戦士

酒場の民衆にひどく酔わされたが、軍の宿舎に歩いて戻る頃には既にそれはかなり軽くなっていた、何せ最近の夜風は夏の終わりを感じさせる心地よい涼やかさがある。自室に入るとイルマが私の机で本を読んでいた、そして彼女は私に気づいてこちらを見る、「随分と遅くまで酒を飲んでいたのね」と、呆れたように笑うと、本を閉じて立ち上がりこちらに歩み寄って来る―――イルマは孤児院の同期だ。この国の一部の孤児院では、集まった孤児に対して若いうちから軍事と魔術の教育を行う。もともと、ヴァルターンの祖であるニコラ王がまだ県の役人であった頃、孤児を集めて学問や武芸を修めさせていたことに由来する、彼らのうちの幾人かはニコラ王に仕え、死地に身を捨てることを厭わぬ胆力と優れた才を持ち合わせる股肱の臣として西帝国の乱に於いてヴァルターン国の創立に貢献した。

彼女は私の身体を抱きしめようとする、しかし私はすんでのところで彼女の身体を止める。「ちょっと……湯を浴びて来てからでいいか?」と、私が言うと彼女は頷いて机に戻り本を手にした。幼い頃から苦楽を共にしてきた、臥起を共にするようになったのは確か十四か十五の頃からだっただろうか。魔術師、というより戦う者のなかでは珍しいことではない、太祖ニコラ王も媚少年を寵愛していたというし、孤児院でも男が男色を好んでいるのを見たことがある―――尤も、女である場合、特に優れた才を持っている場合は勿体ないと言われたりすることもある、私は戦士としての才と容姿どちらも称えられているし、イルマも冷たい雰囲気があるが眉目秀麗だ、そして私が副官に置くことを求めたくらいに才能がある。

湯浴みをして部屋に戻り長椅子に腰掛けると、私は焼葡萄酒を硝子の杯に注いだ。西帝国が成立する以前から此処ヘルヴェルンは湯治場として有名であった、そのため他の地方にいる将校からは羨ましがられる―――夏が暑く冬が寒いと良いところばかりではないのだが。樽で幾年も寝かせた焼葡萄酒の甘く芳醇な味わいを楽しんでいると耳を優しく齧られる、そして耳許で「まだ酒を飲むつもりか?」と囁かれる。耳を甘噛みされている程度なら心地よいだけで、ゆったりと酒を愉しめる―――ただ、彼女は私のこの耳を気に入っているのかもしれないが私としては複雑な気持ちだ、人の耳にしては長く、エルフよりも短いこの耳は奇異の目で見られることが多かった、今となってはこの容姿と才どちらにも誇りを持っているから気になるものではないが子供の頃は嫌な思いをしたこともある―――そんなときはイルマが私を揶揄う他の奴らを追い払ったりもしたものだが。

私が乾かした杯を机に置き再び注ぐ、その杯をイルマは素早く奪い私に跨る。「私も飲むわ」と、それを口に含むと私に口づけをする、そして互いにそれを味わう。何度もそれを繰り返していくうちに熱を帯び始めた身体と心の我慢が効かなくなり彼女の上着を剥いだ、細く良く締まった身体、小ぶりな胸、均整のとれたその身体は私の心を惑わせる。私も上着を脱ぎ彼女を強く抱きしめる、それから貪るように体中の肌を吸う、肌触りも舌触りもいい肌理の細かいイルマの肌、微かに漏れる吐息―――戦の前は特に燃え上がる、その先に死が待ち構えているかもしれないと思うと、どうしても。暫くの間、淫らな交わりを愉しんでいた、忽焉として彼女は私の身体を押し剥がした。「どうかしたのか?」と私が訪ねると、「見られているわ」と立ち上がり裸のまま部屋の扉を開いた、その先にいたのは若い将校であるロザリナだった。イルマは彼女の肩を抱いてこちらまで連れてくると私の隣に座らせた。

「彼女は部下とはいえ貴族の娘だぞ」と私はイルマに苦言を呈す、ロザリナはヴァルターン建国に貢献した将軍、ジルド・ジョフレの後裔にあたる―――ジルドは良い生まれではなく容状も短小であったが勇敢で魔術の才にも恵まれていた、数々の戦で先登し功を挙げ、ここヘルヴェルンからスペキュロ湖を挟んで対岸にあるシエナの街の伯爵に封ぜられた。イルマはどこ吹く風と言ったところで慣れた手つきでロザリナの服を脱がせていく、背丈の低さと可愛らしい顔に似合わず筋肉が密に詰まった身体をしている、「貴女は人からの思慕を受けすぎて鈍くなっているのか知らないけど、この子、貴女に惚れているわ」と逆に私のことを咎める、抱け、ということなのだろうか。頬を艶やかに紅潮させ潤んだ艶めかしい瞳でこちらを見つめるロザリナの頬を私は優しく撫で、そして口を吸う。舌を入れられることに慣れていないのか、それどころか初めてなのか、私を受け入れいるもののその細い身体を大きく震わせるロザリナ、イルマに耳を噛まれ、股を撫でられ、初めての快楽を前に気を失うまいと彼女は必死に私の腕を掴む、爪の跡が残ってしまうだろうがそれでも愛らしく思える。彼女は貴族としての安全で恵まれた生を捨てて軍人となった―――もしかしたら魔術の才能を盾に望まぬ婚姻から僅かの間だけでも逃げたかっただけなのかもしれないが、国難に赴くときに性命を懐かしむことはないだろう。それでも、死と不運が烏の如く空を覆う夜を前にして悔いを残さぬよう命の輝きを健気にも私に見せているのだろう、それを美しいという言葉以外で表すことはできない。





三人で枕を共にする、ロザリナは疲れて寝入ってしまっているがイルマはまだ起きていた。「一夜の夢、僅かな間だけでも貴族の娘であるということから逃れたかったのでしょうね」と彼女は私に囁く。恐らく両親は強く反対しただろう、末の娘だっただろうか、それでも嫁がせる価値はある。しかし、その娘が勇敢にも軍に志願したということは外聞も良いだろうから表立って強く引き留めることもしなかったのだろうか。何年か従事すれば、また貴族の娘に戻ることになる。「それは私たちも変わらないだろう、どうせあと何年かしたら繁殖に上げられる、生き延びていればな」と、私はイルマの髪を撫でた、そもそも生きることさえ儘ならぬ孤児だったのだ、孤児院で学問と武芸と魔術を仕込まれていく中で落ちこぼれた女は早々と娼館に遣られ、男は鉱夫や樵夫となる、才があって軍で活躍できるような戦士となっても、女だと優れた魔術士を多く輩出する貴族の妾にそのうち落ち着くことになる、まぁ金に困らず暮らせているだけ良かったと思うほかない。「いや、貴女の場合は軍に残されるでしょう、才芸兼該、当代の魔術師として傑出しているから学者にさせられるかもしれないし、何なら政に携わることになるかもしれない。賊や魔物の群れの討伐で名声もある、儀礼によく出てきて民も貴女の顔をよく知っている」と、イルマは微笑む、太祖は各地の名士を集めそれに力を持たせ才を振るわせた、時がたつにつれて王室の権威は弱まり、各界の代表たちで国を動かすようになっていった、軍もその一角を担う。「そうなれば、私はその側に居続けられる」とイルマはその指で私の頬を楽しむ、「明日か、明後日か、戦が始まればすぐに私たちは動くことになる……生き延びよう」と、私がその手を握ると、「ええ」とだけ彼女は声を残して目を閉じた。

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