第4章 囚われの娘 ④

 暗い洞穴を進む。ジェイクは片手に人狼ワーウルフから回収した松明を、もう片方はシャルロットの手を引いて、音を立てず静かに進んだ。


 時折聞こえるコウモリの泣き声と羽ばたく音に都度シャルロットは悲鳴を上げそうになる。しかしその度にジェイクはシャルロットの手を握りしめ、彼女を安心させる。


 そしてしばらく進むと、奥の方が明るくなっているのが見えた。内容までは聞き取れないが、何かを話している声が聞こえる。ジェイクはシャルロットの手を引いて数メートル引き返し、彼女の耳元で囁く。


「俺は向こうの明かりがギリギリ届かない所まで移動する。ロッテはここで待機だ」


 伝えながらジェイクは手にしていた松明をシャルロットに握らせる。


「向こうの様子を見て、強襲が難しそうなら引き返す。行けそうなら突っ込むから、ロッテは後から来て援護してくれ。できるか?」


「駄目だよそんなの、一人で行くなんて危ないよ」


「大丈夫さ、こいつがある――こいつの力はロッテも見たろ?」


 言って掲げるのは左腕――そこに装備している《運命に抗う盾リジステレ》だ。シーサーペント戦で必死の攻撃を防いだ伝説の盾。


 しかし。


「……でもジェイク、剣の方は弓ほど得意じゃないでしょ?」


「最初は弓で数を減らすさ。キツそうならなんとか持ちこたえるから――その時はロッテの魔法が頼りだ。いいな」


「~~っ、わかった、やる」


 シャルロットは松明と杖をそれぞれ握りしめて頷いた! ジェイクは励ますように彼女の肩をぽんと叩き、改めて奥へと向かう。


 進むにつれ、次第に人狼ワーウルフたちの会話が聞き取れるようになる――


「隊長、俺たちゃいつまでこんな地味な仕事をさせられるんですか。あんな鳥野郎の言うこと聞くことないですよ」


「そうです、せめて人間を食わせてくださいよ。あの村にいる女は攫ってきたあいつだけじゃないですよ」


「俺だってあの鳥野郎に使われるのはごめんだ。けど魔将軍様からも念を押されてる。ゴミくずみたいな人間たちのなかでも勇者だけは気をつけねばならんと。勇者に気付かれるような目立つことをするなともな。だから今は耐えろ。俺の言うことを聞け」


 聞こえる声は三人分――どうやら残る人狼ワーウルフが全員揃っているらしい。ジェイクはそう判断した。


 そしてもう一つ――攫われたイールギットはここにいない。ここにいるなら『あいつ』とは言わないだろう。


「――だが、ここで勇者を仕留めることができれば手柄は俺たちのものだ。魔将軍様に気に入られることは間違いねえ。そうしたら鳥野郎どももでかい顔はできなくなる。あの村の人間どもも好きにしていい。お前ら、人間と鳥、どっちが好きだ?」


「どっちもですよ――隊長だってそうでしょう?」


「そうしたら攫ってきたあいつ、食っていいですか?」


「あいつは駄目だ。魔将軍様に捧げる。あれだけの美人だ、さぞ喜ばれるだろう」


「隊長が手柄を独り占めしちゃ嫌ですよ」


「わかってる。俺たちは群れだからな、獲物も褒美も山分けだ」


「……それにしても遅いですね。様子を見に行っただけなのに」


「そうだな、そろそろ戻ってきてもいい頃だ」


「まさか何かあったんじゃ……」


「あの村の人間どもに俺たちを襲う度胸はないだろうさ」


「二人で見張ってんならそれでもいいがな。けど魔将軍様に気に入られるためにも万が一があっちゃならねえ。おい、どっちか様子を見てこい」


 行くならもう今しかない――まだ連中の位置関係を確認出来るところまで進んでいないが、これ以上もたついていたら先に発見されてしまう。そう判断したジェイクは矢筒から三本抜き、二本を取り矢に、一本をつがえたまま地面を蹴る。


 突撃したジェイクが目にしたのは、広くなったスペースで焚き火を囲んで座る三人の人狼(ワーウルフ)たち――そのうちの一人がこちらを向いていた。距離にして七、八メートル。


 急に現れたジェイクに驚き、その人狼ワーウルフは目を瞠る。交錯する視線――


 ――ジェイクの先制攻撃!  必殺の矢が空を裂き、人狼ワーウルフの左眼を穿つ!


「――  ――」


 その一撃で絶命した人狼ワーウルフは仰向けに倒れた。急に目から矢を生やして死んだ仲間――そしていきなり現れたジェイクの気配に、残る二人の人狼ワーウルフは驚いて振り返る。


「人間――?」


「――まさか、勇者か!」


 二人の人狼は立ち上がり、背負っていた剣を抜く。ジェイクには既に倒れた一人と、残る二人――どれが『隊長』なのか見分けがつかなかった。隊長と言うぐらいだ、一番手強いだろう。不意打ちで仕留めてしまいたかったが……


 ともあれ、相手も既に臨戦態勢だ。迷っている時間はない。既につがえている二の矢を放つ。


 ――ジェイクの早射ち!


 人狼(ワーウルフ)の薙ぎ払い! ジェイクの矢は弾かれてしまった!


「人間風情が! 調子に――」


 ――ジェイクの連射! 三の矢が吠える人狼ワーウルフの喉奥を貫く!


「ぎゃあああっ!」


 人狼(ワーウルフ)はもがき苦しんでいる! その人狼ワーウルフは突き刺さった矢を抜こうと矢柄を掴み――


「やめろっ!」


 最後の一人が叫ぶが、遅い。矢を抜くと同時に激しく出血し、自らの血に溺れた人狼(ワーウルフ)は悲鳴さえ上げることなくのたうち回る。


「貴様ぁ……人間の分際でよくも俺の部下を」


 残る人狼ワーウルフ三日月刀シミターの切っ先をジェイクに向けた。対するジェイクは矢筒に手を伸ばして――


「ぉぉおおおおおっ!」


 人狼ワーウルフの斬りかかり! ジェイクは咄嗟に弓を捨てて盾を掲げた!


 ギィン! と激しい金属音が響く。かろうじて受け止めたが、しかし人狼ワーウルフは盾ごとジェイクを押し切らんと更に力を込めた。


 鋭い牙が生えた口から怨嗟の言葉が吐き出される。


「貴様が勇者か? はらわたを食い尽くしてその首を魔将軍様に捧げてやる……!」


「お前が村の娘を攫った斥候隊の隊長だな……」


 なんとか受け止めたジェイクだが、踏み留まるのが精一杯だった。押し返せない――だがしかし、その一方で確信もあった。


 この状況で《運命に抗う盾リジステレ》が発動しない――その程度の相手なのだと。


「攫った娘はどこだ」


「今から死ぬ人間にそんなことを知る必要があるのか?」


「――そうかよっ!」


 ジェイクは腰の剣に手を伸ばし、抜き様に斬り払う。しかしそれより早く剣を握った手を掴まれた。圧倒的に不利な状況で、人狼ワーウルフの隊長はジェイクの肩口に噛みつこうと顎を開く。


 そこに――


「ファイアボルト!」


 シャルロットの不意打ち! 炎の塊が人狼ワーウルフの頭を直撃――人狼ワーウルフはよろめいて後退った!


「ぐおっ……!」


「危ねえ! 俺に当たりそうだったぞ!」


「当たってないからセーフ! それより――」


「――おう!」


 シャルロットの声にジェイクが応える。剣を振り上げて地面を蹴る。


 ――ジェイクの一刀両断! 剣術には乏しくともその体力・膂力から繰り出される一撃の威力は十分だ。ジェイクの一撃は人狼ワーウルフを頭から真っ二つにする。


 どさり、と左右に倒れる人狼ワーウルフだったもの。そして気がつけば、先に射った人狼ワーウルフももうぴくりとも動かなくなっていた。


 ――尖兵隊を倒した!


 ジェイクは剣を振って血脂を落とすと、それを納めてシャルロットに告げる。


「ナイスタイミングだったよ、ロッテ。お前って実は結構頼りに――」


「――えろえろえろえろ」


 シャルロットは焚き火の明かりに照らされた人狼ワーウルフの死体を目にして気分が悪くなった!


「……なると思ったのは気のせいか」


「ぅぉっぷ――大丈夫、今日はちゃんとこれ・・があるから」


 そう言ってシャルロットは懐から何かを取り出した。


 ――魔女の香水だ!


魔女の香水これでジェイクに嫌な思いをさせなくて済むよ。プシュプシュっとすれば――」


 シャルロットは乙女なのだ! 匂いを理由にハグを断られたのは忌まわしい記憶だ!


「――待て待て! ファイアボルト一発分の魔法力に魔女の香水は勿体なさ過ぎる。水! 今日は水筒持ってきてるから! 口ゆすげば大丈夫だ! な?」


「……そしたら私を避けたりしない?」


「しない!」


「ハグは?」


「勝利を祝う軽いやつならしてやる! 口ゆすいだ後に!」


「……もうゲロ魔法使いって言わない?」


「いや、それは事実だろ」


 シャルロットは魔女の香水を使っ――


「待て待て! わかった、言わないから!」


 ジェイクの必死の説得! 魔女の香水の温存に成功した!


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