第2章 漁村とシーサーペント ②

「リドルさん、なにかあったんですか?」


 シャルロットが尋ねると、リドルは雨で濡れた顔を手で拭いつつ息も絶え絶えに言った。


「今、漁師仲間から聞いたんだけども――……どうも仲間の一人が漁に出ちまったみたいで」


「――雨は魔物が活発になるから漁には出れないんじゃないですか?」


 今度はジェイクだ。彼の言葉にリドルが頷く。


「え、ええ――だどもこの一月、勇者様と王女様がオラたちの船に乗ってくれてただろ? 魔物たちが悪さするようになって村全体の水揚げ量が減ってるのに、オラんとこだけ水揚げ量が上がってたから……食い詰める者が出ないように気ぃ回してたつもりだったんだけど、やっぱ面白く思わねえ者もいたみてえで……」


 シャルロットが唇を噛む。


「漁に出ちまったのはフォグナー――この村一番の漁師だ。嵐の海でも手足みてえに船を操るし、水揚げだって村一番だった。けども」


「……さすがに魔物には敵わない」


 ジェイクが呟くとリドルはそれに頷く。


「勇者様と王女様のお陰でオラが自由に漁に出られるのが面白くないと他の仲間にこぼしてたみてえです。そんでこの雨でオラたちは漁を休んでた……今ならオラを出し抜けると思ったみたいで――勇者様、お願いです。オラと一緒にフォグナーを助けに行ってください」


 そう言ってリドルはジェイクに頭を下げる。


 ジェイクは――


「わかりました。行きましょう」


 ――NOとは言わなかった!


「あ、あれ?」


「どうしたロッテ、何に驚いてる」


 矢筒に弓、そして剣と《運命に抗う盾リジステレ》を準備しつつ、ジェイクは素っ頓狂な声を上げたシャルロットに尋ねる。


「や、てっきり嫌ですって言うものかと」


「なんでだよ」


「……だってお父様や私の時、はじめは断ったじゃない」


「状況が違いすぎるだろ。恩人で雇い主のリドルさんの頼みだぞ、断るかよ」


「国王や王女の頼みは断るのに?」


「そらお前、勇者の末裔――それも直系に『お前が勇者だ!』とか言われてもなんだそれブーメランかって話だし、パーフェクトお荷物に『私を連れてきなさい!』とか言われても普通に嫌だろ」


「パーフェクトお荷物!?」


「俺たちが今、この村にいる理由を思い出せ」


 ジェイクの口撃! シャルロットは膝から崩れ落ちた!


「……私のお陰でリドルさんと出会えたでしょ!」


 シャルロットは諦めない! 抵抗を試みた!


「お前が財布を落としてなければこの村にこなかっただろうし、俺たちがリドルさんの世話になってなければフォグナーさんとやらもこんな雨の中漁に出ることもなかったろ」


「ソウデスネ」


 シャルロットは虫の息だ!


「けども勇者様、そしたらオラ……いや、この村は食い詰めてたかもしんねえ。勇者様たちがオラの船に乗って魔物を退治してくれたから、他の船もぼちぼち漁ができてた。勇者様たちが来てくれなかったら、きっと近いうちに完全に漁に出れなくなってた」


 リドルの天の声! シャルロットの顔に笑顔が戻る!


「ほら、聞いたジェイク! さすが私、財布を落とすことで結果的に漁村を救っていただなんて――これはもうナチュラルボーン救世主としてこの村で語り継いでもらわないと!」


「……勇者から預かった財布を瞬く間に紛失したとか後世に語り継ぎたいなら好きにしろよ」


 ジェイクが言うが、シャルロットの耳には届いていないようだった。感激のポーズ――そして満面の笑顔でリドルに告げる。


「ありがとうリドルさん……国に平和が戻ったらリドルさんを王家御用達にするからね? 美味しいお魚届けてね?」


「有り難いけど王女様、今はそんな場合じゃ……」


「そうだった! ほらジェイク、急ぎなさい! フォグナーさんを助けに行くわよ!」


 シャルロットはそう叫ぶと一番に家から飛び出していく。


 残される男二人。


「……リドルさん、イラっとしたらあいつの頭ひっぱたいていいですからね?」


「……オラそんなバチ当たりなことできねえよ……」




 船置き場に着いた一行は急ぎ出航した。


 雨風が吹きすさぶ中、リドルは船を巧みに操り沖へ向かう。


 しかし、小さな漁船は自然に抗いきれない――高い波に煽られて激しく揺れる。


「――くっ、思ったより波が高い! 二人とも、船縁にしっかり掴まっててくれ!」


「……この分じゃ沖はもっと荒れてそうだ」


 向かう先の空を見上げてジェイクが言う。そこには時折紫色に瞬く暗雲が立ちこめていた。雷雲だ。


「さすがにこれじゃフォグナーも引き返しているはず――そんな遠くにはいねえと思うんだけども……」


「リドルさんは船に集中してください! 俺たちが探す――ロッテ、何か見えたらすぐに教えてくれ!」


「わかっ――けろけろけろけろ」


 激しい揺れがジェイクたちを襲う! シャルロットは唐突に戻し始めた! 船酔いだ!


「こいつ吐きやがった!」


「ぅぉっぷ――大丈夫、出すもん出したら戦えるわよ――けろけろけろけろ」


 青い顔で答えるシャルロット! とても大丈夫そうには見えない!


「もう寝てろ、ゲロ魔法使い!」


「酷い!」


 ジェイクはシャルロットにそう吐き捨て、進行方向に目を凝らす。シャルロットが非難の声を上げるが無視――顔を叩く雨粒に顔をしかめながらそれでも視線を巡らせると、波の間にチラリと何かが見えた気がした。


「リドルさん、あそこに!」


「! ああ、オラにも見えた! ありゃあフォグナーの船だ!」


 リドルが叫び、船を操る。荒波のなか確実に遠くに見えた船影に近づくリドルの技術はさすがの一言だ。


 そしてしばらく――襲いかかる半魚人たちから揺れる木の葉のように逃れる船の姿が見えるようになった。


「勇者様! フォグナーの奴、魔物に襲われてる! あのままじゃもういくらも保たねえ!」


「ああ、わかってます――」


 ジェイクは頷いて船首に立つと、矢をつがえて射る。しかしフォグナーの乗る船までまだ距離があり、そして嵐――半魚人にその矢は届かない。


「くそっ、リドルさん――もう少し近づいてください! この嵐の中じゃ矢が届かない!」


「任せてくれ!」


 リドルがジェイクに応え、船を操る。


 しかしその瞬間、船首のすぐ前の海面が吹き上がり、船が大きく煽られる。船首に立っていたジェイクの体は跳ね上げられるように宙に浮いた。


「――ジェイク!」


 シャルロットの悲鳴。ジェイクは冷静だった――咄嗟にマストから船首に伸びるロープを掴み、跳ねる甲板へと着地する。


「大丈夫!?」


「ああ――ロッテこそ投げ出されないようにしっかりつかまってろ」


 心配げなシャルロットに声をかけ、そしてジェイクは弓柄を握り直して船首の方へ目線を向ける。


「なんだったんだ、今のは――まるで間欠泉みたいだったけ、ど――」


 しかしジェイクは目に映ったそれに言葉を失い呆然とする。


 そこには人間など軽く丸呑みにしてしまうだろうと思える、見上げるほど大きな海蛇の姿があった。


 ――シーサーペントが現れた!


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