13 パーソナルスペースで親密度がわかる
目の前にはメニューがある。
『本日のおすすめ』は刺身の三点盛りか。
ほう、『産地直送』。うまそうだな。こっちを頼んでおけばよかったかな。
――って、悠長に料理なんて見ている場合か!
想定外の事態だ!
俺は今、都内の居酒屋にいる。
ネットで飲食店を検索し、空きがあるのを確認してから訪れた店だ。
店に着くと
端の席なのでリラックスできるのはいい。だが計画は台無しだ。
友人と食事をしながら奇談を聞こうと思っていたのに、三人目が現れたのだ!
俺――
コオロギのイトコ・
ぎりぎりまでコオロギに連絡せず、驚かせてから一緒に食事をする計画だったらしい。
俺は前からアポを取っていた。この日を楽しみにしていたんだ。
遅い時間までコオロギと一緒にいて、ふしぎな話を聞くことができると期待していたのに……。
杜さんはずっとコオロギと話をしているから俺は会話に入りにくい。
久しぶりにコオロギに会えてうれしいことはわかる。俺もそうだからな。時間の空白を埋めたいのはわかるけど……いくらイトコとはいえ、距離が近くないか?
「レイちゃんは変わらないね」
「ほん?」
「見た目は大人の女性よ。でもね、さっきからその言葉づかいは何!?」
「言葉づかい? ああ、大丈夫。仕事中は敬語で話すから問題ないよ」
「そういう問題じゃないでしょ。
東京へ行ったらだんだん変わっていくのかなって思っていたのに、子どものときと全然変わんない!」
「え~~? 前は『変わらなくて安心する』って言ってたじゃないか」
「安心したけど、ほかの人だとビックリしちゃうよ」
「ニンゲン、ニガテ。距離ヲ置ク、ダカラ、ダイジョウブ」
「なんでカタコトなのよ!
レイちゃんは美人なんだから、ちゃんとしてればモテるよ!」
「なんだそれ~(笑い)」
「もうっ。老若男女から好かれてて、しかも幽霊からもアピールがくるんだから! 自覚してよね!」
俺は話の腰を折らないように聞き役でいた。でも杜さんの言葉が気になって思わず声が出てしまった。
「杜さんはコオロギが霊感があるのを知っているんですか!?」
「……何よ、あんたも知ってるの?」
な、なんで杜さんはむっとしてるんだ?
気に障るようなこと言ったっけ?
俺がどぎまぎしていたら酒が運ばれてきた。
受け取ったコオロギがグラスを渡していく。
「
コオロギが空気を読めなくて良かった!
杜さんの怖い視線を断ち切ってくれたことに感謝だぜ!
「お疲れ様!!」
グラスを受け取った俺は、すぐさま乾杯してビールを飲み始めると、コオロギと杜さんもグラスに口をつける。
ふぅ、うまい。一息つけたぜ。
……って、おい! コオロギ、空腹時のアルコールはまずいんじゃ!
「ぷはぁ♡」
遅かった……。グラスになみなみと入っていたチューハイを一気飲み。
コオロギはアルコールに強いけど、空腹時は駄目なんだ……。
・・ しばらくして ・・・
機嫌が良くなったコオロギがいる。いつもよりテンションが高い。
コオロギの隣には、ほろ酔いになっている杜さんがいて女子トークが始まっている……。
「ねえ。レイちゃん、今の職場ってどんな感じなの? イケメンはいるの?」
「イケメン? うーん、基準がわかんないよ」
「じゃあ、言い寄られたりしてなぁい?」
「あるわけないじゃん」
「……レイちゃん、言い寄られるの意味、わかっている?」
「知ってるよ。『今日、飲みに行きません?』ってやつだろう?」
「はあぁぁ~~。ないない。ないわ!」
「ほん?」
会話を聞いてて口に含んでいたビールを危うく噴き出しそうになった。
コオロギよ。今どき、そんな直接的なアプローチはないぞ……。
パワハラ、セクハラが怖いからな。
杜さんといるコオロギは俺がこれまで見たことがない顔を見せる。イトコといるときのコオロギの様子がわかって、なんだかうれしい。
「いい? レイちゃん、言い寄られるってこんな感じよ」
おっと、杜さんが実演し始めたぞ。
「メニューを取って」と言うと、コオロギは素直にメニューを差し出してきた。杜さんは受け取る際にコオロギの手にそっと手を重ねてきた。
コオロギは全然気づいていない……。
ふぅ。それだぞ、コオロギ。
「レイちゃん、気づいてないでしょ」
「ほん?」
「こ・れ・よ。この手。こういうふうにアピールしてくるのよ!」
「ほ―――ん」
「まったく。こんな経験ないの?」
「今の派遣先ではないけど、前の職場ではあったなあ」
「なんですって!?」「なんだとうっ!」
俺と杜さんがハモった。杜さんと目が合ったが、彼女はすぐにコオロギに向き直ると、肩をつかんで質問を浴びせた。
「レイちゃん! どういう状況だったの!?」
「えっ……と、書類を渡されたときに、ツバメと同じように手を重ねてきたよ」
「で!?」
「え?」
「ほかに!? そいつ、レイちゃんに何したの!?」
「え??」
「お菓子を過剰にくれたり、やたらと距離が近かったりしなかった!?」
「お菓子はよくもらったよ。距離って?」
「いい? 人は互いの距離が近すぎると不快に感じるものよ。
よく知らない人とのパーソナルスペースは1メートル以上といわれてて、1メートル以内に近づくことを避ける傾向にあるわ。それなのに近づくってことは好意があると考えられるの。
そいつ、1メートル以内に近づいた?」
「言われてみれば距離は近かった。説明するときはすぐ横に立ってたよ?」
「変と思わなかったの!?」
杜さんがすごい形相で迫っているが俺も知りたい!
大丈夫だったのか!?
「思わなかったよ。パーソナルスペースなんて気にしたことがない」
たしかにコオロギは気にしてなさそうだ。
杜さんはあきれた顔をしてコオロギの肩から手を離し、緊張を解いた。
「それに……同じ職場にいる人と妙な感じだったから、そっちが気になってた」
「「妙って!?」」
ぼそっとこぼしたコオロギの言葉をキャッチし、条件反射のように言葉が出たのに、また杜さんとハモった。
目が合った杜さんは何か言いたげだけど……今はっ!
「妙」ってなんだよっ! そいつ、コオロギに何かしたのか!?
俺と杜さんから注目を浴びていてもコオロギはいつものように話す。
「えっ……と、その人と同じ職場にいる人がこう……恋人関係のもつれがあったから……」
「わかんないわ。レイちゃん、もっと詳しく!」
杜さんはせかすけどコオロギはのんきな様子だ。
ああ! じれったい!
つい身を乗り出して向かいにいるコオロギに言ってしまう。
「コオロギ! 一つずつ、状況を説明しろっ!」
「紫桃まで~?」
「「どういうこと!!」」
俺と杜さんにすごまれたコオロギは目を大きくした。
手にしていたチューハイを置くと、記憶を引き出すようにゆっくりと話し始めた。
「あくまで自分の感覚だよ。その男性とある女性の距離が近づくと、周辺の色が変わるんだ――」
✿
前に勤めていた派遣先でのことだ。
隣席のAさんは誰に対しても気さくに話をする女性だ。
人当たりのいいAさんだけど、男性のBさんが近くに来たときだけ様子が変わる。
AさんのBさんへの対応はほかの人と変わらない。ところがBさんといるときだけAさんを囲むように辺りの色が変わっていくように感じる。二人がいる周囲だけ違う色に視えるから、ふしぎな感覚だ。
✿
「二人は仕事の話をしているだけなんだ。
口調も動作もふだんと何も変わらない。でも二人がいるところだけ色が違っているように感じるんだ。理由がわからなくてずっと気になっていたけど、ひょんなことから納得のいく答えが見つかった。
年末に会社の飲み会があった。酒の席で酔った社員が『あの二人、実は付き合っていたんだよ』とこっそり言われて合点がいった。男女の仲がうまくいかなくなったことが色としてでていたんだ。すっきりしたよ」
「コオロギ、『色が違って感じる』というのは、ちゃんと視えているわけじゃないのか?」
「色ははっきりしたものじゃない」
「じゃあ、コオロギにはどんなふうに視えているんだ?」
「霧に近いかな。とても薄い色のついた霧が人を囲むようにある……。
うーん、説明しにくい……」
「特殊な空間に入っているイメージだな」
「紫桃、いいこと言う! まさに空間だよ。
そうだな、キャンプで使うテントがイメージしやすいかも。透明のテントの中にいるかのように隔たりがあり、色が違って感じる」
「二人にはどんな色が視えたんだ?」
「自分の感覚では『青』系の色……。青白く感じた」
「そうなんだ」
「……レイちゃんは、男じゃなくて
これまで黙っていた杜さんがコオロギに質問してきた。
「そうだよ」
「なら、いいわ」
どうやらコオロギはその男に興味はないようだ。
ほっとしたぜ……。
ん? なんでほっとしているんだ?
今の心境をふしぎに思っていたら、向かいの席で杜さんがコオロギにいい質問をしていた。
「ところでレイちゃんってさ、人のオーラが視えるの?」
――――――――――
【参考】
✎ ネットより
パーソナルスペース:
対人距離ともいい、他人に入られると不快に感じる距離や空間のことをいう。
パーソナルスペースは相手との関係性で変化し、「密接距離(~45cm)」「個体距離(45cm~1.2m)」「社会距離(1.2m~3.5m)」「公衆距離(3.5m~)」の4つに区分されている。
あまり知らない人や職場の場合は「社会距離」に該当し、1.2mという距離は相手の体に触れることができない距離になる。
注意:パーソナルスペースには個人差があります。上記の情報は参考程度にとらえてください。
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