ユイ

夢だろうと高を括って寝なおしたら、現実だった。

 カナエは和樹のままだった。

 顎を触ればザラりとした感触、膨れ上がった股間。

カナエはこれからどうしようと考えた。

 ――まずは、朝食でも食べるか。

 しかし、食べ物と呼べるものはなかった。

 カナエは財布の中身を確認した。

 千円札で五千円入っていた。

 とにかく今は食欲が優先だ。

 恐る々、外に出て見ると、カナエが住んでいるマンションとまったく同じだった。

 住んでいる部屋の番号も隣のポストのチラシの溢れ具合も何もかも同じだ。

 自分だけが世界に取り残されたかのような感覚。

 フラフラと眩暈を感じたが身体自体は健康らしく、眩暈はすぐに治まった。

 マンションを出て、10メートルのところにコンビニがある。

 これも、カナエがいつも利用するのと同じだった。

 カナエはおにぎり二個とお茶を買うと、そそくさとマンションに戻った。

 知り合いがいるわけでもないのに、誰かに見られるのが怖かった。

 部屋に戻り、また、財布の中の免許証を確認した。

 本来のカナエの顔に比べて張った顎。少し吊りぎみの眉と目。

 まあ、ランクは高くないがイケメンの部類には入るだろう。

 これが男として生まれたときの自分だと思うと奇妙な感じだ。

 元々、自分の顔が好きではなかったカナエは和樹となった顔がほんとうに良いのか悪いのか判断につきかねていた。

 カナエがおにぎりに口をつけ始めたと同時に和樹の携帯が鳴った。

 カナエは戸惑ったが、電話に出ることにした。

「はい、日暮です」

『和樹? よかったー! 携帯繋がった!』

 若い女の声が聴こえてきた。

「えっと、失礼ですが、どちらさまですか?」

『ユイだよ。もう、寝ぼけてんじゃないの? まあ、いいや。今からそっちに行くから、待ってて』

「え、今から?」

『じゃあ、家で待っててね』

 ユイという女は一方的に電話を切った。  

 ――和樹の恋人だろうか。

 そうなると彼女にどう説明すべきなのか。 

 私は和樹であって、和樹ではありませんなんて言うべきなのか。

 頭を抱える暇も無く、ユイはやってきた。

「和樹ー? いるよねー?」

「は、はい! 今開けます!」

 思わず敬語になる。

 当たり前だ。初対面なんだから。

 ドアを開けると、カナエとは正反対の美人が立っていた。

 栗毛のセミロングにパッチリとした大きな目。

 整った唇。化粧をしてなくても美人だとわかるタイプの顔だ。

「和樹、仕事やめたって本当?」 

「え? あ、ああ」

 仕方なく、曖昧に答えた。

「どうして、相談してくれなかったの? 大事な決断するときはいつも私に言ってくれたのに」

「ちょっと、いろいろあって……」

 ――とにかく、話を合わせなきゃ。

「いろいろって……せめて、彼女には言うでしょ」

 ――やっぱり恋人なんだ。

 カナエは自分に恋人がいなかったことを思い出し、美人の恋人がいる和樹に嫉妬した。

「そうだね……ごめん」

「和樹、そんなに悩んでいたんだよね。私の方こそ、ごめん」 

 ユイはカナエ、もとい、和樹をゆっくりと抱きしめた。 

 カナエは感じたことのない、高揚感を感じた。 

 ユイの匂いが鼻孔をくすぐる。

  無意識にカナエも抱きしめ返していた。  

「今日の和樹、優しいのね」

「そう?」

「いつもなら、やめてくれって私を押し返すのに」

「…………」

 和樹、こんなに綺麗な子になんて態度だ。

 カナエの腕に力が加わる。

「和樹、ちょっと……痛い」

「あ、ごめん」

 慌てて、腕をほどいた。

 自分の力が男になったことで強くなっていることに気付いた。

「和樹、やっぱりいつもと違うね」

「ちょっと疲れているせいかな……」

「……アナタ、和樹じゃないでしょ」

 ユイは、いきなり衝撃的なことを言い出した。

「な、なに、言ってんだよ」

 慌てて誤魔化そうとしたが、誤魔化す理由もない気がしてきたし、なんなら、正直に言った方が楽な気もするとカナエは瞬間的に考えた。 

「無理して誤魔化さなくても大丈夫。和樹のことはアタシが世界で一番知っているから。アナタ、誰?」

 カナエは観念して、本当のことを話すことにした。

「私は日暮カナエ。日暮和樹が女として生まれた世界の人間……だと思う」

 カナエは少しでもわかりやすく説明しようとしたがどことなくSF小説っぽくなった。

「そう。やっぱりね。和樹にしては優しすぎるもの」

 たいした会話はしていないはずなのに見破るとは、さすが自称『世界一和樹を知る女』だけはある。これはもう、身体の隅々まで知られているとみていいだろう。

「ごめん。私、和樹になったばかりで和樹のこと何も知らないの」

「そうよね。アタシが和樹のこといろいろ教えてあげる。……ところでなんだけど」

「……?」

「本物の和樹はどこ行っちゃったの?」

「た、たぶん、私の身体に移ってるんじゃないかな……」

 カナエは決してSFに詳しいわけではないが、説明するとどうしてもSFチックになる。

「……そっか」

 自分でも何を言っているのかわからなくなってきていたが、ユイの方は納得してくれた。

「私が言うのも変だけど、怒らないの?」

「どうして?」

「だって、結構すごいこと言ってるわけだし」

「和樹はふざける人じゃないもん。文字通り人が変わったって言う方がしっくりくる」

「そうなんだ。まあ、その方が助かるけど」

「和樹……じゃなくてカナエさん。いきなりなんだけど」

「何?」

「アタシを抱いて」

「へ?」

「アタシ、朝からムラムラしてて、それで、来たってわけ。ほら」

 ユイはこともなげにシャツの前を大きく開けて形のいい胸をさらした。

 同時に脳へ、下腹部を勝手に支配する香り無き女の甘いの匂い。

 自分も持っていたものだからわかる。フェロモンだ。

 なるほど。これをまともに受けたら男の身体がどうなるのか、カナエは初めて理解した。

 例えることは難しいが、それはたぶん食欲にも似た生理的欲求を瞬時に燃え上がらせ、自制心のバランスを破壊する効果を持っていたのだ。

 その妖しの空気が肺臓の中で血液に溶けて全身、とくに下腹部の制御を奪い、次に見える視覚的な情報は肌の色や、曲線の美しさへの欲望を沸騰させるのか。

 カナエであった自分が承認さえすれば、質を問わねば男に不自由をしなかった理由も納得できた。なぜなら、自らの性欲を処理したくなったとき、カナエもユイと同じことをし、にたようないざないの行為をしていたからだ。それにしても……。

 ――いきなり無茶苦茶を言い出すなあ……いや、恋人って、そういうもんか。

「ちょっと待ってよ。私は和樹じゃないし、女の子を抱いた経験がないんだよ」

「でも、身体の方は反応してるじゃない?」

ユイはカナエの膨れ上がった股間を、いやらしく撫でると溶けそうな快感が脳を刺す。

「んッ……そ、それは、なれない身体でコントロールできなくて」

「ねえ。どんな感じ? 男の身体になるって」

「それは、どうもこうもないよ。……すっごくヘン」

 ユイは無言でカナエの右手を取ると自分の胸に触れさせた。

 指を器用に添えてブラのフロントホックを外す。

 今や和樹の身体に支配されたカナエの脳は目の前に差し出された、とつてつもなく甘そうな果物の魅力に打ち勝つすべを持たなかった。

「ちょっ……なにやってんのよ?」

 思わず普段の女言葉。こういうときまで男を貫く必要はない

「抱いて」

「だ、だから……」

 言葉では躊躇ためらいながらもカナエ自身の身体は段々火照ってきていた。

 本当は目の前のユイを抱きたくてしかたがない。

 カナエの容姿が、肌や息の甘い匂いが和樹の身体に「抱け」と命じる。

 もう股間のスポンジ……つまり海綿体かいめんたいというヤツだが、女としてのカナエは、その用法も、味覚だって知っている。

 当然、然るべき肉壁にくへきに、それが侵入してきた時の快感も。

 ついでに言えば、それは相手によって大きく個人差があることもだ。 

 ――ヤッちゃうのは仕方ない。でも、この和樹が『詰まらないヤツ』だったらどうしよう? このユイという始めて合う恋人に失望されたくない……!

 既に覚悟は決めていた。ただ、嫌われたくないという弱気だけが最後の躊躇いだった。

 そんなカナエの煮え切らない態度に痺れを切らしたのかユイは覆いかぶさるようにカナエを押し倒した。

「抱いてくれないなら、こっちから抱かれてやる」

「ちょ、ちょっと!」

 ユイはカナエの口を唇で塞ぐと、ズボンの中に手を忍ばせてきた。

「ほら、こんなに硬くなってる」

「ユイさん、やめましょうよ……私は和樹じゃないんですよ」

「でも、身体は和樹でしょ。それに、最近、マンネリだったんだよね。むしろ、こっちの方が新鮮な感じして興奮する」

 ――なんていやらしい女。こんな綺麗な身体に可愛い顔して、中身は淫乱むき出しじゃない。

 カナエはちょっとばかり和樹が気の毒になった。

 しかし、身体の反応は止められない。

 自分の息が上がっていくのがわかる。

「ほら、アナタだってアタシを抱きたくてしょうがないんでしょ?」

「う、うう……」

 カナエは声を出すことも苦しかった。

 ――抱きたい。

 普段のカナエからは出てくるはずの無い欲望が次々と溢れていく。

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