火花

ベルニ峠の東西の高原は今でこそ馬や牛の生産地であるが、かつては旅人の通らぬ原野であったという。まだ西帝国が健在であった三百年ほど前に開発され、今ではヘルヴェルンからルファラシアに抜ける中で最も易しい道として旅人や商人が通る道となっている―――尤も今は両国の兵が陣を構えているため通ることなどできぬだろうが。我々が通ろうとしている道はその前に使われていた道だ、狭い谷あいを通る道で、ヘルヴェルン側の途中に温泉宿もありかつてはある程度の人も通っていたようだが、三国の争いの頃にはすでに抜け道と認識されるようになっていた。峠からは南に西大陸でもっとも高い山であるモンテラを望む、そしてその山肌に四方八方から貼りついている古代の遺跡、世界樹も。少なくとも史書に残っている時代より前からある古代の遺跡群からはどういう訳か魔物が沸く、つまりは人が通るのに適さないわけでこの道は寂れてしまったわけだ。今でも湯治場として残っているヘルヴェルン側の温泉宿までの道はしっかりとしているが、そこからルファラシア方面へと抜ける道は今では獣道に等しい。私が部隊に連れてきたこのあたりの哨戒をしている二人というのは普段は温泉宿からルファラシア側にかけてを見回っておりこの辺りに詳しい、そのため今回の任に必要だったのだ。

まず、温泉宿までは馬に乗って向かった。そこからは川沿いの旧道を超えていく、最後の集落を超えてしばらくすると九十九折りの坂が続く、草が生い茂ってはいるが道であった面影は残っており何とかこれを辿って行くことはできる―――もしくは密入国に使われているのか、峠を挟んだ異なる二つの国に属する村の者たちが使うことがあるのか、それは私たちの部隊の先頭を行くものに聞かなければわからない。峠にたどり着くと視界が広くなる、人の手が入っていないなだらかな草原、そしてその先にルファラシアの大地が広がっているのが見え、そして遥か遠くに海を望む―――戦が始まっているであろうベルニ峠は尾根に阻まれて視界には入らないが。山を越える訳ではないため、そしてそもそも昔は使われていた道であるためそれほど疲労はしないものの麓のヘルヴェルンからここにたどり着くまでに日は傾き始めていた。

「ルファラシア領内にも隠れ家がある、そこに向かい今日は休みましょう」と先導する男が言う、これは作戦通りであり本来言葉にして伝えなくてもよいのだが、峠を越えた疲労からかそう漏らしてしまったのだろう。胸ほどの高さでなだらかな傾斜を持つ草原の中には人か、それか獣が時折通るのであろう草を踏み倒してできた道がある、それを私たちは無言で下っていく。七里ほど歩くと森に突き当たる、地図によればこの先には川がありそして小さな村がある。「右です」と先を行く男は南に進路を取る、既に西の空は赤く染まりつつあるが、すぐに私たちは今にも朽ちそうな小屋にたどり着く。

この辺りを常日頃から哨戒している二人によれば、古くはこちら側もさっきまで歩いていた峠道の宿場として少しは栄えていたようである。ベルニ峠が開発されると人が少しずつ離れていきこの先にある村も縮小していったようだ。私たちは食事を採るため木々を集め、湧水を採り、夜になると焚火を囲んだ。暗くなってから野草を集めるのは危ないからと、保存食とともに雑に煮ただけの粥を同じ釜から皆で啜る。無理に腹を膨らませると、小屋に入り魔術で扉を封じて雑魚寝となる。上級の将官となるとこのような野営とはおさらばできるかと思っていたが、魔術師はその担う任務の都合上こういったことも欠かさず訓練することになるから慣れたものだ。「こんなにすぐ呼び出しを食らうとは思っていなかったなぁ、もっと娼館に行っておけば良かった」と男たちは会話を始める。通りがかった温泉宿は今でも偉い人間が来るからと綺麗な湯女がいるだとか、ブルーノは孌童のほうが好きだとか、そんな話ばかり、私とイルマはこういった下世話な話は慣れているからどうでもいいが、ロザリナは……と思ったが貴族の娘とはいえ軍に居ればこんな話ばかりで慣れているだろう。それらを聞き流しながら寝ようと思っていると「ルブラム将軍は戦の前にはやっぱ高い娼婦と遊んでたんですか?」と話を振られる、まぁ私の女好きはどうせ軍の中では膾炙している、とはいえ私たちは遊興で旅行に来たのではない、「遊びに来たのではない、早く寝ろ」と一括してやった。

次の日、私たちは間者の情報と地図を基に、人の目を避けて火薬庫を探しはじめる。ここまで来ると坂もきつくはないのだが、木々の間を縫って歩いていかなくてはならずこれからも厳しい道程であることは変わらない。昼過ぎ、いくつかの当てが外れたため一度休み腹を満たして動き始めてすぐであった、村人の消えた集落、そしてその代わりに周りを歩いているのはルファラシアの兵士たち、着剣した銃を持った兵士ばかりで魔術師はいない、それらが主に小さな教会周りに集まっているのを見つけた。私はイルマとブルーノに対して「お前たちは左手から周れ」と指示する、そして私たち三人は外套を脱ぐ。そして二人に目配せをすると、一気に飛び出した。

魔術師がその力を発揮したとき、それは如何なる獣よりも早い、魔獣であっても人のように体系化した魔術の知識を持っていないため手練れより早く動けるものは少ない。魔術を扱うための二つの元素、物の存在という概念、あるいは物の形そのものと考えられている魂素、そしてそれから削り出し理に干渉する裁素。魂素で身体を固く保ち、裁素で運動の理に介入し動きを速める。地を縮めたがごとく警備する兵に近づいては、魂素を纏った刀でその胸を貫き絶命させる、あるいは首を落として命を刈り取る。幾人もを切り捨てていくと、物音に気付いたのか、それとも両元素の騒めきを感じたのか、石造りの教会からルファラシアの魔術師が長剣片手に飛び出してくる。彼は二人いる側ではなくこちらに向かってきた、まずはこちらからということだろう。私の姿をとらえた彼は私に向けて右手を突き出す―――これは恐らく裁素を操り四肢の自由を奪おうとしているのだろう、すぐさまそれを刀で素早く切り捨てる。魔術師の男の表情は、驚愕だろうか、困惑だろうか、それとも恐怖だろうか、私は近づきもせずに刀を一振りし、その身体を斜めに両断する―――裁素を通じて火や風や雷やその他のものを以てして離れた敵を撃つというのは多くの魔術師が得意としているだろうが、魂素をそのまま意のままに扱いこれで何かを破壊する、ということができるものは少ない、この方法は意表を突くという意味でも隙をつけるし、防ぐことも難しいからだ。ちょうど反対側の敵を片付け終えたのか、私の前に二人が来た。「こちらも片付け終わりました」とイルマが言うと、そのまま教会の中へと向かっていく。

東西帝国で信じられている五柱の一つである均衡の神の石像が天秤を掲げていた、そして山積みになった物資の箱も、書かれた文字を見るに火薬である。「ありましたね」とイルマは言う、私たちは一度この場を離れた。

残る六人が待つ茂みに戻ると、それぞれにこの後の行動について伝える、ロザリナを除く九人はすぐに高級将校の排除に向けて東の森に逃れる、ロザリナは単身来た道を戻り軍団長に報告する、と。これを伝えるとロザリナは私たちを置いて戦場を離れることに対して一度躊躇うような表情を見せる、とはいえ元より決まっていたことであり、軍に於いて命令は絶対だ、すぐに承諾し、「ご武運を」と私に言った。魔術師は凡そ知の神の教えを心に置いているおり、残る者らも恐らく勇気の神の教えを大切にしているだろう、とはいえ五柱は共に天から降りてきて荒れ果てた地で悪しきものと戦う人々に力を与えたという、当然無下にはできない。とはいえ、軍人である以上やらねばならない、刀を掲げてそれに力を籠める、そして振り下ろす。剣閃は空と大地を割り瞬く間に翔けそして古びた教会を切り伏せる、それと共に高く上がる火柱、そして耳を劈く爆音。ロザリナは一度だけ振り返り私を見たがすぐに駆け出した、まだ日は高い、夜になる前になんとかヴァルターン側の集落にたどり着き、翌日には一つ目の任務達成の報を軍団長に届けられるだろう、私は先に駆け出していた八人を追った。

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