第7章 運命を切り拓く剣 ①

 瘴気が漂う荒野を二人は進んでいた。地平に見えるのは霊峰と呼ばれる山脈。


 その中腹に在る神殿こそルチア信仰が根深いアストラ大陸の聖地・ルチア聖殿なのだが――今は不吉な暗雲に覆われ、その姿を見ることは叶わない。


 暗雲が覆うのはルチア聖殿だけではなかった。シスターフットを出て三日、二人は青空を見ていない。


 北部――そして日が遮られていることで夏場だというのに吹きすさぶ風に凍え、シャルロットはアネット家地下から持ち出して外套代わりに羽織っている毛布をかき抱くようにして呟いた。


「お陽様が見たい……」


 そんなシャルロットにジェイクが答える。


「目が潰れるぞ。親父さんに太陽を直接見ちゃ駄目だって教わらなかったか?」


「そうじゃないでしょ! もう――ずっと暗くて気が滅入るし、何より寒いし! ジェイクは寒くないの?」


「寒いっちゃ寒いが」


 ジェイクの方は王都を出た時とそう出で立ちは変わっていない。


「歩きながら、腹を中心に全身に力を入れるんだ。多少体が暖まる」


「……疲れない?」


「疲れるよ」


「素直に毛布羽織りなよ……」


 それか、私と手を繋ぐとかさ――シャルロットはもじもじと小声でそう言った! しかし、ジェイクの耳には届かない!


「や、そんなクソださ王女と同じような格好はちょっと」


「酷い!! 寒いんだからしょうがないでしょ!」


「はっ」


 抗議の声を上げるシャルロットをジェイクは鼻で笑う。


「これだから都会育ちのお嬢さんは」


「ジェイクも生まれ故郷同じだからね!?」


「お前も子供の頃は雪が降ったら喜んで外を走り回ってたのになぁ」


「それ! 子供の頃は雪降ったら楽しかったのになぁ……今は一年中春がいい」


「ま、お前の気持ちもわからなくない。春も、その毛布も――俺も毛布を羽織りたいけど」


 言いながら、先を歩くジェイクは足を止めて弓入れに手を伸ばす。


「――こう敵が多いと、弓の取り回しに困るからな」


「また!?」


 立ち止まったジェイクにシャルロットが非難めいた声を上げる。本当に非難しているわけではない――シスターフット以北更に増えた魔物とのエンカウントのせいで精神的に疲弊していたため、それが不満げな声として表に出てしまっただけだ。


「向こうに岩場が見えるだろ? 多分あの向こうにいる」


 ジェイクが二、三十メートル先に見える岩場を指して言う。シャルロットも咄嗟に毛布を捨てて杖を構えようとするが、それをジェイクが止める。


「俺の手だけで足りなくなったら手伝ってもらうから、それまで魔法は温存しとけ。体冷やさないように毛布は手放すなよ」


 ジェイクは弓をつがえていつでも弦を引けるように構え、慎重に進む。


「――強い魔物?」


「や、多分雑魚――知性がないタイプだな。待ち伏せされてる感じがしない」


 小声でやり取りをする二人――その時、岩場から魔物が姿を現わした。


 ジェイクの早射ち! 矢は吸い込まれるようにその魔物に命中して――




「第一回魔牛は食べても大丈夫なのか会議ー」


 ジェイクの言葉に、シャルロットはやる気のない声で「いえーい」と調子を合わせる。


「さて、魔牛を仕留めたわけだが」


 岩場の陰から現れたのは、家畜の牛に比べ二回りは大きい魔牛だった。大きな角に鋭く尖った牙――草食の牛と違い、魔牛は雑食だ――ジェイクの矢は頭部を捉えたが、致命傷には至らなかった。魔牛は怒り猛っててジェイクたちに襲いかかったが、しかし剣の才能を開花させたジェイクの敵ではなかった。


 そして――このジェイク発議の会議に至る。


「牛肉は食える――どころかご馳走だよな。魔牛はどうだろうか」


「普通に考えて毒に冒されそうなんだけど……やめといたほうがいいんじゃない?」


「最後に新鮮な肉を食ったのは防衛線の野営地だぞ……シスターフットで食料を入手できたのはいいけど、いい加減柔らかい肉が食いたいんだ」


「気持ちはわかるけどやめとこうよ」


 シャルロットの正論! しかしジェイクは諦めきれない! 当然の様にNOと言った!


「一口焼いて食ってみて、食えそうなら食おう」


「その一口で毒に冒されたらどうするの? 私回復魔法使えないから解毒できないよ? ジェイクも使えないでしょう? 傷薬はあるけど解毒薬はないし……」


「……私が回復魔法覚えるからって言ったのに」


 ジェイクはぼそりとそうこぼした! 小声だがしかしシャルロットの耳に届いている!


「……イールギットさんがいれば解毒もできただろうに」


 ――シャルロットは静かに激怒した!


「じゃあ食べたらいいよ。毒だったら私が解毒してあげるから」


 ゴキリ、とシャルロットが拳を鳴らす! 魔法使いとはいえ投網漁と長旅で鍛えられたシャルロットの腕力はもはや以前の非力な王女のものではない! 駆け出しの兵士程度の腕力は備わっている!


「ロッテ、お前自分で回復魔法は使えないって言ったじゃねえか。どうやって?」


「胃に衝撃を与えれば胃液ごと毒を吐き出すでしょうよ」


「……それは解毒とは違うと思うが」


「私は美人のイールギットさんと違って回復魔法が使えないからこんな方法しかできないのよ。ごめんねジェイク、私がいたらないばっかりに――でも安心して? ジェイクが毒を吐き出すまで何度でも胃を叩いてあげるから」


「あー……もしかして怒ってる?」


「怒ってるよ! イールギットさんまで引き合いに出すことないじゃん! 攻撃魔法が得意なんだもん、回復魔法が苦手でもしょうがないじゃん!」


「あー……うん、まあ、そうな?」


「そんなに回復魔法が欲しかったら今から王都戻ってイールギットさん連れてきたら!?」


「や、別にそんなつもりは」


「ジェイクの馬鹿! ほら、食べたきゃ食べれば? そんでお腹壊せばいいじゃん!」


 ぷんすかと怒りを露わにするシャルロット。とりつく島もないとはこのことだ――からかって怒らせた時とは違う、本気で怒っている反応にジェイクは諸手を挙げて観念する。


「わかった。こいつは食わない――だから機嫌直せって、な?」


「ふんっ!」


「ふんって――……あー、地平線に山の麓が見えるから、もう半日もかからないだろ。今日はここで夜営することにして、火を起こして飯にしようか。な? ロッテ、シチューを作ってくれよ」


「柔らかい肉はないけど?」


「いいよ、お前が作ってくれればそれでいい」


「……もう! じゃあ荷物から薪出して! しょうがないから作ってあげる!」


 ――シャルロットはチョロかった!


 やれやれ――とジェイクは旅の荷物を詰めた荷袋から薪や鍋、食材を取り出した。


 ――明日には霊峰の麓に着く。迫る決戦の時を思い、ジェイクは気を引き締める。その先にあるのはルチア聖殿――魔将軍・魔人ゲイルがいるであろう敵の本拠地だ。




 余談ではあるがこの日のシャルロットの料理は久しぶりのダークマターハズレだったが、ジェイクは文句一つ言わずに完食した。そうするべきだと判断したのだ。



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