宿命なきもの

姫百合しふぉん

断ち切られた糸

断ち切られた糸

詩人

―――運命。

五柱の神々が大地という帆布を敷き、その上に秩序という格子を描く。定命に勇気と知恵を与え時の流れの中を踊らせながらも、見えざる手で均衡を保つ。古の人間たち、神に近づきし者たちも五柱の奏でるその調べに乗せられ滅びへと向かっていったという。星の光に包まれて荒野と化した大地で、死を免れた僅かな人々は力を併せて生き延び、やがてまた集いて国を興す。国は人が集いて成るもの、それは定命とよく似て生誕と死を繰り返す。それは、終わりなく続いていく……







流しの詩人の奏でる琵琶の音。かつての西帝国が内乱に端を発した群雄割拠の時代、多くの将たちがその武で、その智で名を揚げ、そして散っていった。そんな彼らを讃える詩人の歌声は酒場の喧騒に掻き消され、一人で静かに飲む私の耳には僅かしか届かない。空になった杯を見つめていると、女中が駆け寄って来て葡萄酒を注ぐ。

「カティア様、来る戦でのご武運をお祈りしています」と彼女は言った。民は知っていた、我がヴァルターンと隣国であるルファラシアとの戦が近いことを。かつてこの西大陸は一つの国であった、しかし宮廷での権力争いにより国が乱れ、大規模な反乱が多発するようになった。或る者は故郷を守るため、或る者は帝室を守るため、或る者は帝国の秩序を取り戻すため、或る者はこれを機に成り上がるために立ち上がった。幾人もの群雄が割拠するも、やがて三つの勢力に収斂していった。的確な軍略と優れた統治で栄えた北のヴァルターン、帝室の血を引く者が嘗ての有力者をまとめ上げた中央のルファラシア、商人たちの支持を得て南で独立を保ったポルテー。長きにわたって睨みあった三国が干戈を収めたのは百五十年ほど前のことであった。

それから今までは平和が続いていたが、それが俄かに崩れ始める切っ掛けとなったのは火薬および銃と砲の発明である。海を挟んだ東の帝国で発明された銃と砲はこれまでの戦を大きく変えた。希少な魔術師に並ぶ火力をごく普通の兵が手にしたのだから当たり前である。東のエルフの国を圧倒的な力で滅ぼした東帝国は神を殺した、とすら言われた。三十里もない海峡で向かい合うルファラシアからすればそれは大きな脅威であった、たとえ同じく銃を作る技術を手にしていたとしても。

彼らはここ、ヘルヴェルンの地を手にしようと動き始めたのだ。古くから山に囲まれた要衝としての価値しかなかったヴァルターン南部の寂れたこの地方は近年、鉱山地帯として栄えており、さらに火薬の原料もとれるのである。初めのうちは嘗て同じ帝国の仲間であった誼で融通していたものの、度重なるルファラシアの要求に愛想をつかしたヴァルターンは火薬の原料の価格を大きく吊り上げた。それが両国の不和につながり、間者によればルファラシアは此の地の占領に向けて軍隊を集結させているとのこと。

俄かに一人の髭面の男が辛気臭い顔をしていた若い女中に近寄りその肩を抱き手にした杯を高く突き上げる。「何、心配はいらねえさ。紅のカティア様が全部ぶっ飛ばしてくれるさ」と彼は言うと、並々と注がれた麦酒を一気に煽る。ヴァルターン国の魔術将校として、これまで各地で族や魔物の群れの討伐の任務にあたっていた私は民衆に顔が知られている、おそらく職人か鉱夫であるこの男であっても私の顔を知っているのだ―――まぁ、見た目も美しく、なおかつ実力のある女戦士である私は剣と魔術を振るうだけでなくでなく儀礼でもこき使われるから仕方がない。それにしてもばつが悪い、私は苦笑いしながら彼に続いて葡萄酒の杯を乾かした。というのも、彼が想像するような華やかな戦争の時代は終わっているのだ、剣や槍の腕と魔術の力で敵中に飛び込み数多の敵兵を屠る、などというのは銃の登場により今ではもう吟遊詩人の歌う英雄譚になってしまった。しかしながら、少数で強い力を発揮できる魔術戦士の価値は失われてはいない、例えば偵察であったり、兵糧庫や火薬庫、要人の控える地の急襲であったりと、戦争の影へと居場所を移している、そしてそれは嘗てと同じく大きく戦況を変え得ることには変わりはない。

それにしても戦が始まるということで民衆は浮かれているのか私のもとに集っては酒を注ぎたがる。何せ、硫黄から始まった両国の不和は民衆にまで伝わっているからだ、腹立たしいルファラシアの奴らをヴァルターンの戦士が打ち倒してくれる、その程度の考えなのだろう。延々と注がれる葡萄酒、熱がこもる詩人の声、激しくかき鳴らされる旋律で踊る男たち、数日のうちに戦地に赴きそして二度と酒が飲めないかもしれない、そう思うとそれらはとても愛おしく思えた。

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