迷子

孤児

古ぼけた木材の屋根、乱雑に塞がれた窓から差し込む微かな陽の光だけではこの部屋は薄暗い。冥界にいるわけではないのか?勿論誰しもが見たことが無いのだが、人々が想像するような暗き世界ではないようだ。私は胸に触れる―――痛い、瘡蓋が張ってはいるが塞がってはいるようだ、と言う事は私は生きているのか?あまりにも現実的な感触と痛みが私にそう思わせる、しかし誰しもが死後の世界を知っているわけではないのだから私は生きているのか死んでいるのかが分からない、もしかしたら裁きを待つまでの時間は最期の時と地続きなのかもしれない。近寄って来る足音、胸の傷に触れた時に痛みで少し声を出していたことに気づいたのか、私は音のする方を向いた。

―――美しい人だ、思わず私は息を飲んだ。太陽の如き金色の長い髪、鋭くしかしよく切り開かれた目の奥の瞳は海の如き翠玉、凛とした鼻筋、顔立ちは涼しく整っている、そして尖った長い耳。エルフという種族だ、彼らは人と関わろうとせず私もこれまで見たことはないが数多の書物の中に記されている事が間違いないだろう。西大陸のエルフの国はヴァルターンの南西、丁度三国に囲まれるように存在している、そしてそれぞれの国と境には厳しい山々が聳え立っている。だからこそ、彼らの姿を見たことのある人間は少ない。

「ここは死後の世界なのか?」と徐に口を開くと彼女はゆっくりと首を振った。「私は死んでいたのではないのか?」と聞いてみる、声を張ることができず、しかも掠れていた。それを聞いた彼女は私に水の入った杯を手渡すから、少しずつそれを飲んでいった。彼女は「……死んでいた、恐らく、だけどなぜか蘇った」と私が水を飲めているのを確認したあとゆっくりと口を開いた。「君はなぜその場にいた?私を助けてくれた?」と尋ねるころには少しずつ元の声を取り戻しつつあった。「私の仕事でたまたま通りかかっただけ。助けたのは……何があったか確かめていたら貴女に魔力を吸われたから、おかしいと思って身体を起こしてみたら少しずつ傷が治りつつあった」と彼女は言うと、寝台に腰かけた。

「こちらから尋ねたいことがある、だから私は貴女をここまで連れてきた。貴女は何処で生を受けて、どのように育った?」と彼女はゆっくりと、涼しい声で私に問いかける。隠しても仕方がないだろう、というより下手に怒らせたくはない。「どこで産まれたかは……私も知らない。モンテラからヘルヴェルンに流れる川の岸に捨てられていたらしい、私は孤児だ」と素直に答えると彼女は「そう、……ということはヴァルターンの孤児院で教育を受けて、魔術師となったということね」と納得したように見えた。彼女の長い耳に付けられた金や翡翠の飾りが煌めく、私は尋ねてみる、「私は……エルフと人間の間に産まれたのだろうか?昔はこの半端に長くとがった耳を揶揄われたものだ」と。彼女はよく整った顎を拳に乗せて暫く黙りこむ、そして「いえ、人とエルフの間に子ができる、ということを私は聞いたことがないわ」と呟いて立ち上がった。

足元がふらつく、少し肌寒い、すぐに彼女は気づいたのか私の許に駆けつけて身体を支えてくれる。「三日間寝てたのよ、それに……、とりあえず座っていて」と私を椅子に座らせる、尻が冷たい、私は裸だったのか。すぐに彼女は毛布を掛けてくれたからそれに私は包まった。「ありがとう、あの……」と私は彼女の顔を見た。「……名乗ってなかったわね、私はアルテ、粥を作っているわ、それを食べて今日はゆっくり休んで」と彼女は私から離れていこうとした。「私はカティアだ、本当にありがとう」と私も自分の名前を伝えた、机の上には私の刀、そして……。思い出さないようにしていた、イルマの短刀を見るまでは。「大切な人だったんでしょう……」とアルテは立ち止まって言った。自然に私は項垂れていたのだろうか、「思い出させてしまったかしら……」とアルテは私のことを置いて竈のほうへと行った、生きている訳がない、それは解っていた。彼女が持ってきてくれた麺包の粥は優しい味がしたことだけは覚えている。

夜になると、私たちは枕を共にした、このあばら家には寝台は一つしかないから。私が目を覚ますまでは彼女は床で寝ていたのだろうか、そう思うと私は私が情けなくなった。そしてふとした時に感じる隣の人の暖かさに誘われてそれに縋りついた。彼女は何も言わなかった。「大切な人だった……、物心ついた時からずっと一緒にいて、臥起を共にしてきた。愛し合っていたんだと思う。あの時、彼女を殺されて、彼女を手にかけた相手とすぐに相打ちになった……、仇を討つ相手もなく私はこれからどうしたらいい」と、その温もりの中で纏まりのない真情を吐露した、涙が滲んでいたと思う。幼いころから厳しい訓練ばかりで涙など忘れていたはずなのに。「死んだ方がましだったと言わない貴女は強い人だ」と彼女は私を慰め、控えめに私の頭に触れた。みなしご、独りで寒さの中に捨てられた、運命、生きていく道から外れた迷子、手にしたものを失った私はただの幼子と同じなのかもしれない。だから、目の前の彼女をより強く抱きしめてしまう―――身体が覚えている、イルマのことを……。心にぽっかりと開いたその大きな穴は、寒くて、痛くて……、でもそれを醜くも代わりの温もりで埋めてしまうと、少しは心が満たされてしまう。

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