第7章 運命を切り拓く剣 ③

 ジェイクは違和感を覚えた。ルチアに見せられた未来の運命――そこでシャルロットが捧げられたのは異形の姿で大きな体躯の魔物だった。


 しかし、礼拝堂の奥にいる魔物はそんな姿とはかけ離れていた。灰黒色の肌は人間のそれと違うと一目でわかるが、体格はいいものの人間のサイズを逸脱していない。


 あの魔物は魔将軍ではなく魔王だったのか――そんなことを思いながらジェイクは前へ進む。


「……お前が魔将軍か」


「いかにも。俺が魔王軍幹部、魔将軍が一人――魔人ゲイルだ」


「――……そうか」


 ジェイクは頷き――そして小声でシャルロットに指示を出す。


「ロッテ――俺より前に出るなよ。いけそうだと思ったときはいつでもいい、ぶっ放してやれ」


「……わかった!」


 シャルロットは杖を握りしめて身構える。


 そしてジェイクは毅然と魔人に告げた。


「手下を連れてアストラから出て行け」


 その言葉に、魔人は面白がるように答えた。


「断る――と言ったら?」


「――力尽くだ」


 ジェイクの早射ち! 目にも止まらぬ速さで矢筒から矢を抜き、同じく素早く取り出した弓につがえて先制の矢を放つ!


 礼拝堂は広い――しかしジェイクの早射ちは完全に虚を突いたものだ。彼我の距離があれど躱せるものではない。


 ――しかし、魔人は迫る矢を指先でそっとつまむように受け止めた!


「な――」


 呆気にとられるジェイク――魔人は受け止めた矢を適当に放って言った。


「気が強く、判断も早い――弓を構える動きは神速だった。狙いもいい――なるほど、部下たちが軒並みやられるのも理解できる。いい戦士だ――だが少々性急ではないか? 少しぐらい話をしようじゃないか、勇者よ」


「――っ!」


 ジェイクは魔人の言葉にNOと答える代わりに剣を抜いて石畳を蹴った。身を低くして魔人に迫る。


「問答無用、か――ならば仕方ない。こちらが一方的に話そう」


 そう言って魔人はゆらりと立ち上がった。魔王軍の将軍――しかしその地位にある者として相応しくないほど魔人は軽装だった。ジェイクが身につけているものと同じような革のボトムスに、簡素な麻のシャツ――かろうじてらしく見えるのはシャツの上から羽織ったショールのようなショートマントと、腰に佩いた一振りの剣のみ。


「はあああっ!」


 ジェイクが魔人を間合いに捉える! 駆け込みながらの渾身の一撃――しかし魔人は緩慢にも見える動きで抜いた自らの剣を掲げ、ジェイクの打ち込みをいとも容易く受け止めた!


「――!」


「なかなかに鋭い。やるな勇者よ――魔王様がお前の存在を気にかけるのも頷ける」


「――黙れっ!」


 自分を褒めるようなことを言う魔人に怒鳴りつけ、ジェイクは仕切り直すべく切り結んだ反動で後ろに跳んだ。そこに機を窺っていたシャルロットの魔法が放たれる!


「――アイスランス!」


 シャルロットの中魔法! 彼女が振るう杖の先から生まれた強大な氷柱が魔人を襲う!


 ――しかし!


「アイスボルト」


 魔人の初級魔法! 魔人の指先から生まれた氷の礫がアイスランスを迎撃――激突した互いの魔法が相殺し合い、消滅する!


「なっ――初級魔法で中魔法を打ち消した!?」


 魔法力の差がなせる業か――本来有り得ない現象に、シャルロットが思わず叫ぶ。そんな彼女に、魔人は厳しい視線とともにジェイクに語りかけるものとは違う殺意のこもった声音で告げる。


「娘、お前の調べはついている――いにしえの勇者の末裔だとな。お前は後で愉しんだ後、魔王様の元に連れて行く。今は勇者と話しているんだ、邪魔をしないで大人しくしてろ――でないと殺すぞ」


「ひっ――」


 魔人の殺意に身を怯ませるシャルロット。しかし――


「うおおおっ!」


 それを黙って見ているジェイクではない。裂帛の気合いとともに魔人に斬りかかる。だがそれも初撃同様、魔人の振るう剣にあっさりといなされる。


「今の一撃は先のものより鋭かったぞ、女に危険が及びそうになって力が入ったか? くく、魔王様に聞く先代の勇者と一緒だな」


「――っ、なんなんだよ、お前!」


 ジェイクの連続斬り! しかし魔人はそのことごとくを受け流す!


「いいぞ、なかなかいい連撃だ。十年この地でお前を待った甲斐がある」


 ジェイクの連続斬りをいなしながら、魔人は笑みを浮かべる。


「お前という人間が少しわかってきたぞ、勇者――強気で、決断が早い。人間にしては高いレベルで剣と弓を操る――人間の枠で考えれば良い戦士だと言えるな。それでこそ勇者!」


「――何のつもりだ!」


 大上段から切り下ろして、ジェイク。やはり受け止める魔人――友好的とさえ思えるその態度にとうとうジェイクが尋ねると、鍔迫り合いの形のまま魔人が答える。


「勇者――お前は考えたことがあるか?」


「なにを――」


「いくら勇者とは言え、たかが人間一人を殺すために十年もこの地に留まることとなった俺の気持ちをだよ」


 魔人のぶちかまし! ジェイクは為す術もなく吹っ飛ばされた!


「くっ――!」


 しかし、それでもジェイクは倒れず両足で地面を掴む。間合いが離れ、再び突撃しようとするジェイクに待ったをかけるように魔人は言葉を継いだ。


「最初は悪夢だと思った。いくらかつて魔王様を封印に追い込んだ勇者の生まれ変わりがどの人間かわからないとは言え、当代の勇者がその頭角を現わすまでこの地に留まり、見つかり次第確実に殺せ――そんな命令を受けたときは何の冗談かと思ったよ。魔王様は勇者を確実に殺すため、勇者が見つかるまでは人間をなるべく殺すなとも仰った」


「なるべく殺すなだと――なんの冗談だ! 街を二つ滅ぼして――名もない村だって滅ぼしたんだろう!」


 人間の住む地域は名がある街だけとは限らない。大陸全域に名もない小さな村や集落もある――勿論北部にも。シスターフットにレミナンド、それに大陸北部の小さな村や集落――魔王軍に殺された人間の数は計り知れない。


「最初は加減がわからなくてな。殺してしまった人間の中にお前がいなくて本当に良かったよ。俺がこの地に訪れて最初に向かってきた兵士たち――後からあれが魔王軍討伐隊と知って愕然とした。あの程度が人間の精鋭とはな――たまたま近くの街に居合わせた身の程知らずの雑魚だと思ってあしらったんだが。あれが精鋭なら人間のレベルの低さも窺えるというもの。人間の力を見誤ってやり過ぎてしまった」


「――ふざけるな!」


 ジェイクは激昂した!


「父さんが身の程知らずだと? この大陸に住む全ての人たちのために決死の覚悟でお前たちに立ち向かった勇敢な戦士だ!」


「!――そうか、あの兵士たちの中にお前の父がいたのか」


 呟くように、魔人。そして魔人はジェイクとシャルロットが思いもしない行動に出た!


「お前の父を殺めたことを謝ろう。すまなかった」


「「――!?」」


 魔人の謝罪――ジェイクとシャルロットは戸惑っている!


「許せとは言わん。だがお前も俺の部下を殺したろう。俺はそれを責めることはしない。立場の違いというやつだ」


「……お前は何を言ってるんだ?」


「質問に質問で返すな、勇者よ――俺が問うているのだ。お前に俺の気持ちがわかるか、と」


 魔人のあまりに不可解な態度にとうとう攻撃の手を止めてしまったジェイクに、魔人が今一度問いかける。


「人を殺すこともできずに、人の崇める精霊の神殿に引きこもっていなければならなかった俺の気持ちがわかるか? 魔王様の命に背くなど以ての外――しかし! 幹部の俺がこのような退屈な任務……何度魔王様をお恨みしたことか。いっそこの大陸の人間を鏖(みなごろし)にして、勇者を殺したと報告してしまおうか――そう考え、思い止まる日々――勇者よ、お前が俺に立ち向かうため王都を旅立ったとの報を聞くのがもう一日遅ければ、俺はきっとその考えを実行していただろう」


 ……それが、ルチアに見せられた未来の運命か――ジェイクは魔人の言葉にあの日のことを思い出す。アストラが血で染まった未来の記憶。


「……どうして俺が王都を出たと知ったんだ」


人狼ワーウルフと戦っただろう。あれは勇者の存在を探すために人里に放った部隊だ。村で勇者の噂を聞きつけた斥候隊から報告を受けたときは半信半疑だったが、連中と連絡がつかなくなったとの報を受けたときは胸が躍ったぞ。とうとう勇者がその頭角を表したのだと。俺に立ち向かう為に旅立ったという人間たちの噂は真実なのだと」


 くつくつと魔人が笑う。その身の毛もよだつ気味の悪さにジェイクもシャルロットも動けないでいた。


「そして次に聞いたのはハーハペスの戦死の報だ。覚えているか、勇者よ」


「……侵攻隊の隊長だろ」


 ジェイクが戸惑ったまま答えると、魔人は然りと頷く。


「ああ、実際に侵攻することはしない、人間の進軍を見張るための部隊の長に据えた鳥人ガルーダだ。奴は飛び抜けた個体で人間が敵う相手ではなかったはずだ。そのハーハペスが討たれたと聞いて俺の期待は確信へと変わった。お前が俺の十年を埋めてくれる存在であるとな。それからはまるで我が子の成長を見守る父親のような心境だったよ」


「……魔人なんかが父親であってたまるか」


「そう言うなよ、勇者――俺はお前に会える今日と言う日を心待ちにしていたんだ」


 そして――魔人は初めて自分からジェイクに剣を向けた。


「さあ――簡単に死んでくれるなよ。俺を愉しませてくれ、勇者。俺の絶望と虚無の十年を埋めてくれ」


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