運命

二日目は樵夫の仕事小屋で休むことになる。夏の終わりから秋の初めに当たるこの時期にはあまり大きな作業を彼らは行わないからだ、多少間引いたり枝を整えたりするくらいで、乾き始める伐採の季節に向けての準備期間といえる。まだ二日目、食料は潤沢にあり、また早くに火薬庫の破壊を行うことができたため日没までに余裕があった。今日の粥には野草も含まれているため、その色彩が食欲をそそる―――といっても多くは無い、この季節は食べられるものが少なく、また下処理に多くの水を必要とするものが多いからだ。食べるものの偏りによる不調はまだ出てはいないが、わずかに昨日より疲労が残っているような気がする―――肌の調子などは魔術で整えることができてしまうためあまり指標にはならないが。

「ロザリナは無事戻れただろうか?」と私が独り言ちるとイルマは「らしくないことをいうのね」とこちらを見た。他の男たちと離れていると、どうせ聞いていないだろうと軍の上下関係を崩してくる―――少なくとも自室に戻るまでは辞めたほうがいいと思うのだが。ただ、彼女がそうするという事は私が上官らしくない態度を取っているともいえる、ああ、確かにロザリナに情が移ってしまっているのは良くないな。ただ友軍にルファラシア軍の火薬庫の破壊に成功したと伝える任務を達成してくれることを期待するだけでいい。私はイルマに向き直り「そうだな」と言い、「私たちはまだまだ敵地の中で為さねばらならぬ事がある、他人の心配などしてはいられない」と続けると、彼女は静かに頷いた。まだ二日とはいえ、この任務は過酷だ。山越えや道なきところを進むことによる肉体の疲労もあるが、見たことの無い土地、そして会敵の危険がつねにある敵地の中での移動による精神の疲労も大きい。それに加え他国に点在する古代の遺構の位置は特に分かりづらく、どこから魔獣が湧いてくるかも分からない、野獣の力と複雑さや精緻さは劣るが強力な魔術を兼ね備えているかもしれない魔獣が。肉体よりも精神の方が先に蝕まれ始めているのでは、とイルマは思ったのかもしれない、今日はもう寝よう。

夜が明けると敵指揮官の居場所を探るために私たちはまた歩み始める、早めに見つかったら夜まで待つつもりであるから多少気が楽である。木々の間を縫って動く私たち以外の動きで茂みが騒めいても、大体が鹿など。少しずつ敵地での行軍に慣れ始めていた―――四方八方から怒濤の如く飛来する無数の短剣、刀を抜く猶予が無い、いつの間に接敵を許したのだろうか。魂素を纏った四肢で上手く受け止めるか叩き落していくしかない、それぞれの短剣に良く魔力が込められているのか一つ一つが重い。そうしているうちに幾らかの痛みに苦しむ呻き声が私の耳に入る。剣の雨はすぐに止むが窮地だ、私はいいが他が耐えられない、ちらりと左右と後ろを確かめる、イルマは予備として持ち歩いている短剣を素早く抜いて対処したようで敵の接近に備えすぐにそれを鞘に戻し刀を握っていた、ブルーノは何本か身体に短剣が刺さってはいるが致命傷は回避したようだ、他は……倒れている。木立ちの間から幾人もの黒い衣服をまとった者たちがゆらりと現れる、十人か。ここを何とか凌いで、そして引き返すしかないだろう、しかし相手は相当の手練れだ、何せ魔術師に魔力のざわめきを感じさせずに魔力を込めた短剣を疾風の如き速さで無数に投げつけてくるような奴らだ。私は少し二人から離れた、黒い刺客たちの腰に提げた袋は空、両手に持った少しおおぶりな欠けた月のような、或いは燃える炎のような不気味な形をした短剣で肉薄してくるだろう。イルマも、ブルーノも同じことを考えたのか私たちは互いに少しずつ距離を取った、刀剣を振れるほど離れなくては不利だからだ。先に動くのは少々危険か、と私たちは構えたまま微動だにしない―――来る!私の真正面から、瞬きを許さぬ速さで―――少ないな、真後ろに付けているのか、と勘づくと迫りくる黒き影が二つに分かれる、左手と右脚狙いか、彼らの拍子をずらすようにこちらから近づき右下から掬い上げるように斬り、そのまま左上から斬り落とす。すぐに周りを確かめる、イルマの左右には新たな死体が二つ、ブルーノのところは三つ、相打ちか……。残りは恐らく四人、イルマとはちょうど背中合わせの形になっている―――上だ、不自然な葉擦れ、雷霆の如く真上から降りてくるが今度は迎えに行かない、進路は変えづらい、魂素を纏わせた刀を片手で持ち空を裂く―――剣閃は飛ばすことができるし、剣自体を長いものとして扱うこともできる、降り注ぐ血と臓物の雨―――これは一人分、私はすぐに振り返りイルマに駆け寄る、彼女の左右と上から襲い掛かる三人の刺客、私は大地を蹴り空を舞い上から彼女を襲わんとするものを腰で両断する。

イルマ!と、私は叫びそうになった、彼女は喉から血を噴き出している、一人の命を道連れにして彼女は斃れた。大地に降りる、血濡れた短剣を手にしてこちらに突っ込んでくる最後の一人、その命は必ずこの手で奪ってやろう。間髪入れずに奴が突っ込んできたのは私が狼狽えているだろうと踏んだからだ、実際に隙の多い着地をした、しかし私は意外にも既に冷静だ、怒りの炎と悲しみの冷たさが丁度打ち消しあっているのか。駆け寄ってくる相手の調子を冷静に確かめ、それをずらす様な拍子でこちらから詰め寄り胸を一突き、あとは逸れてその身体を受け流せばいい―――肩を掴まれた、血走った目で睨まれる、食いしばる歯の隙間からは血が漏れている、胸より下がちぎれかけているにも拘らず私に縋り付いてくる、まさかの事に完全に隙を付かれた、そして胸甲の上の素肌の部分に黒い短剣が添えられる―――普通であれば魂素の鎧を突き通せない、がそれはするりと入っていった。

胸が焼けるように熱い、口の中は鉄の味……、でもこれで良かったのかもしれない、幼き頃から一緒だった半身の如き人を失ったこの後の悲しみに私は耐えられないだろうから。私はイルマの隣に倒れその手を握った―――握り返してくることはないその手を。

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