 杜さんは見せつけるようにコオロギにしなだれかかっている。

 コオロギは首をかしげてきょとんとしたが、そのまま話を続ける。



「いつもみたいに二人分の部屋を取ってるんだろう?」


「そ・う・よ。二人でお泊り会♪」


「ツバメは移動やコンサートで疲れてる。

 ほかのお店へ行くよりも部屋でゆっくり過ごそうよ」


「そうね、時間を気にしなくていいし……。そうしましょう」



 話はまとまったようでコオロギが俺のほうを向いた。



「紫桃は友達のところに泊まるのか?」


「あ……いや……決めていないんだ……」



 終電近くまで一緒に過ごせると思っていた。別れたあとは24時間カフェで時間をつぶすつもりでいた。それがこんなに早くお開きになるなんて……。


 俺は言葉がなくてうつむいてしまった。


 見なくてもコオロギが気にしているのがわかる。


 俺がどうすることもできずにいると、杜さんの声が聞こえてきた。



「紫桃くん、今晩は泊まる場所、未定なんだよね?」



 力なく「ああ……」と答えながら顔を上げると杜さんと目が合った。

 じとっと俺を見ていたが仕方がないという顔をして言ってきた。



「泊まるトコ、決まってないなら、私が泊まるホテルに泊まったら?」



 あ! それならコオロギとまだ話ができる!!


 でも……いいのかな……?


 躊躇しているとコオロギが口を開いた。



「紫桃! 宿泊先が決まっていないなら同じホテルにしてよ。

 そうすればまだ話せる! 久しぶりに会えたんだから、もっと話がしたい!」



 コオロギの言葉に俺はうれしくなった。顔がにやつきそうになるのをこらえて返事をした。



「そうするよ」


「やったあ!!」



 手を上げて喜んでいるコオロギを見た杜さんが俺に視線を移した。鋭い眼光で威嚇しているように見えるけど、気のせいだよな。


 えっ…… 小さく舌打ちした?


 ははっ、まさかね。俺の見間違いだろう。

 とにかくうれしい! まだコオロギと一緒に過ごせる!!


 問題はホテルの部屋が空いているかだ。

 俺が杜さんにホテルを尋ねようとしたらスマホで通話している。



「今から宿泊したいんですけど1部屋空いてます?

 一人です。……はい、あ、一番安い部屋でお願いします……」



 しばらく話して通話を切ると、杜さんは冷めた目で俺に言ってきた。



「部屋は取れたわ」


「よ―――し!!」



 両手を握って決めポーズをしたコオロギは、さっそく店を出る支度を始めた。ハミングしていてご機嫌で、俺もうれしくて小躍りしたい気分だ♪



「紫桃はホテル代がかかるから食事代は自分が払う! 外で待ってるね!」



 俺に止められる前にコオロギは伝票を取ると、杜さんのトランクを引きながらレジへ向かっていった。


 コオロギの気持ちをありがたく受け取ることにして、俺も店を出る準備を始めた。


 荷物を持ち、ドアへ向かおうとしたら杜さんが俺の進路をふさいだ。腕を組んで仁王立ちしている。状況が読めずにいると杜さんの腕が伸びてくる。


 えっ、なに?


 意図がわからず、ぽかんとしていたら手は襟首をつかんだ。

 ぐいと引かれた俺はがくんと前かがみになる。


 目の前に杜さんの顔がきて、どきっとした。

 ふっとロマンスがよぎったが――彼女の目を見て背筋が寒くなった。


 杜さんはすわった目をしている。

 にこりと微笑むと、ゆっくりと落ちついた声で言ってきた。



「紫桃、レイを襲ったら……刺すよ?」



 るんるん気分が一気に醒める。体が硬直して動かない。



「は、はひ……」



 それしか言葉が出てこない……。


 目が…目が……マジだ。



「ツバメー、紫桃ー、何してるのー? 早く~」



 コオロギののんきな声が聞こえると、杜さんはぱっと手を離し、柔和な表情でコオロギを向いた。



「今行くわ♪」



 杜さんは軽い足取りでコオロギのほうへ向かう。


 心臓がばくばくと速く打っていて、俺は金縛り状態だ。

 気持ち良くハイキングしていたときにツキノワグマと遭遇すると、たぶん同じような状態になると思う。


 コオロギと一緒に居られるのはうれしいけど、猛獣と対峙たいじしたときのようなプレッシャーに耐えられるかな……。


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