別れが辛いなら

@k1nokinoko

別れが辛いなら

 着慣れたジーンズと長袖Tシャツにエンジニアブーツ、上にはパーカーを羽織った成美が日本に到着したのは、夕暮れ時だった。2年ぶりの帰国だったが、降り立った瞬間に吸い込んだ空気がしっくりと肺腑に馴染む感覚に、やはり自分は日本人なのだと思い知らされる。煩わしい手荷物検査の後、やっとスーツケースを引き、到着ロビーへ。さぁ、さっさと電車で都心へ向かうぞ!久しぶりにどこへ行こう?と足を速めようとした。だが、到着ロビーには、思わぬ人物がいた。

「悟…」

 彫りの深い顔立ちに、高い背丈。その仏頂面をなんとかすれば、立っているだけでも声をかける女子はいるだろう。ましてや、彼が「不動産王の息子」だと知っている女子ならば、尚更。実際、彼はモテていた。今もたぶんモテるのだろう。ここ2年のことは知らないが。

「ずい分と長い『少し』だったな」

 ムスッとした表情で、悟は成美を皮肉った。その姿は、2年前と変わらない。

『少し考えさせて』

 それが、2年前に、悟と交わした最後の言葉だ。

(勘弁してよ…)

 成美は心の中で呟いた。

「おまけに、連絡一つなしか?」

 明らかに不機嫌そうな声で迫られ、成美は目を泳がせた。どう言い訳しよう。そもそも、言い訳が必要なのだろうか?自分と彼の間には、そこまでの関係性はなかった。というより、ややこしい関係になることを避けるためにも留学を早めた。

「いや、その、連絡の必要性を感じなかったからかなぁ?あんまり…」

「それが、告白の返事待ちの男に言う言葉か?」

「いや、その、さすがにもう待ってはいないだろうと思ってた、から…」

 成美の声は尻すぼみに小さくなっていく。いちおう罪悪感はある。ただ、成美にしてみれば、黙って留学して、音信不通というそれそのものが、答えになっていると思っていた。

「でも、俺は待ってた」

 悟は成美に一歩近付いた。成美も一歩下がろうとしたが、悟が腕を掴んだので、それは叶わなかった。

「答え、聞かせて」

 急に悟の声色が弱気になった。弱気になるくらいなら、聞かなければいいのに、と、成美は思う。だが、予想外だったとはいえ、2年も待たせ続けた成美が言えることではない。こんなことなら、白黒つけられないからと、曖昧にしたまま逃げずに、きちんと告げれば良かったのだ。

 成美は深呼吸して、口を開いた。

「好きよ」

「は?」

 理解出来ないとばかりに、口を半開きにした悟の間抜けな顔に、成美は思わず吹き出した。

「じゃあ、何で…」

「だけど、それで付き合うとか、結婚するとか、そういうの、何か想像出来なかったの」

「…」

 悟の表情がみるみる険しくなっていく。

「男として見れないと?」

「うーん…」

 成美は、言葉を探しながら、説明した。

「友達なら、相手に彼氏や彼女が出来ても、結婚しても、ずっと仲良しでいられる。でも、男女の仲になってしまったら、そうはいかないでしょ?独占したくなるし、心変わりしたからって、元の友達に、とはならない。そこでお別れ」

 そう、そこでおしまいなのだ。

「だから、あのままが良かったの。特別な友達。でも、そういうわけにはいかなくなった。あの時は、そのことが受け入れられなくて、混乱したんだと思う。だから、逃げちゃった」

 成美は、無意識に、右手で左の二の腕を抱きしめた。心のうちを曝すのは、ひどく心細かった。

 悟は、複雑そうな顔でそんな成美を見つめている。

「ごめん。いつか、返事はしないと、とは思ってたんだけど、何て言っていいかわからないまま、どんどん日が経って、もう、待ってはいないだろうって、勝手に思い込んでた」

 どんどん居たたまれない気持ちが膨らんでいき、成美は俯いた。

「別れが嫌だからって、音信不通になったんじゃ、逃げた意味、ないだろう」

 悟は呆れていた。成美の言うことは半ば理解できる。しかし、音信不通になる意味がわからない。

「そうだね。でも、あの時はとにかく、YesかNoかの答をださなくちゃって思い詰めて、それが出せないものだから、何か、合わせる顔がなかった」

 成美は、深々と頭を下げた。

「ごめんなさい」

「おい!ごめんなさいとか言うな!俺はまだ振られたつもりはないからな!」

 悟は、憤慨していた。そもそも、男女の仲になれば、必ず別れるというその発想がおかしいのだ。

「前言撤回。付き合ってくれなんて言わない」

「うん?」

 今度は成美が困惑した。振られたつもりはないとか言いながら、付き合ってくれなんて言わないとは、これ如何に?

「結婚してくれ」

「は?」

 空港ロビーに成美の声が響いた。慌てて成美は咳払いをして誤魔化した。

「いやいやいや。一足跳びすぎでしょ?」

「別れなければいいんだろ?だったら、結婚すればいい」

「いや、そうだけど…」

 成美は額に手を当てた。付き合うのさえ、躊躇したのだ。いきなり結婚と言われても、尚更困る。

「あんたん家、私如きが敷居またげる家じゃないし…」

「俺のことが好きなら、俺のことだけ見ろよ!余計なこと考えるなよ」

「いや、それは…」

「頼むから、チャンスくれよ…」

 弱々しく言う悟は、ずるいと成美は思う。大きな図体をしている癖に、お目々がチワワのように見えてくる。

「…わかった。結婚するだのなんだのは置いといて、前向きに考える」

「それじゃ駄目」

「はい?」

 悟は真剣な目で成美の瞳を覗き込んできた。

「ちゃんと、俺の彼女になるって言って」

「あー、はいはい」

 成美はため息をつくと、一気に言った。

「悟の彼女になります」

 言ったそばから、体がこそばゆい。思わず血の気の上る頬を見られないよう、成美は長く伸びた髪を梳かすふりをして、顔を隠した。

「よし!」

 悟がほんの少し口角を上げた。これは、わかりにくいが、悟の満面の笑みだ。そして、成美のスーツケースを奪うように持ち上げた。

「あ!ちょっと」

「帰るぞ」

「どこへよ?」

「俺らの家」

 慌ててスーツケースを奪い返そうとする成美に、悟は当然のように言った。

「はぁ?」

「留学前まで住んでたとこに帰るのが普通だろ?」

「そりゃ、そりゃ普通はそうだけど」

 成美の事情は普通じゃなかった。とある事情で住み家をなくして以来、「ルームシェア」という名目で、悟の住む部屋を間借りしていたのだ。

「家主の俺が部屋とっといたんだ。また、住めばいい。あ、今回は、家賃はいいぞ。代わりに、ご飯、作ってくれ」

「それって、まるで…」

 嫁じゃないか、と言いかけて、今しがたプロポーズされたことを成美は思い出して、口をつぐんだ。まだついていかない気持ちを持て余しつつも、まんざらでもない自分に、成美はため息をついた。

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